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全ては安住のため  作者:
絶望希望ニューゲーム
19/32

血の色の君……死の悦楽

「……私も記憶が明瞭でない、から、思い出しながら話すことになる……三人とも、倒れてしまって。私と龍の一騎打ちが始まったのだ」

 アカネは首をもたげ、ぼんやりと上のランタンを見つめる。そのランタンの炎の中に、まるでその時の情景を映し出しているかのように。

「龍も、相当に傷を負っていた。エイロの魔法による支援と、私とソラとキーロによる攻撃によって、相当にダメージを蓄積させていただろう、倒せる一歩手前までは来ていたのだと思う……しかし、エイロが魔法の過剰使用で倒れてからの奴の動きは凄まじかった……手負いの龍は手を付けられないと言うべきか、エイロの脱落と言う戦いの隙を的確に突き、ソラとキーロも戦闘不能に追いやられてしまった……」

 ――一瞬だった、戦況はそこで確定したと言ってもいい。

 当たり前だ、四人対一体で何とか実力が拮抗していたのだから。こうなれば、龍の圧勝だろう。

「なすすべもなかった、私は二人が倒れるのを、黙ってみているしかなかった。多分、ほんの一秒くらい、茫然としていたのだろう。状況を理解して、龍を見上げた時だ……あの時、龍は、そう、龍は……」

 笑っていたんだ――とアカネは呆けたように言った。

「ああ、思い出した。頭の中の靄が晴れていくようだ……そう、あの時、あの龍は、自分の勝利を確信して笑っていたんだ。今までの戦闘が終了し、蹂躙の始まりを予期していたんだ。敵が、とるに足らない餌に変わったことに、笑っていた」

 アカネはどんどんとその時の様子を思い出していた。

 アカネ自身でも驚くほど明瞭に、当時の状況が脳の中で反芻される。そして、幻覚が広がる。

 目の端には、倒れているエイロとキーロ。ソラは龍の尻尾による一撃で吹っ飛び、崩れた岩の下に挟まっている。周りに味方が誰もいない中。今まで頼り強く思っていた愛槍が、まるで棒切れと思ってしまうほどの無力感と絶望感。頭上に広がる影に視線を向ければ、眼球が己の頭蓋ほどありそうな、大きな龍。表情は一変しており、先ほど浮かべていた敵に向ける威嚇や、慎重さや、覚悟は最早なく、餌に対する優越感と、傲慢さと、嘲りが浮かんでいた。大きく首を擡げた後、ワザとなのか油断なのかは分からないが、その大きな咢をゆっくりと開けて、目の前にあるただの肉塊を、貪ろうと……。

「……ああ、そうだ」

 今までボンヤリとランタンを見つめていた瞳が、優し気に細められたかと思うと、次の瞬間ギョロリと見開かれた。全身が軽く痙攣しだし、テーブルに縫い付けられた左手が何かを掴みたがっているかのように、テーブルの表面をガリガリと掻き毟る。

「あの時久しく感じたんだ……敗北の興奮を……!」

 全身の痙攣で、未だに首をガクガクと揺らしながら、アカネは楽しそうにそう言った。凛とした笑みではなく、蕩けた笑みを隠そうともせず。

「あの蔑んだ目が、私に向けられたんだ。今までの私の努力や戦績を知らぬ魔物にとって、あの時の私はどう見えただろう! 鎧という柔い殻に包まれ、槍という棒切れを持った、ただの肉だったんじゃないか!? ああ! なんて卑しい存在だ! 今まで私が培ってきた、槍の技術、魔法の鍛錬、信頼できる仲間、冒険者としての名声、家族への愛が! あの瞬間は塵芥となっていた……あの眼が囁きかけてくるんだ、気高き冒険者アカネ=マーガロッドの本性は、捕食者にただ啄まれるだけの餌に過ぎないと!」

 拘束具がギチギチと音を鳴らすくらい、アカネは全身を使ってその享楽を表現しようとする。もし拘束具がなければ、望月を押し倒しながら、敗北の魅力を語り続けていただろう。

「龍の歯を見たことがあるか? 全てが全て、曰く付きの殺人ナイフのようだった。あれが、私の体に食い込み、切り裂くのだと思うと! もう……考えるだけで腰が砕けそうだ……! 血の匂いの混ざった、獣くさい息。ニチャリとした唾液の中から覗く、無数の棘が生えた触手のような舌! ああ、龍が咢を閉じるまでの刹那の間に、私は何度、泣き叫びながら喉の奥へと送られる自分の姿を幻視したことだろう!」

