第2部 第3話
「シズちゃん、私がノエルとどんな約束したか知ってるの?」
「あれだけノロケて話されたら、忘れたくても忘れられません」
シズちゃんは方向転換して私の机に向かった。
そしてその上に置かれた、ある「不思議な物」を手に取った。
ミッキーマウスの絵が描かれた缶だ。大きさからして、クッキーか何かの空き缶みたいだけど、私は今まで一度もミッキーマウスなるものに実際にお目にかかったことがない。
興味ないのだから仕方ないんだけど、それ故にどうしてそんな「不思議な物」が私の机の上に置いてあるのか分からない。
・・・もしかして。
私、ノエルと一緒にディズニーランドに行ったんだろうか。
ふと、軽い嫉妬を覚えた。1年3ヶ月の間、ノエルと一緒に過ごしていた「私」に対して。
一体「私」はノエルとどんな時間を過ごしてきたんだろう。
私もそれを味わいたかった。
ノエルと一緒にいたかった。
シズちゃんがミッキーマウスの缶を手に、床に座り込んでいる私の所へ戻ってきた。
そして本をどけて私の横に座り、缶をパカッと開く。
そこには・・・なんだかよく分からないものが色々入っていた。
一番多いのは紙類。それに何かの景品なのか、売り物にならないような簡単なおもちゃ。
他にもごちゃこちゃした物がたくさんある。子供のおもちゃ箱みたいだ。
私はその中の紙を一枚取り出した。開いてみると、レシートだ。
学校の近くのファミレスの物で、日付は「今」から1年ほど前。
ポテト、ソーセージ、チーズの盛り合わせ、サラダ、ドリンクバー2つ・・・
もしかして。これ、ノエルとの思い出の物を入れている箱?
よく見ると景品らしきおもちゃはファーストフードのお店の物だ。
きっと私はノエルとこのファーストフード店で何かを食べて、その時貰った景品をここに入れていたのだろう。
それにしてもレシートまで取ってるなんて・・・
痛すぎるぞ、「私」。
1人で赤面していると、私の「痛い」行動に慣れているらしいシズちゃんが、缶を漁り始めた。
「えーっと。これじゃないなあ。あ、これこれ。ほら、日付が桜子さんの誕生日になってる」
そう言ってシズちゃんが私に渡してくれたのは、映画のチケットの半券だった。
日付は確かに私の誕生日である3月19日。
西暦も、一瞬分からなかったけど、私が高校2年生の年だ。
高1の時にもノエルは映画の前売り券をくれた。
どうやら私の誕生日に映画のチケットをプレゼントするのが2人の間の決まりになっているらしい。
そして私は高校2年の誕生日にノエルと一緒に映画を見に行って、何かの約束をしたんだ。
「それ見ても、思い出しません?」
シズちゃんが訊ねる。
だけど私にはさっぱり記憶がなくて、正直に首を横に振ると、シズちゃんは何故かちょっと本気で怒った。
「桜子さんが強引に月島君と約束したんでしょ?どうしてそれを忘れちゃうんですか!」
「う、うん・・・ごめん」
「謝るなら、私じゃなくて月島君に謝ってください」
「はい・・・」
ごもっともだ。
すると今度は、シズちゃんは床に散らばった本を漁り始めた。
なんだかシズちゃんは色々知っているらしい。それはつまり、私がそれだけシズちゃんを信頼して色々話したということなのだろう。
「あった、あった。はい、桜子さん。これを読んで思い出してください」
「え?」
シズちゃんに手渡されたのは、2冊の単行本だった。
1冊は赤いブックカバー、もう1冊は青いブックカバー。どちらのカバーにも同じタイトルが書かれてある。
2冊を交互にパラパラとめくると、私が最も苦手な恋愛系の小説だということが分かった。赤い方は女の視点で、青い方は男の視点で書かれている。
「私、この本の映画を見に行ったの?」
「そんなことも覚えてないんですか?桜子さんがこの本を大好きで、『興味ない』って言う月島君を強引に映画館に引っ張ってったんじゃないですか」
「え?私が?」
「そうですよ」
私が恋愛小説を好んで読んでたなんて・・・
恋愛って人間をこんなにも変えるんだ。
私はシズちゃんに「だけど受験勉強もちゃんとしてくださいよ」と釘を刺されながらも、徹夜の覚悟で小説を読み始めた。
青の本を閉じた時には、やっぱりもう太陽は完全に顔を出していた。赤の方はだいぶ前に読み終わっている。単行本とは言え、一気に2冊読むのはさすがに疲れた。だけど眠さは感じない。それほど夢中になれた。本の内容自体も面白かったけど、何より主人公の境遇が今の私と似ていて共感できた。
別れた男女が再会するまでの物語。
2人は二十歳の頃、別れる前に「彼女の30歳の誕生日にイタリアのフィレンツェで会おう」という約束をする。
そしてそれが実現するのだ。
じゃあ、私がノエルとした約束って・・・
「思い出しました?」
いつの間にかシズちゃんが起きてきて、目を擦りながら私の横に立っていた。
私は椅子に腰掛けたままシズちゃんを見上げた。
「私の誕生日にどこかで会おうってこと?」
「そうです。その映画を見て桜子さんは『私たちもこんな約束しようよ』って月島君に言ったんです。付き合ってても別れてても、いつか約束の場所で会おうって。ま、映画と違って『5年後の私の誕生日に自由の女神の前で』っていう約束だったみたいですけど」
「自由の女神?」
「はい。本物ですよ。ニューヨークの自由の女神。映画を見た後に行ったお台場で自由の女神を見た桜子さんが『一度本物を見たいから、場所はニューヨークの自由の女神にしよう』って決めたんです。月島君はそういうロマンチックなのが苦手で嫌がってたみたいですけど、最終的には『いいよ』って言ってくれたって嬉しそうに桜子さん話してました」
シズちゃんはとても丁寧に説明してくれた。
まるで、私が何も知らない「第3者」だというのを分かっているかのように。
「シズちゃん・・・」
「昨日寝る前にベッドの中で考えたんです。月島君との約束をあんなに嬉しそうに話してた桜子さんが、それを忘れちゃうなんてことあるのかなって」
「・・・」
「桜子さん。桜子さん、ですよね?記憶がないんですか?」
「・・・うん」
シズちゃんは私と目線の高さが同じになるように跪き、私の目を見た。
驚いている様子はない。
「やっぱり。記憶喪失?」
「違うの。どうしてか分からないけど、私、勝手に意識だけ時間を越えちゃうの。これが夢でなければね」
シズちゃんは表情を崩さず、じっと私の話を聞いた。私がこんな冗談を言わないことをよく分かってくれているのだろう。
「本当の私は28歳。でも目が覚めたら高校1年生に戻ってた。前の私はノエルと付き合ったことなんてなかったけど、『戻って』から付き合い始めたの」
「もしかして、それからまた時間を越えたんですか?」
「うん。目が覚めたら昨日の昼で、私は何故か校庭でノエルと別れ話をしてた」
ここでシズちゃんは初めて驚いた。
「別れ話!?どうして!?」
「分からないの・・・しかも私から言い出したみたいで」
「月島君は了解したんですか?」
「うん。でも私が、やっぱり別れたくないって言ったら『約束を実現できたらやり直そう』って」
「それって、5年後の桜子さんの誕生日にニューヨークの自由の女神の前で会えたら、ってことですよね」
「多分そうだと思う。・・・あ」
「どうしたんですか?」
いけない。大事なことを忘れてた。5年後の私の誕生日ということは、私の22歳の誕生日だ。
それはつまり。
私が結婚した2ヵ月後ということだ。