血の色の君……壊れた希望
壊れた希望
「ああああああ! 嘘!嘘嘘、ああああああああああああああああ、いやああああああああ、あ、あ、あ、うああああああああああ! 嗚呼ああああああああああああああああ! い、がっ、ああああああああああああああああっ!」
絶望にくれる絶叫。
向かってくる現実を全力で否定するような咆哮。
誰もが耳をふさぎたくなるような、うるさい悲鳴が石壁に吸い込まれて冷たく消えていった。
***
午前七時頃だろうか、いつも通りのスケジュールであれば、言語の勉強やダンジョンの会議をしつつ、冒険者を待っている時間なのだが今日は違った。望月の目の前に広がるスクリーンには、冒険者達の死体が並んでいる。
全て、このダンジョンに踏み込んだ者達だ。
「ざっと見て、百人から百五十人の間、って所かな」
望月はさらにコアを操作して、さまざまなアングルからその部屋の様子を映し出した。このダンジョン内の様子なら、どの角度、高度からでも見ることが出来る。
「ねえ、アキラ……本当に大丈夫?」
マイはアキラの肩に座っている。ルビーのような瞳を微かに潤ませ、望月のシャツの襟袖を小さな手でぎゅっと握っていた。
「……大丈夫だよ」
それより、お前の方が大丈夫か。と、思ったが、ここにいるということ自体がこの仕事を一緒にやるという意思表示なのだろう。
「これから、『ダンジョンのレベル上げ』と『アンデットの製作』を行う」
やはり、いつもと違うことをするときは緊張するものだ、さすがの望月も、表情が強張っている。
さて、何故このように、望月が今までこの死体たちを貯蔵していたのか。
それは簡単に言ってしまえば、詳しいことが分からなかったのでとりあえず保留しておくという、当たり前の解決策を選んだだけだ。まず、ダンジョンに来る冒険者の平均的なレベルが分からなかった。アンデットにするにしても、経験地に変換するにしても、冒険者のレベルが重要になる。ある程度数がそろうまで動くことが出来なかったのだ。
「それでアキラ、どういう風に割り振るの?」
ダンジョンのレベルを優先か、不死の兵の導入か。
「それなんだよな、強い兵隊もほしいし、ダンジョンのレベルも上げたい……でも、優先するとすれば、ダンジョンのレベル上げの方だよな」
そう、兵力は『数』で何とかなる。無限のD通貨で何とかできる。
しかし『質』についてはどうしようもない。ダンジョンコアには様々な用途があり、ダンジョンをいじくるにはコアが欠かせない。そして『ショップ』機能は非常に品揃えが豊富ではあるのだけれど『魔物』の品揃えだけはなかなか増えない。今は最初の六種に加え新たに三種ほど、計九種ほどしか存在しない。
魔物の種類を豊富にする方法は、外からダンジョン内に新しい種を連れてきて、トレード欄に登録するか、自然発生を待つか、ダンジョンのレベルを上げるかの三パターンなのだ。
現在、不明の遺跡のダンジョンは、自然発生のみに頼っている。戦争は数、とは言っても、やはり数と質を掛けて総戦力と言えるのではないだろうか。どうにかして『質』を、つまり、強いしもべを手に入れなければ、最強のダンジョンには程遠いのではと望月は考えていた。
そのためにレベルは上げなければならない。
「マイ、どのくらいの人数を経験値に変換すればレベルが上がるんだ?」
「私だって、詳しくは分からないわ。それに、広いダンジョンは比例してレベルアップに必要な経験値が多くなる、でも私たちはレベル1だから、五十人も変換すればレベルは上がるんじゃないかしら」
「了解した、と言ってもそこまでアンデット兵がほしい訳じゃあないから、殆どを経験値にまわすことにする」
「なら、誰をアンデットにするの?」
「そうだな。レベルの高い順に七、八名、そしてこのダンジョンに一番最近侵入したパーティの人間だな」
望月が警戒しているのは広範囲殲滅型の魔法を使う相手だ。いくらスライムを並べても一気に潰されたのではたまったものではない。それに対抗できる戦力をとりあえずは揃えなくてはいけない。それに、人間の体でしか行えない戦闘や作戦もある。
「……よし、行くぞ」
望月が意を決して、最後の操作を行った、『本当によろしいですか』といった確認の了承の部分に触れる。
その瞬間である。画面に映る冒険者たちの大半が輝きだした。体から青白いような光が放出されたかと思えば、その手足、体の末端の部分からキラキラと輝く粒子が空中に流れていく。そして流れていった分だけ指、掌、腕と、順々に肉体が崩れていった。部屋がその光り輝く粒子でいっぱいになったかと思えば、それは岩肌へと吸い付くように動き、溶け込んでいった。ダンジョンに吸収され、残ったのは十数人の冒険者だけだ。