 背中を限界まで仰け反らせて、天井を仰ぎ見ながらアカネは当時のその瞬間を網膜の裏へと描写していた、興奮して話す彼女は、放っておけば泡でも吹いて気絶するのではないかと思われるほどだ。

 望月はそんな彼女を、まるで何かの実験対象を見るかのように注意深く観察するが、可哀想だとか、恐ろしいだとか言った感情は、望月は一切見せていなかった。

「けど、その時お前は死ななかった」望月が、狂乱に叫ぶアカネに向けて一言、問いかえるように言う。

 アカネはゼンマイが止まったかように、ピタリと動きを止めた。

「……そう、私は死ななかった。何故か分かるか?」

「……いや」

「……子供のころ……貴様の子供の頃が私と同じかは知らないが、子供は残忍なものだろう? こう……手のひらサイズの虫を捕まえてだな、正しい掴み方なんて分からないものだから、羽根だけを持ったり、足だけをつまんで宙ぶらりんにしたり、手でそのまま握ったりするわけだ、すると、虫は必死に暴れて、暴れながら、自身の身がズタズタになりながら、死ぬ訳だよ」

 アカネは天井を向いたままの姿勢で、落ち着いた声で淡々と続ける。

「何が言いたい?」

「ふふ、子供とは言え人間の、圧倒的力の前になすすべもない虫の死にざま……全力で足掻いても、手の中から逃げられず、呆気なく潰され、そしてそれは幼少時代の何気ない一ページで終わってしまう虫たちの哀れさと言ったら……」

「…………」望月が少しうんざりとした様子で、目を吊り上げる。

「そうさ、足掻いたんだよ、私は――」

 一瞬、首が落ちたのかと思うほどに、ガクリと勢いよくうなだれ、望月の方を見やるアカネ。その表情は、先ほどの狂った笑みとは一変して、世のすべてに絶望したような、どこまでも暗い無表情だった。

「足掻いて、助けを求めて。必死に命乞いをして、それでも、そんな哀れな姿を見て蔑みながら、噛み砕いてくれると思ったのに……」

「足掻いたお前は強すぎた」

 望月の先読みに、アカネはコクリと首肯する。

「私の動きは、鈍らなかった。どころか、心の底が掻き乱されるほどに、私の眼は正確に状況を判断し、普段は出来ない大胆な攻撃をし、捨身の戦闘が出来るようになるんだ……」

「…………」望月は理解した。

 本能的な被虐と破滅の願望。

 そして、規格外の戦いの才能。

 この二つが、彼女の異様さの根源なのだと。

「貴様は、龍との戦闘を聞きたいんだったな。話してやる。ここからはつまらない話さ。龍が口を閉じる瞬間、自分から口の中に飛び込んで、舌に槍で一撃。龍の口内も広いわけではないから、槍を短く持ち直し、二、三度口内を切り付けた、その時点で龍が暴れて、一旦は口から脱出……ああ、あの時にもう龍は、捕食者の眼ではなくなっていたかな。私はその時はまだ、昂揚感で高らかに笑っていただろうが……まあ、いい。その後は、龍がブレスを吐くのに必要な器官を、体表に近い部分から見つけ突き潰し、龍の首に跨り、ずっと、鱗と鱗の隙間に、槍を突き立てていたな」

「……首が落ちるまでか?」

「……ああ、今思えば、途中から龍が動かなくなっていたな、初めは首を大きく振って、振り落とされやしないかと興奮したものだが……とちゅうで死んでるなんて、考えていなかった……最後のあたりは、ずっとこう言っていたよ……」

