鬼と猫
午後の街にゆったりとした時間が流れる、雲一つない青空の下、煉瓦造りの町並みの中、民は思い思いの時を過ごす。
のどか、と言う言葉がしっくりくる昼下がり。
そしてそこに似つかわしくない格好の少年。
彼は足を引きずりながら道端を歩いていた。彼の異様な格好に、周りの町民は彼を見るなり言葉を失った。
櫛も引っかからないような青色の髪は、粘性の液体が絡まっている。いつも晴れやかな笑顔を浮かべていたのが今は世界の終わりを見てきたような絶望にくれる表情だ。しかも彼から発せられる異臭、それらがあいまって彼に声をかけるのは、なにがしか、はばかられた。
そんな無様な状態で半分うつろな意識の中、ソラは町に帰ってきた。気を失ったエイロを背負い、左手には宝箱を抱えている。ダンジョンでの戦闘で負ったダメージがまだ残っているのだろう、宝箱の重量に耐え切れず、道の往来でがくりと膝をつく。がしゃり、と音を立てて宝箱がひっくり返った。
いくら話しかけづらいと言ってもそんな状態の人間を放っておくほど、この街の住民も腐ってはいない、数名が駆け寄り、その異臭に顔を顰めながらもソラの肩を支える。他の者も慌てて医者やギルド関係者を呼びに走った。
「おい、お前ソラだよな! どうしたんだよこんなヒデエ格好で」
「確かお前らのパーティは『不明の遺跡』に出来たダンジョンを攻略しに行ったはずだろ」
「あんたら止めねぇか! おいソラ、大丈夫か! 今、俺の家内が医者を呼びに行ってるからな!」
ざわざわと辺りに人が集まってくる、この街ではこのような光景は珍しくない、大陸の中心に位置するため、どこにダンジョンが出来ても交通の便が良く、物流も盛んなため、この街には名だたる冒険者ギルドが軒を連ねているのだ。よってこのようにダンジョンで深手を負った者や、魔物から命辛々逃げてきたものなどが道の真ん中で倒れることは街中大騒ぎの事件とはならない。
しかし今回、いつもと違う点があるとすれば、そのような様を晒すのが低級の冒険者が大半であるのに対し、今回は街でも名が知られるソラがそのような状態にあるということだ。
「ダメだよ! なんか今買い物中で留守だとか……」
「あのヤブ医者が!」
「……大丈夫、だ」
ソラがゆっくりと顔を上げる、周りは心配そうな表情で彼を見る。
「傷自体は大したことない、ただ、ちょっと疲れちゃっただけだよ」
無理をしているのは誰の目から見ても明らかだった。
「……けどもよ俺達も心配なのよ、お前のそんな姿、こっちは見たことねえ訳よ、やぶ医者は今探してるからよ、来るまでに俺達に何があったか話してくれねぇか?」
「…………」
話したがらないソラを見て、町民達はハッとする。そう言えばここに居るのはソラとエイロだけだ。いつものメンバー、アカネとキーロはどうしたのだ?
