27 番外編 ~兄の見た日記帳~
私の妹達はとても可愛く美しい。
私はランザール王国の筆頭公爵家のバルトロイ公爵家の嫡男のグレイだ。サファイアの貴公子と社交界で呼ばれているらしいが気恥ずかしいかぎりだ。
「お兄様」
末の妹のリリーシアが舌足らずな言葉で私の膝に抱きついてきた。一回り下のまだ五歳になったばかりの可愛い盛りだった。
「どうした。リア?」
「抱っこ!」
私は末の妹を軽々と抱き上げるときゃはと可愛い笑い声が聞こえた。
もう一人の妹は私より二つ下でエブリンはその見た目と心根の美しさから隣国皇太子と恋に落ち輿入れの予定だ。
エブリンは我が国の第一王子のアルバート様との婚約話も出ていたが、我が家は貴族には珍しい恋愛結婚を重視してきたため返事を保留にしていた。まさか、お忍びで来ていた隣のイリシア帝国の皇子と恋に落ちるとは思ってもみなかった。でも二人とも幸せそうなので良いだろう。
勿論我が家もこのランザール王国の名家なことから過去には政略結婚も多いけれど概ね上手くいっていた。
実際両親は歳の離れた妹ができるほど仲が良い。
一回り年下のとても可愛い妹のリリーシア。紫の瞳は父譲りで私とエブリンは母に似た蒼色の瞳だったので父上はリアを溺愛していた。
上の妹のエブリンとは年が近いこともあって喧嘩をしたこともあったが、この末の妹のリアとはそんなことは全くなかった。
まだまだ先と思っていたある日、王家から第二王子のハロルドの婚約者にと打診があって、父上は渋々了承をした。アルバート様との婚約を断ったため、断りにくかったようだ。それに王太子妃と違って、側妃腹の第二王子ならいずれ臣下に身分を落とすし、まだ気楽だろうという考えもあった。
エブリンは帝国に輿入れし、私は王太子と目されている第一王子のアルバート様の側近候補として忙しい日々を送っていた。
そんなある日、リアが王宮へ妃教育に行く途中に誘拐されたのだった。リアが七歳の時だった。
我が家の館から王宮までの間にそんな危険な場所はないのだが白昼堂々街中で攫われてしまった。こちらの警護の者は殆ど殺されていて凄惨な現場だった。
王家にも協力を請い大捜索して見つかったのは酷く傷つけられたリアだった。父上が陣頭指揮に立つと叫んでいたが、剣も碌に携えたこともない父の代わりに私が捜索の先頭に交じっていた。
発見時、リアは話すことが出来なかった。
欠損級の癒しの魔法使いを派遣してもらおうと王家に依頼するが欠損級の治癒魔法使いは既に王家にはいなかった。仕方が無く、一段落ちる治癒魔法を依頼したが、酷い傷跡が残ってしまった。治癒魔法が効果がある期間が過ぎて怪我の状態が固定してしまうと治癒魔法は効かなくなるのだ。
それにリアは言葉を忘れ、我々家族を見ても怯えるようになった。事件のショックでそうなったのだろうと医者達に言われた。誘拐事件の前後の記憶も失くしていたのだ。そんなリアを見て母上が心労のあまり床に就くようになってしまった。
ハロルド王子との婚約も破棄されるだろうと思っていたが、王家の落ち度もあるとして継続するという話になっていた。
普段政務に出ることも王宮の社交に出ることもまれな側妃様が父上に頭を下げてリアとの婚約を継続したいと話されたのでどうすることもできなく、私もアルバート様の側近としての執務もあり慌ただしい日々を送っていた。
そんな中、母上が心労から亡くなってしまった。
エブリンは皇太子妃として隣国に嫁ぎ身軽に帰れる身分ではなくなったので、寂しい葬儀となった。父上は何も手につかない様子だった。私は公爵家嫡男として父上の代わりに精一杯務めた。
可愛い娘は酷い傷を負い、愛する妻まで亡くした父上の憔悴した姿は正視できなかった。
リアの誘拐から一変してしまった我が家。笑い声が響いて光り輝いていたはずの。
今や重苦しくすすり泣きが常に聞こえてくる雰囲気だった。
「リア。お兄様だよ」
そう言って差し出した私の手を拒み、声にならない悲鳴を上げて逃げようとする妹。
思わず視界が歪んだ。
どうして……、こんなことに。
公爵家の総力を挙げて誘拐犯を追い始めたが、捗々しくなかった。王宮の地下牢に捉えていた者達が次々と死んで取り調べは進まなかったのだ。
