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全ては安住のため  作者:
復讐猛炎ゲームスタート
31/32

奪還の冒険者……奪われた果ての誓い

 キーロ=エドガーの行動は迅速だった。脳震盪を起こしているソラを左肩で支え、脇腹を抉られ地面に横たわっているミントを右手で抱えこんで、遺跡の壁の紋様に紛れ込んだ『隠し扉』を開き、そこに逃げ込んだのだった。

 あっというまの行動に、両腕の損傷が激しいアカネも、今まで座り込んで戦いを鑑賞していたニビもそれを止めることが出来なかった。

「……あっちゃー。相変わらず勝手やっちゃってますねー、キーロさん」

 ニビがどこか楽しそうにそう呟くが、アカネはやれやれと小首を横に振った。

「今回のご主人様の命令は『殲滅』なのだがな……何を黙ってキーロの行動を放っているのだニビよ」

「えー、それならアカネさんだって、そんな風に腕をグチャグチャにされて、追いかけることすら難しい状況じゃないですかー。それで責任全部こっちだってのはないでしょー? それに、私が全力を出したところで、キーロさんを止められるはずありませんしねー」

「……それもそうだな」

 アカネは肘から先を切断された右腕と、刀身を貫通させつつ掴んでいたので既に掌の筋肉繊維が破壊つくされた左腕、その動かせなくなった両腕をぶらぶらと体ごと揺らして振って見せた。

「……それ、痛くないんですか? 確かアカネさんって、私たちと違って痛覚アリなんですよね? 全く何も感じていないように見えますけど……痛さも快楽も」

「いや、痛いぞ? 激痛だ。だが、まあ冒険者として我慢できん痛みではない……それに、あんな悪意も敵意も薄い攻撃で受けた傷などで、悶えるほどの甘美さは得られないのでな。疎まれ蔑まれて与えられる痛みこそ至高だ」

「……ハァ、そうですか」

 まったく共感の出来ないアカネの歪んだ性的趣向に、ニビは要らない質問をするんじゃあなかったと若干後悔しつつ、話を戻す。

「で、追いますか? キーロさんはどうやら裏通路に入ったみたいですけど、確かにあれを使えばダンジョンの入り口付近まで魔物に遭遇することなく戻ることは出来そうですねー。一応あの道、私たちゾンビ用に作られたものですから……ゴーレムはサイズ的に通れないし、レッドバグは通路が狭すぎて高速飛行が出来ない。なるほど、脱出には最適です」

「感心している場合か。私たちはご主人様の言いつけを守れていないことになるんだぞ?」

「いやーでも、あの心優しいマスターですよー? 今までの命令だって、例え失敗したとしても、報酬を減らされこそすれ、理不尽な罰則なんてなかったじゃないですかー。ま、そういう風に演じてるだけなんでしょーけど……」

「フフ、やはりニビは見抜いているか。ご主人様の冷酷さと、人を人とも思わぬ非道さを……」

「いや、なんでそこで良い笑顔なんですかアカネさん……マスターに従わない人や反乱分子は、裏でさらっと消されてるっぽいですからねー。そもそも良く考えれば、目の前に従属か消滅かしか選択肢が用意されていない時点で優しいも糞もありませんけどー」

 ニビは「ふぅ」と小さくため息をついて、このダンジョンの支配者について考える。

 ニビ自身、己のことを大分屈折した人間だと考えていた。しかし、そんな彼女をもってしても、初めて相対したときの彼の印象インパクトは頭からこびりついて離れない。

 ダンジョンマスターが浮かべた笑顔は完璧だった。思わずこちらの表情も綻んでしまうような優しげな笑みだった。しかし、その瞳に映る澄み切った悪意の色は気持ちが悪すぎて目を背けたくなってしまった。

 諦観と虚無、憎悪と嫌悪といった感情を、煮詰めて煮詰めて、濾して濾して、澄み切った負の感情だけが――この世界に向ける悪意だけが眼球に詰まっているかのような感じだった。

