17 美しい景色
私は相変わらず王都には行かないまま領主城で快適に生活していた。お母様やお父様も領主城を中心に生活するようになっていた。お兄様だけがブツブツ言いながら王都に戻っていく。
バルコニーから落とされる前には無かったことだった。
クリフ様が家庭教師のようなことをしてくれるので勉強もそれなりに頑張っている。イーサンは月に一度治癒にバルトロイ公爵家を訪れていた。
包帯も取れたが、傷跡は顔から体一面に抉られたような跡が残っていた。
「酷い傷……」
それは過去の私のよりも酷かった。
「不細工だろ? 婚約は嫌になった?」
おどけたように言うイーサンの目は真剣だった。まるで何かの宣告を受けるのを待っているようだった。
「いいえ、そんなことでイーサンを嫌う訳ないじゃない。……か、顔で好きになったんじゃないもの。そもそもずっと包帯だったじゃない」
「嬉しいよ。リア。僕も君が大好きだよ。この傷は領土を守った証だ。いつか治療が終わって消えたとしても僕は誇りに思うだろう」
そう言うイーサンは自信に満ちて輝いていた。
私はストレートに好きだと言われて顔を真っ赤に染めてしまった。
「それにね。この傷も便利なんだ。この前、王宮に行ったら今まですり寄って来た女の子達なんて悲鳴を上げて逃げたんだよ」
ふふとイーサンは思い出したように笑っていた。
王弟殿下の婿入りした辺境伯で、その嫡男であるイーサンの婚約者の地位は野心を持つ親達に狙われていたようだった。私との婚約の話があってもまだ縁談を持ち掛けているみたい。
でもイーサンが先日王宮に挨拶に行くと酷い傷跡を見た令嬢や親も二の足を踏んでしまい縁談は立ち消えたようだった。
そして私が七歳を迎えたときに誘拐事件は起こらなかった。
私はハロルド様の婚約者では無かったし、公爵家の領主城から出ることは無かった。
ハロルド様絡みで誘拐されるとしたら今の婚約者候補のウェスカー侯爵家の令嬢だけど王都からの知らせでは何の事件も起こっていないようだった。
もしかしたらウェスカー侯爵家がもみ消したとかなら分からないけれど悲惨なあの事件が起こらなかったことに私は安堵していた。
月に一度治癒に通ってくるイーサンと交流を深めつつ私はとても楽しい充実した日々を過ごしていた。
半年ほど過ぎて領主城の薔薇園で咲き誇る花々の中お母様とお茶を飲んでいた。穏やかに微笑むお母様と美しい景色に涙が溢れた。
「あら、どうしたの? リア」
「ちょっと目にゴミが入ってしまったようですわ。お母様。心配ありません」
――ええ、この美しい光景がただ目に、心に染みただけです。
確かこの頃には誘拐されて助け出されたものの全身傷だらけの私を見て、お母様は体調を崩されていたはず。だけど今のお母様は元気で生きていらっしゃる。
私も誘拐されてもいないし、お茶に映っているのはお母様やお父様、お姉様によく似た淡い金髪に薄紫の瞳の美少女。
私はお母様に向かって微笑んだ。
――もう大丈夫。きっと。
お母様やお父様達に大事にされて、子ども時代の私はこの上もなく幸せに過ごした。
そして、年月はあっという間に過ぎ去り、私も十五歳を迎え、とうとう貴族学院に入学する年になった。
イーサンとは同学年だから何かと心強い。学院を卒業すると結婚する予定になっていてその準備も順調に進めている。
イーサンの傷痕は左側だけはまだ残っていた。腕から顔までの引き攣れたような酷い跡もまだあった。それは昔の私の傷よりも酷かった。それでも彼はいつも明るく笑っていた。
以前の私は傷を恥じて俯いて息することも潜めていたほどだったのに。
ミランダからは最後に死ねばいいとまで言われた。
私もイーサンのように笑い飛ばせば良かったのかもしれない。でも、誰もがイーサンのように強くはないものね。
「学院の令嬢に迫られて嫌な思いをしたことがあるけど傷痕が酷いので寄ってこないさ」
そう言って肩を竦めるイーサンに私は仕方ないわねと苦笑していた。
よほど王宮での令嬢達に懲りたのだろう。どういうことがあったのかは聞かないけれどミランダのやり口を知っているのでその方が良いだろうと感じた。
私達は辺境伯の用意してくれた馬車で王都へ向かった。
私にはほぼ十年ぶりの王都だった。
イーサンは辺境伯の嫡男ということもあって、王都に年に何度か行っていて国王陛下に挨拶したり社交界に顔を出したりしてるそうだ。
私は隣に座るイーサンを見遣った。
イーサンの治癒は半年に一回ほどクリフ様のところに通えばよいところにまでなっていた。
それに身体能力は国境を守る嫡男としての自覚からか圧倒的な強さを持つほどになっている。辺境伯領での訓練を見せてもらって感じた。
そして、私は六歳の頃に辺境伯の力をお借りして公爵家の私兵も訓練してもらった。訓練についていけない者は脱落して今や公爵家の私兵も精鋭揃いとなっている。
あの幼い頃に私に横柄な態度で対応した兵士は公爵家に残っていなかった。
今思うとあの誘拐事件は公爵家内部からも手引きがあったのだろうと思う。もう今となっては確かめる術はないけれど。