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最後の授業

作者: 闇男

## 第一章 新しい学校


春の陽射しが桜並木を照らす四月。私、田中雄一は、新任教師として聖ヶ丘中学校の門をくぐった。二十八歳になったばかりの私にとって、これが初めての正式な教師としての赴任だった。


聖ヶ丘中学校は、地方の小さな町にある創立五十年を超える歴史ある学校だった。校舎は古いが手入れが行き届いており、どこか懐かしい雰囲気を漂わせていた。しかし、なぜか校舎の裏手だけは雑草が生い茂り、人の気配がないように見えた。


職員室で挨拶を済ませた後、私は担任を任されることになった2年B組の教室へ向かった。廊下を歩いていると、生徒たちのざわめきが聞こえてきた。


「新しい先生、若いね」

「でも、あの教室大丈夫かな...」

「しっ、聞こえるよ」


生徒たちが何やら気にかけているようだったが、初日の緊張もあり、深く考えることはなかった。


教室に入ると、三十人ほどの生徒たちが私を見つめていた。どの顔も幼さが残っているが、なぜか一様に大人びた表情をしていた。まるで何かを知っているかのような、そんな目つきだった。


「おはようございます。今日から2年B組の担任をさせていただく田中雄一です。一緒に頑張りましょう」


私がそう挨拶すると、生徒たちは静かに拍手をした。その拍手は、なぜかとても重く感じられた。


授業が始まると、生徒たちは非常に真面目に取り組んだ。しかし、授業中に窓の外を見る生徒が多いことに気がついた。彼らの視線の先には、校舎の裏手があった。


「あの、みなさん。窓の外に何か気になることでもありますか?」


私がそう尋ねると、クラスの中でも特に聡明そうな女子生徒、佐藤美咲が手を挙げた。


「先生、あそこは行っちゃダメなところなんです」


「どうしてですか?」


美咲は周りの生徒たちと目を見交わした後、小さな声で答えた。


「前の先生が言ってたんです。校舎の裏は危険だから、絶対に近づいてはいけないって」


前の先生というのは、私の前任者のことだろう。急に転任することになったと聞いていたが、詳しい理由は聞かされていなかった。


昼休みになると、私は職員室で先輩教師の山田先生に尋ねてみた。


「山田先生、校舎の裏について生徒たちが何か気にしているようなのですが...」


山田先生は四十代後半の国語教師で、この学校に二十年以上勤めているベテランだった。私の質問を聞くと、彼の表情が一瞬曇った。


「ああ、そのことですか。確かに校舎の裏は少し危険なんです。古い校舎の基礎が崩れているところがあって、生徒たちには近づかないよう指導しているんです」


山田先生の説明は理にかなっていたが、なぜか心の奥で違和感が残った。もし単純に建物の危険性の問題なら、なぜ生徒たちはあのような不安そうな表情をするのだろうか。


午後の授業でも、生徒たちの様子は変わらなかった。特に、窓際の席に座っている男子生徒、田村健太は頻繁に外を見ていた。


「田村君、授業に集中してください」


私が注意すると、健太は慌てて前を向いたが、その表情には明らかな恐怖が浮かんでいた。


放課後、生徒たちが帰った後、私は一人で校舎の裏を見に行くことにした。職員室で作業をしている先生方に気づかれないよう、そっと校舎を出た。


校舎の裏手に回ると、確かに雑草が生い茂り、人が立ち入らない雰囲気が漂っていた。しかし、山田先生が言っていたような建物の損傷は見当たらなかった。むしろ、校舎の壁面はしっかりとしており、特に危険な箇所は見つからなかった。


代わりに私が発見したのは、校舎の裏の壁に描かれた奇妙な落書きだった。それは血のような赤い色で描かれており、文字とも絵ともつかない不可解な模様だった。近づいて見ると、それは確実に最近描かれたものではなく、何年も前から存在しているように見えた。


落書きの下の地面を見ると、土が不自然に盛り上がっている箇所があった。まるで何かが埋められているかのような形状だった。


その時、背後から足音が聞こえてきた。振り返ると、校舎の角から校長先生が現れた。


「田中先生、こんなところで何をしているのですか?」


校長の岡田先生は六十代前半の温厚そうな人物だったが、今の彼の表情は普段とは違って険しかった。


「すみません、校長先生。生徒たちが校舎の裏を気にしているようだったので、どのような危険があるのか確認しに来ました」


「そうですか...」校長先生は複雑な表情を浮かべた。「田中先生、こちらの方にはあまり近づかない方がよろしいでしょう。古い学校ですから、いろいろと...問題もあるのです」


校長先生の言葉には、明らかに何かを隠しているニュアンスが含まれていた。


「何か問題があるのでしたら、新任の私にも教えていただけませんか?生徒の安全に関わることでしたら」


校長先生は少し考えた後、深いため息をついた。


「...田中先生、明日の放課後、私の部屋にいらしてください。少しお話ししたいことがあります」


その夜、私は自宅のアパートで一人、今日見た奇妙な落書きのことを考えていた。血のような赤い色で描かれた模様は、どう見ても普通の落書きではなかった。何か意味があるに違いない。


