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B-23

Norwegian wood  

作者: あQ

 僕がリピートして読んだ回数が一番多い本は、村上春樹の「ノルウェイの森」だ。

 高校二年生の時、アメリカから来た若い女の先生が村上春樹が好きで海外でも人気がある、ということを教えてくれた。割りと本を読んでいた僕は興味を持ち、処女作の「風の歌を聴け」を書店で買い、「ノルウェイの森」を仲の良かった学校の図書館の先生に取り寄せてもらい、拝読した。まず「風の歌を聴け」を読んだのだが、何を言わんとしているのか分からなく、情報が肥大していて、正直なところあまり面白いとは思わなかった。取り寄せてもらった「ノルウェイの森」もとても長く、あまり読む気がしなかったが、折角取り寄せてもらったので、また当時、僕はその作家を好きか嫌いかを判断するために、最低二冊はその作家の本を我慢して読もうと決めていたので、尻込みしながらも、「ノルウェイの森(上)」を冬休みの間に読んだ。しかしそれは、ずば抜けて面白かった。僕は小説を読んでこれ程までに感動したためしはなかった。淡々とした文体の中、突然やってくる出来事、あやむやに消されてしまう出来事がかえって読む者に多大な余韻を与え、切なさを感じずにはいられないのだ。

 僕は本を読んでしまうと、それは図書館の本だったため、本屋に急ぎ、買い直した。図書館で借りて、さらに買い直した本は今のところ、この本だけだ。

 その後は、「ノルウェイの森」の主人公がフィッツ・ジェラルドの「グレート・ギャッツビー」を暇な時に適当にページを選んで読むが如く、僕も暇な時に「ノルウェイの森」を楽しんだ。しかし、ある時新聞で「ノルウェイの森」がかつて日本のベストセラー第一位を保持していたことを知り、自分がミーハーで月並みな人間になることを恐れ、その本は本棚の奥に封印されることとなった。


 それから何年かして、僕は大学生になり、女の子と付き合った。バイト仲間の女の子に紹介してもらったコで、顔は普通だったが、優しい面白いコだった。何回かデートを重ね、お互いを分かり合うと、僕等はキスをしたり、軽く身体を愛撫しあった。深い仲になるのは決まって彼女の車の中だった。芳香剤の匂いがセクシャルに感じた。

 「今まで何回くらいの人とエッチしたの?」

 彼女は大概の女がそうであるように、お喋り好きの女の子だった。

 「二、三人かな」

 僕は彼女にバカにされないために、また早く彼女とやれるように見栄を張り、嘘をついた。僕は本当は未経験だった。キスしたり身体を触ったたりするたびに足が震えた。彼女は経験者だった。彼女は性に対してとても積極的だったので、女というものはみんな性に対して大胆なのかと錯覚した。

 初体験は近所の駐車場で、車の中だった。性に積極的と言っても、彼女はバカではなかったから、そう簡単にセックスはさせてくれなかったのだが(彼女は経験者だったから、男の射精後の気怠さを知っていたのだ)、いよいよ自分を本気で好きになり始めたらしく、デートの後、家に帰ろうとする僕に対して、少しでも一緒にいたいから、という理由で簡単に交わらせてくれた。

「ねぇねぇ。私達、別れてもずっと仲の良いままでいよういよ」

 「うん」

 僕はそれも悪くないな、と思った。

 僕は彼女から性体験と女の肌の香りを覚え、彼女はビートルズと村上春樹の「ノルウェイの森」を僕から借りた。女が何かに興味を持つ場合、異性からの影響が大きいものだ。彼女はそれらを気に入ってくれたし、僕も得意になってビートルズの良さを吹聴した。

 彼女とは半年程して別れた。ある時、彼女から掛かってきた電話を僕は煙たく感じてしまい、切ってしまった。彼女の電話にはうんざりしていて、どうでもいいことを熱心に話して、それに答えるのが面倒だったのだ。元々僕は深く彼女を愛していた訳ではなかった。最後に「ひどい…」という一文のメールが届いた。それ以来彼女からは連絡がなかった。

 

それから三ヶ月程して僕は彼女のことを思い出した。村上春樹の「ノルウェイの森」だけまだ返してもらっていなかったので、返して欲しかったのだ。彼女にその旨をメールで伝えると、彼女と会うことになった。何度か約束を引き延ばされたあと、漸く彼女に会った。

 「久しぶり」

 「久しぶりだね」

 彼女の顔は化粧が濃く、表情は曇っていて、怒っているようにも見えた。彼女は本を僕に渡し、何度も長いこと借りていたことを陳謝した。

 「今からどこか行かない?」

 僕は軽く誘ってみた。

 「でも、今度実習の試験があるから、勉強しないと。ごめんね」

 あまりにも冷めた彼女の反応に、僕は以前付き合っていた彼女と、今目の前にいる女のコとは別人のように感じた。

 「そうなんだ。残念だな」

 「また今度ね」

 「うん、分かった」

 「さよなら」

 「じゃあね」

 僕は彼女の去っていく車を意識して見ないように心掛けた。


返ってきた「ノルウェイの森」は下巻の途中で表紙のカバーが栞代わりに挟んであった。そのページは主人公が緑の父を病院で見守るというシーンで、ここら辺で彼女は本に飽きてしまったのだろう。女は何事にも熱しやすく、また、冷めやすくもあるものだ。本は彼女の車の中に長い間放置されていたらしく、中にあった芳香剤の、甘い香りに染まっていた。またそれは、彼女のセクシャルな香りでもあった。

 僕は「ノルウェイの森」を久しぶりに読んでみた。所々カッコつけすぎなシーンがあるにせよ、やはり面白く結局最後まで読んでしまった。やはりいいものはいいのである。それは数や記録でも証明可能なのだ。ビートルズやチャップリン、手塚治虫や黒澤明なんかと同じで。


 僕は彼女にもう一つ嘘をついていた。本当は本を返して欲しかったんじゃなかった。彼女をまた抱きたかったのだ。しかし彼女も気づいていたのだ。最後に逢った彼女は簡単にやらせてはくれなかったから。


 村上春樹のこの小説はおかしなことにビートルズの最高傑作アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴きながら書いたという。このアルバムには「ノルウェイの森」は入っていないのである。

 そう言えば小説中、唯一ビートルズ自身について言及するシーンがある。「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」

 ビートルズの「ノルウェイの森」はジョン・レノンが女性記者と過ごした一夜を基に歌詩が描かれている。ビートルズの曲中では珍しく副題がついている。「This bard has flown」という。

(完)

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