評判なのに噂にならない「幸腹食堂」
評判は良いのに噂にならない不思議な話がある。今回は飲食店を紹介しようと思う。
貧乏な学生だった私は、アルバイトで得た給料が入ると、新しい店を開拓する。そこがうまければ、腹一杯になるまで食い倒したものだ。
「浦守先輩! バイト代入ったんでしょ?」
騒がしく駆け寄りながら、こういう時ばかり距離の近い後輩の鬼口。遠慮なくたかる気満々だが、腹を減らした小鳥のようで断れない。
ジャンルを問わず、たいていのものは受け入れるのが私と鬼口だ。新しい店の情報を仕入れるのが鬼口、お金を出すのが私。
少々納得しかねる部分はあるが、後輩の情報は信用している。その鬼口が評判の良い店について、噂を耳にしていない。それが私が語る噂にならない「幸腹食堂」 という店だった。
私と後輩で何を食いに行くのか盛り上がっていると、同輩の大間が話に割り込んできた。
「なんだ二人とも金がないのか。飯なら俺が奢ってやるぞ」
「えっ、いいんですか。ラッキー♪ 先輩、一緒にゴチになりましょう」
ちゃっかりしてる鬼口。バチッとウインクしたのは、明日もまた来るよの目配せだろう。まあ一食浮いたと思えばそれでいいか、そう思った私は鬼口の頭を軽く小突いて大間の後について行った。
私の同輩の大間が連れて行ってくれた店で、初めて鬼口が遠慮する所を見た。その店こそが評判は良いのに噂にならない不思議な飲食店なのだ。
私はその店を知っていた。父から聞かされていて、一度試しに連れて行ってもらった事がある。しかし近所だったのにも関わらず避けていたのだ。
後輩の鬼口が、私の様子がおかしい事で何かを察していた。誘ってくれた大間には悪いが、その噂にならない店に行くとわかった時点で、私は警戒してしまったのだ。
◇
評判は良いのに噂にならない飲食店「幸腹食堂」 が出来たのは、私の父の学生時代の頃だそうだ。経済が冷え込んでいくばかりの世の中で、安く旨く沢山食べられる店というのはありがたい‥‥そう思う人が多い御時世だった。
しかし「幸腹食堂」 は、安過ぎるのは嬉しいが旨くはなかった。いやハッキリ言って先に食べた事のある父からすると、かなり不味かったそうだ。値段が安いと言うことは、色々理由があるはずだ。
違和感の正体は、嗜好の違いなのかと思った。例えばみんなが好きなカレーライス。ラーメンやハンバーグでもいい。まるで全国民全てが大好きで、嫌いな人なんていない……という空気がある。
だが世の中にはカレーの香りやスパイスが嫌いな人もいる。煮干し臭いラーメンばかりで困る人もいる。肉の臭みが苦手な人だっている。
それと同じで父や私が苦手とする香辛料や調味料の類が不味いと感じさせている可能性はある。グルメ雑誌に取り上げられた、みんなが美味しいという店の味は、美味しいと感じたので、父や私の舌がおかしいわけではないはずだ。
たまたま自分の好みではない味付けだったのかもしれない。そう思うしかなかった。それから私は「幸腹食堂」 に食べに行く事はなかった。
◇
自分の好みが少数派は自覚しているが、「幸腹食堂」 の料理はコクがなく味がぼやけた塩っぱく酸っぱいなにかだった。「うまいうまい」 とガツガツ食べる大間を前に私と鬼口は顔を見合わせた。
食欲のわかない絵面。私はお腹を鳴らす後輩に、食うんじゃない、そう目で合図した。
「────!!」
思わず、このバカッ! と鬼口を見て心の中で叫んだ。いつも腹を空かせて食い意地が、張っているのは知っていた。合図したのに、台無しだ。
しかし‥‥鬼口、よくこれに箸を伸ばしたよ。漂う香りまで少し臭いし不味い。私はあまりの不快さに、吐き気を堪えるので精一杯だった。
‥‥何も言わず顔を顰めて舌を出し「うえぇぇっ」と不味さをジェスチャーする鬼口。例え奢りで好きなだけ食べて良いと言われても、不味いと喉を通らないらしい。
後輩の鬼口がいて良かった。私一人なら、得体の知れない不味い料理をがっつく人々の中で、浮いた存在になっていたはずだから。
それにしても、料理の見た目も酷くなった。父と行ってみた頃は、見た目は普通の町中華の料理だった。
見た目は普通に美味しそうなのに、めちゃくちゃ辛かったり甘かったり、舌に不意打ちを食らうように、ただひたすら不味かっただけだ。それはそれで嫌な不味さだが、わかりやすい。
だが今の「幸腹食堂」 の料理がどうなっていたかというと、残飯のような見た目だ。見るからに不味そうなのだ。
少なくとも昔の美味しそうな写真の通りには出てこない。野菜炒め一つ見ても、油かなにかでテカテカのベチャベチャで、一度反芻したかのようにキャベツや人参が溶けた固まりになっていた。
「なんだ、せっかく奢りなのに食べないのかよ」