翌日も授業は普通に進行したが、生徒たちの様子は相変わらずだった。特に健太は、授業中も落ち着きがなく、頻繁に窓の外を気にしていた。


昼休みに、私は健太を呼び止めた。


「田村君、何か心配事でもあるのですか?」


健太は困ったような表情を浮かべた。


「先生...校舎の裏、見に行ったでしょう?」


私は驚いた。まさか生徒に見られていたとは思わなかった。


「どうしてそれを?」


「昨日の放課後、窓から見えたんです。先生が校舎の裏にいるのが...」健太は声を落とした。「先生、あそこには近づかない方がいいです」


「なぜですか?」


健太は周りを見回した後、小さな声で言った。


「あそこで...人が死んだから」


私の背筋に冷たいものが走った。


「それは本当ですか?」


「僕も直接は知りません。でも、上級生から聞いたんです。数年前に...」健太の声はさらに小さくなった。「先生が一人、あそこで死んだって」


放課後、約束通り校長室を訪れた。校長先生は重い表情で私を迎えた。


「田中先生、座ってください」


校長先生は机の引き出しから一つの茶封筒を取り出した。


「これは、あなたの前任者である鈴木先生が残していったものです。彼は急に辞任したのですが、その理由がこれに関係しています」


私は封筒を受け取った。中には数枚の写真と、手書きのメモが入っていた。


写真を見ると、それは校舎の裏の様子を撮影したものだった。しかし、私が昨日見た現在の状況とは明らかに違っていた。写真の中の地面には、明らかに人為的に掘り返された跡があり、その中から何かが発見されたかのような状況が写っていた。


メモには震えたような文字でこう書かれていた。


「校舎裏の土の中から発見。警察には通報していない。校長先生と相談の結果、秘匿することに決定。しかし、もう限界。生徒たちも気づき始めている。私にはこれ以上隠し続けることはできない」


私は校長先生を見つめた。


「これは...何を意味しているのですか?」


校長先生は深いため息をついた。


「田中先生、あなたに全てを話す時が来たようです」


## 第二章 隠された真実


校長先生は立ち上がり、窓の方へ歩いて行った。夕方の陽射しが彼の後ろ姿を照らしていたが、その影は長く、重苦しく見えた。


「七年前のことです」校長先生が口を開いた。「この学校に山本という教師がいました。彼は理科を教えており、生徒たちからも信頼されていました」


私は息を呑んで聞いていた。


「山本先生は非常に熱心な教師で、放課後も遅くまで学校に残って実験の準備をしたり、生徒の指導をしたりしていました。しかし、ある日を境に、彼の様子が変わったのです」


「どのように変わったのですか?」


「非常に神経質になり、いつも何かに怯えているような状態になりました。特に、校舎の裏を異常に気にするようになったのです」


校長先生は振り返り、私を見つめた。


「ある雨の夜、山本先生は校舎に残って作業をしていました。翌朝、彼は校舎の裏で死体となって発見されたのです」


私の血が凍った。


「死因は何だったのですか?」


「表向きは、急性心不全とされました。しかし...」校長先生は言葉を詰まらせた。「彼の死に方には不自然な点が多くありました。まず、なぜ雨の夜に校舎の裏にいたのか。そして、彼の体には説明のつかない外傷がありました」


「外傷?」


「首に圧迫された跡があったのです。まるで誰かに絞められたような...しかし、警察の検視では自然死として処理されました」


私は鈴木先生のメモを見返した。


「では、このメモにある『発見』というのは...」


「山本先生の死から数年後、当時2年生だった生徒が授業中に体調を崩し、校舎の裏で休んでいた時のことです。その生徒が偶然、土の中から何かを発見したのです」


校長先生は再び座り込んだ。


「それは山本先生の日記でした。防水性の袋に入れられて埋められていました。その日記には...恐ろしいことが書かれていました」


私は身を乗り出した。


「どのような内容だったのですか?」


校長先生は震える手で、机の引き出しからもう一つの封筒を取り出した。


「これが、その日記のコピーです。鈴木先生が作成したものです」


私は日記を受け取った。ページをめくると、山本先生の几帳面な字で書かれた文章が現れた。


「4月15日 今日、3年A組の授業中に奇妙なことがあった。生徒の一人、松田君が突然立ち上がり、『先生、後ろに誰かいます』と言った。振り返ったが、誰もいなかった」


「4月20日 また同じことが起きた。今度は別の生徒だった。『黒板の後ろに人影が見える』と言う。私には何も見えない」


「4月25日 生徒たちが口々に言う。『教室に知らない人がいる』『誰かがずっと見ている』私は疲れているのかもしれない」


「5月3日 生徒の証言が一致し始めた。みんな同じ人物を見ているようだ。中年の男性で、古い学校の制服を着ている。顔は見えないが、ずっと教室の後ろに立っているという」


「5月10日 私も見た。確かに教室の後ろに人影があった。しかし、近づくと消えてしまう。これは何なのだろうか」


日記はここで一旦途切れ、次のページには大きく乱れた字で書かれていた。


「5月15日 真実を知ってしまった。この学校には隠された歴史がある。五十年前の創立当時、建設工事中に事故があったのだ。作業員の一人が建物の下敷きになって死亡した。しかし、その事実は隠蔽され、遺体は校舎の基礎の下に埋められたままになっている」


私は息を呑んだ。


「この話は本当なのですか?」


校長先生は重い表情で頷いた。


「山本先生はその後、独自に調査を始めました。古い資料を調べ、当時の関係者に話を聞いて回ったのです。そして、ついに真実を突き止めてしまった」


日記は続いていた。


「5月20日 今日、建設会社の元作業員と会った。彼は当時のことを覚えていた。事故で死んだ作業員は佐々木という名前だった。家族もなく、身元引受人もいなかった。会社は事故の責任を問われることを恐れ、遺体をそのまま基礎の下に埋めてしまったという」