ピコン、と軽妙な音の後『レベルが上がりしました』と無機質な音声が流れる。
「…………」
マイはなんとなく泣きたくなった。
「マイ、やっぱりちょっと席外しとけ」
「いやよ」
望月の言葉の語尾に被せるように断った。小さい声だが、はっきりとした意思を感じた。
「……そうかい」
と、望月はそれだけ短く呟いて、操作を再開する。
アンデット製作にはD通貨が必要になる。しかし、まあ、そこはあまり心配しなくても良い。
問題なのは命令を聞くかどうかだ。
そしてそのために語学の勉強をしてきた。
ダンジョンマスターの補正があるとはいえ、望月は未だレベルが低い。あまりにも高レベルな冒険者には支配が利かなくなるかもしれない。コントロールが利くならばコミュニケーションは必要ないが、それが出来ないための保険としても語学は必要だった。
「アンデット化、開始」
コアの操作を終えて、望月が呟いた瞬間、膨大な値のD通貨を示す数字がある程度減った。そして画面上の冒険者達の体が一瞬だけ、淡い光を放った。この光はゲーム的なエフェクトなのだろう。
そしてさらに望月は操作を続ける。
空中の画面にマイクマークが出てくる。ここにしゃべれという事だ。
望月は一つ咳払いをして、一応手元にカンニングペーパーを用意してこの世界の言葉で話しかける。
***
『目覚めてくれ、冒険者たち』
密室の広い空間に、その声は響き渡った。スピーカーも何もないが、まるで岩肌そのものが震えて声を伝達しているようだ。
それを機に、冒険者たちは眠りから覚めるように一人、また一人と起き上がる。それぞれ顔を見合わせ、驚きの声をあげる。なんせそこには行方不明になった仲間や、目の前で死んだ人間たちが居るのだから、当然場は混乱に陥った。
「なんだ……ここは? 俺は夢でも見てるのか?」
「ダンジョンに入って、そして私はゴーレムに――潰され、た」
「どうなってんだよ、オイ!」
「僕が知るわけないだろう!」
じょじょに皆の口調に熱が篭ってくる。不安から来る恐怖。死を体験してからの生は今までとは勝手が違うのだ。
ほとんど罵声に近いぐらいの言い合いに発展してしまった冒険者たち。彼達の暴走を静めたのは。
「…………落ち着けえっ!」
冒険者パーティ『龍狩』の一人、キーロ=エドガーの一喝だった。
喧騒をかき消すほどの怒号は、場に数瞬の静寂をもたらした。機を逃さずにキーロは続ける。
「ここはおそらくダンジョンの中だろう、どうやら俺たちは皆、このダンジョンで倒された人間らしい。状況はそれしか分からんが、向こうからコンタクトをとている以上、あの忌々しいダンジョンマスターが説明を続けてくれるのだろうな」
キーロは虚空を睨みつける。偶然なのだろうが、それはダンジョンコアで映し出されている画面の真正面を向く形になった。
『……ああ、その通りだ。察しが良くて助かる。さて、分かっているかもしれないが、貴方達はこのダンジョンで俺に倒された。貴方達はすでに死んでいる。しかし動けているという事実……冒険者なら分かるだろう?』
その言葉に再び場はざわつく。キーロが眉間に皴を寄せ、低い声で応えた。
「と、いうことはつまり……俺たちはアンデットか!」
『そういう事だ』
淡白に、謎の訛りの入ったダンジョンマスターの口調。それが、どこか自分たちを馬鹿にしているように思えてキーロは奥歯をかみ締める。落ち着きを払っている体だが、内心は怒りではらわたが煮えくり返るほどだった。
「……俺たちを魔物にしやがったな!」
怒りを腹に溜めないようにダンジョンマスターを怒鳴りつけながらも、何とか頭を働かせる。
なぜ、奴はこんなまどろっこしい事をするのか。
キーロ自身、アンデットを知らないわけではない。ダンジョンで遭遇したことはあるし、それを倒したこともある。そのときに見たアンデットは自我が無かったようだった。真っすぐに歩くことすら困難で、敵と認識したものを襲うという植えつけられた本能のみで動く低俗な魔物。生存している冒険者に迷惑をかけて、最期はその冒険者達に殺されることとなる、冒険者にとって最悪の末路の一つだ。
しかし、キーロが抱いていたアンデット像と今の自分たちは全く違う状態だ。それはどういうことを意味するのか。そういえば、ダンジョンにも格というものがあり、その格を上回る魔物はダンジョンを守るような行動を取らないという話をキーロは聞いたことがあった。
――つまり、今の自分たちはダンジョンマスターに操られていない状態であると言う事か?
