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後編「それでも俺は、この子を救うと決めたんだ!」

「俺が触れる」

「っ!」


 飯田が短く息を呑んだ。

 そう、他の人から触れられる時、人はその箇所を強く意識する。


「そ、それってつまり……」

「ああ、覚悟を決めてもらうぞ」


 酸素不足にあえぐまな板の上のコイのように口をパクパクさせる飯田。顔は完全に上気し、脳は熱暴走を起こしていることだろう。


「あなたに手で、手でっ、お、おまっ」

「皆まで言うな、俺だって正直いっぱいいっぱいなんだ!だがもちろん、そこまでしなくてもいい可能性は十分にある!」


 俺は宇宙から突き出している飯田の左足に手を添える。飯田の身体がビクッと跳ね、反対の右足で思いっきり蹴り飛ばされた。


「グフゥッ」

「何をいきなりっ!心の、じゅ、準備が」

「待って、説明させてくれ。要は一番大事なところまで触らなくても、足先から徐々に意識していけば宇宙を剥がせるかもしれないと思ったんだ」

「どういうこと……?」

「飯田の足の先から宇宙の中まで、俺が手でなぞっていけばいい。宇宙の中に足が確かに『ある』なら、こっち側に突き出ている部分と連続的に繋がっているはずなんだ。そして下腹部の宇宙化に足が『ある』という認識が勝った時、宇宙化を解くことができるんじゃないかと思っている。これなら、直接エッチなことをする前に解決できる可能性が十分にある!」

「なるほど!」


 ポン、と手を叩く飯田の目は笑っていながらもやや焦点が合っていないように見えた。もう脳が思考を拒否しているのだろう。状況が状況なのは承知だが、この流されやすさは少し心配になるレベルである。最も俺とて、もう正常な思考ができているとは言い難いのだが。


「それじゃ、いくぞォ!」

「よーしどんとこい!」


 咆哮し、再び宇宙から突き出た左のつま先に手を添える。今度は蹴られなかった。飯田は唇をキッっと引き結んで耐えている。飯田の我慢に限界が来る前に決着をつけてやるぜ!

 ストッキングの先からあまり力を入れないように、だけどしっかりと指を滑らせていく。なめらかな布地の下から柔らかな皮膚と、そのさらに下の甲骨から不思議な感触が跳ね返ってくる。そのままくるぶしの起伏を越え、ふくらはぎへ。この部分まではまだ宇宙に呑み込まれていない。ただ顔を真っ赤にした女性のふくらはぎを、煩悩を打ち消すために頬の内側を食いしばっている成人男性が手で撫でているだけだ。全くもって健全。やましいことなど何もない。


「ねえ、ちょっとくすぐったいよ……」

「ご、ごめんっ。でも、足はちゃんと意識できているだろ?」

「そりゃそうっ、だけどぉ……」

「……」

「……」

「ねえこれってひょっとして普通にエッチな行為なんじゃ」

「言うな!考えたら負けだ。考えたら負け、負け、負け、負け……」


 念仏のように唱えながら、ふくらはぎからさらにひざの頭を撫でつつ越える。硬いような柔らかいような感触。他に比べて体温が低く、すこしひんやりしている。


 ここから先は、宇宙だ。


 思わず手を止め、生唾を飲み込んだ。これは決していよいよ太ももを撫でるから興奮しているとかではない。スカートの内側に発生した異界、宇宙空間にこれから手を突っ込もうというのだ。宇宙空間では地球上の常識はほぼ通用しない。重力は無く、暑く、寒くて、暗く、そして明るい、迷い込んだらもう二度と戻ってこられない漆黒の底だ。

 その事実が、単に怖かった。

 だが怖がっているのは飯田も同じだった。目をぎゅっと閉じ、潰れるほどに閉じた唇はぷるぷると震えている。


「フゥー……」


 再度、覚悟を決めた。

 右手をひざの頂から出発させ、深宇宙へのダイブが始まる。ひざの感触が消失する頃には、俺の手はもう手首まで漆黒に呑まれている。あの紙くずと違い太ももも俺の手も、どこにも見当たらない。

 だが、『ある』。

 手首から先には確かに手のひらがある。その輪郭は朧気で、気を抜くと周囲の宇宙空間と混ざってしまいそうになるが、柔らかく、温かい脂肪と筋肉、血液の感触もまた存在していた。

 さらに手を伸ばす。弾力のある宇宙空間を手のひらが滑っていく。


「そこ、足のっ!」

「そうだ。これはお前の太ももだ!意識してくれ。俺はいま、飯田の左足の太もも、その内側のところに触れているッ!」

「は、恥ずかしっ!!これ恥ずかしすぎるっ!!!」

「耐えろ!もうすぐだ!!」


 気迫だけ見れば医療ドラマの最終盤、大量の出血に血圧を低下させながらもなんとか悪性腫瘍を切除せんと試みる外科医とその助手のごとく。だが実際にやっていることといえば深宇宙着衣ペッティングだ。深宇宙着衣ペッティングってなんだよ。

 もう腕はひじのあたりまで深宇宙に呑まれている。これ以上進めば、当然ながらその最奥、股間に到達するだろう。だが手に跳ね返る感触はすでにほとんど消えかけている。それどころか俺の手の感覚そのものすら消滅しかかっていた。

 このまま宇宙化が解除されなければ、俺は右腕を深宇宙に取り込まれる。最悪の場合、腕から宇宙が侵食してくる可能性すらある。

 自分の存在が霞んでいく。

 日食のごとく、輪郭が影に呑み込まれていく。

 それでも……。


「それでも俺はっ……!」


 揺らぐ右腕の陽炎に、全力で意識を集中する。


「この子を救うと、決めたんだっ!」


 ぼやけた輪郭ごと、宇宙の深淵へと一気に腕を押し込む!

