26 番外編 ~イーサンの見た風景~
――僕はとても美しい人に出会えた。姿だけでなくその心の。
僕は王弟を父に持つ辺境伯の嫡男として生まれた。
王弟の父を持ち辺境伯の嫡男として散々甘やかされた子どもだった。世界は僕を中心として動いていると確信していた。だが、そんなある日、ある二人の訪問から僕の世界は一転してしまった。
「……そのようなことが、俄かには信じられませんが、気をつけておきましょう」
父上がにこやかなでもどこかよそよそしい笑みで対応していた。だから僕は不信感を露わにしてそいつらを睨んでやった。
「ええ。お気をつけください。王弟殿下。では……」
その日、母上は国境の見回りに出ていた。やってきた男達はお隣のバルトロイ公爵家の親子だと父上から聞いた。
美形の王弟と言われている父より彼らは端正な顔立ちの親子だった。息子の方は僕より十は上と思われた。
「あの男達は何を言ったのですか?」
「イーサン。何でもないよ。あまりに荒唐無稽なことだ。私が殺されるという。それも側……。いや、子どもの知ることではないな」
苦笑する父上にバルトロイ公爵はなんて不敬な男なんだ。僕の父上は強い。無頼の輩に殺されることなどありえない。それに母上はもっと強いんだぞ! と怒りを覚えた。
あの親子の訪問を忘れかけていた頃に急ぎの連絡が入った。辺境の地方に盗賊団が現れたということだった。いつもなら母上が対応するのだが、父上だって強い。そこら辺の盗賊なんてへっちゃらだ。
「お前は留守番だ。イーサン」
「えー、つまんないよ。僕も行く!」
「いくら盗賊相手だって、お前のような子どもを連れでは危険だ」
そう言われたので渋々僕は父上を見送った……。だけど僕は後からついて行ったんだ。僕の護衛と共に二人で。僕はまだ一人で馬に乗れないから。
ただの盗賊団と皆は思っていた。だから、父上だけが行ったのだ。母上も一緒に行っていればあんなことには……。
「これは……。坊ちゃん。引き返します」
「ど、どうして?」
緊迫した護衛の言葉に僕はただならぬ気配を感じた。
そこは森の中の開けた場所であったが、我が辺境伯領の歴戦の兵士が倒されていた。累々と横たわる兵士達。
「こんな!父上は?」
「駄目です。坊ちゃん! 逃げないと」
制止する護衛を振り切って僕は馬から降りると父上を探した。
直ぐに見つけた父上は剣を交えていた。多勢というほどでもない。だから大丈夫だと思った。けれど父上の死角から鉤爪を付けた男が襲い掛かっていたのだ。
「父上!」
駆け付けた勢いで男と父上の間に僕は入り込んでいた。灼熱の痛みが全身を襲った。息が出来ず獣のような呻き声が喉から出ていた。
「イーサン!? くっ」
「王弟殿下。お覚悟を!」
剣戟の激しい音とともに僕の意識は薄れて……。
「殿下!」
聞き覚えのある男の声がして、僕は何か暖かいものに包まれると灼熱の痛みは薄れていった。
「……間に合いましたか!?」
「そなたは! バルトロイの……」
辛うじて開けた視線の先にはこの間父上に失礼なことを言った公爵が立っていた。彼はとても強かった。剣筋も見えないほどの速さで次々と盗賊を切り伏せていった。
――もしかして彼は母上より強いかもしれない。そんな人を見たことがなかった。この男は何者なんだ?