 そんなものを抱えているくせに、自然な笑顔を浮かべていることが逆に気持ち悪かった。

 その鉄面皮が。

 とっくに崩壊しかけているくせに歪な方向に纏まってしまっている精神状態が。

 あちらが狂っているのか自分が狂っているのか分からなくなってしまうような、その存在そのものが、気持ち悪かったのだ。

「ま、そんなところに惹かれるようなぶっ壊れた人も、こっち側に居たわけですけどー……」

 ニビがアカネに聞こえないように呟いた。聞こえていたにしても、アカネは逆に照れるようなアクションをとっただろうが……。

 それはそれとして、ニビは少し真剣に逃げ出した二人の冒険者を追わなくていいのか考えていた。

「マスターは結構ランダムに冒険者の生死を決めてたように思いますけど、今回は一人残さずってことだったじゃないですかー? やっぱり追いかけた方が良くないですか? マスターって、一定のラインまでは失敗も笑顔で許すけど、それを超えれば慈悲なく断罪するタイプだと思いますよ。一番腹の内が分からないタイプです。私まだ消されたくないんですけどー」

「そうか? 私はご主人様の勝手な気まぐれで消されるのなら、それもまた本望だがな」

「だからそう考えてるのってアカネさんだけなんですってば」

 普段は聡明で頼りになるアカネも、ダンジョンマスターの事が絡むと正常ではなくなる。日に日に崩れていく英雄像に眩暈を感じながら、ニビは仕方なく自身だけで判断することにした。

「……マスターがガチで殲滅を求めているなら、現時点で何らかの命令を既に私たちに下していますよね? ということは、やっぱりここは私たちの判断に一任しているか、私たち以外にもうアイツらを殺す算段がついてるってことでいいんじゃないでしょーか? それか、ここまで粘ったんだから気まぐれに逃がしてやっても良い、なんて気持ちにマスターはなったのかも知れませんしね。そもそも私はゾンビであることを悟られる前に騙し討ちってのが持ち味ですし、アカネさんはすでに戦闘不能に近い状況ですし……いやアカネさんはその気になれば全然()れるでしょーけどねー……」

 アカネはニビの言葉を神妙な様子で聞き、一瞬瞠目したあと、ゆっくりと言葉を続けた。

「……そうか、ニビがそう判断したなら、私もそれに従う事にしよう。今は一刻でも早くご主人様に蔑まれたい気分だ」

「……ねえ、アカネさん」

 ニビは通路の奥へと進んでいくアカネを呼び止めた。

「何だ?」

「一つ聞きたいんですけど、よろしいですか?」

「もったいぶらなくて良い、何の話だ?」

 この話題に触れていいものか、ニビも若干臆しながら好奇心と、今後のダンジョンの安全、ひいては自分の安全のために質問する。

「アカネさんは、ダンジョンマスターのことを好いていますよね?」

「好いている、というよりも服従させていただいている、という感じだがな」

「……まあ、その機微は良いです。じゃあアカネさん、ソラ=オルキュラスのことを、どう思っていますか? 地上に居た時と今の心境に違いはありますか?」

 アカネはニビの問いに、期せず言葉を詰まらせた。数秒考え込むように地面の一点を見つめていたが、何かを吹っ切るようにかぶりを振って、ニビに向き直った。

「今も昔も、ソラは仲間だよ。地上に居た時よりは今は魅力を感じんがな。まあ、だからこそ、今は私たちの敵だ」

 矛盾を含む言葉を、ニビは額縁通りには受け取らなかった。いくら頭の螺子がぶっ飛んでいるとはいえ、アカネにも優しさや良識といったものは普通に残っている。芯の芯から狂っていればコミュニケーションすらままならないだろう。ダンジョンマスターへの異常な信仰とそれに伴う被虐趣味さえ無視すれば、アカネは生前とあまり変わっていないようにも見えるのだから。

 故に、殺せる余裕があったにも関わらずアカネがわざとソラを殺さず、逃がしたのではないか、そしてそれがいずれ、このダンジョンのウィークポイントに、致命的な何かに繋がるのではないかとニビが危惧するのも当然のことだった。

