血の色の君……死闘
「何だよ、あれ」
望月明は率直な感想を口に出した。向こうの空間と自身の居る最奥の部屋と、音声の繋がりは既に切っている。
だから、望月の恐怖の色が混じった声は、向こうに聞こえることは無い。しかし、繋がっていたとしても聞こえることは無かっただろう。なぜならいまだ部屋の中心でアカネ=マーガロッドが多少の音声はかき消してしまうほどの絶叫をあげているからだ。
初めて見た狂った人間。
その衝撃は死んでいる人間を見るよりも恐ろしいものがあった。
「ね、ねえ、ねえアキラぁ? 彼女どうしちゃったの?」
マイがおびえた様子で望月の頬をペチペチ叩く。
どうしちゃったのか、なんて。
望月に分かるはずも無い。いや、このダンジョンに居る人間や地上に居るソラやエイロなど、パーティメンバーを含めても、『龍狩』のリーダーである彼女が狂った理由なんて分からないだろう。
生前の彼女は聡明だった。強いメンタルを持ち、己の信条に芯が通っていた。虫などの気持ちの悪いものに対しては滅法弱かったが、それは彼女の持つ数少ない女の子らしさとして上げられる程度だ。
彼女の生前を良く知らない望月たちには理由を推測することは難しいが、よく知っている者たちにとっては、なおさら不可解だった。
「よく分からないが、とにかく、あいつ――アカネ=マーガロッドは要注意人物だ。支配が効かない上に、何しでかすか分からない」
「そう……」
「……少し、無茶をする必要があるかもしれないな」
画面に映るアカネは叫びつかれたのか、その場に糸の切れたマリオネットのようにうずくまっていた。
***
アカネはどうなってしまったのか。それに思考をめぐらせていたキーロ=エドガーだったが、どう考えても分からなかった。
「……どうやらダンジョンマスターの支配は緩んでいるようだ、今なら動ける」
冒険者たちは通信が切れた後、自由に動けるようになっていた。冒険者たちは大体がパーティのリーダー格だったが、顔は互いに見慣れているのが多かった。皆、情報を交換し、現在の状況を確認しあい今後の方針を決めているようだ。
「なあ、アンタは確かキーロさんだよな? 『竜狩』の前衛担当の……アンタの話も訊かせてくれないか?」
長身細身の男が話しかけてくる、彼とキーロは今まで話しをしたことは無いが、とりあえず顔は知っていたし名も知っていた。
「アンタは確かパーティ『火走』のリーダーで、アサギだったか?」
「覚えていてくれて光栄だね、そう俺こそが『火走』のリーダー、アサギだ!」
格好つけて己の名前を知る相手に無意味に名乗るアサギ。死んでいるのになぜかハイテンションである。
「で、どうだい。キーロさんはどんな風に死んだんだい?」
「……スライムたちに囲まれて、窒息死だよ。ハッ、情けないよな」
「カッケー死に方するほうが珍しいって、俺なんて何で死んだかあまり分かってないんだよ……なんか木みたいな魔物を燃やそうと火の魔法を使った瞬間、いきなり大爆発、意識が遠くなって、気づいたらココ」
ハァとため息をつくアサギ。
「私なんて連続のトラップを回避したと思ったら、コボルトの穴にはまって動けないところをゴーレムにペシャンコ……一番汚い死に様よ」
横から女が自分の死に方を公表してくる、顔は見たことがあるが、名前は知らない奴だった。
「なあ、どういう理由でこのメンツが残ったんだ?」
「知らん、それに、分かっていてもどうしようもないだろう。ダンジョンマスターは俺たちの支配者になった。反逆できる奴はいないんだから」
キーロはアサギに問うが、やはり明確な答えは返ってこない。ここに居る人間で詳細を知るものなどいない。
「ねえ、さっき叫んでいた人って『龍狩』のリーダーのアカネさんだよね。あの人は動けていたんじゃない?」
ゴーレムに潰された女は同じ『龍狩』のメンバーであるところのキーロに「彼女ならこの現状を打破出来ないの?」という意味を込めた視線を送る、が。
「……正直、今のアカネ譲の状態が、サッパリ分からないんだ」
キーロは肩をすくめた。
「そういえば俺もあまりアカネさんとしゃべったことは無いけど、あんなヒステリックな人だったか?」
「いや、彼女はどんな絶望的な状況に居ても、凛として運命に歯向かう奴だ、だから正直、困惑している」
「……今彼女に頼るのは難しいってことか」
アサギは部屋の角で縮こまっているアカネを見た。
耳を両手で塞ぎ、顔を膝にうずめ、呪詛のように「嘘」だの「違う」だの否定の言葉を延々呟いていた。
