プロローグ……束の間のコーヒーブレイク
その部屋には窓がない。
あったとしても、そこに日光が差し込むことはない。その部屋は深く地下に埋まっているからだ。
そこに住む者たちは、すでに人道を外れた生き方をしている。言葉の通り、日陰者と言う生き方がふさわしい。
そもそも、生き方、と言っていいのか。生きていると言い張れるのかどうかは置いておく。
石壁に囲まれた空間。発光石によって丁度いい光度に保たれたており、床には毛足の長い絨毯が敷かれている。
見渡してみれば、広さも清潔感もあり、人が住む空間として適しているとも思える。単純にみると贅沢にも見える。
しかし、それは地下に追いやられた人間が、人間性を奪われたという傷を癒すために縋った結果として生まれた内装であり、羨まれるには程遠いものだ。
ダンジョンマスターと、それに隷属する妖精が一匹、ここでは暮らしている。
現在、妖精はいそいそと、小さな体躯と飛翔能力を活かしてコーヒーを煎れている。ダンジョンマスターの好み、どの程度の苦味と酸味が良いのかは、もはや彼女は分かっているつもりだ。
妖精はちらりと部屋の中心近くに置かれた古びたテーブルを見やる。
テーブルの上に八面体の紅玉のような石が浮遊している。そしてそこからプロジェクターのように、虚空に映し出される画面には、この迷宮内の情報が所狭しと並べられている。
それらに触れながら、情報を処理し、迷宮内を整えている者が席に座っていた。
白いカッターシャツに黒のシャープなズボン。服装としてはとてもあっさりとしている。ネクタイとスーツをとったサラリーマンのような恰好。もっとも彼からしてみれば、洒落っ気などがないために、このような服装しか自信をもって着用できないという、そこはかとなく残念な理由を抱えているだけだし、この前まで引きこもりと言う社会から隔絶されていた存在であった彼の外面を表現する際に、サラリーマンを例に出す時点で奇妙きまわりないのだが……。
彼はただただ無心で、目の前に広がるホログラムウィンドウを指ではじき、スライドさせ、情報を統合させていく。
もともとの世界では引きこもりのゲーマーだった彼が、この操作を嫌がるわけもない。画面に映る情報を追い、タイピングしていくその姿は、実はまったくもって元の世界とやっていることが変わらないのではないかとも思う。
しかし、これはゲームであってゲームではない。
この世界に生きる者たちは、どれだけ取り繕ってもデータやプログラムなどではない。
それぞれに歴史があり、感情があり、みんな、守るべき何かを抱えている。
ダンジョンマスターが己が身を守ろうとするのならば、そんな者たちとの命の取引は避けられない。
冒険者を殺すということは、この世に生を受け、そしてこれまで歩んできたその者の人生を、踏みにじることと違わない。
しかし、そんなことは理解したうえで。
ダンジョンマスター――望月明はダンジョンを改造し続ける。
より簡単に殺せるように、より多くを殺せるように。
彼が行っているのはそういう事だ。
ホログラムウィンドウが閉じられていく。作業がひと段落したのか、望月は大きく伸びをしてため息をつく。マイがそっとコーヒーを運んでいく。
「おつかれさま、アキラ」
「ん……ああ、ありがとう、マイ」
優しい言葉をかけあう二人、望月はコーヒーカップを持ち上げる。
香りを楽しみながら、八十度を超える黒い液体を、舌の上で転がす。そして、全身で脱力するように、大きな息を吐いた。
「あー、苦くて熱くて美味い」
「淹れてる私が言うのもなんだけど、よく飲めるわよね、ソレ。相当苦いわよ」
「苦くないコーヒーなんざ、コーヒーとは認めない」
「はいはい……どうせ私はカフェオレしか飲めませんけどー」
「もったいないよなあ、こんなに上手く淹れれるのに……」
コーヒーの表面に微かに映る、己の顔をじっと見る。黒い水面に映る逆さの自分に向かって、フッとほほ笑む望月。
「? 何、急にどうしたの?」
「いや、俺達ってコーヒーみたいなものかもな……」
「…………ハァ……?」
こいつはいきなり何を言っているんだといった表情とポカンとした声をセットで返された。
望月もそうぼそりと呟いたあと、急に汗を流し、癒された顔から、俺はいきなり何を言っているんだという焦りの表情に変わる。
