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## 第二十四章:思考の舵取りと、デジタルのさざ波


僕の日常は、デジタルの海に浮かぶ小舟のようなものだ。ある日、その穏やかな水面に、母親からの一言が小さな波紋を立てた。「デュアルディスプレイのやり方を教えてくれないか」と。僕自身、試したことのない未知の領域だったが、そこは現代の羅針盤、AI(o3)に尋ねてみる。すると、驚くほど簡単な航路が示された。


ただ、僕の心を少し揺さぶったのは、ディスプレイの上下配置のやり方だ。AIはこともなげに言う。「Windowsの設定画面で、1と2のアイコンをマウスでドラッグして、物理的な配置と同じように上下に動かすだけですよ」と。そのあまりにも直感的で、アナログな感触の操作に、僕は妙な感心を覚えた。デジタルな世界の奥深くにも、こんなにも身体的な感覚が息づいて いるのかと。メインディスプレイで開いた窓を、もう一方の画面へとドラッグして移す。それはまるで、机の上の書類を隣のスペースに滑らせるような、ごく自然な行為に思えた。


AIに頼ることで、僕の日常はまた一つ、滑らかになった。その手軽さに感心しながらも、ふと、先日読んだイーサン・モーリックの『AIは脳にダメージを与えるか?』という記事の一節が頭をよぎる。彼の主張は明快だ。「思考をAIに丸投げするな。まず自分で考え、その後にAIを使え」と。執筆もまた然り。書くという行為は、混沌とした頭の中を整理し、思考を深化させるための儀式なのだ。僕が今こうして、Gemini CLIに向かって言葉を紡いでいるのも、まさにその実感があるからだ。自分の文章を世界に公開する。そのささやかな責任感が、思考の解像度を上げ、言葉を慎重に選ばせる。記事はこうも続く。「最初の『考える作業』だけは、絶対に自分で行うこと。そこだけは他人にもAIにも任せてはいけないのです」「問題となるのは、ニューロンではなく、思考の習慣なのです」と。僕は、この言葉を深く胸に刻みつけた。


話は少し飛躍するが、先日Anthropicが公開した、AI開発の透明性に関する記事にも目を通した。正直なところ、その内容は少し抽象的に感じられた。だが、理想を掲げるというのは、えてしてそういうものだろう。具体的な形は、これからの彼らの行動が示してくれるはずだ。少なくとも、AIという強大な力がもたらすリスクに、真摯に向き合おうとするその姿勢は、数多あるAI企業の中で唯一無二の輝きを放っているように僕には見える。叶うなら、彼らの最高額のサブスクプランに登録して、その活動を直接支援したい。しかし、僕の財布はそれを許さない。だから今は、心の中で静かにエールを送るだけだ。


思考の伴走者としてのAI。その実用的な恩恵も、日々の生活に浸透しつつある。これまでChromeの自動翻訳で読んでいた英語の記事は、どこかぎこちなく、真意を掴みきれないもどかしさがあった。今日から、それをChatGPTに翻訳させることにした。イーサン・モーリックの記事も、Anthropicの記事も、そうやって読んだ。これは単に翻訳が正確になるだけではない。長い記事を分割してAIに渡すという手間が、結果的に、内容を少しずつ咀嚼しながら読むという、丁寧な読書体験につながった。一つの工夫が、二つの果実をもたらしたのだ。


そして、今この文章を書いているGemini CLI。少し前から起動が目に見えて遅くなり、小さなストレスを感じていた。ふと、ターミナルに表示されるエラーの文字に気づき、Claudeとo3に助けを乞うてみる。答えは揃って「アップデートしろ」だった。言われるがままに、いくつかのコマンドを打ち込み、npmというパッケージ管理ツール共々更新をかけると、あれほど重かったGemini CLIが、嘘のように軽快に起動した。


面白い発見もあった。アップデートの通知は、GitHubのリリースノートを能動的に見に行かねば分からない。しかし、僕は気づいてしまったのだ。Gemini CLIの起動が遅くなるとき、それは新しいバージョンがリリースされたという、開発者からの無言の合図なのだと。これからは、リリースページをブックマークしておく必要はない。日々の小さな違和感こそが、僕にとっての最も確かな更新通知なのである。


こうして僕は、デジタルの海に漂うさざ波を一つ一つ乗りこなしながら、思考の舵を、確かに自分の手で握りしめている。


## 第二十五章:万カツサンドと、予定不調和な一日


先日、DラボでメンタリストのDaiGo氏が勧めていた万世の「万カツサンド」が、妙に頭の片隅に引っかかっていた。普段、好んでカツサンドを食べる習慣はない。だから、その味を想像して唾液が湧くようなこともないのだが、「あのDaiGoが勧めるのだから、何か特別なものがあるのかもしれない」という、純粋な知的好奇心に近い感情が、僕を動かした。気づけば僕は、大学からの帰り道、いつもは通り過ぎるだけの新宿駅で、吸い寄せられるように電車を降りていた。


