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## 第四十二章:知的好奇心の羅針盤
電車の中で、ふと指先が虚空を彷徨った。いつもそこにあるはずの、物語への入り口が尽きていた。仕方なく、僕は山内図書館へと足を向けた。まるで導かれるように手に取ったのは、『MONKEY もう一度学ぶお金のしくみ』という一冊。正直、経済というものに苦手意識があった僕にとって、それは小さな挑戦だった。
特にやることもない午後の時間を埋めるため、ドトールコーヒーの席に腰を下ろす。期待せずに開いたその本は、しかし、僕の心を静かに、だが確かに掴んで離さなかった。
「そもそも、お金とは何か?」
その根源的な問いから、物語は始まった。お金が持つ価値、求められる特性、そして現代に至るまでの変遷。それは、無味乾燥な経済学の教科書とは全く違う、一つの壮大な歴史物語だった。無機質な記号だと思っていた「お金」が、まるで生き物のように、時代と共に呼吸し、姿を変えてきた様が、ありありと目に浮かぶようだった。
この本を読み進めるうちに、僕は一つの確信を得た。これまで僕が経済学を敬遠してきたのは、その学び方を間違えていたからなのだと。真正面から、教科書を律儀に読み解こうとすること自体が、僕の性に合っていなかったのだ。
学問とは、誰かが敷いたレールの上を歩くことではない。自らの知的好奇心という羅針盤を頼りに、面白いと感じる本を渉猟し、知の海を自由に航海することなのだ。体系的な学習は、僕のような人間にとっては、むしろ思考の足枷にしかならない。
そんなささやかな満足感を胸に、僕はコーヒー店を後にした。帰路の途中、ふと昨夜いじっていたComfyUIの記憶が蘇る。確か『ComfyUIマスターガイド』に、「Manga Editor」という項目があったはずだ。その瞬間、頭の中で二つのピースがカチリと音を立ててはまった。画像生成AIを使えば、今日僕が心を奪われたような、経済学の難しい概念を、漫画で分かりやすく表現できるのではないか。
昨日まで、何か漫画を描いてみたいと思いつつも、肝心な「描くべき物語」が見つからずにいた。だが、今ならはっきりと描きたいものがある。これをXやInstagramで更新していくのも面白いかもしれない。
新たな知見を得た満足感と、新しい創作への期待感。その二つが混じり合った、心地よい高揚感を抱えたまま、僕は自宅のドアを開けた。
## 第四十三章:錆びついた言葉と、無意識の羅針盤
久しぶりに、AIという杖を置いた。自分の足だけで、言葉の荒野を歩いてみようと思ったのだ。「AIを使うことによる二度手間問題」と題した文章を、noteに綴り始めた。だが、すぐに僕は愕然とすることになる。僕の言葉は、あまりにも拙く、不自由だった。
句読点ばかりが目立つ、まとまりのない文章。一度書き終えて読み返すと、そこには不自然な日本語の残骸が転がっているだけだった。何かがおかしい。でも、どう直せばいいのか分からない。その違和感の前で立ち尽くすことが、一度や二度ではなかった。自分の思考を表現する能力が、著しく錆びついている。その事実に、背筋が冷たくなるような危機感を覚えた。
原因はAIの多用か、それとも最近の読書不足か。どちらにせよ、このままではいけない。僕は本棚の奥から、以前買ったままになっていた『日本語の作文技術』と『大人のための国語ゼミ』を引っ張り出した。まずは、この名著に記された技術を、一つひとつ実践していくことから始めよう。
つい昨日まで、僕は心のどこかでAIを見下していた。自分の方がまだ、言語の運用能力は上だと。だが、今日の執筆でその慢心は木っ端微塵に打ち砕かれた。僕の文章力は、AIのそれよりも遥かに低い。その事実が、恥ずかしさと共に胸に突き刺さった。
そんな自己嫌悪に沈んでいる時、ふと、もう一つの奇妙な変化に気がついた。最近、僕が自然と手に取る本のジャンルが、明らかに政治や経済に偏っているのだ。成人して初めて投票用紙に自分の意思を刻んだ、あの経験。たった一度のその行為が、僕の興味関心という羅針盤の針を、無意識のうちに動かしていたのだろうか。
