第5部 第12話
「・・・怒らないんですか?」
しばらくしてから慎司君はボソッと呟くように言った。
「何に?」
「俺が勝手に、聖さんのことを門野プロダクションに話したことに」
聖の顔から笑みが消える。
それを見て慎司君はうなだれた。
「すみません」
「そうだな。勝手なことしてくれたな」
・・・ちょっと意外だ。聖は自分にとってどうでもいいことには本当に無頓着だから、こんなことで怒るとは思わなかった。
「なんで俺のこと話したんだよ?」
「だから、それは・・・」
「人の情報は金になるんだぞ」
「はい・・・」
「話すなら、ちゃんと金貰えよ」
あれ。
私と慎司君の「は?」という表情には目もくれず、聖は続ける。
「せっかくの稼げるチャンスを無駄にしやがって。ちゃんと金貰ってこまわりに入れなきゃダメだろ」
「・・・話したこと自体はいいんですか?」
「別に。だって、なんも害はないし。まあ、あったとすれば、喧嘩のお陰で昨日桜子の弁当を食いそびれたことくらいか」
慎司君が私を見る。
だから私は胸を張って言った。
「お弁当は作れなかったけど、夕ご飯はちゃんと作ったわよ!」
「・・・」
「だから、害無し!って言っていいんじゃない?」
「・・・いいんですか?」
「聖がいいって言ってるんだから、いいのよ。ね、聖?」
「ああ」
私は張った胸を撫で下ろした。
ほらね。やっぱり聖は聖なのよ。
聖は優しくはない。誰かに優しくしよう、という考えも持っていない。こだわることにはとことんこだわり、どうでもいいことには全く無関心な、ただのワガママな男だ。だから誰かを傷つけることもあっただろう。
だけどきっと、それと同じくらい誰かを許してきたんだと思う。
私が好きになったのは、そういう聖なんだ。
そんな思いで聖を見ていると、聖は急に真面目な顔をして慎司君にこう言った。
「それに慎司がそういうことをしたのは、マユミの為でもあるんだろ?マユミから俺を遠ざけるために、俺にはこまわりにいて欲しくなかった」
「・・・はい」
「俺はマユミに酷いことをたくさんしてきたから、慎司のやったことを責める権利はない。でもな、俺はマユミの為にももうこまわりは辞められないんだ」
「え?」
聖は私と慎司君の顔を交互に見てから、振り返ってこまわりの入っているビルを見上げた。
「今度の劇、N劇場でやるだろ?」
「はい」
「それだけじゃない。携帯会社に頼んで、携帯の情報画面でもこまわりの劇のことを流して貰うんだ」
「ええ?」
最後の「ええ?」は私だ。
だって、劇団の公演情報を携帯会社が広告するなんてこと有り得るの?全国的に有名な大手劇団ならともかく、こまわりは個人経営の小さな劇団だ。
そんなことをして携帯会社にメリットがあるとは思えない。
「マユミなんだ」
「・・・え?」
「都築さんがこっそり教えてくれた。『マユミちゃんには絶対言うなって言われてるけど、聖に秘密にしている訳にはいかないから』って。N劇場を用意してくれたのも、携帯会社と契約してくれたのもマユミなんだ」
マユミちゃんが・・・?
私と慎司君は驚きの余り、口をポカンと開いて聖を見つめた。
聖が視線をこまわりから私たちに戻す。
「そんなこと、マユミにできるはずないじゃないですか!」
「マユミは天下の寺脇コンツェルンのお嬢様だぞ?」
「そうだけど・・・」
「もちろん簡単にはできなかったと思う。だけどマユミはやったんだ。マユミは俺を応援してくれている。だから、俺は辞められない。お前もマユミのことが大切なら、マユミの気持ちを重んじろ。俺の邪魔はするな」
聖がジャージのポケットから丸められた本を取り出した。台本のようだ。
それを開いて慎司君の前に突き出す。
「ほら。今、都築さんと俺で決めてきた。準主役はお前だ、頑張れよ」
「え、準主役?」
私と慎司君がまた驚く。だけど今度は驚くというより「唖然」に近い。
口が開いているのは同じだけど。
「俺が、ですか?」
「ああ」
慎司君が呆然としたまま聖から台本を受け取り、開かれているページを見た。
配役のページだ。そこには・・・
「ぶっ!案山子役!?」
「な、なんだよ、覗くなよ、あっち行け!」
「失礼ね!お姉さんに見せなさいよ!」
私は慎司君から台本を引ったくり、改めて配役を見た。主役の王様が聖、隣の恋人役のところには私の知らない女の人の名前が書かれている。
そしてその次に・・・「案山子 野本慎司」。
ちなみに本当に決められたばかりらしく、「野本慎司」は聖の手書きだ。
「あはははは!どうして案山子が準主役なの!?しかも『案山子』って!役名は!?」
「ない。ただの案山子なんだ。冷血な王を変えていくひょうきんな案山子」
むくれている慎司君に代わり、聖が答える。
「なるほどねー。慎司君は明るくておっちょこちょいなドジ役専門だって聖言ってたもんね」
「聖さん・・・そんなこと言ったんですか・・・」
「事実だろ」
恨めしそうな慎司君に対して、聖は容赦なくそう言い放った。
だけど、それは決して慎司君をけなしているわけではないようで。
「こういう役をやらせたら慎司の右に出る奴はいないから、慎司に決まって当然だ。でも、こんな大きな舞台は俺もお前も始めてだから油断はするな。言ったろ?マユミの気持ちを大事にしたいなら、俺の邪魔はするな、絶対いい演技をしろ」
「・・・はい!」
慎司君の目の色が変わった。なんかすぐにでも稽古場に向かって走り出しそうだ。
そして実際、慎司君はそうした。
「俺、戻ります!」
「ああ、俺もすぐ行くよ」
「はい!」
飛ぶように走っていく慎司君の後姿を見ながら聖は苦笑した。
「戻ります、って言う前にもう走り出してるし」
「ふふ、本当ね」
「あ、しかもあいつ、俺の台本持っていきやがった」
聖は慎司君に向かって「おい!」と声をかけたけど、慎司君はとっくにビルの中に入っていて、聖の声は届かなかったようだ。
聖が呆れたようにため息をつく。
「全く、あいつは」
「昔の聖みたいね」
「俺はあんなんじゃなかった」
目的に目掛けてまっしぐらって意味では、昔どころか今の聖と同じだけど、ね。
そう言おうかと思ったけどやめておいた。
その代わり、私はずっと胸の奥底でくすぶっていたことを聖に尋ねることにした。
何故か今なら、どんな答えでも受け入れられる気がする。
「聖・・・もしマユミちゃんが聖と寄りを戻したがったら、聖はどうする?」
「え?」
「聖は今でもマユミちゃんのことを好き?」
聖は少し悩んだ。
その視線が向かいの雑居ビルのネオンから外灯に移り、最後に私の顔へと戻ってくる。
そして聖は頷いた。