「殿下。詳しいことはのちほど、ご子息のお命をお預かりしますぞ。急ぎ我が領主城へ!」
彼はそう言うと僕を馬車に運び込んだ。
そこで僕はクリフという魔法使いから治療を受けた。欠損級の癒しの魔法をかけてくれていると後から聞いた。今は欠損級を癒せる魔法使いはいないとも。
そんな貴重な方を……。最早我が国の王宮にも居ないほどだと聞かされた。バルトロイ公爵は一体何者なのだ。こんなことまでできるのはおかしい。それにあの強さも……。
癒しの魔法とはいえ直ぐに治るものではなく。それなりの時間がかかった。それに治るときの不快感や熱も出てしまった。熱に魘されて今日がいつなのか分からない日々を過ごしていた。
そんなある日、頭に冷やりとしたもので我に返った。何か良い香りがする。まだ何も見えなかった。
「だ……れ?」
「私はこの家の娘のリリーシアです」
今まで聞いたことがない可憐な声がした。母上は号令をかけるきりりとした声。あとは王宮に行くと媚びるような甘ったれた令嬢達の声。それのどれでもない声だった。涼やかで優しい。
「……リ……、リー」
彼女が握ってくれる手は少しひやりとしていて僕を生きているという現実に戻してくれた。熱と痛みの中で彼女の柔らかい手が全てのように感じていた。
何度か眼を覚ますと紫色の瞳の美しい子が僕を心配そうに覗いて手を握っていてくれた。
僕の息が止まったかと思った。
今まで見た誰よりも美しい女の子だった。辛いとき励ますように僕の手を握っていてくれたのが彼女だと知った。
僕の中で荒れていた何かが静まっていくのが分かった。
可憐な声で僕の名前を呼ばれ、我を忘れるほど彼女を見つめていた。
まだ上手くしゃべれない。
クリフ様から今の僕は全身傷だらけで生きているのが不思議なほどだと聞かされた。それでも父上を守れたことが嬉しかった。
熱が下がると彼女は僕が退屈しないように側で絵本を読んでくれている。
触れると消えてしまいそうな繊細な雰囲気の美しい女の子。
こんな子は初めてでどうしていいか分からず。そっと壊れ物を扱うように接していた。
そして、ただ彼女の全てに魅入っていた。
休んでいるときに彼女の兄が訪れた。バルトロイ公爵の息子であのとき訪れた青年だった。
「ここで君に起きたことは他言無用に」
「はい。……以前ご忠告いただいたのに僕は何もできず……」
彼はリリーシア様の兄だった。
「いや、あのとき君も死んでいたはずだ。だが君はこうして生き延びた。これは私達の確かな勝利への一歩だ。ここから始まる。だから君は怪我の治療に努めることだ」
「僕も死んでいた? あなた方は一体……、あのときも……」
僕の問いかけに彼のサファイアブルーの瞳が冷たく煌めいた。
「リリーシアにはこのことを絶対悟られるな。それを守れるなら君にもいつか話せるだろう」
「リリーシア様に?」
そうして、城で過ごしているうちにやっとバルトロイ公爵と再び会うことが出来た。
クリフ様のことは絶対王家に知られてはいけないことだった。
王弟である父上は知っていてもいいのだろうか? だが、父上も陛下には伝えていないようだった。一体何が起こっているのだろう? 僕も次第に言葉を選ぶようになった。
クリフ様の治療で僕は辺境伯領に戻れるようにまで回復した。
嬉しいことだけどそれはリアと離れてしまうことだった。
ここでリアに献身的に看護してもらううちにずっと彼女に側に居て欲しいと思うようになった。
その気持ちを素直に伝えた。リアになら僕も素直になれる。
リアは不思議な少女だった。とても同年代の女の子とは思えない。
それに大人びた表情をしていて難しいことを言うので後から大人に尋ねて理解するようにした。僕はリアと過ごすことで随分大人びた考えができるようになった。
辺境伯の暴れ猪とまで言われていた僕が――。
父上が見舞いに来てくれて家に帰りたくなって泣いた夜も彼女は笑うことなく寄り添って僕を抱き締めてくれた。
僕は公爵家で療養しているときにリアと公爵の間の行き違いを解消したことで公爵から信頼してもらえることになった。
リアとも婚約でき、彼女を守って欲しいとの公爵達の言葉に僕は少し大人になれたような気がした。今までがむしゃらに反発して暴れていた気持ちもすとんと収まる所に収まっていた。
辺境伯領から公爵家に治療に通うようになった僕はある日バルトロイ公爵から信じられないことを聞いた。それは今は胸に秘めるしかない。
