血の色の君……決壊
アカネはゆっくりと瞼を開けた。
しばらくボンヤリと虚空を見つめた後、思い出したかのように体を動かすが、それは彼女の体に巻きついている拘束具のせいで叶わなかった。代わりに拘束具がギシギシと音を立てるだけだ。
「目が覚めたみたいだな、アカネ=マーガロッド」
望月は彼女の名を呼ぶ。彼女の目が覚めるまで見ていたアンデット部屋の様子を映したホログラムウィンドウを閉じ、目を細めて彼女を見つめる。
「拘束してしまえば、お前みたいな狂戦士も可愛いもんだな」
望月は口の端を吊り上げて不敵に笑う、対して、アカネの表情は悔しさと憎しみが滲みきった表情で、歯を食いしばっている。
今の二人は、簡素な木製のテーブルを挟んで、お互い向き合って座っている。
しかし、望月が座っているのは背もたれと尻の部分にクッションがついた、程々に性質の良い椅子であり、さらに望月は脚を組んで、肘をテーブルにつくという奔放なポーズをしているのに対して。アカネは無機質で堅く冷たい拘束椅子に座らされており、ベルトで全身を縛られている、首や胴は背もたれに、手はうで掛けに、足は椅子の脚にそれぞれ固定されている。格好もここに来た時のアーマードレスではなく、囚人や奴隷が着るような簡素な衣服だった。
部屋自体が狭く、二人と椅子とテーブルだけでほぼ埋まっており、さらに扉もアカネの後ろにあるため、アカネの目線では出入り口さえ在るかどうか分からない造りの部屋であった。この構図自体が、今の二人の関係を明確に指し示していた。
壁と床と天井は、そのままダンジョンの石壁、さらに光源は天井高くに吊られたランタン一つのみで明るいとは言えない、ランタンが小さく揺れるたび、二人の影が揺らめく。
「なぜ?」アカネが苦々しく口に出した。
「なにが?」
「なぜ私を殺さなかった!」
アカネが声を荒げた。狂気は、一旦は落ち着いてはいるものの、冷静でいる時と狂気に呑まれているときの切り替えのスイッチが相当緩くなっているのである。
「なんだ、お前、殺してほしかったのか? というか一応お前は既に死んでいるんだけれども」
「違う! ああっクソ! 分からないだろうな!」アカネはうなだれ、唇を噛む。
望月はそんなアカネの様子を注意深く見ていた、何となく、アカネの秘められた闇の正体は予想している。
望月は優しく声色で言葉をつむぐ。
「ああ、分からねえよ。テメーみたいな狂った人間の話なんか、分かるはずがないだろう」
「……ああ、だろうな、分からないだろう。誰も、分からないんだ、私でさえ……」
「そうだ、誰も分からない。誰も知らないし、誰も理解出来ねーんだよ」
「そんな繰り返さなくても、分かっている」
「寂しいか?」望月の突然の予想外の言葉に、アカネは不意を打たれ、内心動揺した。
「寂しいだと、貴様、一体何が言いたい」
「いや、ただ、お前の言い分が、誰も分かってくれない、誰かに分かってほしいって、助けを求めるように聞こえてな」
その言葉に、アカネは、急に頭が沸騰したのではないかと思った。
それは羞恥からだったのか、図星を突かれたからだったのか。
「どうだ、俺にお前のことを教えてくれないか」
「……どういうことだ」
「俺はダンジョンマスターだ。だから、アンデットの指揮を執りたいわけだけど、操りきれない奴の支配は大変でな、仲良くなっておこうと思ったんだよ」
「仲良く、だと。つまらない冗談だな」アカネは吐き捨てる。
「そんなこというなよ。悲しいぜ」望月は優しげな笑みを浮かべたままだ。彼の赤い目が真っ直ぐアカネを見据える。その瞳の中で、ゆらゆらとランタンの炎を揺らめいているのが映っていた。
「お前の全てを、俺に教えろ」
