第1部 第4話
「遅かったわね」
扉を開けた瞬間、待ってましたとばかりに嫌味な声が聞こえてきた。
でも、そんな声ですら久しぶり過ぎて懐かしく思える。
紛糾した(?)生徒会の後、真っ直ぐ寮の部屋に戻れればそんなに遅くはならなかっただろうけど、私はある理由で帰るのが遅くなってしまった。
その理由とは・・・そう、迷子。
だって、10年以上も前に自分が寮のどの部屋に住んでたかなんて、さすがに覚えてない。しかも海光では毎年部屋替えがあったから、高校1年の時にどの部屋にいたかなんて尚更分からない。
そういう訳で、私は記憶にある部屋を片っ端からピンポンダッシュするはめになった(実際には「ピンポン」なんて部屋についてないから「ノックダッシュ」だ)。
で、ようやく正解に辿り着いたというのに、そこで私を待っていたのは6年間の中で1番相性の悪かったルームメイトの声。もっとも、どのルームメイトとも大して仲良くはなれなかったから、「1番」も何もないけれど。
「すみません、山脇先輩。生徒会で遅くなりました」
案外覚えているものだ。私は自分の記憶力に拍手を送った。
そう、この人は山脇なんとか先輩。確か私の1つ上だ。高2の初めの部屋替えで離れられた時はお互いホッとしたっけ。
山脇先輩は英訳された宮沢賢治の本から顔を上げ、眼鏡の奥の小さな目で私を見た。
「生徒会がある時でも、いつもはこんなに遅くならないでしょ」
私に興味ないくせにこういうところは気にする。相変わらずというか、夢の中でも現実と同じというか。
面倒臭いなと思いながらも、一応説明しておく。
「特命の仕事ができたんで、他の担当者と打ち合わせていました」
「特命の仕事?他の担当者?」
山脇先輩がまた質問を返してくる。
・・・あれ。もしかして山脇先輩って、私のことそんなに嫌いじゃなかったのかな。
本当に興味なかったら、こんなにつっこんでこないよね・・・?
私は目から鱗の思いで山脇先輩を見た。
いや・・・これは夢だから、自分の中で思い出を美化しているだけだ。あの山脇先輩が私に興味を示すなんてこと、あるはずない。
それでも私は、昔のように「はい、ちょっと」で済ませられなくなってしまった。自分を無視しない人間を無視するというのは、思っている以上に難しい。
「新入生の受け入れと中等部の部活紹介の手伝いをすることになったんです」
「本竜さんが?」
ビビットな反応。私が働くことがそんなに意外なのか。
「はい。中等部の月島君と一緒に」
「月島君!?」
更なるビビッドな反応。
山脇先輩は本を閉じ、椅子を回転させて完全に私の方を向いた。どうやら月島君のことが気になるらしい。
「月島君に興味あるんですか?」
「もちろん!」
・・・驚いた。
私が言うのもなんなんだけど、山脇先輩は勉強にしか興味がないと思っていた。
ううん、山脇先輩だけじゃなく、海光の生徒のほとんどが勉強にしか興味がないと思っていた。
恋愛だ友情だで騒いでるのはごく一部の生徒―――もしくは海光以外の「外」の人間―――で、そんな物は私の世界には存在しないのだと。
だけど視野を少し広げると、実はみんな色んなことに興味を持っていて、そうじゃないのは私だけだったのかもしれない。
山脇先輩が椅子から身を乗り出す。心なしか目が大きくなってキラキラしている。
「だって、まだ13歳なのにすごくかっこいいし、海光始まって以来の秀才じゃない?どんな子か興味あるわよ。ねえ、月島君てどんな感じの子?見た目通りクール?」
ク、クール・・・。あれをクールと言うんだろうか・・・。
私は生徒会での出来事を思い出しながら言った。
「なんかちょっとそんなんじゃなかったです。どちらかというと、腹黒い感じがしました」
「あー、そっちか」
どっちよ。
「でも、あの見た目で腹黒いのは許せるわよね。俺様って感じで、それはそれでかっこいい」
「それもちょっと違う感じがします。ただ生意気なだけですよ」
「あれだけ頭が良けりゃ、生意気にもなるわよ」
「それもそうですね」
変なの。現実ではほとんど話したことのない山脇先輩とこんな風におしゃべりしてるなんて。
しかも男の子の話。
そして山脇先輩も、ここぞとばかりにあることを私に訊ねてきた。
「そう言えば、本竜さんて彼氏とはどうなったの?」
「彼氏?」
「ほら、あの変わった子。茶髪でピアスの。留学したんでしょ?続いてるの?」
「柵木君ですか!?」
思わず大きな声で、昔アメリカへ旅立って行った・・・違った、「今日」アメリカへ旅立って行った同級生の名前を口にする。
いつの間に、柵木君が私の彼氏になったのか。
「柵木君は彼氏じゃありません」
「だって、噂になってたじゃない」
「なってません」
「なってたって。『氷の女王と学校一のやんちゃ坊主が付き合ってる』って」
氷の女王・・・は、私ね?