 ――起キロ、起キロ、起キロ、起キロ、起キロ、起キロ。

 ――モシカシテ、モウ終ワリカ? モウ一度、私ヲ、昂揚サセロ。

 アカネは少し寂しそうな表情をした。

 望月は考える。常軌を逸した彼女の心の底で何が眠っていて。生前、一体どのように生きていたのか。

 どのくらい、生き苦しかったのか。

 アカネ=マーガロッド。彼女は、支配されるには強すぎた。

 誰もが少しは持っているであろう、被支配欲求。

 恋愛であれ仕事であれ、誰かの下につき従うということは、同時に、強いものの庇護下に入ることでもある。頼り、依存できる快楽。

自己決定、自己責任には多大なるストレスを伴うことになるが、自分の決定権を委ねるということは、その分の安心を意味するわけである。

 アカネの場合それが人よりも巨大すぎた、病的なまでに。決定権どころか、己の生存権すら預けるほどに。

 そうであるのに、彼女は誰にも守ってもらわなくても構わないほどに強かったのだ。

 彼女には、ワザとやられる、ワザと弱者を演じるなんて選択肢は、初めからなかったのだろう。自らの全力を持って抗い、そしてそれをせせら笑い、無碍にできる、本当の強者に自らの全てを捧げ、跪きたかったのだ。

「……今の今まで、この感情を忘れていた。いや、思い出そうとしなかったわけだが。別に、私の本性がこちらで、今までの私が偽物、というわけではないのだぞ」

「ああ、だろうな」

 ――異常な願いを持つ彼女と、仲間思いの凛とした彼女、どちらも本物。

 だからこそ厄介。

「お前が、仲間や家族の大切さを語ったとき、俺は不思議だったよ。心の底から言っているのが分かったから、どうしても、狂気に呑まれたお前とは一致しなかった。けれど、違うんだな。その二つの性質を持つお前は、矛盾しない」

 その被虐願望から、自分を称える者は鬱陶しいと感じていたかと思えば、そうではない。

 その破滅願望から、自分の強さを疎ましく思っていたかと言えば、そうではない。

 アカネは、しっかりと冒険者としての誇りと自覚を持っていた。自己偽装などではなく、どちらもアカネを構成する要素であり、表裏一体のものなのである。

 より強いものと戦いたいと願う好戦意欲は、次こそは己が敗北するかもしれないという歪んだ望みでもあり。

 仲間や家族を大切に思うその気持ちは、それを失った時、またその人々に失望された時の虚無感を増大させることになるのである。

 二つの性質は相反するわけでなく、相当するのである。

「そう、矛盾しない、どちらも私で、私の中に共存しているんだ……さて、これが、私の龍殺しのエピソードだ。そして、もう一つの私を自覚する鍵でもあったわけだな。フフ……実に、奇妙な気分だ」

 そう言う彼女は、落ち着き凛々しい態度であるが、その微笑みには、生前の彼女にはなかった艶めかしい媚態を孕んでいた。

 だが、その微笑みはいつの間にか消えていき、怒りの表情へと変わっていく。

「しかし、だ……私の狂気と理性の壁が緩くなっているからと言って……いや、自分の狂気を受け入れたからこそ、私は、お前が憎いんだよダンジョンマスター……!」

「……興奮したり悲しくなったり笑ったり怒ったり、忙しいやつだな」

 茶化すように望月は言う。

 鉄杭に貫かれた衝撃と、自分が認めていなかった闇を無理やり引きずり出されたショックで、アカネは望月への敵意を忘れかけていたが、大分思考がまともに戻った今、再び怒りをたぎらせる。

「私は、もっと強大で、抗いようのない、絶対的な捕食者を前に死ぬことを夢見ていた……らしい。自分がいつ死ぬかもわからないスリルを感じていたことは確かだ。だからこそ、あんな不意打ちで、自分が必死で足掻けないままに、何の感情も向けられずに殺されたことが、どれだけ憎いか!」

 冒険者として、全力で戦って死にたかった。本能に従って、もっと惨たらしく殺されたかった。

「そんなに俺が憎いのか……俺は、お前と仲良くなりたいのに」

「まだそんな戯言をほざくか、この下種! 貴様のせいで、私の望みが叶うことは無くなった、永遠にな……。もう、良い。終わりだ、さっさと私を消滅させろ……」

「消滅? 馬鹿言うな。アンデットには戦闘力になってもらわなくちゃいけないんだ、死ぬまでな……って、もう死んでたっけか。クハハ。下らねー」

「そういえば、私の他にも何人かアンデットにしていたな。今すぐ解放しろ! 自我を奪って、今まで仲間だったものと戦わせるだと? 正気の沙汰ではない。早く神の元へ送ってやるのがせめてもの救いだ! 彼らを解放しろ!」