答えは誰もはっきりとは口に出さなかったが、大半の人間は理解した。
「そんな……あんたらのパーティが……」
町民に混じっていた一人の冒険者がごくりと緊張で唾を飲んだ。
『龍狩』の異名を持つ赤髪の女槍使いアカネ=マーガロッド、彼女をリーダーとする四人パーティ。その強さは冒険者たちの間でも認められていた。
「辛かったな、ソラ。でも、お前が無事でよかったよ」
町民の一人がポンとソラの肩を叩く、ソラの目じりに再び涙が溜まる。
辺りは重く冷たい空気が流れる、誰もがあの仲の良かった四人を知っているのだ、冒険者の宿命とは言え、そう簡単に仕方ないと言えるものは少ない。
と、その時だった。
「かっかっか! そうか、死んだかあの戦闘狂女!」
その空気の中、品の無い不快な笑いを発するものが居た、誰もがその笑い声のする方向に敵意を込めた視線を送る、がそんなのは意にも介さないと言った風にその男はこう続けた。
「――ざまあねぇなぁ、ソラさんヨぉ。しかし冒険者ともあろう人種がパーティの人間が一人や二人削れただけで同情してくれといわんばかりの表情を浮かべるのは苛つくがな……!」
その男は町民の視線を背に浴びながら人ごみを掻き分け払いのけ、ソラの前に立つ。
とがった犬歯を見せ付けるように再び男は「かっかっか」と不快に笑う。その顔は無力な人間をあざ笑う鬼神が如き凄惨な笑みが浮んでいた。長い手足と二メートルを悠々に越す巨体、その迫力は絶大で、まわりの町民も思わず身が竦んでしまう。漆黒のコートを羽織った姿だが、そのコートは何故かあちこちが破れていた。
「アクバール……笑いに来たのか?」
ソラは彼の迫力に若干押されながらも声色を強め言った。
「ああ、もう可笑しくてかなわんね」
「今の僕の様を見て笑うのは良い、だが死んだ二人に対してその不快な笑みを放っているのだとしたら許さん!」
「許さない? 別にアンタに許されようが許されまいが関係ないね。只単に、いつも冒険者ごっこをしていた五月蝿いお子ちゃま達が身の程も知らず調子に乗って死んだってんだから笑えるだけだ」
アクバールの言葉にソラは殴りかかりそうになるが、彼にその拳を打ち込むだけの体力は回復しておらず、体勢を崩す結果となった。
「訂正しろ、アクバール……僕達を侮辱する言葉を、訂正しろ!」
怒りで頭に血が上り熱くなって抗議するソラに対比して、アクバールは愉快そうに続ける。
「それを言うならよぉ? 何だよその金銀財宝の量! カァ! 仲間は失いましたけど宝はちゃっかり戴きましたってか。そりゃあそれだけの宝を抱えてちゃあ剣は振るえないよな! 訂正してやるよ。ソラさんは仲間を救うよりもお宝のほうが大切なご立派な冒険者だなぁ!」
ソラはハッとして脇に散らばっている大量の宝を見た。確かにこれを見ればアクバールのような主張があっても不自然じゃないだろう。様子を見ていた数人の冒険者は密かにソラに向け蔑みの視線を送る。
しかし、大多数はソラの味方だ。彼が冗談でもアクバールが言ったような最低の行いはしていないと信じている。彼の迫力に呑まれていた町民達も、ソラたちを馬鹿にされ黙っていられなくなったのだろう。
「アクバール! てめえに人の心は無いのかよ!」
「ソラの気持ちを考えやがれ人でなし!」
一人、二人が声を上げる、すると群集心理によって弾劾の声を上げる人数は次々と増えていく。
てめえこそ死んでしまえ!
さっさと消えろ!
ふざけるな!
悪魔!
鬼!
その声はもはや混ざり合って騒音となる、アクバールに向けられた罵詈雑言が昼過ぎの町に響く。
「やれやれ、集団は怖いなぁ……良かったなぁソラさん。アンタにはまだこんなにも味方が居て」
「…………」
「なぁ、何故人は集団だと強くなるか分かるか? それはな、自分が強くなった気がするからだ、だから感情的になり、己の発言に責任がなくなる、もし歯向かわれてもこの人数、誰かが何とかしてくれると思うからだ」
アクバールはソラに向けて淡々と語りかける。これだけのことを言われても全く堪える様子はない、アクバールの表情には怒りや恥辱は浮かんでおらず、全てを見下す冷酷な笑みで辺りを見渡す。ふと思い出したようにアクバールは近くに居た中年男性の腕を引っつかみ。後ろ向きに放り投げた。
何が起こったかわからないと言った表情で声を上げる余裕すらない。人ごみを越え、石造りの路上に、その男は思い切り叩きつけられた。おそらく死んでは居ないだろう、しかし気絶したらしくその場で四肢を痙攣させている。辺りは水を打ったかのように静まり返った。