顕在的な意識ではない。もっと深い、潜在的なレベルでの変化。投票という社会への参加が、これほどまでに自分の内面に影響を与えるとは。
錆びついてしまった言葉を取り戻すための地道な努力と、知らぬ間に新たな方角を指し示していた知的好奇心。僕の「穏やかな終活」は、思いもよらない形で、僕自身を内側から変えようとしているのかもしれない。
## 第四十四章:数字の向こう側と、温めるアイデア
今日は参議院選挙の投票日だった。夜、特にやることもなくテレビをつけると、NHKの開票速報が淡々と数字を映し出している。自公が過半数割れしそうだ、とアナウンサーが少しだけ高い声で伝えた。もし本当に与党が過半数を取れなければ、この国はどんな顔を見せるのだろう。その後の展開を想像すると、確かに面白い。
だが、僕の心は、そのドラマチックな結果そのものよりも、画面の隅に表示される無機質な数字の方に惹きつけられていた。例えば、最近発足したばかりの「チームみらい」。YouTubeでの動画再生数は決して多いとは言えないのに、早々に比例代表で議席を確保している。一体、どれほどの票数が、一人の人間を国会へと送り込むのだろうか。その具体的な数字のラインが、僕は妙に気になった。
そして、全体の投票率もだ。ネット上でも、今回の選挙はこれまでにないほどの盛り上がりを見せていた。与党が大きく傾くかもしれないという状況が、多くの人々の関心を焚きつけたのだろう。僕と同じように、その熱気に後押しされて一票を投じた人も少なくないはずだ。だからこそ、最終的な投票率がどれほど押し上げられたのか、その数字が気になって仕方がない。
どうやら僕は、物語の筋書きよりも、その背景にあるデータや構造の方に、より強く心を動かされるらしい。
その興味は、昨日芽生えたばかりの創作意欲へと直結した。「経済とか、そういう難しいものを分かりやすく整理した教育漫画を作ってみたい」という思いが、むくむくと頭をもたげる。善は急げ、とばかりに僕はパソコンを立ち上げ、昨日見つけた「Manga Editor」を起動した。
しかし、意気込みとは裏腹に、僕の指はすぐに止まった。頭の中にある漠然としたイメージを、具体的なコマ割りとセリフに落とし込む作業は、想像以上に険しい道のりだった。これでは、完成する前に投げ出してしまう。そんな予感が、冷たい霧のように立ち込めてきた。
僕はそっとエディタを閉じた。焦ることはない。このアイデアは、今すぐ形にするにはまだ青すぎる。無理に収穫しようとすれば、きっとその味を損ねてしまうだろう。
これはこれで、僕の「したいことリスト」に加えて、しばらくはじっくりと温めておくことにしよう。僕の穏やかな日々では、すぐに結果を出す必要などないのだから。小さな火種を絶やさぬよう、そっと胸の内にしまっておく。それもまた、一つの楽しみ方なのだ。
## 第四十五章:変わらない世界と、一縷の期待
結局、世界はそう簡単には変わらないらしい。テレビ画面の隅に表示された「与党、過半数確保の見通し」という無機質な文字列を眺めながら、僕は静かに溜め息をついた。胸の奥で何かがゆっくりと冷えていくのを感じる。これから三年、この国の景色は、きっと大きくは変わらないのだろう。そう思うと、次の参議院選挙に足を運ぶ自分の姿が、今はどうにも想像できなかった。
この停滞した空気を振り払うように、僕は唐突に明日の予定を決めた。そうだ、大和市立図書館へ行こう。
以前、ネットの海を漂っている時に偶然見つけた「図書館の街」という言葉。そして、まことしやかに囁かれる「日本一の図書館」という評判。その甘美な響きが、僕の心の隅にずっと引っかかっていたのだ。一体、どんな場所なのだろう。まあ、あの国立国会図書館の、息が詰まるような堅苦しさより酷いということはないだろうが。
そんな、ほんの少しの皮肉と、一縷の期待を胸に抱く。
政治への期待は、一旦脇に置いておこう。どうせ、ここから三年間は彼らの時間なのだから。その間に、どんな政策が生まれ、この国がどう動いていくのか。僕はただ、それを静かに見つめることにする。
そして三年後、また僕が投票用紙を手に取るかどうかは、その時の僕が決めればいい。今はただ、目の前にある「したいこと」に、素直に従うだけだ。