「5月25日 佐々木さんの魂が安らかに眠れるよう、何かしてあげたい。しかし、今更このことを公にすれば、学校は大混乱になる。どうすればいいのだろうか」


「6月1日 生徒たちの様子がさらにおかしくなった。授業中に突然泣き出す子が出始めた。『誰かが助けてと言っている』『苦しそうな声が聞こえる』という」


「6月5日 私はもう限界だ。この状況を放置することはできない。佐々木さんの霊を成仏させる方法を探さなければならない」


「6月10日 霊媒師に相談した。彼女は学校を見た瞬間、『ここには深い恨みを持った霊がいる』と言った。供養するためには、まず遺体を適切に埋葬する必要があるという」


「6月15日 決意した。校舎の基礎を掘り、佐々木さんの遺骨を探し出す。そして、きちんとした供養をしてあげるのだ」


日記はここで突然終わっていた。


「山本先生は本当に校舎の基礎を掘ったのですか?」私は聞いた。


校長先生は頷いた。


「彼は夜中に一人で作業を始めました。数日かけて、校舎の裏の基礎の一部を掘り返したのです。そして...」


「遺骨を見つけたのですね」


「はい。五十年前の作業服を着た男性の遺骨が発見されました。まさに日記に書かれていた通りでした」


私は写真を見返した。確かに、人骨らしきものが写っていた。


「しかし、その直後に山本先生は死んでしまったのです。遺骨を発見した翌日に」


「それは偶然ではないのでは?」


校長先生は暗い表情を浮かべた。


「山本先生の日記には最後のページに、震える字でこう書かれていました。『佐々木さんを見つけた。しかし、彼は安らかに眠ることを望んでいない。彼は怒っている。五十年間、誰にも気づかれず、忘れ去られていたことに』」


私は背筋が凍った。


「そして、その下にこう続いていました。『彼は復讐を望んでいる。この学校に関わった全ての人に対して』」


校長室は静寂に包まれた。外では夕方の鐘が鳴っていたが、その音も遠く感じられた。


「校長先生、山本先生の死は本当に自然死だったのでしょうか?」


校長先生は長い間沈黙した後、小さな声で答えた。


「真実は分かりません。しかし、彼の体に残されていた首の圧迫痕は、人間の手によるものとは思えない大きさでした。まるで...巨大な手で掴まれたような痕跡だったのです」


## 第三章 蘇る悪夢


その夜、私は自宅で山本先生の日記を何度も読み返していた。五十年前に隠蔽された死亡事故、そして現在も校舎の基礎の下に眠る佐々木という男性の遺骨。これらの事実は、もはや単なる噂話ではなく、確実に存在する現実だった。


翌朝、学校に向かう道すがら、私は改めて聖ヶ丘中学校の外観を見つめた。一見すると普通の学校建物だが、その基礎の下に人骨が埋まっているとなると、全く違って見えてくる。


生徒たちが登校してくる様子を見ていると、彼らの多くが校舎の裏を避けるように歩いていることに気がついた。まるで本能的に危険を察知しているかのようだった。


2年B組の教室に入ると、いつもより生徒たちの表情が暗く見えた。特に健太は顔色が悪く、目の下にクマができていた。


「田村君、体調は大丈夫ですか?」


私が声をかけると、健太は振り返った。


「先生...昨夜、変な夢を見たんです」


「どのような夢ですか?」


健太は周りを見回した後、小さな声で答えた。


「校舎の裏で、誰かが土を掘っている夢です。その人は顔が見えなくて、ずっと『助けて』って言いながら掘り続けているんです」


私は驚いた。健太は山本先生の行動について知らないはずなのに、まるでその様子を見ていたかのような夢を見ていた。


「他にも同じような夢を見た人はいませんか?」


私がクラス全体に問いかけると、数人の生徒が手を挙げた。美咲もその一人だった。


「私も見ました。でも、私の夢では、土の中から手が出てきて、私を引きずり込もうとするんです」


他の生徒たちも次々と似たような夢の話をし始めた。共通しているのは、全て校舎の裏が舞台で、何者かが土を掘ったり、土の中から何かが現れたりする内容だった。


一時間目の授業を始めようとした時、突然教室の後ろから生徒の悲鳴が聞こえた。振り返ると、後ろの席に座っていた男子生徒の一人が、椅子から転げ落ちていた。


「どうしたんですか?」


私が駆け寄ると、その生徒は震え声で答えた。


「後ろに...後ろに人がいました」


クラス全体がざわめき始めた。私は教室の後ろを見たが、誰もいなかった。


「どのような人でしたか?」


「作業服を着た男の人です。顔は見えませんでしたが、とても怒っているような感じでした」


私の心臓が激しく鼓動した。それは山本先生の日記に書かれていた佐々木の特徴と一致していた。


授業を続けることは困難だったため、私は生徒たちを保健室に連れて行くことにした。しかし、廊下を歩いている最中に、また別の生徒が立ち止まった。


「先生、あそこ...」


生徒が指差した方向を見ると、校舎の裏に面した窓があった。その窓ガラスに、確かに人影のようなものが映っていた。しかし、それは反射や影ではなく、まるでガラスの向こう側に誰かが立っているかのような鮮明な人影だった。


「みんな、こちらを見ないで、真っ直ぐ保健室に向かいましょう」


私は生徒たちを急かして廊下を歩いた。しかし、後ろを振り返ると、人影はまだそこにあり、今度は私たちの方を向いているように見えた。


保健室で養護の先生に事情を説明し、体調不良を訴えた生徒たちを休ませた後、私は急いで職員室に向かった。


「山田先生、少しお時間をいただけませんか?」


山田先生は私の深刻な表情を見て、会議室に案内してくれた。


「実は、昨日校長先生から、この学校の過去について聞かされました」私は山田先生に事情を説明した。


山田先生は深いため息をついた。


「ついに、あなたにも話すことになりましたか」


「山田先生もご存知だったのですね」


「私は山本先生とは同僚でした。彼の変化を間近で見ていましたから」山田先生は窓の外を見つめた。「山本先生が亡くなった後、私たちは皆で口裏を合わせて、この件を隠すことにしたのです」


