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re-LIFE  作者: 田中タロウ
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第5部 第1話

予感はあった。きっと近々この日が来る。


それはアメリカから戻ってきた数日後のことだった。聖が難しい顔をして会社から帰ってきたのを見て私は「やっぱり来たな」と思った。

そしてこの日を「飛ばずに」迎えられたことに感謝した。

これに対応するのは今の自分自身でありたい。飛んでから「ああ、あの時私はああしたんだ」なんて知りたくない。こればかりは「私」にも譲れない。


「おかえりなさい」


私は玄関まで出向き、できるだけ普通の声で言った。聖も声だけはいつも通りに応える。


「ただいま。・・・ああ、疲れた」


後半はいつもより実感が篭っている。本当に疲れているみたいだ。

だから私も正直にそう言う。


「ほんと、疲れてるね」

「うん、まあ・・・仕事でじゃないけどな」


聖がリビングに入る。私がテーブルに夕食を並べる。

以前の結婚生活にはなかった普通の夫婦の光景。これを失いたくない。


大丈夫。今の私なら、今の聖を信じられる。


私は覚悟を決めて聖に訊ねた。


「仕事以外で疲れたって、何かあったの?」

「んー・・・」

「女関係でしょ」


思わず真顔で聖を見てしまった。

聖も言い逃れはしまいと思ったのか、正面から私を見返す。


「・・・前、俺が付き合ってた奴、覚えてるか?コンビニの」

「うん。怪我してた子ね」

「ああ」

「その子がどうかしたの?」


想像はつく。聖が私と結婚したことを知ったマユミちゃんがどういう行動に出るか。

あの子は「お嬢様」だけど、多分、泣き寝入りするような子じゃない。結果がどうなれ、自分の意思を貫く強さを持っている気がする。


だからきっと、マユミちゃんは聖に会いに来る。そう思っていた。


だけど意外なことに、その予感は私を不快にはしなかった。むしろそうしてくれた方がすっきりする。

少なくとも、聖と私の知らないところでマユミちゃんが1人で泣いてるかもしれない、なんて予感よりずっとましだ。


「今日の昼休みに会社に来た」

「会社?伴野建設に?」

「ああ」


寺脇コンツェルンのお嬢様がライバルである伴野建設に1人で来たというのか。

敵に不足はない、と言ったところだ。


「・・・それで?やり直したいって言われたの?」


まさか「結婚おめでとう」と言いに来た訳じゃないだろう。嫌味でそういうことをする女はいるかもしれないけど、マユミちゃんはそんなタイプじゃ絶対ない。

ところが聖は首を横に振った。


「違う。あいつは演劇をやってる俺を好きだった。だから今の俺は好きじゃないと思う。でも、昔の俺に戻って欲しいと思ってるみたいなんだ。・・・もう一度、演劇をやってくれって土下座されたよ」

「ええ!?」


色んな意味で私は驚いた。

土下座はもちろんだけど・・・どこか、違和感を感じた。


聖は今確かに演劇をできないことにストレスを感じていると思う。私も、もし聖が「もう一度演劇をしたい」と言えば応援するつもりだ。

でもマユミちゃんは聖を「自分の好きな聖」にしたがっている気がする。どんな聖でも受け止めようというのではなく、自分が受け止められる聖でいてほしいと願ってる。


これはマユミちゃんに限ったことじゃない。

最近(私が飛ぶ前の「最近」だ)は、できちゃってうちに来る若い女の子が少なくない。そんな子達を見て、私はよく「若い子は相手に自分の理想を押し付ける傾向があるな」と感じていた。私自身は恋愛経験が皆無に等しいから実感しにくかったけれど、どうも若い子というのは些細なことで相手に幻滅するらしい。ちょっとダサい格好をしている、とか、ちょっと自分の気に入らないことをした、とか。

そして相手に幻滅したり、「自分自信も100%なんかじゃない」ということを受け入れたりしながら大人になっていく。

マユミちゃんはちょうど今その過程にいるのだと思う。


一方の聖は既にそこを遠の昔に通り過ぎている。これは年齢や経験によるものだからどうしようもない。そしてどうしようもなく、今すぐこのギャップを埋めることはできない。

もし聖とマユミちゃんが出会うのが後数年遅ければまた違っていたのかもしれないけど、今は聖とマユミちゃんの考え方には決定的な違いがある。


理想を求めるマユミちゃん。

現実という枠の中で精一杯生きようとする聖。


どちらが良いとか悪いとかいうんじゃない。生きている時間の違いだ。

ただ時として、何も考えずに夢を追い続けることのできる生命力を持つ子供に、大人は疲れてしまうものだ。


聖もなんとなくそういうことを感じているのか、少し困ったような表情になった。


「正直に言うと演劇に未練がないわけじゃないし、俺が演劇を辞めたのはあいつに怪我をさせたことが原因だ。その本人が『演劇をして欲しい』って言うんだから、やればいいとも思うんだけど・・・」

「だけど?」

「うーん、なんて言えばいいだろ。劇をやりたいけど、やりたくないっていうか・・・他にやらなきゃいけないことがあるっていうか・・・」


聖の歯切れは悪い。だけど私には聖の言いたいことがよく分かる。


「あのね、聖。『結婚したんだから、自分のしたいことを我慢してでも家族を養いたい!』って思うならそうすればいいけど、私は別に聖に養ってもらおうなんて思ってないからね。私は医者になりたいからなる。そして医者はたまたま稼げる仕事だからこれからうちはお金には困らない。だったら聖が変な我慢をする必要はないと思うけど?」


聖がフッと笑う。


「でもそれじゃあ桜子の親父さんに申し訳ない」

「聖の口からそんな言葉が聞けるなんて、思ってもみなかったわ。大丈夫、パパも聖に期待なんてしてないから」

「そー言われちゃあなぁ」


聖はネクタイを外すと、リビングのソファにドカッと腰を下ろした。下ろしたというか、落とした、に近い。ネクタイだけでなく、色んな物を「外した」ような表情だ。

その隣に座った私の肩がグイッと引き寄せられる。


「どーするかなー」

「もう答えは出てるんじゃないの?」

「うん。桜子の親父さんになんて言い訳するか悩んでる」


私は笑いながら聖の肩に頭を預けた。


大人は現実という枠の中で生きている。だけど大人だってかつては子供だったのだ。少しくらい夢を追いかけたくなる時もある。それを行動に移せるかどうかは、本人の覚悟にかかっている。そしてその覚悟には「いかに周囲を捨てられるか」も含まれる。


聖はある意味私を捨てる覚悟をした。

だけど私は聖を捨てない覚悟をしている。

だから聖も私を捨てる覚悟ができたわけで・・・


ややこしい。

つまり、結局、私は何があっても聖を捨てるつもりはないし、だから聖も私の気持ちに甘えて好き勝手できる。それだけのことだ。


悪い?いいじゃない、別に。

夫婦の形に正解なんてない。これが私たち夫婦の形なのよ。



その夜は、2人でパパへの言い訳をあれこれ考えているうちにけっていった。





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