 しかし、それを今アカネにそのまま伝えたところで、どうにもならない。

 そしてアカネの、正義や被虐の入り混じった複雑な心情を知る者はこのダンジョンにおいて己とダンジョンマスターくらいしかいないとニビは自負している。

 よって、アカネの返答を聞いたところで、ニビは心の隅に彼女の言葉を留めることくらいしか出来なかった。

「そうですか、そういうことにしておいてあげましょう」

 諦め気味に、ため息交じりにそう呟くのだった。

「そういえばニビよ、あそこにいる首の千切れかけたナマリの奴はどうするんだ?」

 アカネがクイと顎で示した先にはソラによって戦闘不能にされた『影這』のリーダー、ナマリが地に沈んでいた。

 切断面からは黒い血が流れ出ていっている。未だに動く気配はなく、完全に活動を停止させられている。

「あー、どうしましょうか。一応あの人には地上で色々と借りを作ってしまっているんで、なんとか復活はさせてやりますよ。でもそうですねー。どうせ首が千切れかけてるんなら、マスターにちょっと協力してもらって、デュラハンの作り方を勉強して強化してから復活させてあげましょうかねー。自軍を強化するための試行錯誤をマスターは推進してますし、ダンジョンならいくらでも禁忌の魔法研究を出来るのがいいですよねー……地上はどうも死体弄りや精神操作や呪いに対して厳しくて……ヒヒヒ! さて、どんな風にナマリさんを改造してあげましょうかねー」

「……貴様の歪み方も大概だと思うがな」

「何がですかー?」

「いや、何も」

 こうしてアカネとニビは突然迎えた無粋な戦いの幕引きに対して、大した感動も抱かぬまま、ソラとミントの撤退を許したのだった。


***


 ソラとミントは、キーロに抱えられるままダンジョンの裏通路を進んでいた。

 再び会えた喜びや、助けてもらった礼を言う暇もない。

 それに例え時間があったとしても、そんな喜び溢れる展開にはなっていなかっただろう。

 アサギが死に、カーキが死に、ヴェスタが死に。

 そして、アカネに殺意の刃を向けられた。

 脳へのダメージは回復してきたものの、依然としてソラの脳裏には混乱がこびりついて離れないでいた。

 死別よりも苦しい再開があるだなんて、思ってもいなかった。

「……お、降ろしてくれ、キーロ……!」

 何もできず、キーロの腕に抱えられている状況が妙に悔しくて、ソラは控えめに声を荒げた。

「走れるか?」と言葉短にキーロは問い、ソラは首肯する。ミントもキーロの腰部分を軽くタップし自分も自力で動けることをアピールした。

「ぬう、すまないな名も知らぬ少女よ。あそこではその場を離れることが最優先事項だと思い、傷の処置などもせぬまま運んでしまった、許してほしい」

「私は、ミント……良い、感謝、する」

 ミントは青ざめた顔で神妙にキーロに礼を言う。

「ここはダンジョンの魔物が通るために設置された裏通路だ。ダンジョンの最奥から、ダンジョンのいずれの箇所にも迅速に魔物を送り込めるように表通路に沿って張り巡らされている。逆に言えば、この通路でダンジョンの出入り口に向かえば魔物と出くわすことはない、何せ最短ルートでこの道は創られているからな」

 キーロはそう言い、この通路を通る安全性を説く。

 ダンジョンの中で猜疑心を忘れることは死に直結する事柄であることは、先ほどの『影這』によって身に染みていたが、それでもここはキーロの言葉をそのまま信じるほかない。

 そもそも、あそこでキーロが現れず、ダンジョン陣営しか知らない通路によって脱出が可能とならなければ、おそらくあそこで二人とも死んでいたのだ。ここでキーロが何かを企んでいるなどと考えてしまえばキリが無い。少なくとも死の淵から救ってくれた相手を疑う余裕は二人になかった。

 しかし、キーロ自身に疑いの目を向けなくとも、先ほどのアサギの件がある。ダンジョンマスターがゾンビに何らかの強制的な命令を下せるのだとすれば、ここでキーロが背負う巨大な戦斧がキーロの意思とは無関係に振るわれる可能性もあるのだ。