最終は反王政派の貴族ということになって王家の騎士団が地方の子爵を捕らえて処刑されたが、黒幕がはっきりしないままだった。
我が公爵領の隣は隣国のイリシア帝国との国境を守るサマーズ辺境伯領で王弟殿下が婿入りされていたが、先年跡継ぎの息子ともども盗賊団の掃討の際に落命されていた。寡婦となった夫人も最近は体調もあまり良くないようだった。烈女と名高い方だったのに。
今や辺境伯領は王家の直轄地になるかもしれないというほどになっていた。何かおかしいと思いつつ、アルバート様の執務の補佐や憔悴した父上の代わりに公爵領の執務の代理とあまりにも忙しすぎた。
怯えるリアの様子に王家から王宮で母親代わりに預かるとの側妃様の申し出には肯くしかなかった。
側妃様の宮は王宮でも別棟にあるし、側妃様とハロルド王子に仕えるものだけということで王宮でも比較的静かな場所であることから安心して申し出を受けることにした。いずれはリアが輿入れすることになる訳だし無下に扱われることはないだろうと……。
だが、それは裏切られた。最悪の形で。私達は大人しそうな側妃様に騙されていたのだ。王妃様を憚って表に出られることはなかった側妃様のことは正直あまり知ることがなかったからだ。
「父上! リアがバルコニーから落ちたと……」
リアの部屋は王子妃のところではなかった。私は王太子に決まったアルバート様の側近であるのでハロルド王子とは関わることはできず、側妃様やハロルド王子の居住区に立ち入ることは政敵であるため難しいことだったのだ。
王子妃の部屋ではなくこれでは使用人の部屋ではないのか。
父上はリアを抱き抱えて肩を震わせていた。ここで取り乱しては公爵家の沽券にかかわる。私は急いで公爵家の使用人らに指示をした。そして、父上を促した。
「早く家に帰ろう。父上。……リアも」
そう声を掛けると父上はリアを抱いたまま使用人達と出て行った。ふと見ると先程まで父上とリアがいたところに日記帳が落ちていた。表紙に宝石が星形に埋め込まれている綺麗な日記帳だ。確かリアが五歳の時に母上達が贈ったものだった。
流れの民の作品で凝った作りの美しい物だった。
「幸せになる宝石か……。不幸になるの間違いだな」
私はそれを拾い上げて荷物に入れようとした。ただ拾い上げたとき光を反射したのか、日記帳の宝石が輝いて部屋が光に包まれた気がした。
「何だ? 今のは……」
風が吹いたのか日記のページがぱらりとめくれた。ページの一部が目に入った。リアの字だ。
『傷物王子妃と呼ばれている。辛い。それでもハロルド様がもらってくれたので感謝しないといけないと皆に言われる。……家に帰りたい。だけど優しくしてくれた人はもうどこにもいない。私は一人ぼっち……』
思わず日記を落としそうになった。
そんな扱いだったとは聞いていない。ハロルド様、いやハロルドが――。側妃の宮に出入りできるものは限られていたせいもあるだろう。傷があるから表向きの政務は側妃のマリアンヌから男爵令嬢のミランダ嬢がハロルドのパートナーとして公務に出ていることは聞いていた。それがどうしてこうなってしまったのか。
荷物など殆ど無かったリアの部屋を急ぎ片付けると私は王都の公爵家に戻った。
――このままでは済まさない。我が公爵家を王家はどこまで馬鹿にしているのだ。
公爵領まで戻るとリアを母上の隣に埋葬した。
「家に帰ったよ。リア。もう一人じゃない。……お前は決して一人じゃなかったんだぞ。気づいてやれなくてごめんな」
そうリアの墓標に声をかけた。最後は声が擦れてリアに届かなかったかもしれない。
父上は憔悴して何も手につかない様子だった。気がつけばリア達の墓の前にいる。
ここで私まで泣き崩れて腑抜けになる訳にはいかない。
幼少期に辺境伯の総領姫に手ほどきを受けていた私はかなり好戦的な方だった。
アルバート様はリアの仕打ちについて御存じなくても仕方が無いとしても、王妃様や国王陛下はこのことを知らないとは思えない。もし知っていて隠していたなら……、
私は、我が公爵領を王国から離脱させることも考えよう。
