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「……貴様」
「かかってこいよ」
「……ッ」
先に動いたのは、ヴォイドだった。振りぬかれた拳が、お兄様の腕に当たる。
だが、その攻撃によってヴォイドが顔を歪めた。
……お兄様の体が、頑丈すぎたからだ。
「この程度か?」
「ぐっ!? なめるなよ!」
連撃を叩き込んでいくが、お兄様はそのすべてを弾いていく。
そして、足を振りぬいた。
ヴォイドの顔面を捉えんとばかりに振りぬかれた足を、ヴォイドは寸前でかわした。
だが、お兄様はその足を地面に叩きつけ、それを軸にその場で回るように逆の足で蹴りを放つ。
ヴォイドの側頭部を捉え、蹴り飛ばすと、ヴォイドの体は迷宮の壁へと叩きつけられた。
「やった! や、やりました! あの化け物を、お兄さんが仕留めました!」
「いえ、まだよ。まだ、魔力が消えていないわ」
砂埃が舞う中ではしゃぐアナウンサーを制した瞬間、翼の開く音が聞こえた。
周囲の砂埃をまき散らし、迷宮の天井付近へと跳びあがったヴォイドが、声を張り上げる。
「やるじゃないか! だが、これならどうだ!」
そういった瞬間、ヴォイドから何か耳障りな音が響いた。
超音波だろうか?
……人間の耳では聞き取れないはずなのに、直接脳を揺らすような激しい音。
超強力なデバフ魔法でも受けたかのような脳をかき回される感覚に、私たちは口元を押さえ、跪く。
吐かなかったのは、私がそれなりに抵抗力があったからだろうか。
他の皆は皆嘔吐してしまい、顔色が悪い。
その中で、お兄様は――。
「あーうるさいな」
両耳を押さえていた。
……ただ、それだけだった。
「貴様ァ!」
ヴォイドが翼を大きく広げると同時、お兄様へ一気に迫った。
空中からの急降下。三次元を活かした飛びかかりに、お兄様は拳を合わせて振りぬいた。
ヴォイドの反応よりもさらに速く。
振りぬかれた最速の拳は、速度だけじゃない。ヴォイドの頬を捉え、その鎧のような皮膚を砕き、吹き飛ばした。
壁に叩きつけられたヴォイドが起き上がろうとしたその時、激しく嘔吐してうずくまる。
「お返しだ」
お兄様はヴォイドの前に立ち、それをヴォイドは見上げた。
「……なめるな、よ……っ!」
次の瞬間。ヴォイドが拳を虚空へと放った。
……一体何を? そう思った次の瞬間だった。
私は、驚愕してしまった。
「空間魔法か」
お兄様は軽々とかわしたが、ヴォイドが使用した攻撃は……私が先ほど刀で見せたものと同じだった。
……私と同じ魔法の使い手? それとも――私の魔法をコピーした?
よく見れば、ヴォイドの体の傷は、ヒーラーの魔法を再現したかのように塞がっている。
お兄様もじっとそれらを観察しながら、ヴォイドを殴り飛ばした。
「他人の魔法をコピーするか…………いや、特殊な技法じゃないのか? ……無属性の魔法から、それらの魔法を取り込んで、似たような魔法を再現している……? ちょっと待て…………ヴォイド、おまえ面白い魔法持ってるじゃないか」
「ひ、ひぃぃぃ!」
笑みを浮かべられたヴォイドは、しかしすでに完全にお兄様に恐怖している。
……ああ、ドSなお兄様もいいかも。
ヴォイドはその場で空間魔法を展開し、外へと逃げようとした。
だが、お兄様は――両手を合わせて、開けた時空を閉じた。
まるで、戸締りでもするかのような気軽な感じで……。
「な……っ!?」
「そう慌てるなって」
にっこりとお兄様が声をかけると、ヴォイドは怯えた様子で九階層へとつながる階段へと走り出していた。
先ほどまでの支配者であったヴォイドは、もうそこにはいない。
強者にただただ怯えることしかできないヴォイドは、先ほどの私たちのように逃走を選んだのだ。
「麻耶を狙ってるやつを逃がすわけないだろ!」
「それは貴様が勝手に言っただ――」
ヴォイドがその言葉を最後まで言い切ることはなかった。
お兄様の振りぬいた手刀が首を跳ねると、ヴォイドの体は霧のように消滅していった。
……その胸元にあった魔石がからんと落ちると、それまで怪しい光を放っていたそれが無色透明になり。
……迷宮から生み出されていたまがまがしい魔力が、消え去っていった。
「……マジで迷宮攻略達成なんだな。あと一時間もしたら迷宮の入り口が閉まるから、さっさと脱出するぞ。ここ転移石ないみたいだし。皆歩けるか?」
「……す、すみません……ちょっと気分、悪く……さっきので……」
「ああ、了解。んじゃ運んでやるから」
「……え? お、お兄様にお姫さ――」
そういったヒーラーの子は気を失った。
……こいつ。
あとで、お仕置きが必要かもしれない。
そんなことをぼんやりと私は考えながら、お兄様とともに迷宮の外へと出た。