 すり減った精神をさらにすり減らしながら、ソラとミントは命の恩人であるはずのキーロを濁った瞳で見るしかない。

 そして、それに気づいたキーロは特に怒るでも不快に思うでもなく、ただ、少しだけ悲しそうに苦笑した。

「仕方のないことだが、少しは肩の力を抜け二人とも。確かにダンジョンマスターはゾンビを、いや、ダンジョンにいる全ての魔物を操る力を持っているが、力量差によってどうやら制御しきれないことがあるらしくてな。俺は強制力に対してかなり抵抗が出来るようだ。だから心配するな……ともここじゃあ言えんがな」

 目の前に居るキーロはゾンビにされているはずなのに、その言動は生前と全く変わっていなかった。少なくともソラとミントの前では、嘆くことも辛さを口に出すことも無く、一人の冒険者として二人を逃がそうと必死だった。

 それを少なからず感じとったソラは、思考に纏わりつく疑いの薄煙を払いのける。

「足は止めるなよ。俺が先導するから二人は着いて来てくれ。この通路は安全だとは思うがうかうかはしていられない。傷に負担がかからない速度でな」

「キーロ、ありがとう。やはり、君は君のままだったんだね」

「ああ……ソラは、さっきアカネ嬢と対峙したんだったな」

「……うん」

 出口に向かいながら、ソラとキーロは変わり果てたアカネについて話した。

「あれは、一体どういうことなんだ? 何故、あのアカネが……」

「すまない、俺も詳しくは知らないんだ。おそらくダンジョンマスターに何かやられたのだろうが、アカネに聞いても詳細ははぐらされるばかりで、最近では接触のチャンスも奪われている」

「アカネだけじゃない『影這』だって黒い噂はあれど、真っ当な冒険者だったはずだ。それがどうしてあんな風に僕たちと敵対しているんだ……!」

「ダンジョンマスターの厄介なところだ……ここのダンジョンマスターはなかなかに狡獪でな。今やここにいるゾンビの大半はダンジョンマスターに忠誠を誓っている……洗脳もされずにだ」

「そんな……」

 かつての仲間を殺せるように人を動かすなど、容易なことではないはずだ。そう考えるが、先ほどの『影這』が冷静に自分の命を狙って来る姿を思い出し、背筋が寒くなった。

「なんなんだよ、ここは……」

 ソラの独り言は、彼の本心そのままだった。

 『龍狩』を始めとする有名な冒険者パーティを潰し、冒険者のネットワークを用いてもその実態や難易度を定めさせず、そして今ではここで命を落とした冒険者を復活させ、あまつさえ従属させている。

 元来のダンジョンとは全く性質が異なる。

 ここがありふれたダンジョンであったのなら、ソラは、死別したはずの想い人――アカネと死闘を演ぜさせられることもなかっただろう。

「……お前が殺される前に助けられて良かったよソラ、出来ればこれ以上冒険者を……仲間をこのダンジョンの餌食にはさせたくない。さあ、このルートなら探索の時間の半分ほどで出口に行ける。アカネのことは心配するな、俺がなんとかしてみせる」

「……そうか、ありがとな、キーロ」

 ソラは、なんとなく心にシコリを残しつつ、キーロに素直に礼を言った。

「悔しくは、ないの?」

 そのシコリを突いたのは、今まで沈黙を守っていたミントだった。

 今まで脇腹を庇いながら並走していたが、二人の会話の内容に嫌気がさしたと言う表情を浮かべ、その脚を止めた。

「ど、どうしたんだよミント。早く行かないと、この通路だって完全に安全なわけではないんだ。どうにか早くここを出ないと……悔しいのは僕も一緒だ、だから体制を立て直してからもう一度……」

「貴方には、無理」

 ミントが言葉短に、故に相手を慮ることもないストレートな言葉をソラに投げつける。

 ソラは心臓を貫かれたかのような心境に陥ったが、それには気付かないふりをして、駄々をこねる子供を宥めるような声色でミントを説得する。

「……そんなことを言われるのは、心外だな。でも、ここで引くのは悪いことじゃない。戦略的撤退は必要なんだ。勇気と蛮勇が違う様に、ここではこうするのがベストなんだ……最善の選択なんだよ」

