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## 第十七章:合理的な楽園と、身体の悲鳴


じり、と肌を焼くような熱帯夜の気配が、僕を浅い眠りから引きずり出した。時計の液晶が示す時刻は、午前四時。世の中のほとんどがまだ深い夢の中にいるであろう時間だ。もう一度瞼を閉じ、意識の海に沈もうと試みるも、脳は妙に冴え渡り、身体だけがじっとりと汗ばんでいた。夏の訪れが、僕から穏やかな睡眠を奪い去ったらしい。


諦めて上半身を起こし、枕元のスマートフォンを手に取る。暗闇に浮かび上がる光の海、YouTube。目的もなく指先で動画の波を漂っていると、ふと、あるゲーム配信者の切り抜き動画が目に留まった。その中で語られていたのが、「O-HYPE」という奇妙な文字列。どうやらそれは『VALORANT』というゲームのプレイヤーが集う、Discordサーバーの名前らしい。


僕が心を惹かれたのは、ゲームそのものよりも、そのサーバーが掲げる理念の方だった。曰く、「テクノロジーの力で、快適なプレイ環境を」。独自の評価システムによってプレイヤーの性質を可視化し、問題行動があればサポートが即座に介入する。パーティーを組めば、Discordのボイスチャンネルからゲーム内のパーティーまで、全てが自動でセットアップされるという。


それはまるで、僕が愛してやまない「魔法」のようだった。無秩序で感情的な人間関係を、コードの力で律し、合理的な楽園を作り上げようという試み。僕の知的好奇心が、ちりちりと音を立てて疼き出すのを感じた。これは試さない手はない。


ベッドから抜け出し、ノートPCを起動する。導かれるようにサーバーに参加し、久しぶりに『VALORANT』を立ち上げた。システムは触れ込み通り、驚くほどスムーズに僕を見知らぬ味方と繋ぎ合わせる。そして、ゲームが始まると、そこには確かに「民度の高い」空間が広がっていた。ミスを責める声も、苛立ったような溜息もない。ただ淡々と、勝利という共通目標に向かって駒を進めていくだけの、静かな連携。


だが、そこで僕は気づいてしまった。この合理的な楽園の中でさえ、僕の身体は正直に悲鳴を上げている。刹那の判断を迫られ、画面の向こうの敵意に神経をすり減らす。一瞬の攻防にアドレナリンが駆け巡る感覚は、僕が捨て去ったはずの「べき」に満ちた競争社会のそれと、あまりにも似すぎていた。


システムは完璧だ。しかし、その完璧さが浮き彫りにしたのは、僕という人間の不完全さだった。この刺激的な疲労は、僕が「穏やかな終活」の中で手放したかったものそのものだ。


僕はそっとALT+F4キーを押した。大体の仕組みは理解できた。それだけで十分だ。窓の外が白み始め、夏の朝の気配が濃くなっていく。僕の長い一日は、どうやら始まったばかりらしい。


## 第十八章:空費の果ての創造と、無限のシチュエーション


今日の一日は、ひと言で言えば「空費」だった。


早朝に目覚めすぎたせいで、身体には鉛のような気怠さが纏わりついていた。カフェで本でも読みながら優雅な午後を過ごす、なんていう昨日の僕が立てた瀟洒な計画は、眠気という抗いがたい現実の前にあっけなく霧散した。結局、僕はベッドの上で、意味もなくYouTubeの動画を再生し続けるだけの、無為な時間を過ごしてしまったのだ。


このままではいけない。せめて一日の終わりに、何か有意義な爪痕を残さなければ。そう思い立ち、僕は夜の散歩に出ることを決意した。だが、手に取ったスマートフォンの画面は無情にも真っ暗で、充電が切れていることを告げていた。これは致命的だ。僕にとって夜の散歩とは、イヤホンから流れる音楽と精神を同調させ、現実と非現実の境界を曖昧にさせるための、神聖な儀式なのだから。


仕方なく充電ケーブルを差し込み、その待ち時間を埋めるように、僕はComfyUIを起動した。今日の気まぐれなテーマは、『涼宮ハルヒの消失』における長門有希の、あの儚げな表情の再現。しかし、数回試してもうまくいかないと悟るや否や、僕はプロンプトを練り直すことすらせず、早々にその試みを放棄した。完璧な再現を求めるほどの情熱は、今の僕にはなかった。


