ドワーフのデオドラント①
敏腕社長アルマ・ラウリーンの華麗なる一日は、シャワーから始まる。
「冷たっ!?」
なお節約のため、シャワーは冷水である。春先の今はマシだが、冬場になるとこれが本当に辛い。お湯を湯水のように使える日を夢見ながら(お湯だけに)、彼女は小一時間かけて体を隅々まで洗っていく。
「うぅ~、寒寒っ……」
浴室を出て着替えると、アルマはドライヤーで髪を乾かす。髪に咲いた花を傷つけないよう慎重に梳かした後は、女性社会人のマナーである化粧の時間だ。メイクは不自然すぎないよう、ナチュラルに。鏡で出来栄えを確かめてから、仕上げにお手製の香水をひと振り。これで朝の身支度は完了である。
「よしっ!」
気合を入れ、アルマは隣接する事務室のデスクに向かう。途中で給湯室から、お気に入りの湯呑を持ち出すことも忘れない。こうして窓から朝の街を一望しながら、淹れたてのブレンドティーを味わう……敏腕社長の優雅なひとときである。
「フフフにっっが」
なお節約のため、茶葉は使い回しである。大体10回くらいで味も風味も完全になくなるので、空き地の雑草をブレンドしてお茶を濁す(お茶だけに)。ちなみに今日の一杯は、ドクダミのパンチがヘビー級に効いていた。。
「ヴおぇっ……さ、さーて今日のニュースはっと……」
人には聞かせられない声で悶絶しつつ、アルマは新聞を開いた。敏腕社長たるもの、情勢には常にアンテナを巡らせておかねばならない。このリオネアで商いをするものにとって、半日の情報の遅れは命取りとなるからだ。
「『エリックス製薬、新技術の特許申請へ』、『グリフ自動車工業、Sハイブリッド車の売り上げ好調』。このあたりは要チェックね。えーと、他には……『企業強盗、被害相次ぐ』……ってウチの近所じゃない!? あとで戸締り確認しておかなくっちゃ」
難しい顔をしながらアルマが紙面に目を通していると、不意に事務所のドアが開く音がした。彼女が顔を上げれば、ちょうどもう一人の社員――犬耳と褐色肌が特徴的な少年が外回りから帰還したところだった。
「戻ったぞ」
「おかえりなさい、カヴィル。巡回ご苦労様」
普段通り仏頂面の部下に労いの声をかけ、アルマは新聞を畳んだ。敏腕社長たるもの、社員への心配りを忘れてはならない。こうした一言の積み重ねが、社内との結束を強めるのだ。
「カヴィル。どうやら最近、この近所で強盗が多発しているらしいの」
そしてすかさず、仕入れたばかりの情報を共有する。『報・連・相』は社会人の基本。これは部下から上司のみならず、上司から部下へもまた然り。そして社全体が同じヴィジョンを持つことで、仕事の質が向上する……敏腕社長の持論だ。
「警備担当として、より一層気を引き締めて業務にあたって頂戴」
「ああ、問題ない」
そんな上司の言葉に、少年――カヴィル・ロフは尻尾を一振りして、何気ない調子で返す。
「そいつらがさっきウチに押し入ろうとしてたから、シメて警察に突き出しといた」
「ブフォッ!?」
衝撃の事後報告。敏腕社長の口から噴き出したお茶が、虹のアーチを描いた。
「げほっ、ゴホッ……ちょっとぉ!?」
アルマはむせながら、涙目で部下を睨む。鼻から逆流したお茶が垂れており、凄みは全くない。
「そういう大事なことはすぐ報告してって前から言ってるわよね!? ホウレンソウよホウレンソウ!!」
「しただろ、今。あとそれ、昨日の新聞だぞ」
「え゛っ!?」
ギョッと目を見開いたアルマが新聞を確認すれば、確かに紙面の右上には昨日の日付が印刷されていた。思わず頭を抱える彼女に、カヴィルは「ほら」ポストから回収したばかりの新聞をデスクに置いた。
「はぁ……なんだか朝から、ガクっと来たわ」
「そうか。大変だな」
「誰のせいよ誰の!? まったくもう……」
ぷりぷりと怒りつつ、アルマはティッシュで鼻をかむ。手の中でそれを丸めると、華麗なフォームでゴミ箱へと放る。普通に外した。
「まぁでも……よくやったわ、カヴィル」
椅子から立ち上がったアルマは床に転がったティッシュを捨て直しながら、無愛想な部下に笑いかける。
「お手柄ね。それでこそ、私の部下よ」
「ん。まぁな」