「なぜですか?」


「学校の存続に関わる問題だからです。もしこの事実が公になれば、学校は閉鎖に追い込まれ、生徒たちの教育を受ける権利が奪われてしまう」


「しかし、このまま隠し続けることはできないのではないでしょうか?今日だけでも、複数の生徒が異常な体験をしています」


山田先生は暗い表情を浮かべた。


「実は、山本先生の死後、定期的にこのような現象が起きているのです。特に新学期の頃に頻発します」


「なぜ新学期に?」


「新しい生徒や教師が来ると、佐々木さんの霊が反応するのかもしれません。特に、校舎の裏に興味を示した人に対しては」


私は自分のことを思い返した。確かに私は校舎の裏を調べに行き、その後からクラスの生徒たちに異変が起き始めていた。


「他の先生方はどう対処しているのですか?」


「基本的には見て見ぬふりです。数日から数週間程度で現象は収まることが多いので、それまで耐えるしかありません」


「しかし、生徒たちの安全は?」


山田先生は重い沈黙を保った後、小さな声で答えた。


「これまでに、山本先生以外の死者は出ていません。しかし...」


「しかし?」


「数年前に一人、転校していった生徒がいます。彼は佐々木さんの霊に非常に敏感で、毎日のように異常な体験をしていました。最終的に、精神的に不安定になってしまい、転校を余儀なくされました」


私は愕然とした。この学校では、定期的に生徒たちが超常現象に苦しめられ、教師たちはそれを隠蔽しているのだ。


「田中先生」山田先生が私を見つめた。「あなたは新任ですから、まだ他の学校に転任する機会があります。もし望むなら、校長先生に相談して、転任の手続きを進めることもできます」


「逃げろということですか?」


「責任を感じる必要はありません。これは、あなたが来る前から存在していた問題なのですから」


しかし、私はクラスの生徒たちの顔を思い浮かべていた。健太や美咲をはじめ、みんな真面目で純粋な子供たちだった。彼らを危険な状況に置いたまま逃げ出すことなど、できるはずがなかった。


「山田先生、山本先生は佐々木さんの遺骨を発見した後、どうするつもりだったのでしょうか?」


「彼は適切な埋葬をしてあげたいと言っていました。しかし、その機会を得る前に亡くなってしまった」


「では、もし私たちがその遺骨を適切に埋葬すれば、現象は収まるのでしょうか?」


山田先生は驚いた表情を浮かべた。


「それは...危険すぎます。山本先生の二の舞になる可能性があります」


「しかし、このままでは生徒たちが危険です。今日だけでも複数の生徒が異常な体験をしました。日に日に現象が激しくなっているように思えます」


山田先生は長い間考え込んだ後、重い声で言った。


「もしその道を選ぶなら、一人では絶対に行動しないでください。そして、十分な準備が必要です」


放課後、私は再び校舎の裏を訪れた。今度は、山本先生が掘り返したという場所を詳しく調べるためだった。


現在は土で埋め戻されているが、よく見ると確かに不自然に盛り上がった部分があった。その周囲には、山本先生が残したであろう作業の痕跡も残っていた。


私がそこに膝をついて土を触っていると、突然冷たい風が吹いた。辺りは無風だったにも関わらず、私の周りだけに強い風が吹き抜けたのだ。


そして、その風と共に、かすかに声が聞こえた。


「助けて...」


私は慌てて立ち上がった。しかし、周囲には誰もいなかった。


「助けて...五十年間...」


今度ははっきりと聞こえた。それは中年男性の苦しそうな声だった。


私は周囲を見回したが、声の主は見つからなかった。しかし、校舎の裏の壁に描かれた赤い落書きが、夕日に照らされて血のように見えていた。


その時、校舎の窓から誰かがこちらを見ているのに気がついた。3階の教室の窓に、人影がはっきりと見えていた。それは確実に人間の形をしていたが、なぜか顔の部分だけが黒く見えなかった。


人影と私の視線が合った瞬間、激しい寒気が全身を襲った。まるで氷水の中に落とされたような感覚だった。


私は急いでその場を離れることにした。しかし、校舎の正面に回ると、そこには健太が一人で立っていた。


「田村君、どうしてここに?」


健太は私を見ると、安堵の表情を浮かべた。


「先生...僕、なぜかここに来てしまったんです。家に帰ろうと思ったのに、気がついたら学校にいました」


これは明らかに異常だった。生徒が無意識のうちに学校に戻ってくるなど、普通ではありえない。


「田村君、今すぐ家に帰りましょう。お家の人に連絡しますから」


私は健太と一緒に学校を離れたが、振り返ると校舎の複数の窓に人影が見えていた。まるで私たちを見送っているかのように。


## 第四章 深まる恐怖


健太を家まで送り届けた帰り道、私は深刻な問題に直面していることを改めて実感していた。現象は確実に激化しており、生徒たちの身に危険が迫っている可能性があった。


その夜、私は山本先生の日記を再度詳しく読み返した。そして、見落としていた重要な情報を発見した。


日記の最後のページに、小さな字で書かれた文章があった。


「佐々木さんの怒りを鎮めるためには、単なる埋葬では不十分かもしれない。霊媒師が言うには、彼の死が隠蔽されたという事実そのものが、彼の魂を縛り付けているという。真実を明らかにし、公式に謝罪することが必要かもしれない」


