第1話 春の訪れと燕
山桜香子は、玄関の前で燕の巣立ちを見守る。
「香子、可愛らしい燕が旅立とうとしているわよ」
家族の声で、彼女は玄関に立ち、頭上を見上げる。
春が過ぎ去って季節は移り替わり、夏になる頃合い。
町々に立つ木の葉は、薄い緑色を身に纏っている。
けれども、まだ肌寒い季節が多かった。
今年のツバメは巣立ちが早い気がすると思いながら、香子は家の中に戻り、自分の部屋を整理する。
それは、嫁入りの準備をするためだ。
掃除や整頓をしながらこれまでの思い出を思い起こしていると、仕事を終えた父親が帰ってきた。
「ただいま。家で変わった事はなかったかい?」
その声に、香子の家族たちがそれぞれこたえる。
父親は、金融関係の仕事についていて、そこそこの立場にいる。
しかし家の中では仕事の話はしない人間だ。
寡黙で口を開く事は少ないが、家庭の事をないがしろにしているわけではない。
香子の父親は、香子に黒いかんざしを渡す。
「そうだ。これをおまえに渡そう」
嫁入りを控えた香子のために、専門の職人に作ってもらったのだと言った。
香子は心の底から感謝して、そのかんざしを受け取った。