「……超不気味なんですけど」
ゴーレムに潰された女はジトっとした目で彼女を見た。噂とあまりにも違うアカネに失望したのだ。
「どうしてしまったのだ、アカネ嬢……!」
その声は、届かない。
近くによって声をかけても無視され、無理やり体制を変えさせようとしても、すごい力で引っぱたかれ拒絶される。とりあえずキーロはアサギとゴーレムに潰された女……名をリラという少女と共にほかの冒険者たちとも情報を交換していた。
***
キーロたちの体感時間で一日ほどたったころだろうか、情報交換もあらかた終わり、少し肩の力を抜こうと下らない談笑をしていたころに再びキーロたちの体の自由が奪われた。
一日ぶりだが、すぐに彼らは分かった。ダンジョンマスターの『支配』が発動したのだ。
そして、密室だった空間に出入り口が出来上がった。まるで薄いガラスを熱して溶かすように、壁の形がぐにょりと変わり大きな穴が開いたのだ。
「全員、動けないよな?」
望月は部屋の中にいる冒険者をざっと眺めるが誰もピクリともしない。出来ない。
キーロは何とか眼球を動かして、声のした方を見る。そこには予想外に平凡な人間が立っていた。確かに特異な点は多い。しゃべった言葉は訊いたことも無い異国の言葉で、衣装は見たことも無いもので、瞳の色は異様なほどに赤かった。しかし、この青年がこのダンジョンを操り、あの数の冒険者を殺したとは到底思えなかった。恐ろしいとか、強そうだという印象の無い、年齢も、自分と同じくらいの青年だというのが、キーロが望月を見たときの感想だった。
コホンと一つ咳払いをした後。
『アカネ=マーガロッド、お前と話がしたい』
部屋の角に居るアカネを見据えて望月はこの世界の言語で言い放った。
それまでまんじりともしなかったアカネがその声に反応して顔を上げる。
「……貴様か、この最悪のダンジョンマスターめ」
アカネがボソボソと呟いた。
『ああ、話がある。ついて来――!』
それ以上、望月は言葉をつむげなかった。
何故ならば、望月と部屋の対角線上に居たはずのアカネがものすごい勢いで望月の方まで疾走してきたからである。人の走り方ではなかった、まるで野獣が獲物を追うときのような異様なフォームで迫ってきたのだ。
望月は後ずさりし、慌てて部屋に作った出入り口用の穴を閉じようとする。
しかし、アカネは小さくなっていく穴に向かって全速力で突っ走り、穴が閉じきる前に突破する。その勢いのまま望月を押し倒し、首を絞めようと指を望月の喉に絡めた。
「貴様のっ! 貴様のせいで私は! あああああああああああ!」
望月を直で見たことにより、燻っていた狂気の炎が再燃したように再びアカネは喉が潰れるのではないかというほどの咆哮を上げ、望月の首を締め上げる。
しかし、望月の表情に苦悶の色は見られない。
むしろ冷め切っていて、目の前の赤髪の少女を査定しているようだ。
その違和感にアカネも気づく、それと同時に攻撃手段を変更する。首に絡めていた指を一瞬ほどき、親指の爪を立てて頸静脈を貫く形で思い切り押し込んだ。皮膚は破れ、望月の喉元に彼女の両親指は埋まる形になるが。
「――!?」
そこからまったく血が流れない。その代わりに傷口からは赤白い粒子のようなものが見える。まるでチープなゲームのエフェクトのようだ。
そして、そのことに気をとられているアカネの隙を、望月は見逃さなかった。
右拳を勢いよく突き上げアカネの顎を狙う、しかしアカネもそれに気づき背を思い切りそらしてそれを避けるが、必然的に首に絡めていた指は離れることになる。望月はその機を逃さず自由になった上半身を起こしてアカネを逆に押し倒そうとするが、その前にアカネは後方に飛び望月から距離をとった。
「殺す……必ず貴様を殺す」
アカネの瞳からは狂気の色が未だ灯っている。
『……無理だ、貴方に俺は殺せない』
望月は自らの首元をさする、そこにはもう傷は無い。綺麗サッパリ治ってしまった。
不死身。
あらためて気持ちの悪いものだと望月は思った。
「殺す、殺す、貴様のせいで私は――!」
「……交渉は無理か?」
望月は日本語で呟いた。
狂っている人間相手に対話が成り立つとは望月も思っていなかったが、さすがにここまでとは思っていなかった。聞く耳を持たないとはまさにこのことだろう。
この赤髪の少女は、現在望月に対し恨みの感情しか持っていない。それも殺したくなるほどの悪感情しか。
そんな相手に要求を呑ますことは出来るだろうか?