 彼女の眼に、正義の炎が灯る。なるほど、今の彼女の様子を見れば、地上でどれだけ冒険者として慕われていたのか、望月も分かる気がした。

「いやあ、そういうわけにもいかない、彼らは俺の大事な駒だからな」

 ヘラヘラと笑う望月。

 そんな彼の様子に、さらに怒りが募ったのかアカネも思いのままを口に出す。

「いい加減にしろ! 貴様もダンジョンマスターになる前には、普通の人間だったんだろう! 貴様がどんな悪行を犯して、どういう経緯を辿りこんな地の底に居るのかは知らないが、だからってこんな、人でなしのような事をして許されるはずがないだろう! 貴様には一片の人間性も残されていないのか。貴様に、死してなお死者に鞭打ち、仲間を殺させる権利があるとでも思っているのか!」

「……はあ」

 アカネの言葉に対し、望月は諦めたかのような大きなため息をついた。

 アカネはさらに目の前のダンジョンマスターを弾劾しようと、言葉を紡ごうとしたとき、被せるように望月が言葉を発した。

「止めだ」

「……ッ! そ、そうか、貴様も、少しは人の心が――」

「テメーと仲良くなるのは、止めだ」

「え――――ヒギっ!」

 望月が言葉を言い終わるか否か、組んでいた足を解き、片足をテーブルに乗せたかと思うと、思い切り踏み込み、もう一方の脚をアカネの顔面に向かって真っすぐ蹴りを放った。加減したのか、頭蓋は砕けていないようだが、アカネは右頬を横から勢いよく踏まれる形となり、高さが頭の腕まである背もたれの間に挟まれ、万力のように締め付けられる。

「うるせーからそろそろ黙れ。破滅型マゾヒストが。テメーに正論っぽいこと言われても、滑稽にしか見えねえんだよ」

「あ、がぁ……い、痛い、痛い痛い痛いイタいぃ!」

 望月はアカネの右頬においている脚に、徐々に体重をかけていく。

「人の地雷ガンガン踏みやがって。正気の沙汰じゃない? 変態のテメーには言われたくねーよ。どんな悪行? 呑気にゲームやりに行っただけだっつーの、気が付けば穴倉生活だ。こちとら被害者様だぜ?」

「ひ、被害者だと? それは、こち、ら……」

 アカネは弱弱しい声ながらも、必死で反論する。

「勝手にスリルと財宝求めに来ただけだろうがよ」

「他の、冒険者にも……家族や仲間が……」

「こっちはそんなの知ったこっちゃねーんだよ。テメーらこの世界の住民は、結局、誰もがあの『存在』の子だ。罪悪感なんざ抱いてたまるか」

「い……一体、何……の、話」

「ああ、別に知らなくていい……それと、お前さっき人間性がどうだとか、人の心がどうだとか言ってたな。教えてやるよ、俺はな、人の尊厳のために今生きているんだよ。そのためなら、ダンジョンに入ってくる奴は誰であろうと、何人だろうと殺してやる」

「……く、狂って、る」

「お前ほどじゃない」

 望月はそう言って、アカネの顔から足を退ける。

「アカネ、お前と仲良くするのは止めだ。その代わりに、俺はお前の望む者になってやるよ」

「…………え?」

「俺が、お前の支配者になってやる」

「ど、どういう……何を言っている!」

 ――こいつ、やっぱり痛みを与えてから交渉に入った方がやり易いな、と望月は内心で考えながら続ける。

「き、貴様のような、不意打ちや拘束してでしか私を相手に出来ないような奴に、私が靡くと思うのか! 私は貴様の下につくくらいなら、このまま消滅した方がマシだ!」

「いや、さっきの戦闘でもお前は俺に勝てていないだろうが」

 とは言いつつも。望月も正直アカネに勝利した気などさらさらなかった。正直、彼女の話を聞いた後だと、本当に運と相性がよくて『龍狩』との戦いに勝利していたことが分かり、内心冷や汗ものだった。つまりは、迷宮探索に来た時に倒せたのは、自分が強い魔物を持っておらず物量で攻めたことで、彼女の狂気のトリガーを引く前に終わらせることができ。アンデット化後に戦った時は、狂ってはいたが感情の方向が喜びではなく怒りに向いていたからこそ、彼女は本来の力を出せなかったのだろう。