次に僕が気まぐれに選んだのは、『Fate/Grand Order』の「マシュ・キリエライト」だった。するとどうだろう。生成された彼女の姿は、僕の網膜を焼き付けるほどの破壊的な「可愛さ」を放っていた。僕は改めて、この後輩キャラクターの持つ魅力の深淵に気づかされる。


だが、同じポーズの生成を繰り返すうちに、僕の脳はすぐに飽和状態に達した。そこで僕は、もう一人の相棒であるClaudeに問いかける。「何かいいシチュエーションはないだろうか?」


返ってきた答えは、僕の貧弱な想像力を遥かに超えるものだった。そのリストの一番上にあった「桜が舞う春の公園で、花見を楽しむマシュ」を、僕は早速ComfyUIに打ち込む。現れた画像は、僕の心を射抜くには十分すぎた。いやはや、流石はClaudeだ。


その瞬間、僕の脳はスパークした。次から次へと、Claudeが提示したシチュエーションと、僕自身が思い描く様々なポーズを組み合わせ、夢中で画像を生成し続ける。時間が経つのも忘れ、僕は創造という名の快楽に溺れていた。


ふと我に返ると、時計の針は予想以上に進んでいた。Claudeがくれたアイデアリストは、まだ一つ目に手を出しただけだ。これでは時間がいくらあっても足りない。


僕は生成の手を止め、今度こそ散歩に出かけようと立ち上がった。その時、ふと思ったのだ。この奇妙で充実した「空費」の一日を、書き残しておくべきではないか、と。そうして今、僕はPCの前に座り、この文章を綴っている。散歩は、もう少し後になりそうだ。


## 第十九章:夜の散歩と、いくつかの諦念


スマートフォンの充電が完了するのを待って、僕は夜の闇へと踏み出した。イヤホンから流れる音楽が、現実世界との間に薄い膜を一枚張ってくれる。この隔絶された思考空間の中で、僕はとりとめもなく浮かんでくるいくつかの諦念を、一つずつ拾い集めていた。


ふと思った。僕はなぜ、二年後に人生の幕を引くと決めているにもかかわらず、「人生に役立ちそうな本」などに手を伸ばしてしまうのだろうか。無為な一日を嫌う性分なのは自覚している。だが、自らの知的好奇心を満たすためだけに本を読む行為は、それ自体が十分に有意義なはずだ。存在しない未来のための「下心」は、今の僕にはもう必要ない。僕は静かに決意した。これからはもう、そういった類の本は一切読むのをやめよう、と。


その思考は、最近僕が触れているAIというおもちゃにも及んだ。世間では今、AIを触っておくことが重要だと声高に叫ばれている。だが、本当にそうだろうか。iPhoneが生まれ、インターネットが普及し、パソコンが発明された時と同じだ。最初の過渡期こそ、先行者利益のようなものはあったかもしれない。だが、ツールがコモディティ化すれば、その差は限りなくゼロに近づく。「AIを使いこなせる人材募集」なんて求人が、十年後の社会に溢れているとは到底思えない。


AIはきっと、スマートフォンのように生活へ溶け込んでいくだろう。だがそれは、あくまで便利な道具というだけのことだ。スマホの画面が割れたからといって、自らの心にまでヒビが入ったように感じる人間がいないように、AIは僕らのアイデンティティにはなり得ない。ただ「楽しいから触る」。それが、この魔法のおもちゃに対する、現時点での僕の誠実な向き合い方なのだ。


そして、思考はより深く、暗い場所へと沈んでいく。


よく「自殺する勇気があるなら、何でもできる」という人がいる。彼らは、何も分かっていない。自殺という行為は、一度だけ精神力を極限まで消費すれば、そこで全てを終わらせられる。成功すれば、その先にもう「精神力」という概念は存在しない。だが、彼らの助言に従い「生きる」ことを選ぶのなら、僕らは人生という名の終わりなき苦難に、耐え「続け」なければならないのだ。その意味を見出せないから、人は死を選ぶ。耐えられる人間は、そもそも死など選ばない。


