それぞれの心……人外の望み
「ふぅ」
モニターを見つめる望月が小さなため息をついた。
それは己の安全が保障されたことによる安堵の表れなのか。
ゲームを模倣して創られた世界のものとはいえ、仮にも命を奪ってしまったことから来たものなのか。
それとも、自分の計画がもくろみ通りになったことによる満足感からのものなのか。
それを今の望月に答えを求めることは酷というものだ。重い沈黙が部屋に満たされる。
「……とりあえず、ひと段落だな」
望月はつぶやいた、マイは返答に困ったので「お疲れさま」とだけ返した、本当はもっと言いたいことはあったが。
「さて、次の仕事に入ろう、マイ……」
望月はゆっくりとした声で言う。
「倒した敵はどうすればいいんだ?」
その声は、あまりにも普通で、いつも通りで。
だからこそ、マイは非常に、不安になった。
モニターにはすでに生きた人間は写っていないスライムとウィークが群がる山が二つあるだけだ。しかし望月はその画面をずっと見つめていた、マイの方を向こうとはしなかった。
「あ、うん」
マイは自分に語りかける。
落ち着けと、集中しろと、自分もいつものように、いつも通りに振舞えば良いと。
「敵を倒したときにすることは二通りよ、一つは経験値とD通貨に変換させること、もう一つはアンデット化させることね」
「なるほど……なあマイ、あれを保存することは出来るか?」
「え、どうだろ。腐食するかどうかは分からないけど、適当に密室を作ってそこに放り込んで、D通貨を消費すれば出来るんじゃない?」
「そうか、ならそれだけやって、今日はもう……休んでも良いか? 多分あの残りの冒険者たちが町に帰ってこのダンジョンのことが知れ渡ってくれれば、あのダンジョンにはある程度の準備が必要ってことになるだろう、冒険者はしばらく来ない……でくれると嬉しいんだけれど」
「あの、アキラ」
「もちろん、冒険者が来れば起きるよ、このダンジョンコア、侵入者をアラームで知らせてくれるんだとよ。目覚まし時計かっての」
「…………」
「あーあ、つっかれちゃったな。ゲームは好きなつもりだったけれど、やっぱり作り物とは言え現実は現実か、引きこもりには辛いぜ」
そう言ってアキラは椅子から立ち上がり、部屋の隅のベッドへと向かう。マイが選んだ花柄のベッドだ。
「ごめんマイ、上の発光石の明かりを消しといて、ランプだけ点けといてくれ」
マイは言われた通りにする、暗い中にランプの明かりだけが灯る、初めてここへ来た時と同じ灯りだった。アキラは掛け布団にもぐりこみ。マイはランプの火の揺らめきをただ黙ってみていた。
「まったく……無理、してるのよね……私が言えることじゃないけどね」
自分だけが聞こえるような声で呟く、ランプに微かに写る自分の顔を見る。炎のように赤い目に、白雪のような髪。しかしその表情は酷いものだ。
ランプの灯りが揺らめくと度にここ三週間のことを思い返していた。地道な研究をする明の姿や、部屋や道の作りで揉めたこと、瘴気発生装置を見て気分が悪くなったこと。何だかんだ言っても、どこか最後の一週間ほどは普通のゲーマーとしてこのダンジョンを作っていたところが少しはあった。しかしそれは全く滑稽な事だった。
自分たちは人を殺す準備をしていたのだ。
どうすれば効率よく殺せるか。どうすれば罠に嵌められるか。どうすれば人を殺すための存在である魔物を増やせるか。そう考えて三週間を過ごして来たことと変わりない。
そう考えると気が狂いそうになる。
しかし、と、マイは考え直す。
アキラはどんな心境だったのだろう?
