第1部 第7話
部活紹介の打ち合わせの後、校舎を出たところで月島君が足を止めた。
「どこか行く?」
「どこかって?」
「せっかく付き合ってるんだし、恋人っぽくデートでもしようよ」
おっと。
そうか、私、月島君と付き合ってるんだっけ?
ていうか、付き合ってるっていうのかな、これ。
月島君は私に「好き」と言い、
それに対して私は「付き合ってもいい」と答えた。
うーん。不本意ながら、やっぱり付き合ってるっていうんだろうな。
私が考え込んでいると、月島君はどうやら私がデートの行き先について悩んでいると思ったらしい。
「桜子は誰かと付き合ったことある?」
「ないわ」
これから先も、結婚するまでない。
「俺も。初心者同士かあ。これじゃあどこで何をしたらいいか分からないな。行きたいところある?」
「行きたいところねえ」
そう言えば前読んだ雑誌に、新しいセレクトショップが銀座にできたって書いてあったな。
あそこ、行ってみたいかも。
・・・ダメだ。
あれは現実で読んだ雑誌だから、12年も前の夢の中にはそんな店は存在しないはず。
それに、高校1年生と中学1年生のカップルが行くような所じゃない。
学生のデートと言えば・・・
「カラオケ?」
「嫌だ」
嫌だ、は月島君の口癖らしい。
「じゃあ漫喫」
「2人で行くところじゃない」
「映画?」
「悪くないね」
「食事?」
「決定」
どうやら月島君はお腹がすいていたらしい、
と思った瞬間、自分も物凄くお腹が減っているのに気が付いた。
普段はこんな時間にお腹なんかすかないのに、夢の中では胃袋まで高校生になっているようだ。
私と月島君は迷うことなく学校から徒歩10分程の全国どこにでもあるファミレスに入り、ペラペラした大きなメニューを開いた。
パスタ、サラダ、肉料理、パン、ライス、ピザ、フライドポテト、それに120円のドリンクバー。
食べ合わせを全く無視して目に付いた物を次々と注文する。
すると、食べる順番なんて全然考えていないような順番で、一目で冷凍食品だと分かる料理がすぐに出てきた。
だけどそんなのはこの空腹の前では些細なことだ。
私はドリンクバーでコップにコーラをなみなみ注ぐと、早速ピザにかぶりついた。
ファミレスの料理がこんなに美味しいと感じたのは初めてだ。
「お上品な顔してるくせによく食べるな」
「月島君こそお肉ばっかり食べてるんじゃないわよ。野菜も食べなさい」
「そっちもだろ」
月島君は決してガツガツ食べている訳じゃないのに、食べる速度が凄く速い。
あっという間に肉料理の皿(鉄板?)が空になる。
そもそも男の子の月島君と女の子の私では口の開く大きさが違うし、口内の体積も私より広いだろうから、月島君が私より早く食べれるのは当然なんだろうけど、なんか悔しい。
速度でどうしても勝てないなら、量で勝ってやる!
私は妙な闘争心を燃やし、フライドポテトに手を伸ばした。
「やっぱり桜子は外見と中身が全然違うね。どうして普段はツンっとした振りしてるの?」
「その方が、誰も近寄ってこないから」
「近寄って欲しくないの?」
「うん。人付き合いなんて面倒よ。だから本当は月島君とも付き合いたくない」
敢えてさらっと言ってみる。
だけど月島君もさらっと返す。
「ふーん、そう。でも付き合うって言い出したのはそっちだろ」
「分かってるわよ。だからこうやって責任取ってるんじゃない。いつまで付き合えば、責任を果たしたことになるの?」
「一生」
ゴクンと。
喉が音を立てる。
「・・・それ、プロポーズのつもり?」
「さあね」
月島君の長い指がフライドポテトを2本つまむ。
それはそのまま斜め上へ移動し、月島君の口へ入る。
人が物を食べる時の当たり前の動作。
だけど私はそれを生まれて初めて見るモノのように見つめた。
月島君て本当に不思議な子だ。
28歳の私から見ても大人っぽい面を持っている一方で、生まれたての子供のような純粋さ、素直さを持っている。
「さあね」なんて言葉は向こう側が見えるハーフミラーみたいなもので、意味はない。
月島君は今、私と一生一緒にいたい、本当にそう思ってるんだ。
それは、小さな子供が「パパとママとずっと一緒にいたい」と思っているのと同じで、
実現可能かどうかなんていうのは二の次で、ただ今この瞬間の真実の想いなんだ。
唐突に胸の中に何か温かい物が流れ込んできた。
私、誰かにこんな風に思われた事、あったっけ。
旦那のことが頭をよぎる。
