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re-LIFE  作者: 田中タロウ
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第3部 第7話

電車を降りて歩くこと約5分、私は目の前の建物を見上げた。落ち着いた照明で夜の暗闇の中照らし出されているそれは、一目で高級な高層マンションだと分かる。


こんなところに住んでるのね、あのお坊ちゃまは。


私はスケジュール帳のメモーページを開き、上から10行目の真ん中辺りに書かれた―――まるでわざと目立たないように最初でも最後でもなく真ん中に書かれているように思える―――住所を見て、それが今自分のいる場所と同じであることを確認した。


もう夜の11時を回っているけど、どうせ起きてるだろうから遠慮はいらない。メモに書かれているのと同じ部屋番号を、入り口にあるパネルで間違えないように注意深く押す。指先が震えた。もしも日記に書かれていることが本当なら・・・直接は書かれていないけど、そこから感じ取れることが本当なら・・・


くぐもった呼び出し音のすぐ後に、ピッと通話ボタンを押す音が聞こえた。


「なんだよ、こんな時間に」


パネルの横にある小型カメラで、訪問者が私だという事は分かっているらしい。


「今いい?」

「ああ」


カチャッとロックが解除される音。自動ドアをくぐると中にもう一枚自動ドアがあり、その手前にまたパネルがある。もう一度部屋番号を押し、自動ドアを開けてもらう。二重のセキュリティは安全だけどこういう時はなんだか気まずい。

2種類あるエレベーターのうち高層階用の方を選んで乗り込むと、ほとんどGを感じないままエレベーターは目的の階に到着した。絨毯の敷き詰められた建物内の廊下を奥に向かって10メートルほど進み、ようやく辿り着いた部屋のインターホンを押す。


が、せっかくの「高級マンション感」も中から出てきたチャラい男と、ぐちゃぐちゃの室内で一気に台無しだ。


「・・・何よ、その髪」

「似合うだろ、ギンパツ」

「総白髪みたい」

「うっさい。役柄なんだから仕方ないだろ。って、初日に見てるから知ってるか」


今の私には初日を見た記憶はないけどね。


聖は顎をしゃくって「入れば?」と言った。だけど玄関にも物が溢れていて、入るのも一苦労だ。何の連絡もなしに来といて言うことじゃないかもしれないけど、もう少し掃除すれば?