テーブルから身を乗り出し、アカネの鼻柱に触れるのではないかというほど、望月は顔を近づける。アカネはその勢いに、動けないながらも体を強張らせてしまう。
その時である、アカネが動いたことによって軋む拘束具であったが、アカネは左手に違和感を覚えた。ここだけ、拘束具の軋み方が違うのである。どうやら、左手首に巻かれている拘束ベルトだけ、他の箇所よりもほんの少し、緩まっているようだった。(……しめた)アカネは内心そう思い、自分がそのことに気づいたことを悟られていないかと望月の表情を見るが、未だに彼女の奥底を覗こうとする不敵な笑みが浮かんでいるだけである。
「……そうだな、こういう機会だ、教えてやっても良いだろう」
アカネは話を長引かせることにした。その間にどうにか左手をゆっくり動かし、拘束を外せば、何か突破口が開けるかもしれない。
アカネ自身、自分の狂気の正体をハッキリとは分かっていないが。今の自分はかなりクールな状態であると分かる。冷静に、なんとかこの状況を打破したいと思ったのだ。
「教えてくれるのか。ありがとう」
「ああ、何でも教えてやろう」
望月は再び椅子に着席する。まるで恋人と話すような姿勢で、アカネに質問をしていく。
「まず、どうして冒険者を目指した?」
「姉が冒険者だった。かなりの実力者で武勇伝を聞かされていた、ある日突然行方不明になってな。その姉への憧れと、姉の行方を捜すため。それと、田舎の母と妹の援助のためだ」
「なるほど、家族構成は?」
「母と、年の離れた姉、妹が二人だ。父は私が小さいときに死んだ」
「……アカネ、お前って、かなり名の知れた冒険者だったみたいだな」
「地上のことを知っているのか?」
「傀儡にした他のアンデットから訊いた」
「……屑が」
「お褒めいただき、ありがとう」望月はニッコリと微笑む。アカネはその顔面に拳を叩き込みたかったが、左手の拘束はまだ外れてくれないらしい。
「なんでも『龍狩』なんて呼ばれていたみたいだな。それと、所属しているパーティの名も『龍狩』なのか。何故だ?」
「パーティの名は申告制だ。不相応の名なら却下されるが、私たちは四人で龍を狩った。とどめを刺したのが私だったから、私が二つ名として『龍狩』と呼ばれ、名乗ることを許されていたが、それをパーティ名にしても問題はあるまい」
「パーティメンバーを教えてくれ」
「……それは私のことではないだろう」
「アカネの交友関係だ、気になるじゃないか。教えられないのか?」
「……名前だけだ。アカネ=マーガロッド、ソラ=オルキュラス、キーロ=エドガーにエイロ=エドガーだ」
「へえ、あのイケメンがソラで、ロリがエイロね」アカネはその言葉に、やはりあの時、自分たちは監視されていたのだと改めて知る。そしてそれならば、確認したいことがあった。
「……ソラとエイロは、無事か?」
「ん?」
「ソラとエイロは無事に生きているのかと訊いているんだ……!」
抑えきれない感情の昂りが、言葉の端から漏れる。
「知りたいんだ?」
「当たり前だろう」
「仲間思いなんだな」望月はニヤつく。「俺が答えると思うか?」
「っこの、下郎!」
「まあまあ、落ち着けよ……奴らは無事だよ」
「そ! そうか……」その言葉に、アカネは安堵の息を漏らす。
「キーロが死んでしまったのは、アンデット化した時に知っていたが、そうか、二人は無事か……そういえば、冷静さを欠いていて、キーロとまともに話せていなかったな、あとで謝らなければ」
「……本当に仲間思いなんだな」
望月は目を細めて言う、アカネも仲間の無事を知り安心したのか少し柔らかくなった表情で仲間の身を慮る言葉を紡いでいた。狂気に染まった彼女と、今目の前にいる彼女が同一人物であるなどと、誰が思うだろうか。
