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## 第六十章:惰性の残滓と、劇薬の書
朝から昼過ぎまで、僕はモニターの前で銃を構えていた。『Valorant』という名の、時間を溶かす沼。クリックを繰り返す指先は、勝利を渇望しているようで、その実、ただ惰性の流れに身を任せているだけだった。ふと我に返った時、画面に映っていたのは、無為に過ごした時間の残骸と、ちりちりと胸を焼くような自己嫌悪だ。これは違う。僕が求めているのは、こんな空虚な達成感ではないはずだ。僕は静かにアプリケーションをゴミ箱へドラッグした。もう、この沼に足を取られるのはごめんだ。
午後二時半、僕は逃げるように家を飛び出し、市の図書館へ向かった。しんと静まり返った空間。本の背表紙が並ぶ光景は、それだけで心を落ち着かせてくれる。三時間ほどだっただろうか。僕は書架の一角で見つけた、黒い装丁の本を手に取っていた。『暗黒啓蒙』。その挑発的なタイトルに、知的な好奇心と、少しばかりの危うさを感じながらページをめくった。
案の定、それは劇薬のような書物だった。民主主義を断罪するその論理は、あまりに粗雑で、思わず眉をひそめたくなる。だが、ページを進めるうちに、無視できない棘のような言葉が突き刺さってきた。僕らが自明のものとして受け入れている西洋的な価値観が、いかに宗教的で、何ら合理的な根拠を持たないかという指摘。あるいは、人種間の遺伝的な違いという、誰もが口を閉ざすタブーに、科学のメスを入れるべきだと迫る過激な主張。
もちろん、鵜呑みにはできない。統計学や遺伝学の知識を装った、明らかな誤りが、まるで真理であるかのように語られている箇所も散見された。科学的な作法を知らない者が読めば、この歪んだ事実をそのまま信じ込んでしまうだろう。その危うさには、背筋が少し冷たくなる。それでも、この本は僕の凝り固まった思考を、内側から激しく揺さぶった。安全な場所から石を投げるような、無責任な批評。だが、その石が描く軌道は、間違いなく刺激的で、面白かった。
図書館からの帰り道、僕は時間の使い方について考えていた。Valorantに費やした時間を「無駄だった」と切り捨て、ゼロにする。そんな引き算の思考は、どこか窮屈だ。そうじゃない。僕がすべきなのは、無駄をなくすことではなく、この図書館で過ごしたような、心が満たされる時間を「増やす」ことなのではないか。足し算の考え方だ。
そうだ、これからは読書時間を記録していこう。厳密なものである必要はない。ただ、自分がどれだけ物語や思索の世界に浸っていたか、その大雑把な目盛りを刻んでいくだけだ。それは、僕の穏やかな終活における、新しい道標になるだろう。惰性で失われた時間を取り戻すのではなく、価値ある時間で、僕の一日を満たしていくための、ささやかな、しかし確かな一歩として。