「大人ぶっても、無意味」

 ミントはソラを睨み付け、低い声で続ける。

「ソラ、は戦う者として、の、牙がない」

「牙――」

 ソラが思わず反芻してしまった言葉には、ソラの冒険者としての生き方を大きく否定された気がした。

「貴方は、ここで逃げて……これからも、きっと、ずっと、逃げ続ける……再びこのダンジョンに、来ても、同じ……仲間を殺され、怖気つき、敗走する……その、繰り返し」

「……ッ、なんっ、で……君にそんなこと言われなくちゃいけないんだよ!」

 あくまで冷静に対応しようとしていたソラの語気が、不本意に荒げられる。

 ソラも一瞬「しまった」と思ったが、止められそうもないことは自分が一番わかっていた。

「二人とも! ここで争っている場合ではないのだぞ! 一刻も早くここから出なければいけないということを分かっているのか!?」

 キーロが慌てて二人の間に割って入るが、時すでに遅し。

「今だってそう……キーロさん、に任せきり……単独では、なにも、成せていない……ここに、来たのだって、グンジョーが、発破をかけなければ、来ていない……」

「そんなことはない! いい加減にしてくれ、ここで言い争っている場合じゃないとキーロも言っているだろう!? 一体、何が言いたいんだよミント! 君の真意は何なんだ!」

「何故、剣を、止めた?」

 ミントの冷たい一言に、ソラの激情がサッと冷めた。

 キーロは何のことか分からないようだが、ソラには具体的に言われずともどの事柄か分かる。アカネにトドメを刺す千載一遇のチャンスを棒に振ったあの時だ。

「それに……アサギさん、の時も、なんで、邪魔をした? ……ソラは、甘い」

 ――貴様の考えは幼く甘い。

 ソラの脳裏に、父の言葉がリフレインした。

「あの時、剣を振れば、皆を殺したあいつを殺せた……あの時、邪魔しなければ、皆は……死なな、かった、かも……」

 そこで言葉は途切れ、ミントは顔を両手で覆って、小さく嗚咽を漏らした。

 その小さな肩を震わせ、泣いてる様をソラとキーロから隠すように、三秒だけ顔を伏せた。

 そして小さく呼吸し面を上げた、真っ赤に充血した瞳と涙の後筋をそのままに、しかしその表情は初めて会った時のような、感情の一切が分からない氷のような無表情だった。

「……ごめん、なさい」

 唐突に、ミントが謝罪する。悪びれる風でもなく、ただただ何かの台本をなぞるかのような口調で。

 ソラは、ミントの言動についていけず、狼狽えるばかりだ。

「今までの、ほとんどが、八つ当たり……ソラは、悪くない……ただ、優しい、だけ……ただ、頭がいい、だけ……ただ、臆病な、だけ……ただ、弱い、だけ……ただ、現実を、見れない、だけ……」

 語られるたびに、ソラの心が抉られていく。

 アカネとキーロを救えなかった己が、アサギの覚悟を不意にしてしまった己が、剣を触れず、アカネにすら失望されてしまった己が、そして今、再びキーロに助けられている己が、己の不甲斐なさが、自己嫌悪を促進させる。

「……貴方は、悪くない……貴方の選んだ道が、悪いだけ」

 この世界は、貴方に合っていない。

 そう言って、ミントは踵を返した。

「お、おい。どこに行こうと言うのだミント嬢!」

「この道、最短ルートで、奥から出口まで、伸びている……つまり、この先は、ダンジョンの、最奥……」

 キーロが慌てて引き留めるも、ミントは堪えた様子もなく難無く返答する。

「私は、このダンジョンを、憎む。一刻の、我慢も、出来ない」

 ソラは、ミントの無感情に見える表情の裏に、どれほどの憤懣が募っているのかと恐怖した。

 彼女の激情は、ソラがこのダンジョンでアカネとキーロを失った時よりも、明らかに上回っていた。

「このダンジョンが存在する世界で、私は生きていたくない」

「その傷で、この通路を逆走しても、確実に殺されるぞ……この先は確かにダンジョンの最奥に繋がっている。ダンジョンコアにも届きうるかもしれない。しかしその前に、このダンジョンのほとんどの魔物が収容され犇めき合う巣に、お前は突撃することになる」

