第5部 第5話
劇団への仮復帰が決まってからというもの、聖は変わった。会社勤めもそこそこ真面目にしてたと思ってたけど、あんなの全然本気の聖じゃなかったんだと思い知らされた。
まず1番大きく変わったのは生活リズム。
今までは2人で7時くらい起きて一緒にご飯を食べて同じくらいの時間に家を出ていたけど、今は私が起きるともう聖は家にはいない。バイトに行っているのだ。何のバイトかというと、早朝はコンビニ、昼間は映画館のスタッフ(休憩時間に映画をこっそり見れるので演技の勉強にもなるらしい)。そして夕方から夜遅くまでこまわりで缶詰になっている。
そして私もバイトを始めた。医学生は他の大学生と違って勉強量が半端ではないので、長時間のバイトはできない。そこで私が選んだのは大学が斡旋している医学部の教授室の資料整理というなんとも地味なバイトだ。新しい出会いや華やかさは一切ないけど、短時間でそこそこ稼げる上に、勉強にもなって私にはピッタリのバイトだ。
そういう訳で、今、私が聖と会えるのは夜中だけ。
でも、いい。疲労困憊で満足そうに帰ってくる聖を迎えるのはなんだかとても幸せなことに思えて、私も勉強や家事やバイトを頑張ろうと思える。
バイトをしたりご飯を作って聖を待っていたマユミちゃんの気持ちが良く分かる。自分が何かを一生懸命やることが、自分の為だけじゃなくて好きな人の為になるってこんなに気持ちいいことなんだ。
私はそれをマユミちゃんから取り上げてしまった上に、今それを味わっている。申し訳なくも思うけど、それと同時に聖が復帰したことをマユミちゃんがどう思っているのかも心配だ。そもそも聖は、土下座までしてくれたマユミちゃんに演劇に復帰したことをきちんと伝えたのだろうか。それに対してマユミちゃんは何と言ったんだろう。そして聖は何と答えたんだろう。
もし聖がバイトを抜け出してマユミちゃんと会ってたりしても、私には分からない。私に対する聖の態度は前と変わらないけど、それこそ演技かもしれないし・・・。
この不安は常に私に付き纏っているのだけど、思い切って聞こうとする前に疲れて眠ってしまうか、聖にベッドに連れて行かれてしまうので(結果は同じことなんだけど)、今も聞けずにいる。
でも、そんな不安なんかに負けてられない。結婚は生活だ。立ち止まることはできない。
そして、聖が演劇を再開したことでもう1つ大きく変わったことがある。これがまた、別の意味で私を悩ませている・・・
「こんばんは」
私がこまわりの事務所の扉をノックして開くと、中で何やら書き物をしていた都築さんが顔を上げた。
「やあ、いらっしゃい、桜子ちゃん」
「今、やってます?」
「うん。やってるよ」
都築さんが天井を指差し、頷いた。運が良ければ休憩時間で聖と会えるんだけど、今日はそうではないらしい。まあ、稽古の進み具合で毎日休憩時間が変わるから、私が来る時間と休憩時間が重なることはほとんどないんだけど。
「じゃあこれ、すみませんけど今日もお願いします」
私は都築さんに小ぶりの袋を渡した。お弁当だ。
「はい。毎日奥さんの愛妻弁当が食べられるなんて、いいね、聖は」
「・・・はあ」
さすがに恥ずかしくて俯く。でも、恥も外聞もなく私がこうやって毎日聖に「愛妻弁当」を配達しているのは、別に私が「愛妻」だからではない。
復帰してから聖は、急に食べ物にうるさくなった。それまでもヘルシー思考だったけど(意外!ハンバーガーとかばっかり食べてそうなのに)、それに拍車がかかり、とにかく身体にいい物しか食べない。お酒もほとんど飲まなくなったし、甘い物や脂っこいものは絶対口にしない。役者は身体が資本、なんだとか。
これは聖に限らず、程度の差はあるけどこまわりの人達はみんなそんな感じらしい。だから稽古の合間に食べる夕食も、結構ちゃんとした食材で作った料理を出す店にみんな行くらしいんだけど、聖は節約の為に帰ってから家で食べていた。でも、それじゃ11時近くになってしまうので、お腹がすくだろうと思ってこの「愛妻弁当」が始まったのだ。まあ、中身はおにぎりと野菜の煮物とかくらいだけど。
「それじゃ、失礼します」
「うん、また明日ね」
「・・・はい」
うーん、やっぱり恥ずかしい。
私がそそくさと都築さんに頭を下げて事務所を出ようとすると、都築さんが私を呼び止めた。
「桜子ちゃん、劇決まったよ」
「え?」
「聖が完全に復帰できるかどうか判断するための劇。どうせなら聖は主役で行こうと思う」
主役!
私は思わず都築さんに駆け寄った。
「聖に主役やらせてくれるんですか!?」
「聖がうちの劇団に本当に必要かどうかを見極めるには、それが1番いいかなと思って。それにお客さんの反応もたくさん見たいから、劇場も大きなところを探してたんだ。N劇場を借りられることになった。公演は秋口かな」
N劇場と言えば、国立とかではないけどかなり大きな劇場だ。どうやってそんなところを借りたんだろう。料金だってバカにならないはずだ。
でも、こうやって都築さんが聖の復帰を応援してくれているのはとても嬉しいし心強い。
「ありがとうございます!」
私が頭を下げると、都築さんは「いやいや」と手を顔の前で左右に振った。
「みんなにはさっき伝えたからね、今頃上で張り切って練習してると思うよ」
「はい!あ。あの、慎司君はどんな役をするんですか?」
「慎司?」
都築さんはどうして私がそんなことを聞くのかと、不思議そうな顔をした。実は私もよく分からないのだけど、なんとなく気になる。
「主役とヒロインしかまだ決まってないんだ。後の役はオーディションとか周りの推薦とかで決めていく」
「そうですか・・・」
聖と慎司君が舞台の上で一緒に演技をしているところが見てみたい、そう思った。まだ聖の演技も一度しか見たことがないけど、次は慎司君と一緒のところが見たい。まさか私から都築さんにそんなことはお願いできないけど・・・
その時、事務所の扉が勢い良く開き、当の本人である慎司君が入ってきた。
「都築さん、すみません。俺、今日はもう帰り、」
そこまで言って慎司君は私を見つけ、顔を強張らせて言葉を切った。どうやらとことん私が苦手らしい。
「・・・帰ります」
「おつかれ」
慎司君は扉のところでクルリと回れ右をして、事務所から出て行った。
私ももう用は済んだので帰りたいところだけど、今出れば慎司君と一緒になる。私は全然構わないけど慎司君は構うだろう。
でも意味なくここでブラブラしてる訳にもいかない。
私は一拍置いて事務所を出ると、わざとゆっくり階段を下りた。