「……なあ、アカネ」
「何だ、ダンジョンマスター」安心に浸っていた心境を、きりりと正す。
「お前にとって、仲間以上に大切なものは何だ」
「無い、強いて言っても、家族くらいか。しかし、家族か仲間を選べといわれても、私は答えられないだろう」
「家族や仲間以上に大切なものは、存在しない、というわけか」
「そうだ」彼女の目は、それが真実であると物語っていた、その目に一切の迷いは無い。
望月はその瞳を見つめる。
血のように赤い視線と、猛禽のような金色の視線が交錯する。
その目に映る真実は、本当に真実なのだろうか。
或いは、それが真実であると理性に信じ込ませるほどの自己偽装を行っているとすれば。
それが、彼女が言うところの『下らない死に方』が切っ掛けで、少し崩れていたのだとすれば。
「……オーケイ、よく分かったよ。次の質問だ」
「ああ、何でも訊くが良い」
アカネはチラリと左手の拘束を見る、少し、緩みが大きくなってきているように思う。まだ時間を稼ぐ必要があった。まだまだ目の前の男には質問をしてもらわなければならなかった。
「『龍狩』ってのは、龍を殺したときから名乗っているらしいが。その龍を殺したときの話を訊かせてほしいな」
「……そんなことか、そんなのは、酒場で話し飽きているが、良いだろう。話してやる」
「そうか、すまないな……そういえば、『龍狩』ってのはどこから来ているんだ?」
「……? 何を言っている。龍を殺したからに決まっているだろう」
「いや、それなら『龍殺』でも良いだろう。地上のパーティ名は、その戦績や特性を示す場合が多いらしいが。『鳳殺』や『獅殺』やらも居るみたいじゃないか。それに過去にも『龍殺』はいたんだろう。お前たち世代で、他に『龍殺』を名乗っている奴も居ないんだし、『龍殺』でも良かったんじゃないか?」
「それは……いや、待て、あれ?」何故だったか、すぐに思い出せない。
アカネが考えている間に、望月が代わりに言葉を紡ぐ。
「それは、アカネの龍の倒し方が、龍の首をまるで『狩猟』が目的だったかのように見事に『刈り』取られていたからだろう?」
「あ、ああ、そうだった。その通りだ。貴様も性格が悪いな、知っているなら訊かなくても良かっただろう」
そう言って、アカネは安堵した。そしてその瞬間疑問が浮かんだ。
――私は、何に対して安心したんだ? この男の質問に答えられないことを恐れたのか? 違う、何故だ……。
龍を殺した時の事を、思い出さずにすんだから?
アカネの明瞭な思考の中に、ズルリと嫌な物が入ってきた気がした、アカネはそれを必死で追い払おうとする。しかし、追撃するように望月は続ける。
「この話は有名らしいな、大抵のアンデットが、お前たちの武勇伝を知っていたよ。四人で龍を追い詰めたものの、エイロが魔法の過剰使用でぶっ倒れ、ソラも龍のテイルアタックで吹っ飛ばされ、キーロは龍のブレスから倒れているエイロを庇って戦闘不能になって、お前以外の三人は気を失ってしまうんだよな」
「そう、だ。それだけだ。それで、私がなんとか龍を倒して、もう、終わりだ。ほ、他の質問は無いのか?」アカネの額には、いつの間にか脂汗が浮かんでいた。新陳代謝は普通のアンデットであれば止まっているが、望月はアカネに対し、眠っている間に改造を施していた。そのせいで彼女の動揺は、図らずして望月に伝わってしまう。
望月は話題を変えない。さらに続ける。
「その三人が倒れるところまでは、えらく詳しいらしいじゃねえか。どんな魔法で龍を追い詰めただの、どんな風に仲間を庇っただのと、けど、肝心のラストだけは、お前いつもはぐらかしていたらしいな」