 それに、とキーロは続ける。

「俺は死にに行く者さえ救えるほどの度量はない。逆走するというならば、俺はついていくことは出来ん。ミント嬢が明らかに弱い相手ならば、殴って気絶させてでも救い出すことは出来るが、そんな隙は見せてもくれなさそうであるしな……冒険者は仲間だが、俺は他の冒険者以上に『龍狩』のメンバーであるソラを友人として優先する。ミント嬢についてやることは出来ん……」

「かまわない、私は、一人で行く……それに、死にに行くつもりも、ない」

 ミントは道具袋をあさり、二本のポーションを取り出した。本来なら希釈して扱う、悪趣味極まる色のポーションを、原液のまま嚥下し胃に送り込んだ。

 何度も咽返るも、一滴たりとも吐き出すことはなかった。

 そして、ポーションが体に馴染みはじめたのか、先ほどまで傷を庇い引きずっていた体躯をしゃんと伸ばし、身体から膨大な魔力が噴きだした。

「ミント嬢……廃人になるつもりか……!」

「本望」

 ミントは向き直り、キーロに深く頭を下げた。

「せっかく、助けて、頂いた命……粗末に、扱う事を、詫びる……それでも私は、このダンジョンを、許せない」

「…………すまない」

 キーロはもはや、何もいう事はなかった。

「ソラ」

 ミントに名を呼ばれても、ソラは返事をすることが出来なかった。

 ミントは冷静で穏やかな人間なのだと、最初の印象からずっと思っていた。

 だが、彼女の行動は、その印象とはあまりにかけ離れたもので、あまりにも直情的で、あまりにも愚かで、救いようがない。

 それでも、友のために玉砕覚悟で仇討ちを決めるその姿は、ソラには決して真似出来ぬ、冒険者らしい姿だった。

 今だって、ミントについていくと言うことも出来るだろう。ソラの身体はミントほどの大きなダメージを追っていない。脳を揺らされただけで、身体への傷はミントほど深刻ではない。彼女についていけば、それなりの助けになることが出来るかもしれない。

 それでも、一緒に行こうと言う気が一切起きないのは、やはり自分がここから一刻でも早く去りたいからで……死にに行くことを恐れているからかと、ソラは己に問いかける。

 命あっての物種だとか、戦略的撤退だとか、ロングスパンで考えての救出作戦だとか、いくらでもソラの行動理由は正当化できる。実際、真に敵を討ちたいのならばソラの行動の方が明らかに正解だ。

 それでも、そうは分かっていても。ミントの行動はソラにとって眩しく思えた。

 そして、別の世界の人間の行動なのだとも。

「初めから、最後まで、無礼で、ごめん……貴方は、とても優しい……とても賢い、とても、良い人――」

 だからこそ、

「この世界には、向いていない……と、思う」

 ミントは、それだけ言って、逆方向へと向き直り、二度と振り向くことはなく、闇に向かって駆けて行った。

 行くんじゃない、と、止めることも出来なかった。そんな資格がないように、ソラは思ったのだ。

「……止めてやることは、どうしても出来なかったのか」

 しかし、それでもソラは未練がましく独り言ちる。それに対してキーロが低い声で応えた。

「ミント嬢は、冒険者として覚悟を決めていた。ああいうのはテコでも動かん。それに、ここで奴の説得に時間をかければダンジョンマスターになんらかの手を打たれる可能性が高い、力づくも然りだ。俺は、最善を考える。そうなると、ミント嬢よりもソラを優先する。冷たい人間だと罵っても良いぞ」