そう返したカヴィルの尻尾が、得意げに揺れる。そのまま応接用ソファに腰を下ろすと「それで」と、彼は金色の瞳を上司へと向けた。
「このあとはどうする? ちなみに今日は、10時からドカヤスマートでタイムセールだ。モヤシ2袋で15レブらしいぞ」
「なんですって!? こうしちゃいられないわ、何としてでも6袋は確保を……って違う!」
思わず飛び出た発言を訂正すると、アルマはカヴィルに宣言した。
「今日の予定はオールキャンセル! 仕事よ、新しい依頼がきたの!」
「へぇ、珍しいな」
社長の言葉に、カヴィルは意外そうに呟いた。
アルマが立ち上げた『フレグランス&フレーバー社』――通称フレフレ社の業務内容は、一言で言えば「においの何でも屋」だ。においが関係するなら料理に調香、清掃からモンスター駆除まで何でも請け負う手広さをウリにしている。
しかし、ここは企業合衆国リオネア。大手も老舗も、各分野の専門店は星の数ほどある。需要なし、信用なし、資金なしと無い無い尽くしの零細企業には、当然回ってくる仕事もない。新規の依頼など、実に2か月ぶりの快挙だ。
「……待て。ということは」
そしてこのタイミングで、重大な事実に気が付いたカヴィルが息を呑む。そんな彼にアルマは「気付いたみたいね」と、顔の前で手を組んでみせた。
「そう……は久しぶりに、モヤシ以外のものが食べられるわよ!」
「! ……ふーん?」
一見気のなさそうな返事。しかし顔では冷静を装いながらも、尻尾が喜びを隠しきれていない。ブンブンと振れる尻尾で部下のやる気メーターを確認し、アルマは更に続ける。
「夕飯は豪華にいきましょう! 何かリクエストはあるかしら?」
「!! ……別に。俺はなんでもいいけど」
「そう? じゃあピーマンの――」
「!? オムライスで」
「ふふん、まっかせなさい! ちゃんと具が入ってるやつ、作ってあげるわ!」
いよいよカヴィルは、千切れそうなほど激しく尻尾を振りまくった。その様子に日頃の貧乏生活に後ろめたさを感じつつ、アルマは「とにかく!」と宣言した。
「今回の依頼、失敗は許されないわ! 絶対に、ぜーったいに成功させるのよ!」
「わかった。で、さっきからドアの前にいる奴にはいつ声をかけるんだ?」
「へ?」
部下の何気ない疑問に、アルマの目が点になる。そんな彼女の前で、カヴィルはスンと鼻を鳴らした。
「多分もう来てるぞ、その依頼人」
「嘘ぉっ!? な、何でもっと早く言ってくれないのよ!?」
「聞かれなかったからな」
「ほうれんそうううううううう!?」
早速のつまづきに頭を抱えるアルマ。それを尻目にカヴィルは、事務所のドアを……より正確には、ドアを挟んだ向こう側にいるだろう依頼人を一瞥した。
「入れよ。ドアなら開いてる」
彼が声をかければ、一拍の間を置いてドアがゆっくりと開く。
「……し、失礼しまーす」
そしてその隙間から遠慮がちに顔を覗かせたのは、赤毛とそばかすが印象的な少女だった。
※※※
「粗茶ですが、よければどうぞ」
「あ、おおきに」
応接テーブルの上に、コトリと湯呑が置かれる。どこか心ここにあらず、といった様子でそれを見つめる少女に、カヴィルは「安心しろ」と声をかけた。
「茶葉ならさっき変えた。普段コイツが飲んでる青汁じゃない、正真正銘の粗茶だ」
「正真正銘の粗茶って何よ!? あとせめて薬湯って言って!?」
まったくもう! とボヤきつつ、アルマはすぐに気持ちを切り替える。依頼人の対面に腰を下ろした彼女はコホンと咳払いをして、営業スマイルを浮かべた。
「改めまして……弊社へお越しいただき、ありがとうございます。私は代表取締役のアルマ・ラウリーン。こちらは警備担当のカヴィル・ロフ」
「よろしく」
営業スマイルのままド失礼な態度の部下を小突き、アルマは少女に尋ねる。
「貴女が依頼人のスズリさん……でいいのかしら?」
「はいっ! スズリ・アロイ言います! よろしゅう頼んます!」
礼儀正しく頭を下げるスズリ。彼女に「こちらこそ」と返しながら、アルマはその容姿を注意深く観察する。
身長は130cmほど。どこか幼い顔立ちは、一見すると小学生のようにも見える。
しかしその体格は、服の上からでも分かるほどに屈強で頑健。これは典型的な鉱人種の特徴だ。