「してたんだよ、掃除」

「は?これで?散らかしてるだけじゃない」


ジャングル探検並みの覚悟で足を踏み入れたリビングは想像を裏切らない状態だ。デンと置かれたソファの上だけ不自然に綺麗なのは、ここが聖の寝床だからだろう。


「正解。泊まってく?」

「帰るに決まってるでしょ」

「もうすぐ終電なくなるぞ」

「タクシーで帰るわよ」

「元婚約者同士なんだから、遠慮することねーだろ」


そう言うや否や、信じられない節操のなさで聖は私を押し倒してきた。だけど一応6年一緒に暮らしてきたし、何度かだけだけど寝たこともある。大して驚きはしない。

冷めた目で聖を見上げると、聖の方が怯んだ。


「なんで驚かねーんだよ」

「あんたの行動パターンなんかお見通しよ。重いじゃない、さっさとどいて」

「・・・」


聖が不服そうに私の上から退散した。大方私が驚いて悲鳴の一つでも上げるのを期待していたのだろう。おあいにくさま。28歳の女(しかも既婚者)を舐めるんじゃないわよ。


「それより、元婚約者同士ってどういうこと?」


私は髪を整えながら訊ねた。

日記には、聖と婚約解消したなんて話は書いてなかった。書いてあれば見落とさないだろう。


「近々めでたく婚約解消になるってことだよ」

「近々?」

「ああ。さっき親父と大喧嘩してきた。勘当だとさ」


喧嘩・・・勘当・・・。

ああ。聖との婚約が破棄になりそうになったあの時のことだ、きっと。

親子喧嘩の原因は、聖が勝手に大学を辞めたこと。


「大学を辞めたっつったら、ブチ切れられた」


やっぱりね。


「当たり前でしょ。これからどうするのよ」

「1人でなんとかやってくさ」


無理よ。数ヶ月で親に泣きつくことになるわ。

そして私との婚約も復活して、私は伴野のおじ様に押し付けられるようにして聖と結婚したんだから。


「このマンションも親父の会社の持ち物だから、出てけってさ」

「もしかして、このジャングル状態は引っ越し準備のため?」

「そう。欲しいもんがあったら、持ってっていーぞ。次のアパートにはほとんど入んないから」

「いらないわよ」


私は改めて部屋の中を見回した。確かに物で溢れ返っていてぐちゃぐちゃだけど、部屋自体はさすがに高級だし広い。伴野のおじ様が社長を務める伴野建設の中でも、特に良い物件だろう。こんなところで親のお金を使って好き勝手に暮らしていた聖が、狭いアパートで1人で生計を立てるなんて・・・そりゃ無理な話だ。数ヶ月でも持ったのが奇跡に思える。


「なんで大学辞めたの?どうせ元々ロクに通ってなかったんでしょ?」

「・・・お前もあいつと同じこと言うんだな?」

「あいつ?」

「うるさい雌猫めすねこ

「雌猫?」


聖が部屋の隅に山積みにしてある段ボールを組み立て始めた。さすがに見ているだけという訳にもいかず、仕方なく私も手伝う。まるこめ味噌?どっかのスーパーの段ボールかな。引っ越し業者に頼むお金もないんだ。


何故か胸が痛んだ。子供の頃も結婚してからも、人のお金で遊びまくってる聖しか見たことがないからかもしれない。自業自得じゃない。憐れんでやる必要なんてないわ。


床に転がっているヤカンが目に付いた。誰かに貰ったのか、この高級マンションには似つかわしくない随分と古いヤカンだ。

これからは聖の周りにこういう物が増えていくのかな・・・


すると突然、聖がガムテープを切る手を止め、スウッと息を吸ってちょっと甲高い声でペラペラと話し出した。


「親元離れて一人暮らしするって言っても結局は親のマンションに住んでるし、生活費だって親から貰ってるんでしょ?そんなの独立したとは言えないわよね。単に家の『離れ』に住んで好き勝手やってるだけじゃない」


はい?


「大学だって、どうせ行ってないんでしょ?学費だけ親に払わせて、卒業するつもりなんでしょう?劇団の人って普通、もっと苦労してるもんなんじゃないの?あんたみたいな甘甘な坊ちゃんがいるような世界じゃないわよ。いたところで、どうせ一人前にはなれないわ。さっさと家に戻って、大人しく伴野建設で働いたら?」

「・・・ぷっ」


私は堪えきれず大爆笑した。


「それ、その雌猫って子が言ったの?」

「そう。あんまりムカついたから、一字一句忘れらんねーよ」

「あははは」

「でも、ムカつくけど雌猫の言う通りだ。俺は甘いと思う。だから、1人でやってみようって思ったんだ」

「・・・そう」


聖は床のヤカンを持ち上げると、組みあがった段ボールにそっと入れた。なんだかそれは絵になる光景だった。

ヤカンはこのマンションには似合わない。そして聖も似合わない。

聖はこんな整備された小綺麗な場所で飼い慣らされてるのなんて、似合わない。


「その雌猫さん、聖のこと好きなんじゃない?」

「お。やっぱり?桜子もそう思うか?」

「うん。聖のこと、よく分かってるみたいじゃない」

「だよなー。だったら素直に好きって言えばいいのに。ひん曲がった奴だぜ」

「なによ。聖もまんざらじゃなさそうね」

「まさか」


ビッとガムテープを延ばし、段ボールに蓋をする聖。

実家も地位もお金も婚約者も全てを失ったはずなのに、その後姿はとても楽しげだ。まるでこれから始まる何にも縛られない生活を夢見るかのように。


その生活には一体何が聖を待っているんだろう?

演劇はもちろんだ。お金を作らなくてはいけないからアルバイトもしないといけないだろう。


他には?



チリンチリン・・・



頭の中で小さな鈴の音がする。

ちょっとツンとした黒い雌猫が、首につけた金の鈴を鳴らしながら私の目の前をサッとよぎったように思えた。






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