それだって、数時間の戦闘で、望月自身が生身なら数百回は死んでいるほどの実力差があったのだ。

 しかし、そんな感想は全く見せない。

 運だろうが相性だろうが、望月が勝利を収めているという事実は変わらない。

 望月はたたみかける。

「良いか? お前が望もうが拒もうが、死んだことは事実だ、これは揺るがない。その上で自分とアンデットの解放をお前は望んでいるわけだ……さっきからどうも正義のヒーローみたいなことを言っているが、本当にお前はそれでいいのか?」

「どういう事だ?」

「つまり、だ」

 望月は現在、テーブルの上に立って演説するかのようにアカネに話しかけている。望月は再び、鉄杭の頭に踵を置き、体重を乗せた。

「ぐッ……がぁっ! 頼む……それは、もう止め……」

「慣れて来たところに新たな刺激はキツイか? どうだ、痛いだろう」

「い、痛いぃ……左手が、焼けてる、みたいに、痛い……」

「お前、自分が死んでると思うか?」

「……へ?」

 望月は鉄杭から足を離した。望月があっさりと責めを終わらせたことへの驚きと、その言葉に、アカネの理解は追いつかなかった。

「な、何を……馬鹿なことを言っている。さっき、貴様自身が言っていたではないか……私が、死んだのは事実だと……」

 未だ引かぬ左手の痛みに耐えながら、目の端に涙を浮かべ、息も絶え絶えに言う。

「確かにそうだ。けど、お前の何が変わった? お前は自分の思考を保ち、自分の意志で行動出来る。感情もある、五感もある、新陳代謝さえ、疑似的とはいえ付けてやった。今は左手に鉄杭がぶっ刺さってはいるが、体に今までの動きが出来なくなるような大きな欠損もない……さあ、生前のお前と何が変わった? 変わらないなら別に良いんじゃないか」

「それ、は……」

 変わっていない、という答えはありえないと思って反論を探すが、すぐには出てこない。苦し紛れに言葉を紡ぐ。

「……そうだ、冒険者が出来なくなった。もう私はソラたちと一緒に冒険することは出来ない。それに、家族とももう会えない……今の私にはもう未来がない、これが、生きていたときとの違い、だ」

「苦し紛れだな」

 アカネは内心、図星だよ……と悔しがった。

「それはお前の変化じゃない。環境の変化だ」

「それはそうだが」

「アカネ自身も、もう分かっているだろうが、お前自身に変わったことなどない」

 アカネは混乱する。そんなわけはないはずなのに、なぜか本当に、少なくとも身体的には生前と変わっていない気がしてきたからである。望月はアカネの返答を待っている。

 ……………………。

「いや……ある、当たり前すぎて気付かなかったが、最も重大なことだ」

 ゆっくりと口を開いた。

「へえ、何だよ?」

「私はもう、死ねない」

 望月は一瞬驚いたような顔をする。アカネは続ける。

「貴様が言っていたように、確かに私は、冒険者として、そして歪んだ本能の下、理想の死を探していたのだろう。そのために私は生きていたのかもしれない。しかし、死んだ今その目的はもう果たすことは出来ない。これが私に起こった変化だ」

 アカネはシンプルでいて最も根幹的な事柄を見つけ、胸のすく思いだった。そして先ほどの答えは、自分の全てと、今の思いを再確認したようだった。

「……なるほど、それが変化か、確かにそうかもしれないな」

「ああ」

 望月は顔を伏せた。その様子を見て、アカネはもしかしたら、遂に説得を諦めてくれたのではと密かに予感した。

 望月が大きくため息を吐く、そして少しの静寂のあと、アカネは望月の肩が密かに震えている事に気付く――悔しがっているのか、と予想してみたもののそれは大いに外れていたとすぐに分かった。

 望月が顔をあげた……邪な色の笑顔だった。

「オーケイ、じゃあもう一度殺してやろう」

 望月はそう言って、椅子の陰に隠していた鉈を取り出した。席を立って、大きく振りかぶる。

「んじゃあな」

「ひ……ま、待て! いや――」

 バットでも降るかのようなフルスイングで、望月は鉈を振るった。瞬間、アカネの首が宙を舞う。

普通の刃物ならばできなかっただろうが、望月の使用した大型の鉈は自らの重さによる遠心力も相まって、素人の望月でも首の切断を可能にさせた。

望月は飛んだ首を乱暴に拾い上げ、その表情を見る。彼女の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

「……言わせてやったぞ」

 望月は、アカネの強さに不安と希望を見ていた。

 つまり、本当に歯向かわれたりすればアカネの手によってダンジョンコアが破壊されるという事態も十分にあり得る。しかし、手懐けることができれば今のダンジョンにはない単一の戦力を手に入れることが出来るということだ。アカネを強制的にコントロールできない今の状態では、どうにかして彼女を精神的に懐柔しなければならなかった。