私は考え込んだ。もし山本先生の推測が正しければ、佐々木さんの霊を成仏させるためには、五十年前の事故の真実を公にする必要があるということになる。しかし、それは学校の存続に関わる重大な問題だった。


翌朝、学校に着くと、職員室が騒然としていた。夜勤の警備員から、夜中に校舎内で異常な現象があったという報告が入ったのだ。


「田中先生、おはようございます」校長先生が私に近づいてきた。「実は、昨夜のことでお話ししたいことがあります」


校長室で、私は警備員の報告書を見せてもらった。


「午前2時頃、校舎の3階から足音が聞こえました。確認に向かうと、廊下に濡れた足跡がありました。しかし、建物内に侵入者はおらず、すべての窓と扉は施錠されていました」


「濡れた足跡?」


「はい。まるで雨に濡れた靴で歩いたような跡でした。しかし、昨夜は雨は降っていませんでした」


校長先生は続けた。


「さらに、理科室では実験器具が勝手に動いているような音がしたそうです。警備員が確認に行くと、器具は元の位置にありましたが、床に水滴が落ちていました」


私は山本先生の専門が理科だったことを思い出した。


「校長先生、これらの現象は山本先生と関係があるのでしょうか?」


校長先生は重い表情を浮かべた。


「山本先生の死後、定期的にこのような現象が起きています。特に理科室での異常現象が多いのです」


その時、職員室から慌てた様子の山田先生が駆け込んできた。


「校長先生、大変です。2年B組の生徒数名が、登校途中に倒れたという連絡が入りました」


私の血の気が引いた。


「誰ですか?どの生徒が?」


「田村健太君、佐藤美咲さん、それから他に2名です。皆、同じような症状で、突然意識を失ったそうです」


私は急いで病院に向かった。生徒たちは既に意識を取り戻していたが、全員が同じ証言をしていた。


「登校中に、知らない男の人に声をかけられました」健太が説明した。「その人は作業服を着ていて、『学校まで一緒に行こう』と言ったんです」


美咲も同様の証言をした。


「でも、その人の顔がよく見えなくて...まるでぼやけているような感じでした。一緒に歩いていると、だんだん気分が悪くなって」


医師の診断では、4人とも身体的には異常がなかった。しかし、全員が極度の疲労状態にあり、まるで長時間走り続けた後のような状態だったという。


病院から学校に戻る途中、私は決意を固めた。この状況を放置することはできない。生徒たちの安全を守るためには、根本的な解決が必要だった。


学校に戻ると、他のクラスでも似たような現象が報告されていた。特に校舎の裏に面した教室では、授業中に生徒たちが窓の外を気にして集中できない状態が続いていた。


放課後、私は校長先生と山田先生を呼んで緊急会議を開いた。


「現状では、生徒たちの安全を確保することができません。根本的な解決策を実行する必要があります」


校長先生は困惑した表情を浮かべた。


「田中先生、何か具体的な案があるのですか?」


「佐々木さんの遺骨を適切に埋葬し、同時に五十年前の事故について公式に謝罪することです」


校長先生と山田先生は顔を見合わせた。


「しかし、それは学校の存続に関わる問題です」校長先生が言った。


「生徒たちの安全と学校の存続、どちらが重要でしょうか?」私は強い口調で言った。「今日だけでも4人の生徒が倒れました。明日はもっと深刻な事態になるかもしれません」


山田先生が口を開いた。


「田中先生の言う通りです。私たちは教育者として、生徒たちの安全を最優先に考えなければなりません」


校長先生は長い間沈黙した後、深いため息をついた。


「分かりました。しかし、慎重に進める必要があります。まず、佐々木さんの遺族がいるかどうか調べてみましょう」


その夜、私は一人で校舎の裏に向かった。懐中電灯を持参し、山本先生が掘り返した場所を再度調べることにしたのだ。


土を少し掘り返すと、すぐに硬いものに当たった。それは確実に人骨だった。私は慎重に土を除け、遺骨を露出させた。


古い作業服の残骸と共に、ほぼ完全な人骨が現れた。頭蓋骨には明らかに外傷の跡があり、重い物の下敷きになって死亡したことが推測できた。


その時、私の背後で足音が聞こえた。振り返ると、校舎の影から人影が現れた。


それは中年の男性で、古い作業服を着ていた。顔ははっきりと見えたが、その表情は深い悲しみと怒りに満ちていた。


「ありがとう...」


その男性が口を開いた。声は風の音のように微かだったが、確実に聞こえた。


「五十年間...誰も...気づいてくれなかった...」


私は恐怖を感じながらも、その場に留まった。


「あなたが佐々木さんですね」


男性は頷いた。


「私は...ここに...埋められて...忘れ去られた...」


「今、私たちがあなたを適切に埋葬します。そして、あなたの死について真実を明らかにします」


佐々木さんの霊は少し穏やかな表情になった。


「山本先生も...同じことを言った...しかし...」


「山本先生に何があったのですか?」


佐々木さんの表情が再び暗くなった。


「彼を殺したのは...私ではない...」


私は驚いた。


「では、誰が?」


「この土地に...眠る...もう一つの怒り...」


その瞬間、校舎の窓という窓に明かりが灯った。しかし、それは電気の明かりではなく、青白い不気味な光だった。そして、その光の中に、無数の人影が見えた。


「ここには...佐々木だけでは...ない...」


霊の声が続いた。


「建設の時...他にも...死んだ者がいる...」


私は背筋が凍った。つまり、この学校の基礎の下には、佐々木さん以外にも遺骨が埋まっているということなのか。


「全部で...何人ですか?」


「わからない...私が見えるのは...三人...いや...四人...」


校舎からの青白い光がさらに強くなり、人影がはっきりと見えるようになった。それらは皆、古い作業服を着た男性たちで、建設現場で働いていた労働者たちのようだった。


「彼らも...適切に...埋葬されていない...だから...怒っている...」


私は理解した。山本先生が殺されたのは、佐々木さんの霊によるものではなく、他の怒れる霊たちの仕業だったのだ。そして、それらの霊たちは、自分たちの存在が明らかになることを恐れ、山本先生を殺害したのかもしれない。


