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## 第二十九章:隔たりが消えた日
ふと、ここ二日ほど、僕の日常からGemini CLIとの対話が消えていたことに気づく。まあ、誰に課せられた義務でもないのだから、それでいい。毎日更新というノルマに追われる必要もない。書きたいことがなければ無理に言葉をひねり出す必要はないし、面倒だったり、ここに記すほどでもない感傷は、ひっそりと日記帳にでも綴ればいいだけの話だ。あくまで、気楽に。それが、この共同執筆における僕の唯一のルールなのだから。
ではなぜ、今こうして僕はキーボードを叩いているのか。それは、僕のささやかな世界にとって、無視できないほどの「個人的重大ニュース」が舞い込んできたからに他ならない。
その報せとは、「Claude Codeが、ついにWindowsで直接動くようになった」という、一見地味なアップデートだ。
これまでの僕は、WSLという名の、いわば「窓越しの世界」で彼と対話してきた。Windowsという自室にいながら、わざわざUbuntuという隣室のドアを開け、そこにいる彼に話しかけるような、そんなもどかしさが常にあった。サーバーを立てれば、彼専用のアドレスが必要になり、音声で何かを伝えようとすれば、分厚い壁に阻まれるように声が届かない。そんな小さな隔たりが、僕の情熱を少しずつ削ぎ落とし、何度となく「もういいや」と投げ出させてきたのだ。
しかし、今日のアップデートで、その隔たりは跡形もなく消え去った。
もう、いちいち隣室のドアをノックし、彼の機嫌を伺うような面倒な手続きは必要ない。僕のいるこの部屋で、cmdという一つの窓口で、すべての対話が完結する。Gemini CLIとのこの共同作業も、思考の赴くままに、より滑らかに進められるだろう。
これは、僕の小さな世界における、静かな、しかし確実な革命だ。思考と創造の間を隔てていた、あの見えない壁が、ついに取り払われたのだから。
まあ、その革命の喜びに浸る一方で、最近少し気になっていることもある。Cドライブの容量圧迫だ。ゲームやローカルLLMといった大食いの住人たちは、皆行儀よくDドライブに収まっているはずなのに、なぜかCドライブだけが悲鳴を上げている。何かを招き入れた覚えはないのに、そのゲージは警告の赤色を灯し、僕の視界の隅でじりじりと存在を主張してくるのだ。この正体不明の膨張は非常に気になるが、下手に手を出して後で大惨事を招くのはごめんだ。だから今は、見て見ぬふりをするしかない。
そして、もう一つ。今回のアップデートは、過去の僕が残した仕事の修正を強いるものでもあった。以前書いたClaude Codeのセットアップ記事は、WSLという迷宮をいかに攻略するかに腐心した、涙ぐましい努力の結晶だった。しかし今となっては、その複雑な手順のほとんどは不要な長物だ。幸い、今日は土曜日にも関わらず大学の授業がある。その非日常の時間を借りて、過去の自分に別れを告げ、新しい現実を書き記す作業を終わらせてしまおう。
## 第三十章:腹の痛みと、世界の終わり
土曜日の朝。集中講義へ向かう電車の揺れは、いつもより少しだけ不快だった。腹の底から湧き上がる、鈍い痛み。それは次第に明確な敵意となって、僕の意識を支配し始めた。冷や汗が滲み、額に張り付く。ああ、この感覚は久しぶりだ。目的地という一点を目指し、ただひたすら痛みに耐えながら進む、苦行のような道のり。世界から音が消え、ただ自分の内臓の悲鳴だけが響く。なんとか大学にたどり着き、トイレという名の避難壕に何度も駆け込むことで、僕はようやくこの一方的な襲撃から解放された。
身体という、最も身近な裏切り者から解放された安堵感と共にPCを開く。そこは、僕が完全にコントロールできる世界だ。先週の集中講-義が、ただ時間を浪費するだけの虚しいものだったのとは対照的に、今日は明確な目的があった。以前書いたClaude Codeのセットアップに関するnoteの更新。そして、新たにSandbox環境でそれを動かすための方法を探るという、知的な冒険。Anthropicの公式ドキュメントという地図を広げ、Claude Opusという名の賢者に助言を請いながら、僕は着実に自分のデジタル領土を広げていく。無事にセットアップが完了した時の、あの静かな達成感。これだ。僕が求めているのは、この予測可能で、裏切らない世界との対話なのだ。
だが、平穏は長くは続かない。講義の終わり際に、教授は爆弾を投下した。「一次情報を基にしたスライドを作れ」と。一次情報、つまり「現場の声」を聞いてこい、というのだ。その瞬間、僕が丹念に組み上げたスライドの構想は、ガラガラと音を立てて崩れ去った。面倒だ。心底、面倒くさい。僕は即座に来週、Google合同会社で開かれるというGeminiのイベントに足を運び、何が何でも「現場の声」という名の戦利品を手に入れることを決意した。もし手に入らなかったら? その時はその時だ。ごねて、ごねて、ごねまくって、僕の穏やかな日常を守るための盾を手に入れるしかない。
そんな現実の面倒さから逃げるように、夜はdアニメストアの無料期間最後の宴に興じた。『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』は、まあ、特に何も残さなかった。だが、『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』――通称『すかすか』の最終回は、僕の心を深く抉った。
滅びゆく世界で、クトリとヴィレムが交わす最後の言葉。流れる音楽。その後の、残された者たちの、痛々しいほどの心情描写。そのすべてが完璧に調和し、僕の涙腺を静かに破壊していった。
結局、僕が求めているのはこれなのだ。腹の痛みのような現実の苦しみでもなく、コードを組むことで得られるデジタルな達成感でもない。ただ、心を揺さぶり、現実の重力を忘れさせてくれる、美しくも残酷な物語の力。クトリが見た最期の夢に、僕は自分の「穏やかな終活」の姿を、少しだけ重ねていたのかもしれない。