 ミントの背中から視線を外し、キーロが顔を伏せつつ、出口に向かって走り出す。

「……行くぞ、ソラ。あまり気負うな。あいつにはあいつなりの生き方があって、お前にはお前なりの生き方がある。それだけだ」

 どう良いように考えても、ミントが単独でダンジョンマスターを打破できるわけがない。彼女の命は地下深くで花と散るだろう。

 ソラは彼女の運命を想い、一瞬迷ったが、キーロの背を追った。


***


 階段を上り切り、ソラは言いようもない虚無感に襲われていた。

 キーロも有情のゾンビであるため、地上に出ることは出来ない。日差しを浴びることが出来ないという以前に、ゾンビが日常生活に戻ることなどできない。研究対象だと言い張れば、解剖されつくされることだろう。冷静に考えれば分かるのに、アサギの時にはそんなことも思い至らないレベルで混乱していたのだと今になって気づいた。

 キーロはソラと別れるときにソラを慮る言葉をかけたのだが、ソラの耳には届いていなかった。再びこのダンジョンに仲間を殺され、そして自分だけが生き残ったことに対する罪悪感で押し潰されそうだったからだ。

 日はまだ落ちていない。予定では夕暮れになるはずが、裏通路を通ったことで早くダンジョンから出れたからだ。強い西日がソラを突き刺すように照らす。二度とこの光を拝むことが出来ないアカネやキーロ、地下深くで死んでいった『四剣』を差し置いて、よくもおめおめと戻ってこれたなと、太陽が笑っている気がした。

 五人でここに居たはずなのに、今や自分一人しかない。

 『四剣』は、完全に崩壊した。

 粗暴で、自己中心的で、だけれども身内には誰よりも優しかったグンジョーはもういない。

 臆病で、自己主張の少なくて、だけれども誰よりも勇気を持っていたカーキはもういない。

 軽率で、退屈そうで、だけれども実は乙女で誰よりも皆を心配していたヴェスタはもういない。

 無口で、感情が分かりにくくて、だけれども実は誰よりも情に厚かったミントはもういない。

 ――まただ、また自分だけが生き残った。

 ソラは生きていることが悪いことのように思えてきてしまった。ミントの行動こそ正しくて、自分が今生きていることは恥ずべきことなのではないかと疑心暗鬼に陥りそうだった。

 ソラはおぼつかない足取りで待たせていた騎獣と御者の所へと戻る。

 良い騎獣を操るだけあって、御者も熟練の者なのだろう。ソラの様子を見て全てを察し、無駄な言葉はかけずに、ソラが乗り込んだのを確認して、静かに騎獣を帰路に向けて走らせた。

 広くなった荷車の中で、ソラは一人で考える。

 何がいけなかったのか。何故こうなったのか。

 当然、すぐに答えが出るわけもなく、終わりはない。

「……優しいのが、いけなかったのか?」

 ソラの声に応えるものはここにはいない。

「……考えすぎているのが、いけなかったのか? 恐れがあるのが、いけなかったのか? 僕の弱さが、いけなかったのか? ……現実を、直視していなかったのか、僕は……」

 冒険者の世界を、甘く見ていた。

 ――貴様の考えは幼く甘い。

 その通りだと、何年越しかでソラは父の言葉に返答した。

 答えの帰ってこない問いかけを繰り返し、青く整った髪を乱暴に掻き毟り、爽やかだった瞳を自己嫌悪に染める。枯れた涙は流れず、怒りの矛先は己の甘さに向けられた。

 荷車に揺られ、数時間。既に日も落ち、ソラは一つの解を出す。

「僕を――殺そう、今までの僕を」

 ――大人になろう、苦味を知ろう。

 ――見ないようにしてきた全てを、直視しよう。

 ――優しさを捨てよう、醜い感情に従おう、死の恐怖を受け入れよう、誰にも負けぬほどの強さを何としても得よう。

 ――そして、

「次に会った時には、アカネ、君を殺そう。奪われたままにするものか、君をあのダンジョンから解放してあげよう。そして、あのダンジョンを完全に潰そう。それが出来るほどに、強くなればいい……大丈夫、僕なら出来る……僕は優秀だ。今までの僕が甘かっただけだ……僕が、殺さなくちゃいけない」

 ――人類の敵となった君を殺す。それが冒険者としての在り方だ。

 ――そして、その行為をもってして『四剣』皆への贖罪としよう。

 その日、一人の少年が静かに復讐を誓った。


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