「先生...危険だ...早く...逃げて...」


佐々木さんが警告した瞬間、校舎の中から激しい音が響いた。まるで何かが壁を叩いているような音だった。


私は急いで遺骨を土で覆い隠し、その場を離れた。しかし、背後からは複数の足音が聞こえていた。振り返ると、校舎から数体の人影が現れ、私を追いかけてくるのが見えた。


私は必死に走った。学校の門をくぐり、街灯のある道路まで出ると、ようやく足音が止んだ。振り返ると、校舎は再び静かな暗闇に包まれていた。


しかし、私には分かっていた。これは始まりに過ぎないということが。明日から、さらに深刻な事態が学校を襲うことになるだろう。


## 第五章 隠された墓場


自宅に戻った私は、今夜の体験について詳しく記録した。佐々木さんの霊から得た情報は衝撃的だった。学校の基礎の下には、複数の遺体が埋められている可能性があるのだ。


翌朝、私は早めに学校に到着し、古い資料を調べることにした。図書室と校長室の資料庫で、学校建設当時の記録を探した。


そして、ついに重要な資料を発見した。それは昭和45年、つまり五十年前の建設会社の内部文書のコピーだった。なぜこのような機密文書が学校に保管されているのかは不明だったが、そこには衝撃的な事実が記されていた。


「聖ヶ丘中学校建設工事において、以下の事故が発生した。

- 4月15日:基礎工事中に作業員佐々木一郎が重機の下敷きとなり死亡

- 4月20日:電気工事中に作業員田中次郎が感電死

- 4月25日:足場崩壊により作業員山田三郎が墜落死

- 5月2日:土砂崩れにより作業員鈴木四郎が生き埋めとなり死亡」


文書はさらに続いていた。


「上記事故について、遺族への補償金支払いと引き換えに、事故の事実を公表しないことで合意。遺体については、建設現場にそのまま埋葬し、工事を継続することとする」


私は愕然とした。つまり、学校の基礎の下には4人もの遺体が埋められているのだ。そして、これらの死亡事故は全て隠蔽され、公式記録には残されていない。


さらに文書の最後には、こう記されていた。


「将来的に問題が発生した場合の対処法については、別途取り決めを行う。工事関係者は本件について一切の口外を禁じる」


私は慌てて校長室に向かった。校長先生はまだ出勤していなかったが、山田先生が早出で来ていた。


「山田先生、大変な発見をしました」


私は文書を見せながら説明した。山田先生の顔は見る見るうちに青ざめていった。


「まさか...4人も...」


「この文書をご存知でしたか?」


山田先生は首を振った。


「全く知りませんでした。山本先生も、佐々木さんのことしか言っていませんでした」


「つまり、山本先生も他の3人の存在については知らなかったということですね」


「そういうことになります。それで、彼が佐々木さんだけを供養しようとした時に、他の霊たちが怒って...」


私たちの推測が正しければ、山本先生は他の霊たちによって殺害されたということになる。彼らは自分たちの存在が無視されることに怒り、山本先生に復讐したのだ。


「山田先生、これらの遺骨を全て適切に埋葬する必要があります」


山田先生は複雑な表情を浮かべた。


「しかし、4人もの遺骨を掘り起こすとなると、大掛かりな作業になります。学校を休校にしなければならないでしょう」


その時、校長先生が出勤してきた。私たちは急いで事情を説明した。


校長先生は文書を見ると、椅子に座り込んだ。


「こんなことが...なぜ私は知らされていなかったのでしょうか」


「校長先生もご存知なかったのですね」


「全く知りませんでした。私が着任したのは十年前ですが、前任の校長からもこのような話は聞いていません」


つまり、この事実は建設当時の関係者のみが知っており、その後の学校関係者には一切伝えられていなかったのだ。


その時、職員室から慌てた声が聞こえてきた。


「校長先生、大変です!」


若い女性教師が駆け込んできた。


「生徒たちが登校拒否を始めています。昨日倒れた4人の保護者から、学校に何か異常があるのではないかという問い合わせが相次いでいます」


校長先生は頭を抱えた。


「この状況では、もう隠し通すことはできませんね」


私は立ち上がった。


「校長先生、全てを公表しましょう。そして、4人の霊を適切に供養するのです」


「しかし、そうなれば学校は確実に閉鎖になります」


「生徒たちの安全が最優先です。それに、真実を隠し続けていては、現象は収まらないでしょう」


山田先生も頷いた。


「田中先生の言う通りです。私たちは教育者として、正しい判断をしなければなりません」


校長先生は長い間考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。


「分かりました。教育委員会に連絡し、緊急会議を開いてもらいましょう」


しかし、その日の午後、事態はさらに深刻化した。数人の生徒が授業中に集団で体調不良を訴え、保健室に運ばれたのだ。彼らは皆、同じ症状を示していた。高熱、幻覚、そして「誰かが助けを求めている」という訴えだった。