「別に、自慢するのは、気分が良いものじゃない、それに、これは皆の手柄だから、私だけが誇るものでは、ない、から……だから」
――止めろ止めろ止めろ。思いださせるな、思い出すな。
――何故、思い出してはいけないんだ? 別に良いだろうそれくらい。
――駄目だ、どうしても駄目だ。何故かは分からないが――取り返しがつかなくなる気がする。
そんな、自分でも理解できない問答が、頭の中で繰り広げられる。頭の中が思い切り揺さぶられているようだ。耳鳴りが酷い。喉が渇く。今までの、酒場で武勇伝を披露していたときの記憶が次々と蘇って来た。
樽ジョッキを片手に、自慢げに自分の活躍を語るキーロの大声。それを楽しそうに見て笑うエイロの笑い声。満更でもない様子でキーロと共に自分のエピソードを挟むソラの声、周りの冒険者仲間と従業員の、囃し立てる声、唾を飲む音、武勇伝の終盤での歓声、笑い声。そして、それを、何故か心から楽しめず、皆の力があったからだよと、無難に、そして感動的に話をまとめる自分の声。それらが、耳鳴りと共に、頭の中で反響する。
望月が口を開いた。
「お前の武器は槍だろうが、どうやって、龍の首を刈り落としたんだ」
望月の言葉で、アカネの頭の中の騒音は、一瞬で掻き消えた。昂っていた感情と、自分の体温が急降下するのが分かる。体の芯まで凍えていた。
そういえば、私は死体だったな、などと、下らない事を思った。
「お前には大規模な切断が可能な魔法は無い。この世界の魔法は、武器の性能を上げることが出来るらしいが、お前の槍は。どう考えても、樹木の幹みたいな龍の首を一発で切断することは出来ない」
「………………」
アカネは答えることが出来ない。目を見開いて、がっくりとうな垂れている。頭の中の嫌な物が、ドロリドロリと冷え切った頭の中に進入していくのが分かるが、それをどうにかする精神力が、今は無かった。
「龍だって生物だ。魔物と言えど基本的に多くは生物的ルールに則っている。半分も首を斬れば、もはや絶命していただろう。大剣か何かで、一撃で首を落としたのならともかく、槍でそうはならない。明らかにオーバーキルだ。訊かせてくれよ、どうやって龍の首を切断したのんだ? もはや途中で絶命しているであろう龍の首を、お前はどんな心境で、そして槍の切っ先に付いた、あんな小さい刃で龍の首を切断したのか」
「……そ、それは……ソラの剣を借」
「どのアンデットに訊こうが、だいたい話の締めくくりはソラがこう語って終わる『俺が起き上ったとき、落ちた龍の首の傍らに、血まみれの槍を携えた、同じく血まみれのアカネが、勝利の余韻に浸りながら悠然と立ち尽くしていた』と、そして周りは、龍狩に乾杯、流石鮮血の舞姫、と騒ぐ。そしてアカネ、お前が『皆のおかげだ』と、まとめて、指笛が盛大に吹かれる……ソラの剣を借りたエピソードなんてあれば、ソラ自身が言いたがるだろうに、それともお前は、ソラの剣だけ血を拭って研いでおいたのか? まぎれもなく、お前は槍で龍の首を刈ったんだ」
「………………」
「さあ、教えろ。他の三人が倒れた後の、お前だけしか知らない龍退治の物語」
「い、言えない」
「良いから教えろ」
「他のことなら何でも教えてやるから、だから、頼む。このことは思い出しちゃいけない気がするんだ……怖い、んだ」
「俺は教えろって言ってんだよ」
「ッ……下手に出ていれば……いい加減にっ――」
アカネが顔に苦悶の皴を刻み、全身を震わせ始める。
今までゆっくりと緩めていた左手の拘束から、急に逃れるように左手を乱暴に暴れさせる。まだ完全に緩みきっていないようで、表面の皮が摩擦に耐え切れずブチブチと音を立てているが、アカネは構いもせずに左手を拘束ベルトから強引に引き抜いた。