大間が怪訝そうな顔で私と鬼口を見る。何だろう、この気味の悪さは。私の知る同輩はもっと陽気だったはずだ。後輩の鬼口と堅物の私をいじるのが楽しくて仕方ないと笑う大間の姿は、そこにはなかった。
◆
────私と鬼口は見てしまった。大間の舌が、溶けたようになくなっていたのを。「幸腹食堂」 で、ガツガツと飯を食らうのは、全て味わうための舌を持たない人々だった。
行列が出来ているので、店の中に入らなくても評判にはなる。しかし肝心な噂が立たない理由────それは、噂をする滑らかな舌がないのだから。
味わう舌がないのだ。旨かろうが不味かろうが関係なかったのだ。食べるのに夢中で、店内が異様に静まり返っているのは食事中は喋れないからだった。どうして「幸腹食堂」 が、こんな事になったのか探りたい所だ。しかし、危険過ぎるか。
(……先輩、出ましょう)
いつの間にか私の隣の席に、鬼口が座っていた。顔が青ざめている。食中毒? いや違う。
「大間、悪い。鬼口がさっき飲んだ牛乳で腹を下したみたいだ。先に出る」
「鬼口が腹を壊すなんて鬼の霍乱かよ。まあ、仕方ない。ここは安いし美味いから、また奢ってやるよ」
気にしたそぶりもなく、大間は私と鬼口に、シッシッと手を払う仕草をした。そうか、食事に意識が行ってなければ戻るのか。
私たちが店を出る時、もの凄い怖気を感じた気がする。鬼口もいたし、振り返る気はない。追って来ない事は‥‥知っていたから。
「そうか、あの時も確か……」
顔色の悪い鬼口に肩を貸し、自販機で水を買う。そして半ば鬼口の小柄な身体を担ぐように支えて歩く。
私は急いで近くのスーパーのバリアフリートイレを借りて、鬼口の口に自分の手を突っ込んで食べたものを吐かせた。買って来た水を含ませては吐かせ、繰り返して胃の中の洗浄を強引に行った。
「ゲェ゙ェ゙‥‥」
そうだ、吐き出すんだ鬼口。あの時、私も父も結局吐いた。だから助かったのだ。
◇
店員さんに掃除用具を借りて、私は後始末をする。鬼口は親切なスーパーの休憩室を借り休ませてもらっていた。
「落ち着いたか、鬼口」
救急車を呼ぶほどの事ではなかったが、一応鬼口に体調を聞いてみる。
「‥‥何だったんですかね、あの店。みんな舌が見えないのに、うまいうまいって食べていて」
私は簡単にあの「幸腹食堂」 についての体験を説明した。大間も本人が気づかないまま、店に取り込まれている可能性がある事も告げた。
「幸腹食堂の料理は、舌が溶けるようにうまいのかもしれない。まさに幸福食堂のように」
「蕩ける、じゃないんですね」
「ああ、そうだ。行列が出来る店として評判が高いのに、店の噂を鬼口も聞いた事がない理由がわかっただろう?」
「舌切り雀ではないですが、舌がなければ、言葉になりませんからね」
行列に興味を持って食べに行ったが最後、あまりの美味さに言葉が出なくなるわけだ。実際は不味いが。
「ある意味、あのテカテカな油ギッシュな調理も、流動食のように流し込みやすい工夫なのかもしれませんね」
嫌な工夫だが、来店する客に合わせてくれる良心的なお店。
「大間先輩‥‥どうなっちゃうんですかね」
舌のない人間がどうなるのか、私にもわからない。なにより完全に無くなったわけではないから、会話も出来る。
舌を噛み切って亡くなるのは、出血のせいではなくて、舌の筋肉が巻き戻ることによる窒息が原因なのだそうだ。
大間をはじめ、店内の客は死人ってわけではなさそうだった。
「詮索や余計な事を口にするのは止めよう。あの食堂と関係あるのかわからないが、舌を切り裂かれて死んだ噂がなくはないからな」
評判は良いのに噂にならない「幸腹食堂」 は、現在も営業中だ。この店が噂にならないのは「幸腹食堂」 の店員や常連客によって、舌を抜かれているため良くも悪くも噂に出来ないのだろう。
「それはそうと、先輩。明日は評判良くて、噂になっているお店教えるんで奢って下さいよ」
スーパーの方に二人で御礼を言い、ついでに胃に優しいものを買った帰り道。懲りもせずに鬼口は私に寄りかかり、そう述べた。
「お前‥‥」
私は呆れて声にならなかった。そういえば鬼口自身の噂も聞こえて来ない。見た目は可愛らしいが、性別不明だ。やたらと距離の近くて、たかり上手な後輩が何故か私に寄って来る理由も。
いつか鬼口が語ってくれる日は来るのだろうか。蕩けるように甘い口吻は、出来れば異性が良いのだが、贅沢な注文だろうか。
お読みいただきありがとうございます。公式企画夏のホラー2024うわさの投稿作品になります。
噂にならない病院の飲食店バージョンとなりますが、こちらの作品は甘酸っぱさが色々な意味で含まれております。
※ 仮タイトルのままだったので、繁盛店が繁盛する理由が知りたい→評判なのに噂にならない幸腹食堂、へ変更しました。