 そして。


「っ!」


 ぎゅむ、と明らかな感触がフィードバックされる。

 ポッケにねじ込んだ百円玉がこぼれ落ち、マットレスに弾かれて床へと落ちていく。


「ああっ」


 ほぼ同時、飯田の唇の隙間から声が漏れ出し。


 カッ、と。

 莫大な量の光が突然視界を塗りつぶした。

 突然の閃光によって消し飛ばされていく俺の意識は、閃光にくっきりとフチ取られて皆既日食がごとき漆黒に染まった右手を見て、途切れていく。

 ほんの一瞬だが、永遠に引き延ばされたかのような0.0000000000001秒の中で思考する。

 ああ、ビッグ・バンとはこのようなものであったかもしれない。

 チャリーン、と。床に落ちた硬貨が弾ける音を最後に、俺の意識は白に塗りつぶされていった。




 夢を見ていた。

 宇宙空間を漂う身体。これは誰のものだろう。

 この宇宙はどこにある?誰とつながっている?

 ここは俺か?これは宇宙か?


「中山っ」


 声が聞こえた。誰だ。最近よく聞く声だ。そう、それは確か宇宙の主の声だ。

 名前は……。


 目を開けると、ゆるふわ森ガールのような見た目の女と目が合った。俺の右手を大事そうに握りしめている。


「中山!大丈夫!?私のこと分かる?」


 意外にも低めな声。そうだ、ここはこの女の部屋だ。距離感が少しおかしくて、突然のバカバカしい理不尽に見舞われていたアンラッキーな女。名前は確か。


「飯田……?」


 俺がそうつぶやくと、飯田は半狂乱で俺の手をブンブンと振った。


「よかったぁ!!」


 そのブラックホールのような目を涙で濡らしながら、俺の身体をべたべたと触ってくる。


「大丈夫、俺の身体はどこも宇宙化していないよ」


 それはなぜかすぐに分かった。飯田に握られていた手を軽く動かしてみても、なんの揺らぎもなくそれは俺の右手だ。


「突然スカートが光って倒れたから、死んじゃったかと思った」

「びっくりしたな、あれは……そうだ!宇宙化はどうなった!?」

「治ったよ!」


 飯田はベッドからぴょん、と飛び降りるとスカートを軽くたくし上げた。そこには宇宙空間などなく、ストッキングに包まれた二本の足があるのみだ。


「もう宇宙じゃないから、これ以上は見せられませんけど」

「そりゃ残念」


 ニヤニヤ顔で冗談を言う飯田に軽く冗談で返した直後、何かがスカートの内側から落下した。見れば、それはペットボトルと丸めた紙屑。スカートの中に消滅したというペットボトルと、サイゼリヤで投げ入れた紙ナプキンであった。


「ふっ」

「はっ」


 俺と飯田はほぼ同時に笑い出した。朝から続く意味不明な出来事の連続、初対面の人間と大真面目にバカバカしいことをやっていたという滑稽さ。それらすべてが何の遺恨もなく解決したことに安堵し、大いに笑わせてもらった。最終的にはお互いが呼吸困難になり、そして隣の部屋の主から壁越しの抗議が叩かれるまで笑っていた。


「はー笑った笑った。よし、私はこれからお風呂に入ってくるから中山はそこで待っていてね。お礼をさせてほしいから」

「えっ!?いったい何を」

「何か軽く食べられるものを作ってあげましょう。サイゼのドリア、ほとんど食べてないでしょ?おごりそびれたし、何よりあれだけじゃ足りないでしょ?」

「は、はぁ……」

「残念だったな、エッチなことじゃなくて!」

「なっ!俺は別にそんなっ」


 言い訳する間もなく、飯田はフフンと笑って脱衣所へと消えていった。全く、俺がこの期に及んでまだ下心を持っているなど……いやその、無いと言ったら嘘になりますけどさすがに日を改めるっての。そういうのはもうちょっと段階を踏んでだな、お互いの合意あってこそなのであって。

 そこまで考えて今日あった段階も合意もクソもない出来事の数々を思い出し、また笑ってしまった。


 まあ、とりあえずの大団円。

 今日は確かにアンラッキーでハチャメチャだったけど、終わりよければすべてよし。

 今はただ報酬として提供されるらしい手作り料理に想いを馳せておくとしよう。

 俺はとりあえず床に落ちてしまっていた百円玉を三枚拾い、再びポッケに入れた。


「ん、三百円?」


 いや、気にするまい。これ以上の面倒事はごめんだからな。




 どこかの宇宙。地球よりも遠い場所。

 人類の発展を願って飛ばされた小惑星探査機は、目標の小惑星のサンプルを採取するために弾丸を発射した。砕けた岩のかけら、塵がカプセルに収容される。

 その中に混ざった銀色の小円盤が地球に持ち帰られ、ある日本人のDNAが検出されて大騒ぎになるまで、あと三年ほど……。

「スカートの中に宇宙があるタイプの女」読んでくださりありがとうございました。

本作品は私が所属している某国某所のサークルにてお題「ダーク」として執筆しました。最初はすごいあまあまなラブコメを書いていたんですが、気がついたら宇宙に舵を切っていました。困ったら宇宙にすべてを託すのは私の悪い癖なのですがやめられません。やめる気もありません。

ではまたどこかで。他の作品も読んでみてくださいね。

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