それ以上に公爵から聞かされたリアの身の上にこれから起こるかもしれない悲劇を絶対に起こさせやしないと誓った。
僕もリアを幸せにすること。守ることを公爵に約束した。
リアが傷だらけの僕に寄り添ってくれたあの夜を僕は絶対に忘れない。あの手の冷たさと今の柔らかい手の温かさを守りたい。
傷も大分回復したので父上と共に王宮に行くことになった。王位継承権のある僕らの動向を王家は常に注視している。そのことにも公爵と話していて気がついたことだった。
実は現時点で、父が王位継承権者の第一位になっていた。次に第一王子のアルバート様、次いで僕だった。成人しているもののアルバート様ではまだ国政を担うのはまだ難しいためだ。正式に立太子すればまた変わることになる。
側妃様の息子のハロルド王子がその次。彼は庶子で正式な婚姻の子ではないから公には認められていないのだ。同じ王弟になるとしても嫡子の父上とは違う。ハロルド王子はアルバート様や僕達に万が一のことがあったときのスペアにしかならないのだ。
アルバート様が正式に王太子に立たれると父上が二位に代わる。もう直ぐにそうなるだろう。それでも僕の順位は変わらない。ハロルド王子はあくまで四番目。だがアルバート様が王太子になるとハロルド王子は臣下に下る。最早そうなると王位継承はあり得ない。それほど庶子と嫡嗣の差は大きい。
だから、野心のある大人は僕達に近づこうとする。それに気がついてしまうと王宮に出るとすり寄ってくる令嬢と大人に嫌気がしてくる。
だけど今回王宮に出ると今まで煩いほどつき纏っていた令嬢やその親達は僕の傷跡を見て顔を背けた。面白いほどの変わり方だった。
だが、僕は思ったより傷つくことはなかった。何故なら僕にはリアがいるからだ。バルトロイ公爵からリアの身の上に起こった以前の扱いを聞いていたのである程度は予想していた。
王弟の息子として周囲から、ちやほやされて驕っていた今までの自分。
あまりにも子どもだった。
それを今見せつけられているようだった。令嬢やその親から向けられる視線。痛ましそうにする表情に隠れるような侮蔑の笑み。僕はそれらを見逃さなかった。リアと出会って、公爵と話してなかったらきっと気がつかなかったことだろう。なによりも僕にはリアが寄り添ってくれている。それが僕の力になっている。
それはリアが七歳半ばを過ぎた頃だった。
あるとき、いつも緊張して神経を張り巡らせていたリアの雰囲気が変わった。普段から穏やかな笑みを浮かべるようになった。ますます可愛らしくなる。
――もしかして、リアも公爵と同じように記憶があるのか?
公爵とそのことについて話し合った。
「……恐らくリアにもあるのだろう。五歳の頃に泣きじゃくりながら起きたことがあった。侍女に生きていたのと言ったそうだ。あの誘拐事件のときにリアを庇って亡くなった侍女に対してだ」
「――っ。では、リアはあの悲惨な記憶を……」
気がつくと僕は拳を握り締めて公爵を見上げていた。
「僕はどうすればいいのですか? 彼女のために僕は何ができますか?」
公爵は子どもの言うことと笑わなかった。驚いたように目を見開くと笑みを浮かべてくれた。
「イーサン。ありがとう。あの子の今の笑顔は君のお陰だ。だが、君が特別どうすることもない。ただリアが生きて幸せになることだけを考えてくれればいい。勿論君も一緒にだ。それが全てだよ」
「公爵……」
「おや、父上ではないのかい? ふふ」
「なんだかあなたの愛情に僕が勝てる日がくるとは思えなくなりました……」
「おやおや、そんな弱気では大事な娘を託すわけにはいかないな。……だが、親の愛と君がリアに抱く愛とは別物だよ」
そう言って笑みを深めたバルトロイ公爵は今まで見たことがないほど慈愛に溢れていた。
僕はただ黙って瞬きをした。零れ落ちそうな涙を隠そうとしたけれど流れるままでも良いと思った。
今度こそ幸せになろう。
リア、君と共にいつまでも。僕も一緒に。
君と一緒に楽しいことや美しいものを探していきたいな。
今、お互いが生きていることに感謝して。
イーサンの見る風景
了
お読みいただき、評価、ブックマークをありがとうございます。
今でも沢山の方々のお立ち寄りをいただき嬉しい限りです。
今回の番外編でヒーロー視点を入れてみましたが長くなりました。すみません。
またいつか学生時代の二人も書けたらいいなと思っていますが、他にも書きかけのが待っているのでいつになるか。
そういえば、これだけ活躍してるパパなのに名前がまだありません……。