「早速ですが、ご用件を伺っても?」
前置きも早々に、アルマは本題に入る。ドワーフは頑固で気難しく、職人気質の者が多い。最近の若いドワーフは必ずしもそうではないにせよ、率直な会話選びに間違いはない。
加えて彼らは忍耐強く、自主性が高い種族特性を持つ。依頼とはいえ、縁も所縁もない自分たちを頼るということは、それなりに深刻な悩みである筈。早いうちに全容を掴むべきだと、彼女の直感は告げていた。
「……体臭を、なんとかしたいんや」
その言葉に促され、少女はポツポツと切り出した。
「ウチん家な、中々に大家族やねん。父ちゃん母ちゃんに弟妹が5人、あとじいちゃんとばあちゃん」
「まぁ! 確かにそれは大所帯ですね」
それは一見すると、依頼には関係のない話にも思えた。しかしそこで話の腰を折るような真似はせず、アルマはスズリの話に耳を傾ける。
「だから父ちゃんも母ちゃんも、家計のやりくりに苦労しとってな。せめて自分の小遣いくらいは自分で稼ご思って、バイトをいくつか始めたんや」
「努力してらっしゃるのね」
「はは、そんなんやないよ。ただ……このバイトっちゅうのが、ちょっと問題でな」
スズリの表情が、微かに陰った。
「ゴミ収集のバイトなんよ。時給は高いし、周りは皆ええ人達なんやけど、ゴミの臭いが体にうつってもーてな……なぁ、そっちの警備員さん」
「ん、俺か?」
自分が呼ばれたことに気づき、カヴィルは反射的に耳を立てる。
「さっきドア開ける前に、ウチに気付いたやろ? あんま自覚ないんやけど、やっぱ臭うんやろね。最近、学校の友達にはそれとなく距離を置かれたり、「くさい」って馬鹿にされたりするよーなってな。この間なんか、別のバイト先で『臭うからもう来んな』って、クビにされてもて」
「……ひどいわね」
苦々しい口調で、アルマは呟く。その心無い一言が、目の前の少女をどれだけ傷つけただろうか? それを思うと、まるで自分のことのように怒りと悔しさが込み上げてくる。
「それを受けて、ご自身では何か対策はしてみましたか?」
「色々と、試してはみたんよ」
だが今のアルマがすべきことは、スズリへの仕打ちに怒ることではない。内心のモヤモヤに蓋をして、彼女は依頼人の状況把握に専念する。
「でも市販の石鹸も消臭剤も、脱臭魔法も効かなくて……それで困ってるときに、たまたまここのチラシを見てな。思い切って来てみたんや」
そういうとスズリはカバンから布袋を取り出し、テーブルの上へと乗せる。口を結わえた紐を解けば、中にぎっしりと詰まったリオネアの通貨、レブ貨幣が顔を出した。
「これ、ウチの全財産。もしこれでも足りんかったら、バイトを増やしてでも払う」
「こ、こんなに……!?」
その輝きを目にしたアルマは、反射的に脳内でそろばんを弾いた。ほとんどが銀貨や銅貨とはいえ、その枚数はかなりのもの。閑古鳥が熱唱中のフレフレ社としては、決して逃すわけにはいかない太客だ。
「お願い、できひんやろか?」
「も、もちろん大丈夫よっ!」
裏返った声で食い気味に言いながら、アルマは勢いよく立ち上がる。
「その依頼、是非ウチで――」
「……なぁ」
しかし彼女の言葉を遮るように、それまで沈黙を保っていたカヴィルが口を開く。
「それ、ウチに依頼する必要あるのか?」
「え」
思いがけない言葉に目を丸くしたスズリに、彼は起伏のない冷静な声で続ける。
「そのバイトをやめれば、問題はそれで解決するだろ。ドワーフの腕っぷしなら、他に実入りのいいバイト先もあるはず……それじゃダメなのか?」
「ちょっと、カヴィル!?」
あまりにも明け透けな物言いに声を上げるアルマだが、カヴィルは怯まない。彼は外見年齢に不相応な落ち着きで、アルマを見返す。
「コイツは今、視野が狭くなってる。これを言わないで依頼を受けるのは、フェアじゃない」
「っ!」
はっとした表情で口をつぐむアルマ。カヴィルは視線を再びスズリへと戻すと、話を続ける。
「いいか、仕事でやる以上、金はきっちりもらう。依頼してから『やっぱやめた』はキャンセル料、『払いません』ならお前の親からもらう。だから、ウチに依頼するならもう一回よく考えろ」
――なんでお前は、金を払ってまでそのバイトを続けようとしてるんだ?