 それに対して立てた策が、今の状況につながっている。

 最初は適当に戦闘不能にしてから雁字搦めにして、狂気の元を探し洗脳または脅迫しようと画策していたが、向こうの好戦意識もあってそれは若干の変更が生じた。しかし、そこで得られたものは大きかった。彼女の漏らした一言が、彼女の狂気の片鱗を望月に気取らせたのである。

 痛みと血の伴った死に様に焦がれている。という一見意味の分からない願望を彼女が抱いているのではという疑問は、他のアンデットたちから聞き出した情報によってかなり信憑性の高いものとなっていた。『鮮血の舞姫』の噂と、終わりがぼやけた龍退治譚。そして、いざ始まった尋問から彼女は被虐願望を持ちながら自らの闇の存在を自覚していないことを知る。

 そこから望月の行動はだいたい固まった。

 アカネに自分の内に潜む闇を自覚させること。それも突きつけるのではなく、自覚させるというところに重きを置いた。

 狂っているというのは、言葉の通り正常ではない状態である。ダンジョン内におけるアンデットの役割は、普通、人の倫理観を残したままでは出来ることではない。しかし、既に内に狂気を飼っているのならば、それを引き出してやればいい。

 そしてもう一つは、死への憧れを再燃させることにあった。望月の予想の内ではあったが、アカネにもう自分は理想の死は諦めたからこのまま解放してくれと言われた時は内心焦っていたものだ。しかし、そこから何とか巻き返すために、彼女の体を、D通貨を使ってカスタマイズし、かなり生身の状態に近づけさせていた。その時に彼女の痛覚を誤差の範囲内ではあるが鋭敏にしたことも少しは効いているかもしれない。左手の拘束の緩みを気付かせてからの鉄杭の連鎖、そして執拗なまでの暴力によって、彼女に痛みの甘美さを思い出させることが出来た。そして、鉈で首を落とした時に口から出た短い言葉――『いや』という否定の言葉から、まだ彼女が自分の死に納得していないことが確認できた。そもそも彼女がダンジョン内で狂った原因こそが、自らの死を受け入れられないことだったので、そこまで難しいことではなかったが、あのタイミングに言葉にしてくれなければ危なかったことも確かだ。

 そして、望月は最後の仕上げに入る。

 彼女を形成する。誇り高き冒険者としてのアカネと、狂った自己破壊願望を持つアカネ。二つの心を自身に自覚させたところで。

 誇り高き冒険者のアカネを殺しにかかるのである。

 確かに彼女の正義と闇は共存していたのかもしれない。しかし、そのバランスは大きく正義に傾いている、今でもおそらくは正義の方が強いのだろう。なら、彼女の闇を利用するためには、彼女の闇を肥大化させ、正義の冒険者としての心を歪める必要があるのだ。