エブリンの嫁いだ皇太子も皇帝へと即位することになっている。我が家の後ろ盾は十分にある。皇太子がエブリンを溺愛しているのだ。幸い我が公爵領は帝国寄りに位置しており間にあるのは王家直轄になった辺境伯領のみ。今の辺境伯領には碌に兵力もなく盗賊団に荒らされて領民は逃げ出していた。それも我が領の負担となっている。何度も王家に奏上したが対策は取られなかった。
王家に一矢報いることができるならば辺境伯領を制圧し帝国と手を結ぼう。辺境伯領は我が領と帝国から挟み撃ちができるので簡単だ。
我が公爵領と辺境伯領を併せればランザール王国の三分の一を占める。それが帝国へと一気に離脱することになるのだ。王家への鉄槌だ。失敗しても最早我々に大事なものはもうない。父上だって私に反対する気力もないだろう。
だが、最近王妃様までお体の具合が良くないと聞く。嫌な感じだ。その昔、辺境伯の総領夫人が亡くなったときのことを思い出す。アルバート様の毒見係が殺されたことも。あれはきっと……。
そのとき、リアの部屋から暖かい光を感じた。そうして、私は意識を失った。
次に気がついたときはリアの五歳の誕生日、あの日記帳が贈られたときだった。美しいその表紙に触れると暖かい光が溢れるのを感じて目を閉じた後、意識が一気に覚醒した。
「……光の反射か?」
家族だけの細やかな誕生パーティだったが日記帳の光に気がついたのは自分だけのようだった。
記憶が一気に蘇ってくる。何だこの記憶は? 今の状態は一体――。
私はふらついて思わずテーブルに手をついてしまった。
「うふふ。お兄様。酔ったのですか? お酒は用意していないはずですのよ」
エブリンが口元に人差し指を当てて軽やかに笑っていた。隣でリアも笑っている。
「お兄様。抱っこ!」
無邪気な笑みを浮かべてリアが抱きついてきた。
「あ、ああ」
私は驚きつつ五歳のリアを高い高いと抱き上げてみせた。明るい笑い声が周囲に響く。重苦しい家ではなく明るい雰囲気のあの頃だった。
「あら、どうしたの? お兄様。涙ぐんで……」
怪訝そうにエブリンが小首を傾げた。
「……少しゴミが目に入ったようだ」
――そして今日はリアの五歳の誕生日だと?
これは一体何が起こったのだ。
呆然としつつ、私は二度目のリアの五歳の誕生パーティに参加していた。
時折窓に映る自分の姿は明らかに若返っていた。最後に覚えているのは三十過ぎの姿だったのだ。
そうして覚醒した記憶の混乱の中で違和感に気づいた。
一度目の記憶と少しずつ何かが違う。
それを誰にも話すことなくパーティは終わった。
こうして二回目の記憶があったまま翌日になった。
一晩眠れなかったがそれぐらいいつものことだった。
これが夢としても長すぎる。
いろいろと考えたが、こうしてあのときからやり直せるのなら。
エブリンを通して帝国の兵力を借りてランザ王国への反旗を翻すことを決意して王家への反撃を準備しつつ、あのときもっと早く気が付いていればと幾度か考えて悔いていたことがあった。
今のリアはまだ何も傷ついてはいない。ハロルド王子と婚約もしていない。
何よりまだ辺境伯家の王弟殿下とその子息はご存命だ。何とかして生きてもらわなければ、側妃の野望を根底から崩してやる。彼らの王位継承権が側妃にとっては大きな障壁になるのだ。
そうして気がついた中で大きな違和感はリアが生まれた頃くらいから父上が辺境伯夫人に鍛錬を請うていたことだ。以前の父上はペンより重たいものなど持ったことのなかったはずなのだが今や剣の使い手になっている。
それもかなりの手練れだ。
もしかして、父上は自分より早く気がついていたのではないか。恐らくリアが生まれた頃――。
そうなれば私も共闘しよう。
今度こそ側妃の策略通りになどさせはしない。
リアも母上も、恐らく辺境伯達も。お前に殺された者達の報いを受けさせてやる。
私は父上の執務室をノックした。
「父上、お話ししたいことがあります――」
兄の見た日記帳
了
兄、存在感無いと思われていたけど意外と苦労人です。そしてパパの名前は次の番外編までにはきっと決まっているはず……。
今度こそリアとイーサンの学園いちゃらぶのラブコメを……。でもエブリンお姉様視点も書きたいな。