「『なんとなく』以上の答えがないなら、やめとけ。お互いにいいことがないからな」
「それは……」
少年の問いに、スズリは言葉を詰まらせた。明確な答えを、彼女は持ち合わせていなかったからだ。
「……なんで、なんやろ」
結論だけを言えば、スズリにバイトをやめるつもりはない。ただ面と向かって「なぜ?」と訊かれると、その答えは自分の中でも漠然としていて、上手く言葉にできなかった。
時給が高いから? 人間関係がいいから? どれも間違いではないが、しっくりと来ない。けれどその答えはカヴィルが言う通り、「なんとなく」で終わらせてはいけないような気がした。
「あっ、あわわわわわ……!?」
難しい顔で黙り込んでしまった依頼人に、アルマは顔を青ざめさせた。内情としては心配8割・損得勘定2割である。あからさまに狼狽えながら、彼女は部下の尖った犬耳へと口を寄せる。
「ど、どうするのよ、カヴィル!? スズリさんめっちゃ悩んでるじゃない!?」
「? 別にいいだろ」
「よくないわよっ!?」
小声で喚くアルマに、カヴィルは「あのなぁ」と嘆息する。
「いいか、俺たちがひと月は暮らせる額だぞ? 昼抜いて朝晩モヤシなら二か月分だ。あいつが自分の時間を削ってまで稼いだ金だ。俺たちのモヤシ代にするより、自分のために使った方が有意義だぞ。間違いなく」
「それはそうだけど言い方を考えなさいって言ってるのっ! というかその悲しくなる表現やめて!?」
「事実だろ」
「事実だけども!」
小心者の上司は、ふてぶてしい部下をベシベシと小突きまくる。カヴィルが鬱陶し気に顔をしかめたその時、不意にスズリは「あ」と声を上げた。
「そっか。ウチ……逃げたくないんや」
自分の心の中の、答えを見つけた声だった。
「逃げたくない?」
思わず手を止めたアルマが問い返せば、スズリは頷いた。
「このバイトは、ウチが自分で決めたことなんや。だから今起きてることは、誰のせいにもできん。もしもここでやめたら……ウチはこれから先、ずーっと嫌なことから逃げ続けてまう気がする」
口にした言葉は、自分でも腑に落ちたらしい。ドワーフの少女は、両手を膝の上で握りしめた。
「ウチは逃げたくない、負けたくない、へこたれたくない……乗り越えて、前に進みたい! けどウチには、そのやり方が分からん! だから――」
そしてスズリは意を決したように、その一言を口にした。
「だから、助けてほしい! この通りやっ!」
言い切ったスズリは、おでこがテーブルにくっつきそうなほど深く頭を下げた。そんな彼女にアルマは少しだけ考えるような素振りを見せ……やがて静かに口を開く。
「貴女の気持ち、よく分かったわ」
強張った少女を解きほぐすように、アルマは柔らかな声音で続けた。
「改めてその依頼、是非私たちに受けさせて頂戴」
「! ほんまかっ!?」
「もちろん。ああそれと……今回の依頼、お代はいらないわ」
「おお、そらおおきに……ってえぇ!?」
突然提示された破格の条件に、スズリは「いやいやいや!?」と手を振る。
「ありがたいですけど、そこまでしてもらうのは悪いですって!」
「気にしないでいいわ。これは、えーと……そう、学割だから!」
「10割引きになっとりますけど!?」
目を剥いたスズリがあれこれと食い下がるが、アルマはそれを聞き入れようとしない。
「学生さんの青春にはね、お金がかかるものなのよ。だからそのお金は、あなたが本当に使いたいことに使って頂戴。私としても、その方が嬉しいわ」
「……おい、アルマ」
咎めるような部下の視線に、アルマは「分かってるわ」と短く返した。その声に先程までの残念さはない。青少年の選択に向き合う、一人の社会人としての真剣さだけがあった。
「でも、放っておけないの。だって彼女、昔の私そっくりなんだもの」
「昔?」
思わず首を傾げたスズリに、アルマは「ねぇスズリさん」と問いかける。
「私の種族は、何だと思う?」
「何、って……」
その意図を測りかねながらも、スズリはアルマを見つめた。肩まで伸びた緑交じりの金髪。その所々には白い花が咲いている。この特徴を持つ種族は――。
「アルラウネ、やと思いますけど」
――花人種。