「ダンジョンマスター。では俺たちにコンタクトを取った理由はなんだ?」
『……貴方達の個性を見極めるためだ』
「それだけか? 貴様、もしかして支配がうまく出来ないのではないか?」
『…………』
望月は核心を突かれ黙る。
このコンタクトは彼たちと会話をすること自体が一番大きな目的だった。この会話からダンジョンマスターの能力を使った無理やりの支配をしなくとも、弱味や欲望を引き出し、取引に……出来るのなら脅しにもっていくつもりだった。だが、今望月と対等に話している男――キーロはなかなかに一筋縄ではいかないようだ。望月はキーロたちのことは覚えていた。なんせ最初にこのダンジョンに入った冒険者なのだから。
そして、最近になってようやく分かったのは、その最初のパーティこそが、今までダンジョンに侵入した中でも、かなり強いパーティだったという事だ。
望月は考える。キーロの言った通りだ。自分の強制支配力がどこまで通じるか殆ど分からない。段階的なものなのか、二極的なものなのかも分からない。
「図星のようだな!」
『……どうだろう?』
望月は不慣れな言語と言うこともあったが、論争において押されていることに焦りを感じた。現在、会話のイニシアチブは相手に握られつつある。さすがになめられてはたまらない。こういう勝負は引いては負けなのだ。ここは強引に行くことにした。
強制支配――念じるだけで良い。
――全員、跪け。
「――ぐおっ!」
キーロはおかしな感覚に襲われた。
自分の体がまるでいうことを聞かない、自分の脳以外から送られてくる命令を聞いてしまっている感じだ。逆らおうとする筋肉と、従おうとする筋肉が対立し体中からミシミシという音が聞こえてきそうだ。周りの連中を見ると、あんな騒いでいた者たちの殆どが、表情も声も消し、無心で膝をついていた。残ったものは大体、キーロと同じような感じだが、数は少ない。
「こ、のぉ!」
舌も声帯も、微妙にコントロールされているため、呂律がうまく回らない。
『思考までは支配できなかったか、やはり強い冒険者だったのだな』
動きまでは制限できたことには安堵を感じた。だがその感情を声には一欠けらも出さない。支配が成功したことで、とりあえずは自分の手駒であるアンデットに寝首をかかれるということだけは回避できそうだと、表情が少し緩んだ。
「……貴様、さっきからなんの戯言をほざいているのだ?」
冒険者たちの殆どが自我すら支配され、そうでなくても動きは確実に止められている中、ゆっくりと堂々と、靴の音を響かせて部屋の中央まで女が歩いてきた。
意識の残っていた冒険者はもちろん、望月も驚きを隠せない。
「死んだとか、まったく、現に私は生きているじゃないか。死ぬことが、こんなチープなわけ無いであろう」
赤い髪を持つ少女。
燃えるようなその赤い髪は、生気の感じられない冷たく青ざめた肌にひどく良く似合っていた。
「ぁ――アカネっ」
キーロの声は掠れて、アカネ自身には届いていない。しかし、別に良かった。彼女も居るという事実。自分たち『龍狩』のリーダーが近くに居てくれること自体に、安堵を感じた。
意識を保っている他の冒険者たちも、アカネを見て同じような気持ちになっている。冒険者の中でアカネの名を知らないものはほとんどいない。
彼女こそ、動けない冒険者たちにとっては最後の希望と言えた。
「死んだだと? 嘘だ、そんなわけはない。私は死んでいない」
アカネは通る声で語る。いつも凛としたアカネだ。
まだその時点では、いつものアカネに見えた。
『いや、貴方は死んだ』
望月は答える。
「ダンジョンマスターめ、お前は嘘つきだな。見ろ、この体のどこに傷がついている? 嘘だ、私は死んでいない」
『大きい外傷は消している、それにお前は窒息死だったからな、体の損傷も少なく再生することが出来た』
「窒息だと? そんな、くだらない。苦しみも痛みも無い死に方で私が死んだだと、嘘だ、嘘嘘」
意識の残っていた冒険者たちは、ようやくアカネの異変に気づいた。
凛としたハリのあるはずの声は、震えている。
獲物を射殺すような猛禽類を連想する金色の瞳は、焦点が合っていない。
いつも一文字に結んだ意思の強そうな口元は、絶望を通り越して逆にヘラヘラ笑っている。
こんなアカネは、この中にいる誰も知らなかった。
「あああああ、嘘だ、嘘だ……いや、認めない、そんなこと、あ、あ、あ……」
望月も彼女の態度に気持ち悪さを覚えた。
画面越しからでも伝わる狂気。それは確かに、既に死んでいたという事実は人を乱させるかもしれない。しかし、冒険者とは死と背中合わせなもの、現にほとんどの冒険者は死んでしまったことそのものよりも、死んだのに何故自分は生き返っているのということに不安を抱き恐怖した。
しかし、彼女は死んだという現実に対し、この狂気としか形容しようの無い感情をぶつけているのだ。
「ああああああ嗚呼嗚呼ああああああああああああああああああああああああっ!」
美しき赤髪の少女は、壊れたかのように悲鳴を上げた。