「――しろおおおおおおおお!」
そのまま手の形を、獣のような爪を突き立てる形に変形させ、顔面に掌底打ちを放った。
顔を近づけてアカネを問い詰めていた望月に、十分届くリーチである。アカネはこのダンジョンマスターの両目と頬を突き破れるものと確信した。
しかし、望月は、まるでその動きを予想していたかのように一瞬で身をひるがえし、いつの間にかその右手に掴んでいた鉄杭を、アカネの伸ばした左手めがけて振り下ろした。
目標を逃し、そして自由にならない体躯のせいで、空中で停滞していたアカネの左手の甲を、鉄杭が貫いた。そのままの勢いで鉄杭は下方に向かい、木製テーブルをも貫き、アカネの左手をテーブル中央に縫い付けた。
「……ッ!」
アカネは歯を食いしばって、喉の奥から漏れ出るうめきを抑える。左手から尋常でないほどの激痛が走る。左手の真ん中から生える鉄杭はまるで高温に熱せられているかと錯覚するほどで、痛みを超える熱さが脳まで登ってくる。千切れた皮膚はわずかな空気の流れでさえ敏感に反応し、空気の波に撫ぜられるたびに、痛みをハケで塗り拡げられているようだ。
全身から油汗が噴き出るのを感じながら、何とかその痛みに耐えているところに、追撃が来る。
アカネに突き立てられた鉄杭は、大きな釘のような形状をしており、上の部分が平らにつぶれている。
望月は、机の上に飛び乗ったあと。大きなモーションで、その杭を上から踏みこんだ。鉄杭はさらに深く突き刺さり、上の部分の平らにつぶれている部分とテーブルが、アカネの左手を挟みつぶす形になりギリギリと締め上げる。
「あがぁっ!」
「俺は、教えろって、命令してんだよ、理解しろボケ」
望月は痛みに悶える彼女に対し、冷徹にそんなことを言い放つ。
足で鉄杭を弄び、前後左右へとずらす。その度にアカネの左手から血が流れ、呻きが漏れる。
「あっ、がっ……ああぁ」
「…………」
望月は右足を鉄杭の頭に乗せたまま、左足をアカネの後頭部をゆっくりと踏み込む。
望月の全体重が、アカネの左手と首に集中する。アカネを縛る首の拘束ベルトが食い込み、喉を、器官を押し潰す。
「かはぁっ……!」
「…………ああ、悪い。これじゃあ喋れないよな」
十数秒そうしたあと、思い出したかのようにそう呟き、望月は再び席に戻った。
アカネは息も絶え絶えの様子で、舌を出して酸素を求める。涙と涎と鼻水で、凛とした顔は台無しになっていた。
「痛いだろう? 苦しいだろう? 俺が改造してやった。アンデット一体のためにここまでするなんて、優しいよな」
「……なん、何……で」
「お前が望んでいたからだろうが」
「私、が?」
「お前、どうやら死に方に大きな憧れがあるらしいな」
「っ!?」
「いや、分からないでもない。自分の人生の締めくくりは、誰だって何かしらの望みを持つもんだ。愛する人の腕の中で死にたい。家族に看取られて死にたい。戦場で忠義のために死にたい。誰にも知られずに秘境でひっそりと死にたい。人は死に場所を探すし、素晴らしい死に方をするために生きていると言っても良いと俺は思っている」
――大抵の人間は、人生の最期に、幸せに笑って死にたいと考えている。
「それが、お前は、少し歪んじまっているだけなんだよな。いや、お前の場合は幸せが歪んじまってるのか」
「……何を言って」
「お前、今、笑ってるぞ」
アカネの全身を震わせる。身動きが取れない状況では、顔を隠すこともできない。
慌てて反論しようと、望月を見てしまったのがいけなかった。
見下すような、憐れむような、そんな冷え切った瞳に映る自分の表情を見てしまった。緩んだ口元に、蕩けた瞳。瞳の中の自分は、顔面をドロドロにしながら、確かに、笑っていた。