花や果実の特徴をその身体に宿す、リオネアで最も香り高い種族。見た目から性格まで、全てが高貴でかぐわしい高嶺の花……というのが、スズリのイメージだ。
「正解よ。私はね、スズリさん。ドリアンのアルラウネなの」
「ド……!?」
しかしそんなイメージをぶち壊す発言に、スズリは思わず絶句した。
ドリアン。フルーツの王様とも呼ばれるこの果実は、ひどい悪臭を放つことで有名だ。その臭いの強烈さは、リオネアの多くのホテルや空港が持ち込みを禁止し、放置するとガス漏れやテロを疑った警察消防が出動するレベル……と言えば、どれほどのものかがわかるだろう。
「生まれつきのドリアン女、それが私。こう見えて、結構すごい体臭してるのよ?」
「け、けど……社長さんからはそんな臭い……」
戸惑うスズリの言葉に、アルマはすかさず「しないでしょ?」と言葉を重ねる。
「今はしっかりケアしてるもの。毎日シャワーを浴びたり、香水を振ったり、臭い消しにお茶を飲んだり。ほかにもまぁ、色々とね」
でもね、とアルマは続ける。
「昔の私はそうじゃなかった……やり方がわからなかったから。そのせいで私はいつもくさくて、よく心無い言葉をかけられたわ。その度にすごく傷ついたし、苦しかったわ。だから今の貴女の辛さも、少しくらいなら分かるつもり」
そこで言葉を切ると、アルラウネはかつての自分と同じ悩みを抱えるドワーフの手を取った。
「心配はいらないわ、スズリさん。貴女なら、ちゃんと乗り越えられる。だって、昔の私にもできたことだもの。貴女にできないはずがない!」
そう言ってアルマは、花のように笑う。営業スマイルではなく、本心からの笑みで。
――なんて強い人なんだろう。
スズリは思わず息を呑んだ。
今の自分が置かれている状況を考えれば、アルマがどんな言葉をかけられたかは想像に難くない。むしろ、自分の何倍もひどいだろう。だがアルマはそれを、茶目っ気交じりに語って見せた。それがスズリには、大きな衝撃だった。
「それに私の時と違って、貴女には香りのスペシャリストが二人も着いてる!」
そんなスズリの内心などつゆ知らず、アルマは自信満々に胸を張った。
「だから大船に乗ったつもりで、どーんと任せて頂戴! ね、カヴィル?」
「はぁ……またタダ働きか」
ソファの上で天井を仰ぎ、カヴィルはぼやく。だが、こうなったアルマは意地でも自分を曲げない。何を言ったところで、社長命令は覆らないのだ。
「……俺からも二つ言わせろ」
気持ちを切り替えたカヴィルは、姿勢を戻しながら指を二本立ててみせる。
「まず一つ目。俺は犬の獣人種だ、元から嗅覚は鋭い。だから、勘違いするなよ? ドアの前のお前に気付いたのは、お前の臭いが強かったからじゃない。単に俺の鼻がいいからだ」
カヴィルは指のうち一本を折ると、「それともう一つ」と続けた。
「確かにお前からは、汗とゴミの臭いがする……けどそれは、お前自身が努力したからついた『匂い』だろ。だから、そうやって後ろめたそうな顔をすんな。それをくさいって馬鹿にする奴はな、鼻か性根が曲がってるんだ」
神妙な面持ちで、カヴィルはスズリを見つめた。
「自信を持て。お前はくさくない」
「っ……!」
明け透けな、しかし優しさの滲む激励に、スズリは言葉が詰まった。感極まったその瞳が、うるうると潤んでいく。こぼれだした涙を手の甲でこする彼女にハンカチを差し出しながら、アルマは「決まりね」と呟いた。
「『においを変える、笑顔に変わる』、それが我が社のモットーよ! 私たちフレフレ社の威信にかけて、貴女を笑顔にして見せるわ!」
しんみりとした空気を晴らすように、彼女は大きく手を叩いた。そして自信満々の笑みと共に、敏腕社長は高らかに宣言する。
「さぁ――イノベーション・タイムの始まりよっ!」
「面白い!」「続き読みたい!」と思っていただけましたら、ぜひブックマークと5つ星評価をよろしくお願いします! 感想などもお気軽にどうぞ! 作者は読者の皆さんからの反応が三度の飯より大好きなので、いずれも更新の励みとなります。
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