少なくとも旦那がこんな風に私のことを思っていない・思ったことがないのは確かで、それは私も同じだ。
これが夢じゃなければ。
これが現実なら。
私の人生は何か変わっていただろうか。
「・・・私、許婚がいるの」
「え?」
再びフライドポテトに伸びた月島君の指が止まる。
「許婚?」
「柵木君から聞いてない?」
「聞いてない」
柵木君、肝心なことは話してないんだから。
それとも、月島君のことを思って、敢えて話さなかったのかな。
「じゃあ桜子、その人と結婚するんだ?」
そうよ。22歳の冬にしたくもない結婚をするの。
結婚式も披露宴も指輪もない、ただ婚姻届を出すだけの結婚を。
「うん」
「・・・ふーん」
さっきの「ふーん」とは明らかにトーンが違う。
私の中に焦りが生じる。
私、月島君を傷つけてしまったのかもしれない。
「だ、だけどまだ分からないの。親同士が勝手に決めたことだし、私も向こうも、結婚したいなんて全然思ってないし」
「でも結婚するんでしょ?何言い訳してるの。俺に気を使わなくていいよ」
「・・・」
少しペースを落として月島君がフライドポテトを食べる。
「桜子も食べなよ」と言われて機械的に手を伸ばしたけど、さっきまで塩辛いと思っていたフライドポテトから味は消えていた。
しばらく2人とも無言でフライドポテトを消費する。
「・・・俺、こーゆーの嫌なんだよね」
月島君が急に口を開いた。
「こーゆーのって?」
「だから、こーゆー気不味い雰囲気。喧嘩して気不味くなるのは仕方ないけどさ、桜子に許婚がいるってことに関しては俺も桜子も悪いわけじゃないんだから、気不味くなる必要なくない?」
「・・・うん。そうね」
「桜子の『責任』の期限は、桜子が俺と一緒にいたくなくなるまでにしよう」
「え?」
月島君がニヤッと笑う。
だけど段々分かってきた。
月島君は直球な性格のくせに、その表情は気持ちとは真逆になる。
この笑い方をする時は・・・本気の時だ。
本当に自分が望んでいることを話す時の顔だ。
「桜子が結婚する時になってもまだ俺と一緒にいたいと思ってたら、結婚はやめてそのまま『責任』を取り続ければいい」
「・・・何言ってるのよ」
ダメだ。この直球、堪えられない。
私は顔が赤くなるのを止められないくせに、精一杯天邪鬼になる。
「だったら、もう期限切れよ。言ったでしょ、私、月島君と付き合いたいなんて思ってない」
「もちろん、それならもういい。俺、もうちょっと食ってくから、1人で寮に戻っててよ」
「・・・」
ラッキー。これで解放される。
さあ、立ちなさい、桜子。
あ、でも自分で食べた分のお金は置いていかなきゃね。
大人の女なんだから。
うん、うん。
・・・うん。
「何やってるの?さっさと帰れば?」
何故かいつまでも立ち上がれない私を見て、月島君が「真面目な顔」で聞いてくる。
つまり。
心の中では笑ってる訳で。
「なんだよ。結局俺と一緒にいたいんじゃないか」とか思ってほくそ笑んでる訳で。
悔しい。
なんでこんな子供に掌の上で転がされてるのよ、私。
突然、月島君が立ち上がった。
私がいつまでも帰らないから自分が帰ろうとしたのかと思い、私も慌てて立ち上がる。
「桜子もドリンクバー行くの?」
「!!!」
しまった!
私は真っ赤になって月島君を睨み、ドサッと腰を落とした。
「何、怒ってるの。帰らないなら食べれば?冷めるよ?」
なんてわざとらしい冷静さ。
ムカつく。
ムカつく、ムカつく、ムカつく!
スタスタとドリンクバーに向かう月島君の背中は背筋がピンと伸びてて綺麗だけど、私には大爆笑しているように見える。
でも、さすがに月島君も苛め過ぎたと思ったのか、ウーロン茶片手にドリンクバーから戻ってくると、私に助け舟を出してきた。
って、私。本当にいいように転がされてる。
情けない。
「何か言いたいことは?」
「・・・ないわよ」
「じゃあ、質問は?」
「質問?」
「俺は桜子のこと色々知ってるけど、桜子は俺のこと全然知らないでしょ?だから、何か質問したら?」
何よ、偉そうに。
「・・・身長は?」
「165センチ」
「体重は?」
「53キロ」
「足のサイズは?」
「26センチ」
「誕生日は?」
「12月24日」
「名前は?」
「・・・」
月島君が詰まる。
そして初めて。
初めて、本当に照れたように頬を少し赤らめ、小さな声でこう言った。
「ノエル」
ノエル。
変な名前。
月島君にピッタリだわ。
・・・そうか。
私の彼氏は「ノエル」って言うんだ。