「本当は誰も何もしてくれねぇのにナぁ。弱い奴はどれだけ集まろうが弱い奴だ……あと群れるんならなぁ」
アクバールは別に声量を変えていないしかしその声は集まった人達の耳に届く。
「連帯責任って言葉を覚えときナ――かっかっかっか!」
大声で笑いながら近くに居た女性に思い切り拳を振り上げる。女性は足が竦んで動けない。
「やめろ!」
なんとかソラは足を引きずりながら女性とアクバールの間に割ってはいる。
「あん? 何か言いたいことでも? ソラさん」
「――彼らも確かに言い過ぎた、けど、それは僕を思って言ってくれたことだ、どうか許してやって欲しい」
頼む、と頭を垂れるソラを見て、町民は自分たちが何と愚かな事をしたのだろうと恥じた。
アクバールもソラの様子を見て、振り上げていないほうの手をあごに当て、考えるポージングをとる。
「ふん、今にも死にそうな様子で俺の前に立ちはだかるとは中々にあっぱれ……しかし俺がこの拳を止める理由は見当たらんなぁ!」
相手は怪我人だ、後ろは女性だ。しかし彼がそんなことを考慮する訳も無い。
万事休す。誰かがあげた小さな悲鳴は豪腕が空を切る音に掻き消された。
「はい、ストップ。そこまでにゃ」
アクバールの振り下ろされる腕に向けてどこからか伸びた長い脚。
空中には全身黒ずくめの女の影。彼女は『胴回し回転蹴り』でアクバールの腕に強烈な一撃を入れる。真っ直ぐ振り下ろされる腕に横からの力を加えれば狙いはずれ、力の向きはそのまま修正されること無く振り下ろされる。
石を粉砕する轟音。衝撃で辺りに飛び散る石つぶて。しかしそんな破壊力を持つアクバールの攻撃はソラに当たっていない。
彼女は蹴りの反動で崩れた体勢を空中で立て直し、ソラとアクバールの間に着地した。
「まったく、君は無茶をするにゃあ。アタイが来るのが遅れていたらどうなっていた事やら」
はぁ、と溜息を吐く女。ずれたウィッチハットの位置を直しながらソラを見る。
「く、黒猫さん……」
ソラが彼女の愛称を口にする、それと同時に辺りからも「黒猫さんだ!」と小声ながらも歓喜の声がぽつぽつと上がる。
「ひさしぶりだにゃあ、ソラ……その様子を見る限る無事じゃかったようだにゃ。あとで診療所に来い、診てやるよ」
そう言って黒猫と呼ばれた女はアクバールに向き直る。
「全く、人の肩を飛び石のように使って向かってくる影があると思ったらやはりお前か、黒猫」
「よう、アクバール。この町に来て日が浅いのは知ってるけどよ、あんまりはしゃぐなよにゃあ。ここの界隈の喧嘩は、全部アタイが買うって最初に教えたはずだよにゃあ?」
ウィッチハットから覗く黄金の瞳を細める。しばらく睨み合いが続いたが、先に視線を外したのはアクバールだった。
「はぁ、お前が居るからコイツ達は調子に乗っているのだぞ? 普通、誰も何もしてくれねぇ所を、この街じゃあお前が何とかしやがるからなぁ」
一瞬、哀れむような目で辺りを見渡したような気がした、が、すぐにいつもの様な不快な笑みを浮かべる。
「貴様とやるのなんて真っ平ごめんだ、俺は巣に帰る、騒がしてすまなかったな」
「かっかっか」と笑い声を上げながら踵を返す。辺りの人間は恐怖と怒りを彼に向けながらも道を空けるのだった。
暴君が去った後の空間は元の平穏な街に戻る。
「黒猫、さん」
「にゅ?」
「あ、ありがとう、ございます。助けていただいて」
「なんのなんの、ソラもあいつに絡まれるなんてタイミングが悪かったにゃあ」
それから一旦ソラから目線を外し、町民たちを見る。
「つか、お前らもあんまり調子に乗るにゃよ……あと、ダンジョンで負傷した奴はアタイん所に持って来いって言ってたろうがよ! あのヤブの手に負えると思うにゃよ!」
「だ、だって黒猫さん、一ヶ月以上留守だったじゃないですか……」
「にゅ……口答えしてんじゃねーぞモブキャラがぁ!」
「酷い!」と言う名も無い町民の言葉に答えず黒猫は再びソラと向き合う。
「さっさとウチに来るにゃあ……散らばった宝は集めて置いた、エイロちゃんはお前が運べ」
「はい、ありがとうございます」
町民達は黒猫に道を開ける。
足を引きずるソラに付き添いながら、黒猫は呟く。
「全部話してもらうからにゃ。嫌だろうが隅から隅まで。場合によっちゃあアタイもやることがあるからにゃ」