さらに深刻だったのは、体調不良を訴えた生徒たちが口々に同じことを言ったことだった。


「4人の男の人が、私たちを呼んでいる」

「みんな古い服を着ていて、とても悲しそう」

「『忘れないで』って言っている」


医師の診断では、物理的な病気ではなく、強いストレスによる症状だと判断された。しかし、複数の生徒が同時に同じ幻覚を見るなど、医学的には説明がつかなかった。


夕方、保護者たちが学校に集まり、緊急保護者会が開かれた。私は校長先生と共に、可能な限りの事実を説明した。


ただし、五十年前の事故については、まだ教育委員会との協議が済んでいないため、詳細は話すことができなかった。しかし、学校で異常現象が起きており、生徒たちの安全を確保するために調査を行っていることは伝えた。


保護者たちの反応は様々だった。科学的な説明を求める人、学校の責任を追及する人、そして一部には、昔からこの土地に伝わる怪奇現象を知っている人もいた。


特に印象的だったのは、地元で長年暮らしている高齢の保護者の証言だった。


「実は、この学校が建設される前から、この土地では不可解な現象が報告されていました。夜中に作業服を着た男性たちが歩いているのを見たという話もありました」


「それはいつ頃からですか?」私は質問した。


「もう五十年以上前からです。学校建設の時期と重なりますね」


この証言により、現象が学校建設と密接に関係していることがさらに明確になった。


保護者会の終了後、私は一人で校舎に残った。今夜こそ、4人の霊たちと直接対話し、彼らの要求を聞く必要があった。


午後11時頃、私は再び校舎の裏に向かった。今度は山本先生の日記を持参し、霊たちとの交渉に備えた。


月の光がない暗い夜だったが、校舎の裏に着くと、そこは不思議な青白い光に包まれていた。そして、4人の霊が私を待っていた。


佐々木さんは前回と同じ姿だったが、他の3人の霊は初めて見る顔だった。皆、建設作業員の服装をしており、それぞれ異なる死因を物語る外傷を負っていた。


「あなたたちが、田中さん、山田さん、鈴木さんですね」


私が声をかけると、4人の霊は静かに頷いた。


「私たちのことを...知っているのか」佐々木さんが代表して話した。


「はい。五十年前の建設事故の記録を見つけました」


霊たちの表情が少し和らいだ。


「ようやく...誰かが...真実を知ってくれた」


「あなたたちは何を望んでいるのですか?」


4人の霊は顔を見合わせた後、佐々木さんが答えた。


「適切な埋葬...そして...謝罪...私たちは...人として扱われなかった...」


「それは必ず実現します。しかし、生徒たちへの現象を止めてもらえませんか?彼らは無関係です」


霊たちの表情が暗くなった。


「私たちも...望んでいない...しかし...怒りが...制御できない...」


「山本先生を殺したのは、あなたたちですか?」


霊たちは苦しそうな表情を浮かべた。


「彼は...良い人だった...しかし...私たちの一人だけを...助けようとした...不公平だと...感じてしまった...」


つまり、山本先生の死は、霊たちの嫉妬と怒りによるものだったのだ。


「もし私たちが4人全員を同時に供養すれば、現象は止まりますか?」


「分からない...五十年間の怒りは...簡単には...消えない...」


私は深刻な状況に直面していることを理解した。単純な供養だけでは、問題は解決しない可能性があった。


「では、どうすれば怒りを鎮めることができますか?」


佐々木さんは他の霊たちと何かを相談するような素振りを見せた後、答えた。


「真実を...世に知らしめること...私たちの死が...無駄ではなかったことを...証明すること...」


「具体的には?」


「建設会社の責任を...追及すること...そして...安全を軽視した...体制を変えること...」


私は理解した。霊たちは単なる供養ではなく、社会正義の実現を求めているのだ。


しかし、その時、校舎の中から新たな音が聞こえてきた。それは子供たちの泣き声のようだった。


「あれは何ですか?」


霊たちの表情が一変した。


「新しい霊だ...最近...現れた...」


「新しい霊?」


「山本先生の...霊だ...彼も...私たちと同じように...怒っている...」


私は戦慄した。つまり、山本先生の霊も加わって、現在5人の怒れる霊がこの学校に存在しているということなのか。


「山本先生の怒りの原因は何ですか?」


「真実を隠蔽されたこと...そして...一人で死んでいったこと...」


校舎からの泣き声がさらに大きくなった。それは確実に大人の男性の声だった。


「明日...また...生徒たちが...被害を受ける...」


霊たちの警告は現実のものとなった。翌朝、学校に到着すると、多数の生徒が登校しておらず、出席した生徒たちも皆、恐怖に怯えた表情をしていた。


そして、ついに決定的な事件が発生した。2年A組の授業中に、生徒の一人が突然窓から飛び降りようとしたのだ。幸い教師が阻止したため大事には至らなかったが、その生徒は「男の人に呼ばれた」と証言していた。


この事件を受けて、教育委員会は緊急決定を下した。聖ヶ丘中学校の一時閉鎖である。


## 第六章 最後の授業


学校閉鎖の決定により、生徒たちは他の学校に一時的に転校することになった。しかし、問題の根本的解決には至っていなかった。


教育委員会の調査チームが派遣され、五十年前の建設事故について本格的な調査が開始された。同時に、校舎の基礎部分の発掘作業も予定されていた。


しかし、作業開始の前夜、私は一つの重要な決断を下した。5人の霊たちと最後の対話を行い、彼らの魂を安らかに導く方法を見つけるのだ。


午前零時、私は一人で学校に向かった。校舎は既に電気も止められており、完全な暗闇に包まれていた。しかし、私が校門に近づくと、校舎全体が青白い光に包まれているのが見えた。


