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re-LIFE  作者: 田中タロウ
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第4部 第11話

「じゃあ、今日退院か」


聖が背広を着ながらそう言う。ベッドの中にいる私からは背中しか見えないけど、その声は嬉しそうだ。


「うん。帝王切開だったから少し長い入院になったけど、母子共に健康みたい」

「そっか、よかったな。男の子だっけ?」

「うん」


産気づいた女の人をうちの病院に運んでパパが帝王切開してから、今日でちょうど10日が経った。普通の出産なら5日程度の入院で済むから倍かかったことになるけど、とにかく無事でよかった。


「母親と赤ん坊に何かあったら、もう生きていけない!って感じだったもんな、あの旦那」

「・・・そうね」


私はそれだけ言うと口を噤んでベッドに潜り込んだ。


実はあの親子、聖の予想通り普通の親子ではなかった。と言っても複雑な事情がある訳ではなく、母親は再婚で、綾音ちゃんという女の子は連れ子だったのだ。10日前に生まれたのは今の旦那さんの子供で、綾音ちゃんから見ると腹違いの弟にあたる。


でもそんなこと聖に話したら「ほらな。俺の目は確かだ」とか言って自慢してくるのは目に見えているから黙っておこう。


「それはそうと、桜子。朝早くから出勤しようっていう旦那の為に弁当でも作ろうとか思わないのか?」


聖がネクタイを締めながら、ベッドの中で一人ぬくぬくしている私を恨めしそうに見る。


「・・・ネクタイの締め方、サマになってきたね」

「誤魔化すな」


誤解のないように言っておこう。私は何もグータラ妻ではない。ベッドから起き上がれないのは聖のせいだ。


「会社行くなら、朝からしないでよ・・・」

「なんか言ったか?」

「いえ、何も」

「じゃあせめて、朝飯くらい作れ」

「亭主関白」

「冬休み中の大学生なんだから、それくらい当然だろ」

「はーい」


私はだるい身体に鞭打ち、渋々ベッドから出て服を着た。寒い。それに聖は白飯派だから準備するのも面倒臭い。


「お茶漬けでいい?」

「ふざけんな。飯・味噌汁・卵焼きは必須。卵焼きは甘くするなよ」

「・・・」

「他にひじきとかがあれば尚良し」


もう。聖って意外と健康志向なのよね、揚げ物とか嫌いだし。ほんと、面倒臭いったらないわ。


「結婚相手、間違えたかも」

「なんか言ったか?」

「いえ、何も」


私は「本気で間違えたかも」なんて考えながキッチンへ入り、包丁との格闘を開始した。



そして20分後。


「誰が、ひじきのスクランブルエッグを作れって言った?」


ひじきスクランブルを一口食べて、聖が顔をしかめる。


「しかも、味が無い」

「甘くするなって言ったじゃない。ひじきがあれば尚良し、とも」

「俺が悪かった。卵焼きとひじきは別々にしろ。卵焼きは最悪醤油かけて食うから味付けしなくていいけど、ひじきはちゃんと味付けしてくれ」

「えー」

「それと。ひじきは一旦水で戻してから使うもんだ」


欠伸をした拍子に、聖が私の口にひじきスクランブルを放り込む。


「堅い」

「だから、水で戻せ」

「・・・はい」


それでも聖はブツブツ文句を言いながら(「くだしたらどうすんだ」とかなんとか・・・)全て平らげ、スーツのジャケットを羽織った。


私は聖がコートを着るのを手伝いながら、聖のスーツ姿を改めて眺める。


聖は背が高くってスタイル抜群だ。顔もかっこいい。スーツを着ればどんな男の人も3割増しに見えるというけど、聖の場合は5割増し。結婚していなければ、会社で女の人に声をかけられまくっていただろう。


だけど、聖を昔から知っている私には、落ち着いた髪色でスーツを着ている聖はどうも不恰好に見えて仕様がない。聖はジーパンの方が・・・ううん。ジャージを着て思い切り演劇の練習をしているのが一番似合う。例え総白髪のような銀髪でも。