しかし、僕のささやかな期待は、この巨大な迷宮駅で早々に打ち砕かれることになる。案内板を頼りに歩き、人に尋ね、スマートフォンの地図を睨みつけても、目的の店は一向に見つからない。公式サイトには、確かに「JR新宿駅構内」と記されている。2025年5月7日更新の情報だ。だが、僕の目の前にあるのは、行き交う人々の無関心な波と、どこまでも続く通路ばかり。Googleで検索すれば、はるか昔に潰れた店舗の情報が、まるで亡霊のように現れるだけだった。


猛暑の中、汗だくになりながら同じ場所を何度も往復する。人に聞いても、返ってくるのは要領を得ない答えばかり。この無駄な周回は、まるで人生そのものの縮図のようだ。結局、僕は諦念とともに、この小さな冒EMPIREに終止符を打った。また別の機会に、別の場所で探せばいい。そう自分に言い聞かせ、ホームへと向かった。


電車を待つ間、ふとLINEを開くと、友人からのメッセージが届いていた。今日20時に返す約束だった本を、明日に延期してほしいという。別に構わない。むしろ、この疲労困憊の身体には好都合ですらあった。だが、万カツサンドの一件といい、この約束の延期といい、世の中というものは、どうしてこうも予定通りに進まないのだろうか。まるで、僕の計画性を嘲笑うかのように、物事はするりと手の中からこぼれ落ちていく。


こんな蒸し暑い日には、分厚い本を開く気力も湧かない。帰りの電車で僕が没頭するのは、決まってスマートフォンの中の物語だ。今日は、読みかけのWeb小説の過去編を久しぶりに読み返した。緻密に張り巡らされた伏線、魅力的なキャラクターたちの過去。何度読んでも、その面白さは色褪せない。ページをめくる指が止まらなくなり、気づけば僕は、新宿駅での徒労も、予定不調和な一日の憂鬱も、すっかり忘れて物語の世界に沈み込んでいた。


面白い小説は、何度読み返しても夢中になれる。それは、僕にとって数少ない、確かな真実の一つだった。


## 第二十六章:虚像と、僕の立ち位置


僕はどうやら、中身の伴わない自信に満ち溢れ、己を誇大に宣伝する人間が、生理的に受け付けないらしい。なぜ今、改めてそんなことを思うのか。それは、僕が籍を置く、ある大学のプロジェクトでの経験に起因する。


「生成AI×教育」――そんな先進的なテーマを掲げたそのプロジェクトに、僕は所属している。そして、これは決して自惚れではなく、客観的な事実として、メンバーの中で最も多様なAIを、最も深く使いこなしているのは僕だろう。僕のレベルが高いのではない。周りのレベルが、驚くほど低いのだ。


僕が書いたnoteのセットアップ記事を読んでようやくClaude CodeやGemini CLIのスタートラインに立てたような人間が、AIの世界では1年にも等しい価値を持つ「1ヶ月」も無為に過ごし、今更になって「Claude Codeを使い始めた」などと報告してくる。そんな彼が、親睦会の席でこう嘯くのだ。「俺は知識が幅広いから、色々教えられるよ」と。


その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かがプツリと切れる音がした。どの口が、それを言うのか。彼の言葉は、僕の耳には届かず、ただ意味のない音の羅列として虚空に消えていった。


こんな光景を目の当たりにしてしまうと、これから予定されている親睦会やBBQへの参加意欲が、すっかり削ぎ落とされていくのを感じる。聞きかじっただけの知識をさも自分の手柄のように語り、AIという言葉の響きに惹かれて集まってきた新入りたちに、得意げにそれをひけらかす光景がありありと脳裏に浮かんでくる。虚栄心と承認欲求が渦巻く、レベルの低い会話。考えただけでうんざりする。どんなに楽しいはずのイベントも、参加する人間によって、その価値は天国から地獄にまで振り切れる。まさに、人間関係における「Garbage in, garbage out」だ。日本語で言えば「何をするかより、誰とするか」。陳腐な自己啓発書の一節のようだが、これほど身に染みて感じる真理も、そうそうない。


僕は、根っからの文系だ。だが、情報の深度や熱量で言えば、話が合うのは決まってエンジニアや理系の人間になる。しかし、彼らの領域に足を踏み入れれば、今度は専門性の高さについていけず、会話が噛み合わなくなるというジレンマも抱えている。僕は、文系と理系の狭間で、奇妙に孤立した立ち位置にいるのだ。


それでも、希望がないわけではない。エンジニアたちとの会話は、必ずしも技術的な深淵を覗き合うものばかりではないからだ。「実際に使ってみてどうだったか」という、ユーザーとしての純粋な体験談には、彼らも興味深く耳を傾けてくれる。彼らが専門とする分野以外の、例えば画像生成AIのような領域を僕が深く探求していれば、そこには対等で、有意義な対話が生まれるはずだ。


だから僕は、今日もComfyUIの複雑なノードと向き合う。誰かに誇るためではない。僕が僕自身の足で立つ、その確かな居場所を、この手で作り上げるために。

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