「私は! こんな仕様も無い死に方で!」
アカネが再び臨戦態勢に入る。望月は懐に入れていた武器を取り出す。
刃渡り二十センチを超えるダガーナイフ。リーチを考えれば銃や剣を使うべきところなのだろうが、銃はこの世界に存在せず、剣は重くて望月が扱うのはいささか難しかったために、なんとも悪党が使うような武器を選択することになってしまった。
ナイフを構えるが、アカネは怯むことなく迫ってくる。その迷い無き行動に、逆に望月のほうが動揺してしまう。
「コイツ、ナイフが怖くないのかよ!」
仮にも彼女は冒険者だ、さらに今はほとんど自暴自棄になっている。刃物に怯えるはずが無い、そして、彼女の全力を出したスピードに望月が反応できるはずも無い。アカネの今度の狙いは首ではない、顔面に向かって拳を叩き込む。それも連続でだ。
目的を絞殺ではなく、撲殺に変更したようだ。
「お前の! せいで! 窒息などという、つまらない死に方で! がっあああああ!」
猛獣のような声を上げ、何発も何発も殴る。
望月の顔は晴れ上がり、まぶたも切れ、歯も折れ、鼻骨も砕ける。しかし、その度に回復し元に戻り、また壊されるというのを繰り返されていた。
横っ腹に膝蹴りを入れられ、呼吸が一瞬苦しくなるが、それもまた回復する。どれだけやられても痛みは一瞬で和らぎ、傷は一向に増えない。
だから、三分も休むことなく殴られていると、『殴られ慣れてくる』という普通ではありえない現象が望月に起こった。
冒険者であるアカネはたった三分ほどの運動で疲れはしないので隙は生まれない。しかし、それだけ殴られればパターンも数通りは見えてくる。
そのパターンの合間に望月は、ナイフをアカネのわき腹に突き立てた。いきなりの反撃に驚き、三分以上も続いていたアカネの猛攻がやむ。
「うぐぁ!」
「……仕返しだっ!」
望月はアカネの頭を鷲掴みにし、彼女の顔面を自分の膝めがけて叩き付けた。
不死身の望月とアンデットのアカネの違うところは、望月はダメージを回復するが、アカネは痛みを一切感じないがダメージ自体は蓄積されるところである。その一撃はしっかりとアカネの脳を揺らし、アカネの行動のキレをなくさせた。
凶器を持った元引きこもりと、動きと思考の精密さが欠けた徒手空拳の元冒険者。これでやっと五分と五分。
アカネの蹴りが望月のこめかみをえぐるが、怯まずに彼女の肩の腱をナイフで引き裂く。傷口から黒色の血は噴出せず、だらだらと流れ落ちる。文字通り血が通っていないのだから仕方が無いがそこには形容しがたい不気味さがある。
生存者の居ない殺し合い。
そんな滑稽なことが行われていた。
望月の傷は回復しているはずなのだが、やはり錯覚してしまうのだろう、なんとなく幻の痛みを感じながらも必死でナイフを振るう。空いている左手や脚を使い、相手の攻撃をいなしたりうろ覚えの関節技を決めながら相手の肉体を引き裂きつづける。どうにかして相手を行動不能の状態にしてしまえばいい。
そして、その時は来た。攻撃を多く入れているのは圧倒的にアカネだが、望月にはそのダメージは通らない。それに比べ、ナイフで肉体を傷つけられているアカネは全身血だらけで、腱の切られた腕などは力なくだらりとしている。脚もガクガクと震えており、肉体の損傷が激しい。ここまでくれば、いくらアカネが歴戦の冒険者といえ、続行は不可能だろう。
それに、アンデットといえど、もはや致命傷だ。
「ハァ……ハァ、げほっ、ごほっ!」
望月も息を切らせてようやく弱ったアカネを見る。立っているのがやっと、と言った様だ。
血が石の床や壁にべったりと付いており、その場は非常に凄惨な様子だ。望月の手には血だらけになったナイフ。望月自身も返り血で赤黒く染まっている。
血だらけの少女と、無傷の青年。これだけ見れば圧倒的勝利のようにも見える。しかしもちろん、望月に戦闘センスがあったわけではない。数時間の戦闘で、どうにかもつれ込めたのだ。
どしゃ、とアカネは膝を突いて、自らが作った血だまりに沈みこむ。そして。
「……フフ」
と、笑った。
その表情はさわやかで、狂気が一周回って正常に戻っているかのようだ。
「痛くはないけど、血まみれ、傷まみれ。こーゆー死に方が……した、かっ……た」
そう言って、意識を失ったのか、完全に全身の力が抜けたようで、その場にアカネは崩れ落ちた。
「……きもちわる」
望月はそう言って、血まみれのアカネを背負いダンジョンの奥へと進んだ。