「ま、髪は放っておいてもそのうち白くなるか。それとも、その前に抜けちゃうかな」

「・・・なんてこと言うんだ」


靴べらをかかとに差込み、革靴に足を突っ込みながら聖が私を睨む。


「そうなって欲しいのかよ?」

「その頃には私もお婆ちゃんよ」

「そうだな。乳、垂れてんだろーなー。ヤだなー」

「あのねぇ!」

「いってきまーす」

「聖!!!」


扉の向こうに聖の笑い声が消えていく。そして私の怒りもフワフワした幸せ気分と一緒にスーッと引いて行った。だけど、幸せ気分は怒りとは違って完全には消えない。いつも、いつまでも、私の胸の中にくすぶっている。


あの日からずっと。


10日前にあの妊婦さんが倒れた時、聖は初めて私をきちんと見てくれた。お嬢様代わりとしてではなく、私という人間を見てくれた。

今も聖の心にお嬢様はいる。でも、お嬢様とは別の心の部屋に私はいる。

そして今、聖は私の部屋にいる。私の部屋で私を見ている。


これが続く限り、私の幸せは決して消えない。

だけど、いつか聖はまたお嬢様の部屋に行ってしまうかもしれない、という不安も消えない。


だってお嬢様はきっと待っている。聖が自分の部屋に戻ってくることを。


私も前は、聖がお嬢様と幸せになれるのならそれはそれでいい、と思っていた。でも今は違う。聖と結婚し、少しでも、身体だけでも愛されることを知ってしまった今、聖を失いたくない。絶対に。

お嬢様には、隙を突いて聖を奪うようなことをしてしまい申し訳ないとは思う。


「だけど、もう引き返せないのよ・・・」


私は聖が出て行ったドアを見つめながら、一人、呟いた。





その日、いつもは遅い聖が珍しく早く帰ってきた。


「今からまた出掛ける」


水で10倍に膨らんだひじきに四苦八苦している私を放置して出掛けるというの?ひどいわ。


「ひどくない。つーか、そのひじき、どうするんだ」

「・・・ひじきダイエットでもしようと思って」

「あっそ。頑張れば」


うう。明日の朝ごはんにしようと思ったのに。

これを機に、本当にひじきダイエットしようかな。


「お通じ、良くなりまくりだな」

「下品ね」

「いいから桜子も一緒に来い」

「え?私も?どこ行くの?」

「まずは区役所」

「・・・離婚届を出しに?」

「それもアリだな」


無しでしょう。


聖がテーブルの上にグレーに近い緑色の大判の封筒をポンッと置いた。中を見てみると、2つ折りの書類のようなものが2通、入っている。


「何、これ」

「パスポートの申請書。桜子も持ってないって言ってただろ」

「パスポート?海外に行くの?」

「ああ」


それって、もしかして新婚、


「旅行じゃないぞ」

「・・・あ、そう」

「出張。3月下旬にアメリカで開かれるライバル会社の・・・寺脇建設って会社のイベントを見に行って来いって親父に言われた」


聖が「寺脇建設」という会社名の前に何故か一拍入れる。


「どうして私のパスポートもいるの?」

「桜子も一緒に行こう。その頃には大学は春休みに入ってるだろ?」

「入ってるけど。だから、どうして私も一緒なの?」


私は憮然として訊ねた。

ちょっとくらい面倒臭がらせてよ。素直に喜ぶのは癪だから。

だけど、そんな私の心のベールは、聖によっていとも簡単に取り払われてしまう。


「3月19日」

「え?」

「桜子の誕生日だろ」

「・・・うん」

「その2日前くらいからアメリカだから、一緒に行こう」


・・・覚えてくれてたんだ。


「ありがとう・・・」


朝の不安が一気に消し飛ぶ。聖は私の部屋にいてくれるかもしれない。これからもずっと。


ところが。


「誤解すんなよ。桜子を喜ばせるために連れて行く訳じゃない」

「え?どういうこと?」


聖がパスポート申請書が入った封筒を鞄に戻す。

そして私の目を見てはっきりとこう言った。


「桜子を苦しめるために連れて行くんだ」





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