「う、そ、だぁ……」
「もう、良いじゃないか」
望月が急に温かみの帯びた言葉を放ったので、驚いて再び、望月の顔を覗き込む。しかし、その表情は、変わらず冷たく、口元には嘲笑が浮かんでいる。
その表情に見て、アカネは不意に、背筋に心地よい電流が走ったのではないかと思った。
「ここには俺とお前だけだ、それに、お前はもう一度死んだんだ、だから今のお前は生まれ変わったと言ってもいい」
「……………」
「繰り返して言ってみろ、ほら、生まれ変わった」
「う、生まれ変わった……」
「そう、生まれ変わった、今までお前を縛っていたものは、今は何もない、ほら繰り返して」
「い、嫌だ」
「繰り返せ」
語尾を強めて、望月はアカネを睨み付ける。
「ッ……今まで、縛っていたものは、ない」
「財産も地位も名声も、仲間も想い人も家族も何もない」
「そんなことない!」
「黙れ、繰り返せ」
「もうっ、良いだろう! どこまで私を辱める気だ! 止めろ、お願いだから、もう止めてくれ!」
アカネの悲痛な叫びの返答の代わりに、望月はアカネの左手から生える杭を掴み、乱暴にグリグリと動かした。
「もう一度言う、繰り返せ」
「う、あ」
望月のあまりにも無慈悲な言葉に、アカネは圧倒されてしまう。
目の前にいるのは、ダンジョンマスターとは言え、見た目年齢は彼女と同じか少し年上程度の青年であるはずだ。化け物じみた見た目でもなく、老齢の経験によって積み重なった威圧感を持っているわけでもないのに。
しかし、まともに見える青年は、ただただ暴力と悪言を操り、少なくない戦を経験している冒険者の少女を、その心を圧し折りにかかっている。
「財産も、地位も、名誉も、な、仲間も、想い人も家族も……ない」
目の前の、理解のできない存在に迫られ、アカネはついに、その言葉を口に出してしまった。口に出せば、数秒は暴力とプレッシャーから解放される。
しかし、例え本心で思っていなかったとしても、自分がそれを口に出してしまったという事実は揺るがない。
「よし、それで良い。そしてもう一度訊こう、何度でも訊こう。お前が、龍を殺した時の話を、俺に、教えてくれ。罪悪感を感じなくてもいい。怯えなくてもいい。モラルなど何の意味も持たないと知れ。だから、教えろ……」
「…………」
「考えてもみろ。お前は今、お前を縛る全てのものから解放された。もはや今までお前が生きて来た人生は、前世と化したんだ。全ての尊厳を捨てたお前は、今や何ものにも劣る存在だ……だからこそ」
「…………」
「俺が、理解してやれるかもしれない」
「そんなことっ!?」
――そんなこと、あり得ない。
アカネはそう思った。
自分でも理解できないし、今でも、己のうちにある闇が何のか分からない。さらに、出来れば存在も否定したいのである。
しかし、彼女の心の壁は、今相当に壊れていた。
狂ってしまった記憶を封印する間もなく始まった尋問に、完全な支配下に置かれているという実感。
狭い空間で、暗くおぼろげな光源、揺れる影。
鉄杭から絶えることなく送られる激痛と苦痛と恥辱、無理やり胸の内から引きずり出される闇の存在。
そして、与えられた薄っぺらい救いの言葉、蜘蛛の糸一本。
それらが相まって、アカネに、通常の思考が大きく満たされ、今の彼女の二面性は、少しずつ混じり、浸食されつつあった。
アカネは、もう一度望月の表情を見る。変わらず、その顔の皮膚一枚下に、ドロドロとした闇が渦巻いているのではないかと思うほどの、気色の悪い笑み。
アカネは――こいつになら、晒してもいいかもしれない――と、錯覚してしまった。
「…………龍、を殺した時、か」
「……ああ」
アカネの独白が始まった。
 