職員室に入ると、そこには山本先生の霊が座っていた。生前と同じ姿だったが、その表情は深い悲しみに満ちていた。


「山本先生...」


山本先生の霊は私を見ると、静かに立ち上がった。


「田中先生...あなたも...私と同じ道を...歩もうとしているのですね」


「いえ、違います。私は生徒たちを救うために来ました」


「生徒たち...」山本先生の霊は苦しそうな表情を浮かべた。「私も...彼らを守ろうとした...しかし...結果的に...危険にさらしてしまった」


「山本先生、あなたの死は無駄ではありませんでした。あなたが残した記録により、私たちは真実を知ることができました」


山本先生の霊は少し和らいだ表情を見せた。


「そう...ですか...」


「今夜、他の4人の霊たちと話し合い、全てを解決したいと思います」


山本先生の霊は私を見つめた。


「危険です...彼らの怒りは...私が思っていた以上に...深いのです」


「それでも、やらなければなりません」


私は校舎の裏に向かった。山本先生の霊も後を追ってきた。


校舎の裏では、4人の建設作業員の霊が待っていた。今夜の彼らは、これまで以上に鮮明に見えた。まるで生きている人間のようだった。


「田中先生...」佐々木さんが口を開いた。「今夜が...最後の夜になります」


「どういう意味ですか?」


「明日から...発掘作業が始まる...私たちの遺骨が...発見される...」


「それは良いことではないですか?適切に埋葬されるのですから」


4人の霊は顔を見合わせた。


「私たちは...もう...成仏したくない...」


私は驚いた。


「なぜですか?」


「五十年間...怒り続けてきた...それが...私たちの存在理由になってしまった...」


つまり、霊たちは怒りそのものに依存してしまい、それを手放すことを恐れているのだ。


「しかし、そのままでは、あなたたちも苦しみ続けることになります」


「構わない...私たちの苦しみを...多くの人に知ってもらいたい...」


この時、私は重要なことに気がついた。霊たちが本当に求めているのは、復讐ではなく、理解なのだ。


「分かりました。私が約束します。あなたたちの物語を多くの人に伝えます。五十年前に何が起きたのか、なぜあなたたちが苦しんでいるのか、全てを記録に残します」


霊たちの表情が変わった。


「本当に...ですか?」


「はい。ただし、条件があります。生徒たちに害を与えるのを止めてください」


4人の霊は長い間相談した後、佐々木さんが代表して答えた。


「分かりました...しかし...私たちだけでは...決められません...」


佐々木さんは山本先生の霊を見つめた。


「山本先生の...決断が必要です...」


私は山本先生の霊を振り返った。


「山本先生、あなたはどう思いますか?」


山本先生の霊は深く考え込んだ後、口を開いた。


「田中先生...最後に...お願いがあります...」


「何でしょうか?」


「明日...発掘作業が始まる前に...最後の授業を...させてください...」


「最後の授業?」


「はい...この5人で...真実を語る授業を...そして...それを記録に残してください...」


私は理解した。山本先生は教師として、最後に自分の使命を果たしたいのだ。


「分かりました。準備します」


翌朝、私は教育委員会に特別な申請を行った。発掘作業の前に、学校の記録として重要な証言を収録したいという理由だった。


午後、特別な許可を得て、私は一台のビデオカメラを持って学校に戻った。霊たちとの約束を果たすためだった。


夕方6時、校舎の中で最後の授業が始まった。


5人の霊たちが、それぞれの体験を語り始めた。佐々木さんは建設現場での労働条件について、田中さんは安全設備の不備について、山田さんは労働者の権利について、鈴木さんは事故隠蔽の実態について。


そして山本先生は、教師として感じた責任について語った。


「私は生徒たちを守ろうとしました。しかし、一人では何もできませんでした。真実を知ることの重要さ、そして声を上げることの大切さを、多くの人に知ってもらいたいのです」


この授業は3時間続いた。5人の霊たちが、五十年間抱え続けてきた思いを全て吐き出した。


授業の最後に、山本先生が言った。


「これで、私たちの使命は終わりました。田中先生、後はあなたにお任せします」


霊たちは一人ずつ、静かに消えていった。最後に残った山本先生が、私に向かって深く頭を下げた。


「ありがとうございました...」


そして、彼も光の中に消えていった。


翌日、発掘作業により4人の遺骨が発見された。作業員たちは、遺骨の状態の良さに驚いていた。まるで昨日埋められたかのような状態だったという。


その後、遺骨は適切に火葬され、市営墓地に埋葬された。葬儀には、遺族の方々も参列し、五十年越しの別れを告げることができた。


私が記録した最後の授業の映像は、労働安全や企業責任を考える重要な資料として、多くの人に視聴された。また、この事件を契機として、建設業界の安全基準が大幅に見直されることになった。


聖ヶ丘中学校は一年間の閉鎖の後、新しい校舎として再建された。私も新しい学校で教鞭を取ることになった。


現在、旧校舎があった場所には小さな慰霊碑が建てられている。そこには5人の名前が刻まれており、「真実を伝える勇気を忘れずに」という言葉が添えられている。


私は今でも時々、その慰霊碑を訪れる。そして、5人の霊たちが最後に見せてくれた、安らかな表情を思い出すのだ。


教育とは何か、真実とは何か。この体験を通じて、私は多くのことを学んだ。そして今、新しい生徒たちに向かって、その教訓を伝え続けている。


時には、困難な真実に向き合う勇気が必要なこと。

声なき声に耳を傾けることの大切さ。

そして、一人一人の命の重さについて。


私たちが受けた最後の授業は、まさにこれらのことを教えてくれた、人生で最も重要な授業だったのかもしれない。


校舎の裏に隠された事件現場は、もうそこにはない。しかし、そこから学んだ教訓は、永遠に私たちの心の中に生き続けている。

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