第5部 第4話
「聖に次の舞台で大きな役をやらせてみようと思う。聖の復帰を認めるかどうかは、その演技とお客さんの反応を見て決めることにしよう」
都築さんのその言葉にほとんどの劇団員の人達が頷いた。
そして私は内心ホッとした。
そういう条件ならきっと大丈夫。だって聖は死ぬ気で頑張るだろうから。
でも慎司君はまだ渋い顔のままだ。どうしても聖の復帰が嫌らしい。
だけど他の劇団員の人達は、一旦聖の仮復帰が決まると文字通り聖に歩み寄ってきた。さっきまで聖の復帰を良く思ってなかった人達も、安堵の表情で聖に話しかける。演劇をする人間として聖の行為自体は許せないのだろうけど、みんな昔からこの劇団で頑張ってきた聖のことを好きなんだ。
輪の中で嬉しそうに話している聖は、私に以前の聖を彷彿させた。
今の聖も「聖」だと思っていたけど、やっぱりここにいる聖が本物の「聖」だ。
私はわざと少し離れて聖を眺めた。
なんか嬉しい。聖が嬉しそうしているのが、なんだか嬉しい。
確かにこれから苦労するかもしれないけど、聖はここに戻ってくるべきだったんだ。
こここそが、聖の場所なんだ。
・・・ん?
1人感慨に耽っていると、輪の中の1人が私に視線を寄こしてきた。お団子頭が良く似合う、若くてかわいらしい女の子だ。
「初めまして」
「初めまして」
「・・・」
「・・・」
うーん。聖。何とかしてよ。
だけど聖は話に夢中で私の視線に気付いてくれない。代わりに、気遣いのできる都築さんが助け船を出してくれた。聖にもこういう大人になってほしいものだ。
都築さんがポンッと女の子の頭に手を置く。
「この子は元々聖のファンだったんだ。で、劇団に入った。でも聖とは何もなかったから。な?」
都築さんが女の子にそう言うと、女の子は少し不服そうに頷き、また輪に戻っていった。
聖、都築さんの言うことは本当でしょうね???
私が不信感全開な目で聖を見ていると、都築さんは昔と変わらない優しい笑顔になった。
「大丈夫。あの子は君にヤキモチを妬いてる訳じゃないんだ。・・・みんな聖は別の子と結婚すると思ってたからね。もちろん、もっと先に」
「それってマユミちゃんのことですか?」
「知ってるのかい?」
驚く都築さんに、私は頷いた。
「私たちの結婚は昔から決まっていたことなんです。私はそれが嫌でした。だけど聖がマユミちゃんと付き合いだして、このまま行けば私たちの婚約は解消かなって時になって・・・ちょっと色々あったんです」
詳しい事情は知らないのか、都築さんは曖昧に「そうなんだ」とだけ言った。都築さんが知らないということは、全劇団員が知らないと思っていいだろう。
誰にも――多分マユミちゃんにも――何も言わずに、マユミちゃんと別れて劇団を辞めて私と結婚した聖。
私は好きな人と結婚できたのだから幸せだけど、聖は今本当に幸せなんだろうか。
「都築さん、俺、帰ります」
「あ、ああ。お疲れ」
人の輪に入ることなく、都築さんの脇をすり抜けながら慎司君がそう言って扉の外へ出て行った。
・・・何故かは分からない。
分からないけど慎司君の後姿を見ているうちに、心に浮かんだ疑問の答えを慎司君が持っているような気がして、気がついた時には私は都築さんにお礼を言って慎司君を追いかけていた。
「待って!・・・慎司君!」
ビルを数メートル離れたところでようやく慎司君に追いつき呼びかけると、慎司君は驚いた顔で振り向いた。
「聖さんの・・・」
「うん。伴野桜子です」
「・・・」
慎司君は面白くなさそうにまた前を向いて歩き出した。拒否されているのかもしれない。
でもいいや。ついて行っちゃえ。
「なんでついてくるんだよ」
「ちょっと慎司君とお話したくて」
「うっとうしいんだけど」
「そう」
強くなったなぁ私。
思っていることをなんでもかんでもストレートに言うノエルや、超ゴーイングマイウェイな聖との時間が私を強くしたのかもしれない。
それに慎司君は私から見ればまだ子供だ。最近忘れがちだけど、本当の私は28歳。10歳くらい年下であろう慎司君の「怒り」など、子供が駄々を捏ねてるようなものだ。