で、学校一のやんちゃ坊主が柵木君か。
的確なネーミングだ。
「仲は良かったですけど、付き合ったことなんてありません」
「そうなの?面白くない」
「面白くなくていいです。私、もう寝ます。おやすみなさい」
私がわざとらしく会話を切り上げると、山脇先輩はちょっと笑ってからアルファベットで作られた宮沢賢治の世界へ戻って行った。
もし本当に山脇先輩がこういう人だったのなら、昔の私は物凄くもったいないことをしたのかもしれない。そんなことを考えながら私はベッドに入った。
きっと次に目が覚めた時にはこの夢は終わっていて、またいつもの生活に戻ってしまう。
だけど高校時代を再体験できて面白かった。
ただ、やっぱり私が部活紹介の手伝いをしたという記憶はない。
月島君が部活紹介を担当したかどうかまでは覚えてないけど、私が手伝ってないのは確かだ。
それに新入生の面倒見役。これも間違いなくやってないと断言できる。そもそも、そんな企画自体なかったと思う。
あ、そうか。面倒見役は月島君が言い出したことだけど、案内の紙を作った方が良いと言い出したのは私だ。月島君はそれに対して追加案を出しただけだ。
つまり、現実の世界では起きなかったことを起こしたのは、私自身ということになる。
そうよね。この夢は、私が見ている夢なんだから、私の都合のいいようにできるのよね、きっと。
でも、じゃあ部活紹介の手伝いは?
あれは間違いなく月島君が言い出したことだ。私は何も言ってない。
それとも、無意識のうちにやっぱり私が何か現実とは違う言動を取ったから、月島君がああ言ったのだろうか?
だとしたら、私、何をしたんだろう?
えっと・・・なんだろう、何か大切なことを忘れている気がする。
「あーあ、私も彼氏、欲しいなー」
どうしたら宮沢賢治を読みながらそんな台詞が出てくるのか、山脇先輩が独り言のように呟いた。
「私も、って・・・だから、柵木君と私は付き合ってません。私は彼氏なんて欲しくないし」
「そうなの?私は欲しいな。男を見る目を磨いて良い結婚相手を見つけたい」
結婚相手。その言葉が一気に私を現実の世界に引き戻す。
そうだ。私、許婚が、というか、旦那がいるんだった。
だからずっと、恋愛なんかするだけ無駄だと思ってたし、告白なんかされても困るだけだと思ってた。
もっとも、私に告白してくる人なんて誰も・・・
「あ」
「どうしたの?」
「あああ!」
思い出した!
物凄く大事なこと!どうして忘れてたんだろう!?
「・・・そうか・・・だからこんな事に・・・」
「?」
「山脇先輩、私ちょっと出掛けてきます」
「ええ?こんな時間からどこ行くの?」
「男子寮」
山脇先輩は目を丸くした。
学年末テストも終わり、高3の卒業式も済み、在校生は春休みを待つばかりの時期・・・だからなのか、平日なのに外泊者が多いらしく、男子寮の入り口から見えるロビーに人影はほとんどなかった。
そう言えば女子寮でもあんまり生徒に会わなかったな。
でも良く考えればそれもそのはず。男子寮の住人が一緒に外泊する相手は、たいてい女子寮の住人なのだから。
このへんはいかにエリート学校と言えども、世間と変わらない。いや、親元を離れている分、海光の生徒の方がそういうことに関しては案外大人だ。生徒会も「男女の外泊を禁止する」なんてルールは作ってないから、みんな堂々と遅い時間に手を繋いで外出して行ったりする。
だけど「男子が女子寮へ入ること、また、女子が男子寮へ入ることを禁止する」というルールはある。
だから私はこうやって男子寮の入り口で待っている訳で・・・
来た。
明らかに不機嫌な月島君がエレベーターから降りてきた。
もう寝ようと思っていたのか、下はストライプが3本入ったジャージのズボン。上はTシャツにズボンとお揃いのジャージを羽織っている。
どうでもいいけど、男の子って普段と違う服装をすると、足が長く見える。
ズボンをずらしてはかなければ、だけど。
「ごめんね、月島君。寝るところだった?」
「はい」
・・・声が低いな。本当に機嫌が悪そうだ。
「俺、睡眠をしっかり取らないと調子がでないんです」
「じゃあ、明日でいいわ」
「呼び出しといて、それはないでしょう。さっさと用件、言ってください」
「・・・」
なんの為にわざわざ来てやったと思ってるのよ。
そう言いたいのを、グッと抑えていつもの冷静な私を装う。
「じゃあ用件だけ言わせてもらうね。月島君、今日の昼間、私に告白したでしょう?」
「・・・」
今度は月島君が黙り込んだ。
今日の昼の成田。
突然夢の中に舞い込んで驚いていたから忘れたけど、月島君は「俺、先輩のこと好きなんですよね」と言っていた。
そして思い出した。
同じことが12年前にもあったことを。
あの日、柵木君が乗った飛行機が飛び立つのを見た直後、私は確かに月島君に告白された。




