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失われた記憶

「それでは天海さま、どのような準備をしたら良いでしょう?」

「そうじゃのう、まず暗い部屋と蝋燭と椅子それに小さなテーブルがあれば良いんじゃが」

「そう、それなら私の勉強部屋ならどうかしら。さっそく案内しましょう」

 勉強部屋はこの部屋を出て廊下を右に行き、三つ目の部屋であった。

 こざっぱりとした明るい部屋である。女の子らしく犬や熊などの可愛い表情をしたぬいぐるみも置いてあった。しかし、最も目立つのが蔵書の多さである。しかも物理、化学、電磁気学等の理数系の本がかなりの部分を占領していた。

 そこに勉強机と椅子、その他小さなテーブルとパイプ椅子が3つたたんで置いてあった。

 また机には、ノートパソコンがあり、その横には家族3人で撮った写真たてが置いてある。

 また、棚を見ると色とりどりのキャンドルが数本置いてあった。

「天海さま、派手な蝋燭はだめですよね。この白いのはいかがでしょうか?」

「ああ、それでよいじゃろう」

ユリカはテーブルにキャンドルを置き、マッチで火を灯した。

「よし、それでは部屋の電気を消してくれ」

 ユリカはキャンドルを前にして座り、天海はその真正面に位置した。

 田中は邪魔にならないように部屋の隅で見守っていた。

 キャンドルの炎に照らされた天海の顔はいやが上にも凄味を増している。

「さあユリカ、体をリラックスさせるんじゃ」

 ユリカは、コクりと頷いた。

「よし、この蝋燭の炎に意識を集中して」

天海はユリカが充分意識を集中している事を確認してから、おもむろに右手をユリカの頭に置いた。

「これから、ワシが3つ数えると深い催眠状態に入るぞ」

 この光景を見ていた田中が唾をごくりとのむ。緊張のためか暑くもないのに額から汗が吹き出る。

「ひとつ、ふたつ、みっつ」、静寂な空間に天海の声のみが厳かに響く。そして数え終えるとユリカの目は焦点が合わなくなっていた。

「目の前に蝋燭の炎が大きく広がっておるじゃろう。しかし、恐れることはないぞ。熱くはない。かえって心地よいじゃろう」

 再び、ユリカはコクりと頷いた。穏やかな表情である。

「さあ、その炎の壁を越えなさい。熱くはない。ほれ、勇気を出すんじゃ」

「分かりました」

ユリカの声は特に怖がっている様子は微塵も無かった。

「炎の壁を越えると何が見える?」

「桜並木が続いているわ。隣にはお母さんよ。私はランドセルを背負っているの」

ユリカは爽やかな笑顔をしている。

「あっ、今日は小学校の入学式だわ」

『ユリカ、あそこに小学校が見えて来たわよ。友達も大勢いるわよ。みんなと仲良くやっていくんだよ』と、母が言った。

『大丈夫だよ、おかあさん』

暫く学校の桜を見たり、知り合いの友達と会話したりして、入学式までの時間をゆっくりと過ごした。

 ユリカは久しぶりに母と会話ができたこと、母の手の温もりを感じることができた事を嬉しく思った。

「そうじゃ、その調子だ。さて、次に行こう」

「いやいや、まだここに居たいわ」

「そうもいかんのじゃ、分かってくれ」

ユリカは不満そうな顔をしていたが、仕方なく頷いた。

 その様子を見ていた天海は、パチっと指を鳴らした。

 すると、ユリカの視界から母や桜並木が消え、再び暗闇が広がった。

 ユリカの顔に不安が広がったが、直ぐに冷静な顔に戻った。

「また遠くの方に蝋燭の炎が見えるわ」

「そうだ、またその炎が大きくなっていくじゃろう」

「そうね、大きくなって行くわ。それでこの炎の壁を越えて行けば良いのね」

「いい子だ。その壁の向こうに何が見える」

「ああ、寝室が見えるわ。私は布団のなかで気持ち良さそうに寝ているの。そして朝の柔らかな日差しがその部屋に射し込んでいるのよ」

再び、ユリカの顔に笑顔が戻る。心なしか、ユリカの頬っぺが少し赤くなったようだ。

「ああ、目覚まし時計が鳴り出したわ。ああそうだ、この日は家族でピクニックへ行くことになっていたのよ」

 小学校5年生のユリカが目をパッチリと開けてニンマリとした。

 そこへ、父がドアを開けて『ユリカ、起きてるか。さあ今日は家族でピクニックだぞ』と、笑いながら声をかけてきた。

『もう起きてるよ。それよりお母さん、お弁当作ってくれたかな』

『ああ大丈夫だよ。ユリカの大好きな唐揚げもたくさん作ったぞ』

『やったあ、楽しみだなあ』

『はっはっは、さあ、早く着替えて来いよ。下で待ってるからな』

 ユリカは急いで着替えると階下の台所へ向かった。

『お母さん、もうお弁当できたの』

『もう出来たわよ。あなたこそ、顔、洗ってきたの』

 母は上機嫌で、そしてテキパキと準備をしていた。

 そんな朝の慌ただしい時間があっという間に過ぎ去り、家族3人は自転車で飛鳥自然公園まで出かけた。

 行く道すがら、綺麗な花を見て喜んだり、素晴らしい景色を見つけて記念写真を撮ったりしながら楽しんだ。

 目的地の飛鳥自然公園も、芝生が敷き詰められた広場を中心にアスレチック広場や、ロッククライミングが楽しめる場所があったり、池では釣りも楽しめた。

 楽しい食事を済ませたあと、3人でバドミントンをして、軽く汗を流す。

 しかし、小一時間もすると父が『ちょっとあっちを見てくる。待っててくれ』と言った。

『ユリカも連れてって』とねだってみた。

『いや、だめだ。父さん一人で行ってくる』と言い、スタスタと早足で歩いて行った。

『父さん、待って、待って』と泣きながら追いかけたが、ついて行けなかった。


 ユリカは、小さい頃の悲しい記憶をあまりにも強烈に思いだし、心情がかき乱された。そして過呼吸のような症状をみせはじめたので、天海は「ユリカ、大丈夫だ。これから三つ数えるからな、そうすれば催眠から目が覚める」と言った。

 そして、ユリカの耳元で「ひとつ、ふたつ、みっつ」と言い、最後に手でパチンと鳴らした。

 するとユリカは現実に引き戻された。

「ああ、もう大丈夫よ」、ユリカはそう言いながらも、まだ息が荒かった。

「まあちょっと落ち着きなさい。それから田中、部屋の電気を点けるんじゃ」

 部屋が明るくなると、ユリカの呼吸も次第に整ってくる。

 暫くして、すっかり落ち着いたユリカは「分かったわよ」と叫び、立ち上がって棚の方へ歩いた。そこで地図を見つけ、テーブルに広げた。

「えーと、ここに池があって、ここにアスレチック広場があるからお父さんはこっちへ歩いて言ったのよね。ということは、ここよ」

「なんだって、荒羅羅手山か!」と田中が言った。

「アララテヤマと読むのよ。お父さんは年に何回もそこに行っていると思うわ。だから、装置はそこよ!」

「荒羅羅手山じゃな、明日行ってみよう」

「その山は、最近霧が頂上付近を覆うようになってしまったのよ。おそらくお父さんが簡単に見つからないように霧を出したんだと思うわ」

「なるほど、面白くなってきたぞ」


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