アキラも私と同じように、今、鋭利で冷酷な現実初めて認識して狼狽しているのだろうか。
それとも、最初からちゃんと、その目的を見据えた上で行っていたのだろうか。
マイに研究の結果を得意げに話している時でも、常に人を殺すと言う意識を携えていたのだろうか。
もしも、後者だとして。望月が人を殺すと言うことを常に考えながらマイと普通に接していたとするならば。マイにそこまで気負わせぬよう、一人でそれを受け止めようとしていたのだとすれば、それこそマイは狂ってしまいたくなった。
もちろん全てはマイの考察に過ぎないし、本人に訊こうともしなかった、否、出来なかったというのが正しいのだろう。
マイは望月に「役に立ってくれてる」と言われた時、素直に嬉しかったが今となってはどうだろう。
「お前は役立たずだ」と言われた方が幾分楽だったのではと考えてしまう自分が居る、それが堪らぬほど嫌だった。
マイはチラリと望月の方を見る、先ほどから姿勢が変わっていない。眠ってしまったのだろう。そう思ってマイは静かに羽をはためかせベッドに向かう。望月の背中側に着地し、自分も体躯を横に寝かす。
「これからも、こんな事が続くのかな」
マイはポツリポツリと言葉を漏らす、語りかけているわけではない。
塞き止めて置くといつか壊れてしまいそうだったから。
いや、もしかしたら心のどこかで、訊いていてくれたらと言うのがあったのかもしれない。ともかく、望月の背に向けて一言一言、小さな声で独り言をつぶやく。
「こっちに来て、混乱して、でも良い奴が同居人で」
呟く。
「お互い全然何にも知らないけど、それでもそんな関係が心地よくて」
呟く。
「こんな奴と一緒に生き延びられるなら、こんな馬鹿げたゲームも悪くないと思った、ほんの少し」
呟く。
「実はこのゲームを作っていた会社で、コネ入社だって理由で、あまり友達が居なかったから、人肌恋しかったのかもね」
呟く。
「でも、これから、終わりがゲームオーバーしかない、バッドエンドしかない世界で生きていくなんて」
呟く。
「けっこう、辛いだろうねぇ。もちろん私よりアキラの方が辛いだろうし」
呟く。
「もし、ね。辛くなったら。諦めたって、良いんだよ」
マイは、震えた声で呟く。
「これから」
アキラが口を開いた。マイの方を向くわけではなく、マイに背を向けたまま。
マイは驚きのあまりビクっと肩を震わせた。
「これから言うことはただの寝言だ」
「え、ちょっと――」
「寝言だ」
「…………」
強い言葉に、素直に従うマイ。
望月はまた小さくため息をついた、それからぼそぼそと話し出した。
「ある日、いきなり人間の尊厳を全部奪いやがった奴が居た。そいつのせいで食欲や睡魔はあっても、餓死も衰弱死もしない、でっかい宝石が命とか言う、わけの分からない存在に生まれ変わった」
望月の表情は見えない、淡々と、棒読みで話す。
「意地でも死んでやるかと思った、一発、あの神様的な奴をぶん殴ってやろうとそう思ったけど、無理だと分かった。文字通り、次元が違う。どうやったってアイツの手のひらの上だと悟った。俺はそこで諦めようとした」
つらつらと、朗読でもするようにただ話す。
「でも、同居人が良い奴だった。初めて必要とされた気がした、初めて責任を負った、初めて諦めないと誓えた」
「…………っ!」
マイは自分の小さな心臓がトクリと胸打つのが聞こえた。
「お前のマイナスな感情は全部俺にぶつけてくれて良い。俺を嫌ってくれて良いし、恨んでくれて良い。俺は、何でもやってやる、それで、このクソウゼー感情は、あの存在が作った世界に思い切り八つ当たりしてやると決めた。俺はなんと言われようと最強のダンジョンを築く。圧倒的な強さで向かってくる敵が居なくなるまで。奪われた人間性の一部だけでも、せめて……命の危機に怯えず、安心して暮らせる生活くらいは取り返してやる。そのために死山血河が必要なら、俺はその上に安住の地を築いてやる」
あとは「おやすみ」とだけ呟き、掛け布団の中にさらに深く潜った。
マイは長い寝言だったなぁと、丸まった広い背中を見てそんなことを思い、クスリと笑ってしまった。
自分は、もしかしたらいつか狂ってしまうのかもしれない、壊れてしまうのかもしれない、死んでしまうのかもしれない。
だけれども。それはそれで良いのかも知れないと、思ってしまった夜だった。