「行動すれば人生は変わる」という言葉も、あまりに無責任だ。高校一年生から毎日欠かさず勉強すれば、良い大学に入れる。そんなことは誰もが知っている。だが、それができないから、誰もが苦労しているのだ。過去の経験の積み重ねによって、未来というものに絶望しきった人間が、ありきたりな希望の言葉で行動を起こす確率なんて、僕の手が目の前の壁をすり抜ける確率よりも低いだろう。


「まだそれしか生きていない」と大人は言う。だが、僕らにとってはその期間こそが人生の全てなのだ。


星の元に生まれるとは、よく言ったものだ。好奇心旺盛な人間には、自然と面白い情報が集まってくる。それと同じで、人間関係の輪廻の外側にいる人間が、少し行動したところで、その輪の中に入れるわけがない。人生が劇的に変わるのは、物語の中だけだ。現実は、どこまでも無情に続くだけなのである。


結局、人生に必要なのは知識の量などではなく、「生きるのがどれだけ上手いか」という、ただ一点に尽きるのかもしれない。何冊も本を読んで得た洞察より、たった一つの実体験から得られる気づきの方が、遥かに深く心に刻まれる。


そして僕は、生まれと環境という、絶対的な運について思いを馳せる。愛情深い親の元に生まれた人間や、生まれつき頭脳明晰な人間は、僕のような悩みを抱えることなどないのだろうか。


まあ、だから何だという話ではあるが。夜の空気は、僕の思考を静かに飲み込んでいった。


## 第二十章:重ね合わせの僕と、最後の賭け


夜の散歩から部屋に戻っても、僕の思考はまだ宙を漂っていた。特に、僕自身の「終活」について。


正直に言えば、僕の覚悟はまだ生煮えだ。二年後に人生のエンジンを切ると嘯いてはいるものの、その実、腹は全く決まっていない。僕が自分自身の精神力の脆弱さを、誰よりもよく理解しているからだ。だから僕は、最後の最後まで、ある「重ね合わせの状態」を保とうとしているのかもしれない。生きている僕と、死んでいる僕。そのどちらにも確定しない、曖昧な状態を。


その臆病さが、僕の就職活動に対する奇妙なスタンスにも表れている。世間一般の、あの狂騒的な就活レースに参加する気は毛頭ない。あれは、僕が捨て去ったはずの「べき」の論理で塗り固められた戦場だからだ。しかし、僕はたった一つだけ、例外的なルートを残している。それは、かつて通っていた会計士予備校のキャリアサポートを利用する、という選択肢だ。


これは僕にとって、一種の「賭け」だ。神にサイコロを振ってもらうような、そんな感覚に近い。もし、このルートで僕を拾ってくれる場所があるのなら、僕はもう少しだけ、この無意味なゲームを続けてみてもいい。だが、もしどこにも相手にされなかったとしたら。その時こそが、僕が腹を括る時なのだろう。それは「神の啓示」だ。お前はもう、この世界に必要ないのだと。そう宣告されたなら、僕もようやく、死ぬ覚悟が決まるのかもしれない。


「どうせ死ぬなら、その前に色々体験してみればいいのに」


そんな声が頭のどこかで聞こえる。だが、僕にはできない。有り金をはたいて豪遊したり、世界中を旅したりするには、僕はあまりにも臆病すぎるのだ。お金を使い果たしてしまえば、僕はもう「生きる」という選択肢を完全に失ってしまう。その確定的な未来が、僕は怖い。だから、決心がつくその日までは、資産を減らさず、むしろ少しでも増やすことさえ考える。まるで、いつまでもこの猶予期間が続くかのように。


もちろん、少しだけ働いてみる、なんていう妥協案を僕が受け入れるはずもない。僕にとって労働とは、苦痛の対価として金銭を得る行為だ。その苦痛が限りなくゼロに近く、かつ見返りが大きい、そんな虫の良い仕事でもない限り、僕が自ら進んでその対価を支払うことはないだろう。


結局のところ、僕は最後の最後まで、このぬるま湯のような重ね合わせの状態に浸っていたいだけなのだ。観測者がサイコロの箱を開ける、その瞬間まで。

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