第4部 第1部
聖とお嬢様が一緒にいるところを見ても大丈夫。その自信がつくまで1ヶ月ほどかかったけど、季節が秋から冬に変わり始めた11月のある日、私は聖の家を訪れる事にした。
どうしても、聖が主役を演じる劇の公演前に会って直接「おめでとう」って言いたい。そしてできればお嬢様に「聖をよろしく」って言いたい。
私はデパートに入り、エスカレータで地下に下った。前行った時は近くのカフェで適当にサンドイッチとチーズケーキを買って行っただけだから、今度はちゃんとしたお土産を持っていこうと思ったのだ。だけどデパ地下をウロウロして気がついた。私、聖の好みを知らないんだった。
前も同じことで悩んだのに、成長しないなあ。
お嬢様と「今から聖にお土産持って行くんだけど、何がいいかな?」なんて気軽に電話できるくらいの仲になれれば、楽だろうな・・・
そうだ、聖の家にはお嬢様もいるんだ。だったら、別に聖の好みじゃなくてもお嬢様好みのお土産でもいいよ・・・ね?
ちょっと落ち込みそうになる心を励まし、チーズケーキ専門店で奮発してホールのチーズケーキを買う。お世辞かもしれないけど前のチーズケーキを喜んでくれたのだから、嫌いじゃないのだろう。
それからコーヒーのコーナーに行き、コーヒー豆を物色する。
あ、でも豆より粉がいいかな?あのアパートにミルがあるとは思えないし・・・というか、コーヒーメーカーもなさそうだな。
それに、あのお嬢様はイメージからしてコーヒーより紅茶が好きって感じだ。紅茶の葉を買っていった方がいいかもしれない。
「何をそんなにお嬢様に気を使ってるのよ」と自分につっこみつつ、無難にアールグレイの葉とついでにティーポットまで購入する。私は別にお嬢様を喜ばせたい訳じゃない。お嬢様が喜べば聖も喜ぶと思うからだ。
そして私がそういう風に考えられるのは、私が間違いなく聖を好きだからだ。
ノエルのことは今も好きだとは思う。だけどそれはあくまで思い出で、今私が好きなのは聖だ。だから聖を喜ばせたい。それだけだ。
デパートの紙袋を手にいそいそと外へ出て腕時計を見ると、午後の8時。
さて、これからどうしようか。
聖は毎晩劇団で稽古をして、10時くらいに家に帰るらしいからまだだいぶ時間がある。それを見込んでチーズケーキにはたっぷりドライアイスを入れてもらったからこのままブラブラしててもいいんだけど・・・
いや、ダメだ。一人で街をブラブラなんてしてたら、お嬢様に会う勇気がなくなってしまう。
私は携帯を開いた。こういう時、友達がいるっていい。
「もしもーし」
「今、忙しいんだけど」
「嘘ばっかり。どうせ彼女と一緒に遊んでるんでしょ」
「はずれ。勉強中」
「・・・」
同じ医学部生として、聞き捨てならない台詞だ。
「三浦君。そんな勉強ばっかりしててもいい医者にはなれないよ」
「俺もそう思う。でも、勉強もできないようじゃいい医者にはなれないとも思う」
「・・・・・・」
いちいちムカつくこと言うんだから。
「ねえ、今、家?今から2時間くらい、私に付き合う気ない?」
「ない」
「お願い!私もうすぐ失恋しに行くの。ちょっと元気とご利益をちょうだい!」
「言ってる意味が全く分かんないんだけど」
「知りたいなら付き合って!」
三浦君は「別に知りたくないし」と言いながらも、私がいる駅まで来てくれることになった。ありがたい。三浦君と一緒に将来の話でもしていれば明るい気分になるだろうし、希望も持てる。
三浦君になら私のこの時間旅行のことを話してもいいかもしれない。三浦君の性格じゃ信じてくれないかもしれないけど、三浦君に秘密を作っておきたくない。だってこれからずっと一緒に仕事をするんだから。
三浦君は20分ほどで待ち合わせのお店にやってきた。
「居酒屋?」
三浦君がお店の看板を見て眉をひそめる。
「飲みたい気分なの!」
「そーゆーことは、失恋した後の方がいいんじゃない?ベロンベロンになって告白するってどうかと思うぞ」
告白しに行く訳じゃないけどね。許婚に告白も何もないし。
ま、いいや。
「じゃあ一杯だけにしとく」
「割り勘な。よーし、飲むぞー」
「ちょっと!何よ、それ!」
とまあ、ワイワイやりながら私と三浦君は掘りごたつ式のテーブルに座り、ビールとウーロンハイで乾杯した。思えば私、こんな風に誰かと二人で居酒屋に来たことってない。大学では面倒だからとサークルに所属していなかったし(今もしてないけど)、病院のメンバーで忘年会とかはやるけどそれだって仕事みたいなものだ。
ただ心を休めるためだけに友達と飲む。
なんて無駄で、なんて有意義な時間だろう。
「で、誰に告白しに行くんだよ」
あっという間に2杯目のビールに進んだ三浦君が訊ねてくる。
「告白しに行くんじゃないんだって。失恋しに行くの」
「どーゆー意味?」
「好きな人が彼女とラブラブなところを見て、絶望してくるってこと」
「随分ストイックだな」
「うん。でもそれくらいしないとちゃんと諦めがつかないから。三浦君は失恋した時、どうやって立ち直る?参考に聞かせて」
「失恋したことがないから分からない」
・・・どこまでも嫌味な男だな。もっとも私も、前の人生では失恋なんかしたことない。恋愛したことがなかったから当然だけど。
「桜子は今まではどうやって失恋から立ち直ってたんだよ?」
「私は・・・」
高3の夏の出来事が蘇る。あれは失恋と言うんだろうか。
「いつかまたその人と付き合えるって信じてたから、立ち直るも何もない、って感じかな」
「そいつとは復活できたのか?」
「ううん。その前に今の人を好きになっちゃったみたい」
「みたい?他人事だな」
「うん、他人事だもん。私ね、時々時間を飛んじゃうの。最初は28歳から16歳に飛んで、そこからまた17歳に飛んで、今また21歳に飛んできたの」
三浦君が口からグラスを外す。
「はあ?何言ってんの?」
「私の秘密を言ってるの。本当の私は28歳。三浦君よりずっと年上なんだから」
「桜子、頭大丈夫か?」
「三浦君は自分のパートナーの頭がおかしいと思う?」
「・・・思わない。思いたくない」
「だったら信じて」
「・・・」
三浦君は少し悩んでから再び口を開いた。
「じゃあ1つ質問。桜子が28歳の時、俺はどんな医者になってる?」
「知らない」
「知らない?」
「うん。前の私はC大に通ってなかったから、三浦君のことも知らなかった。マミーホスピタルに三浦なんて医者はいなかった」
「・・・」
「だけど、今はこうして三浦君と出会えて、一緒にマミーホスピタルで働ける。人生をやり直せて、本当にラッキーだと思ってるよ」
「・・・」
三浦君の切れ長の目がじっと私の目を見つめる。私もグラスをテーブルに置き、三浦君の目を見つめ返した。
そしてしばらくの沈黙の後、三浦君は小さく息をついてビールを飲み始めた。
「分かった、信じるよ。もしこれから大きな台風とか地震があるなら教えてくれ。そこには行かないから」
「ふふ、分かった。なかったと思うけどね」
「ならいいや。・・・じゃあ、代わりに俺の秘密も教えてやるよ」
「え?」
私のグラスの中で氷が溶け、カランと音がした。