「あ、いや、そこまで怪訝な顔で問い返されるとは思ってなかった……なんでもない、何でもないから、その脳が全く回転して無いような顔で俺を見るのを止めてくれ……!」
「いや、唐突過ぎて……どういうことかスゴい気になるんですけど! ちょっと教えてよー!」
「忘れろ、忘れてください! 今俺すっごいポエミーなこと口走りそうになったから、恥ずいんだってば!」
「ん? ん? どんなことを言いたかったのかな? 恥ずかしがらずに言ってみな!」
「勘弁してくれ!」
妖精――マイは望月の頭の周りをクルクルと飛び回り、その全身ほどの長さの白銀髪をたなびかせて望月と戯れる。望月も口では嫌がりながらも、その口元はヘラリと緩み、この他愛もない掛け合いに心を弾ませているようだった。
「……あっ! そういえば俺まだ仕事が残ってるんだった」
「……それ、逃げるための口実じゃないでしょうね」
「ノコッテルンダッター」
「……………」
マイが白い目で望月を見る。瞳自体は紅玉のように美しく赤いのに。
「い、いや、マジで仕事があったの忘れてたんだって。だからそんなむくれるなよ、戻ってきたらコーヒーブレイクの続きやろうぜ」
「もう……早めに終わらせてね?」
唇を尖らせて、そっぽを向きながらそう言うマイ。そんな彼女の様子を、望月は目を細めて慈しむような眼差しで一瞬眺める。
「ああ――すぐ終わらせるさ」
それだけ言って、望月は最奥の通路に向かう。
ダンジョンコアの部屋を出て、扉を閉めたことを確認する――そして、望月の表情が変わった。
口元は真一文字に結ばれ、眉間に無意識に軽く力が入り、強張った表情。マイと同じく紅玉のような瞳は澄んでいるにも関わらず、あまり美しさが感じられない。そこに彼のもつ悪意が透明になって溶け込んでいるからだろうか。
一瞬にして重い表情に変わった望月は、これまた重い足取りで通路を進んでいく。
この仕事は、極力マイの知らないところでやっておきたかった。普段なら彼女が寝静まった後に動くことが多いのだが、『彼ら』を動かすシステムが完成するにしたがって、それだけの時間では足りなくなってきていたのだ。望月は部屋の一つに入る。
そこには机と椅子が一対ずつと、異様にシンプルな部屋で、まるで学校の面談室のようだ。机と椅子が一対といっても、アカネ=マーガロッドを籠絡したような拷問部屋とは似ても似つかない清潔感のあふれる内装だ。
そこに、それなりに整った顔立ちをした女性が一人。まるでよく出来た蝋人形のようにピクリとも動かず、望月を待っていたかのように席に座っている。しかし、望月が入室したのを気付く様子もない。
本当に人形のようだ――しかし、それもそのはず。
彼女は生ける屍、今は自我を奪われたアンデットなのだから。
「さて、と」
本当に気だるそうに呟いて、空中にホログラムウィンドウを展開する。
「えーと、名前は、リラ=ラリアック……あー、ゴーレムで殺した女か。人体の原型を何パーセント保っていればアンデット化できるか試した時に殺した奴だっけ……」
今思い出した、と言った感じで溜息を吐く。ホログラムウィンドウを閉じ。自分の顔を両の手で気付けのようにパンパンと叩く。なるべく、怯えさせないような柔和な笑みを浮かべるよう心掛けるが、瞳の奥に潜む透明な悪意は隠しきれていないようだった。
望月が指を弾く。
まるで催眠から覚めるかのように、目の前の女性がハッと意識を取り戻し立ち上がり、現在の状況を確認するようにあたりを見渡す。
「こ、ここはどこ!? あ、あっあなた、誰よ! どうなってるのよコレぇ!?」
喚く女性に対し、思わず出かかった舌打ちを引っ込め、笑顔を崩さないように、ゆっくりと彼女――冒険者リラに語り掛ける。
「……落ち着いてくれ、リラさん。質問には順に答えるから、とりあえず座ってもらえるかな?」
予想以上の紳士的な対応に、混乱が続きながらもリラは一応、喚くのを止め、席に着いた。
「さて、じゃあまず簡単に……ここは『不明の遺跡』のダンジョンの地下深部、前に君たちが居た広間と、同じ階層にある部屋の中だ。そして俺は――ここのダンジョンマスター、望月明だ。よろしく」
望月はニッコリと、偽りの微笑みを浮かべた。