 望月はアカネの生首を、胴体との切断部分にぴったりとくっつける。

 アンデットは脳味噌を破壊しない限り活動を続ける、というのがセオリーであるが、現在のアカネはその限りではない。

 アンデットはD通貨を使用することで改造することが出来、今のアカネは人間と同じ死因で死ねるのである。

 そして、活動不能になったアンデットを再生させるのもD通貨が必要になるわけだが。

「アカネ=マーガロッド、再生」

 永遠に増えるD通貨を持つ望月にとってその制約はあまり関係がなかった。

 望月の言葉とともに、アカネの首が繋がっていく、なんというか、本当に細胞が動いて治っているようでどことなく気持ち悪い。

 望月は自分の再生法がマシなのだと実感した。

「……え、な、何故首が」

 アカネは首を左右に曲げて繋がっていることを確認する。

「俺が戻した」

「戻す……」

 戻せるのか、と一瞬驚いたアカネだが、確かにここに縛り付けられる前に戦った時の傷は治されているのだから、出来るのは当たり前だと気付いた。

「どうだアカネ、お前はまだ『死ぬことが出来る』んだよ」

「…………」

「考え方を変えてみないか。お前の人生は終わっってしまったんじゃない、むしろ本当の人生が始まったんだよ」

「本当の人生……」

「ああ、さっきお前は冒険者としての自分と闇の部分の自分は、共存していると言ったな。では、どちらが先に存在していたと思う?」

 アカネはびくりと肩を震わせた。

 自分なりに、自分の中の狂気は受け止めたつもりだった。しかし、望月は安定しかけたアカネの心を再び揺する。

「もしかして、芽生えた闇――被虐及び破滅願望を自覚したお前は、隠れ蓑として冒険者としての生き方を選んだんじゃないか? 冒険者は選ぶ仕事によっちゃ死と隣り合わせ、崖っぷちを歩くことで、お前は自分の願望の渇きを潤していた。そして冒険者として積み重なっていく実績、比例するように、それを失った時に味わうであろう喪失感も増していき、ギャップからお前の闇は深くなっていった」

 アカネが混乱している隙にも話を進めていく。

「なら、今の環境はどうだ。お前の願望を隠す必要はない。そして――俺がお前を理解してやる」

 望月はそっとアカネの頬を撫ぜた。

 予想外の望月の行動に、理解不能とばかりにアカネは目を泳がせる。しかし、頬から感じる暖かさと手つきは、まるで父が娘を愛でるときのように優しいものだった。

「あ……」

 アカネの口から、凛々しさも、闇も孕んでいない。少女のような声が漏れ出る。

「俺だけがお前を受け入れてやる。歪んだお前を、俺だけが、認めてやる」

 アカネは、孤独だったのかもしれない。

 どれだけ仲間が増えても、心を通わせても、心の奥の闇には誰も、自分さえも届くことはなかった。

 望月は初めて彼女の闇に触れ、そしてその闇を認めたのである。

「身をゆだねろアカネ。俺が支配してやる。そうすれば、全てを捨てる快楽と、全てを支配される悦楽を与えてやる」

 ……アカネの中の冒険者としての部分が警鐘を鳴らす。

 しかし、それはどうやっても、抗いの声になることはなかった。

「でも、私は……仲間を殺すことは……」

 口から出るのは、弱弱しい言い訳だけだ。

「闇に染まったお前を見れば、その仲間はお前をどんな風に見るだろうなあ……」

 アカネは、仲間たちからの蔑みの目線を向けられたら、と想像し、背筋に甘い電流が流れたのを感じた。

「そしていつか、お前より強い冒険者が来るだろう。その頃には、お前は同胞殺しとして名が売れてるかもしれないなあ……侮蔑の眼を向けられ、今まで殺したものに懺悔しながら、お前は……と、まあ地の底での生活はそうなるだろうが、どうだ」

――いい。

 と、アカネは思ってしまった。

「…………それでも、私は……」

 それでも否定の言葉を口に出すアカネに、望月は感心した。そこまでアカネの中の冒険者としての心は強いのだ。

「なら、まあ最終手段だ」

 望月は席を立ち、アカネの椅子の後ろ、影になっていたところに置いてあった大きなバッグを取り出す。そして、中身をテーブルの上に並べていく。

 カナヅチ、ノコギリ、大小様々なペンチ、やすり、針、釘、ナイフ、大包丁、鉄杭数本。その他もろもろ。

 これから小屋でも建てるのかと言うような、工具の数々。実際、これ等は『トレード』欄では『工具』として取り扱われていた。

「さて、これからお前が素直な言葉を言うための手助けとして、一つゲームをしよう。この道具を使って、お前を色んな方法で痛めつけて色んな方法で殺害する。俺が諦めるまで音を上げなかったら、冒険者としての心の勝利だ。そして途中で素直になったら服従の言葉を口にしろ、冒険者としてお前は死ぬ」

 もはや、ゲームとして成立していない。

 しかし、アカネは、小さく頷いた。

 痛みと恐怖は冒険者としての心を殺していき。

 痛みと快楽は被虐と破滅の欲望を育てていく。

 結果は分かりきったものである。アカネはただ切っ掛けが欲しかっただけなのかもしれない。

「よし始めるぞ、お前の歪んだ性根をさらに歪めてやるよ。準備は良いか?」

「……あは」


***


 アカネが服従の誓いを口に出したのは、三回目の殺害の後だった。


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