だけど駄々は聞いておこう。
「慎司君も何か私に言いたいことあるんじゃない?」
「・・・別に」
「ちゃんと聖さんを見張っといてくれよ、マユミちゃんと寄りを戻さないように。とか?慎司君ていつからマユミちゃんのこと好きなの?」
慎司君が再び振り向く。その顔はさっきと違って明らかに真っ赤だ。
「好きじゃない!」
「あ、そこから認めない?子供ねえ」
「!!!」
中1の時のノエルの方がよっぽど大人だわ。
だけど慎司君もそれ以上否定するほど子供ではないようだ。黙ったまま私から視線を逸らす。
「はい。じゃあ言いたいことをどうぞ」
「・・・なんで聖さんと結婚したんだよ」
「したかったから。それに私たち、許婚同士だから結婚したくなくてもすることになってたし」
「じゃあ聖さんは初めっからマユミを振るつもりで付き合ってたってことか?」
慎司君の声が怒りを帯びる。
「そうじゃないわ。聖は大学を辞めた時点で親と縁を切ってたから、婚約も自動的に解消されてた状態なの。聖は本当にマユミちゃんのことを好きだったから、いずれマユミちゃんと結婚するつもりだったんだと思う」
「でも別れた」
「うん」
「マユミは演劇をしている聖さんを一生懸命支えてた。それなのに聖さんは、マユミも演劇も捨てた」
「・・・」
慎司君はまるで自分が捨てられたかのような口調で言った。
いや・・・きっと実際そうなのだろう。
多分慎司君は昔は聖のことを好きだったんだ。聖と一緒に演劇をしたかったんだ。
だけど聖は演劇を捨てた。それはイコール、聖を慕ってくれてる劇団の人やファンの人を捨てるのに等しい。
慎司君の怒りは、単に聖がマユミちゃんと別れたことに対してだけじゃないんだ。
慎司君が呟く。
「他の女と結婚して、しかもまた演劇がやりたいなんて虫が良すぎる。演劇をするなら、マユミとも寄りを戻すべきだ」
・・・え?ちょっと待って。
慎司君の怒りは分かる。だけど、それって。
「それって違うんじゃない?」
考えるより先に口が動いた。怒っている人間相手にこの言葉はないだろうとすぐに後悔したけど、後悔先に立たず、だ。
案の定、慎司君の怒りに油が注がれる。
「何が違うんだよ!?」
仕方ない。私は腹をくくって自分の意見を言った。
「昔は聖は自分の為だけに演劇をしてた。マユミちゃんと付き合ってる時は支えてくれるマユミちゃんの為にも演劇を頑張ってたのかもしれない。そして今また自分の為に演劇をしようとしている。仕事でも演劇でも、何の為に頑張るかなんて、その人の歳や立場に寄って変わるわ。大事なのは、その仕事や演劇を『好き』って気持ちなんじゃないの?」
「・・・」
「聖は昔も今もこれからもずっと演劇が好き。それは変わらない。でも何の為に頑張るかはきっと変わって行く。だからもしかしたらまたマユミちゃんの為に頑張ろうって思うかもしれない」
「そうなったらあんたはどうなるんだよ?てゆーか、今聖さんは自分の為だけに演劇してるのか?あんたの為じゃないのかよ?」
私は思わず笑った。
「それを言うなら、会社で仕事を頑張る方がよっぽど私の為だわ。演劇をするなんて、私にとってはむしろマイナス」
「じゃあなんで聖さんと一緒にいるんだよ」
「聖を好きだから」
私は胸を張って言った。
「私は聖が何の為に何を頑張ってても、聖が好き。近くで聖を応援したい。だから一緒にいるの」
「・・・もし聖さんがまたマユミの為に演劇を頑張りたいって言ったら?別れるのか?」
痛いところを突いてくる。だけど話しているうちに、私の中でも考えがまとまり、一つの答えが出ていた。
「うん。聖がそう言うなら誰も聖を止められないわ。聖の性格、知ってるでしょう?」
「・・・」
そう。聖は誰かに止められるような人間じゃない。ゴーイングマイウェイ、我が道を行く男なんだから。私やマユミちゃんはそんな聖を好きになった。文句はない。
聖が今幸せかって?その答えも出ている。
答えは「YES」だ。
だって聖は今から大切な人の為に自分の好きなことをやれるのだから。
自分の為に。演劇を。