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前編「天の川銀河らしいですよ、アレ」

前中後編です。1時間後おきに投稿されますのでお見逃しなく。

「あっ」


 それは偶然だった。


「あっ」


 ある雪の日。正しくは、朝方降った雪が止んだ日の昼前。

 住宅街の古びて、そして凍結したアスファルトに足を取られ、二十歳も超えて人前ですっ転ぶのはダサいと抵抗するも無惨、身体は見事に前方へと投げ出された。ちょうど前方から歩いてきていた女の人が小さく悲鳴をあげる。その声を、俺は身体を地面に叩きつける直前に聞いた。

 一方で、女性もまた転倒を始めていた。突如目の前ですっ転ぶ俺に驚いたのだろうか。のけぞり、バランスを崩し、同じく凍結したアスファルトに足を取られ、さながらどこかで見たことあるようなスケート選手のキメ技がごとく仰向けに滑っていく。

 時間にすればほんの一瞬、危機を察知し、しかしもうどうしようもないことを理解した脳がせめてもの思いで神経感覚を尖らせて見せる偽りのスローモーション。

 もしかしてこの世界に時間が誕生したと言われる全ての始まり、ビッグ・バンが起きた瞬間もこのようであったのかと無茶苦茶な連想が脳裏をよぎる。しかしこれは俺が頭を打ったからでも、元から突飛な発想が出てくる大脳構造をしているからでもなく、単純に目に映る映像を脳が処理した結果として発生した想起だ。なぜそう言い切れるか、答えは簡単である。


 俺は宇宙を見た。

 転倒した女性の、スカートの中に。


 太陽が冬の重役出勤を終えてしばらく、夜の間にさんざん溜め込まれた寒気もどこかに身を潜め始めるも、それでもやっぱり寒いものは寒い。そんな午前十一時過ぎのなんとも言えない空気感の中、我々……つまり転倒した俺および女性は完全に硬直していた。

 転倒の痛みもあるが、そんなことより目の前の映像が理解不能にすぎる。どうして女性の股下に複数の星系から織りなされるケッタイな銀河の渦を散りばめた小宇宙が顕現しているのだろう。下着の柄かとも思ったが、長めのスカート布の内側と下着の境界は見当たらず、スカート布が投影する面積まさにそのままの領域が宇宙と化しており、女性のストッキングをつけた両足のみがただニョキニョキとこちら側に突き出している。その他には完全に、思わず手を伸ばしたくなるほどの深淵をたたえた宇宙空間だ。


 あ、流れ星……。


「ハッ!?あ、すすすすみません!大丈夫ですか!?」


 宇宙の淵に囚われた俺も、しかしもう立派な成人である。義務感か倫理感か、あるいはその両方が脳みそに理性を取り戻させ、四肢にスタンド・アップの信号が送信された。

 未だ転倒していた女性も俺が手を差し伸べた手を見て我にかえったようで、素早く立ち上がった。俺の手は使わずに。


「こちらこそすみませんっ!大丈夫、です!」


 ペコペコとキツツキが如き速度で謝意のヘドバンを連射する女性。これは完全な偏見だが、少し前に流行ったゆるふわ森ガールのような出立ちから繰り出される少し低めの声はかなり意外だった。


「お怪我などありませんか?すみません僕が突然転んだばっかりに!大丈夫ですか骨折とかねんざとか!?」

「いえいえいえいえ大丈夫、大丈夫です!ええ痛いのはおしりだけです!骨折、ねんざの心配はないかと!」

「そりゃあよかった!?あ、あのまだ足元滑りやすそうですし横に避けた方がいいかもしれませんね!」

「ああそうですね!そうしましょう」


 俺は右横にスライド移動した。ほぼ同時に女性もヒョコと避ける。

 俺とおなじ方向に。

 自転車とかでよくある、お互いが避け合うアレが一回発動したが、そのままあるあるのように再度避け合うことはしなかった。相手もおそらく俺と同じく再転倒のリスクを危惧したためであろうが、そのために目が合っていないだけの妙な数秒が流れた。


「あっ、怪我などないようならよかったです!じゃ、じゃあ俺はこれで!」


 先に動いたのは俺だ。半身を捻って上手いこと女性を避けて歩き出す。ああよかった何もなくて。怪我してたりしたら大変だったもんなぁ。お互いただ転んだだけで済んでよかった。それ以上のことも、それ以下のこともない。これで終わり!


「あのっ」


 そんなわけがなかったのだ。

 背中から飛んできた低めの声が俺を凍結する。


「……見ましたか?」


 見た、はてなんのことやら。


「いっ、いえ!下着とか別に!見てないんで!僕目つぶってたんで!そ、それでは……」


 下着は見ていない。下着"は"。


「いや目開いてましたよねバッチリ」

「……」

「見ちゃった、んですよね?」

「……ハハハ、いやぁなんのことだか」

「天の川銀河らしいですよ、アレ」

「どうやって調べたんだよ!?」

「ええ。やっぱり見たんですね」


 ハメられた。

 逃走のための更なる言い訳を考えているといつのまにかゆるふわ森ガール、いや小宇宙ガールに回り込まれてしまっていた。


「ちょっとお話ししませんか?お茶でもしながら。こうして会ったのも何かの縁だと思うんですよ」

「ハハハ、ハハ……いやあの……」


 下の角度からじぃっと見つめる視線が眼球を貫いた。全てを呑み込むかのような漆黒、まるでブラックホールだ。


「じゃあこうします。やっぱりお互い怪我をしているかもしれないので、今後ややこしくならないよう話し合いの場を持ちましょう。どうですか?」


 その言葉がトドメとなった。


「……ハイ」


 どう考えても厄介ごとにしかならない小宇宙ガールの後をゾンビのような足取りで歩く。

 ブラックホールからは光でも脱出不能だというから、そういうことなのかもしれない。




「ミラノ風ドリアが二つですね〜」

「ありがとうございます。あ、ホントに私のおごりでいいんで遠慮なく食べてくださいね」

「どうも……」


 サイゼリヤにてボックス席に通された俺と女は互いに口をつぐんだままミラノ風ドリアの到着を待ち続けていた。貯金に余裕があるわけではないのでタダ飯はありがたいのだが、正直なところ手をつける気にならない。


「私は飯田夏海。あなたの名前も教えて」


 とりあえずドリアを混ぜていると女は、いや、飯田は唐突に名乗り、こちらの自己紹介を促した。


「えっ。中山健太郎、です……」


 不意打ちだったため少し挙動がおかしくなりつつも、俺は何とか自分の名前を言う。その様子がおかしかったのか、飯田は敬語じゃなくてタメ語でいいよ〜と笑った。いや、あまり意識はしていなかったが俺の方が年上に見えるぞ。というかいつからそんなに打ち解けたつもりになっているんだ。こちとら謎の宗教組織に勧誘されやしないかとビクビクしているというのに。


「中山はドリアを混ぜる派なんだ」

「そんなに意識したことはない、っすけど」

「そうなの?こういうのはちゃんと決めておくに越したことはないよ。そうでないと大変なことになるんだから」

「大変なことって」


 突然距離感が詰まってきた雰囲気に言葉を紡ぎかねていると、飯田は混ぜないままのミラノ風ドリアを一口味わった後、そのまま言った。


「宇宙と繋がったりとか、ね」

「宇宙……」

「そ。今回の本題、そして私の悩みの種」


 飯田が視線を落とし、机の表面をそっと撫でた。テーブルに隠れて見えないが、思わず飯田の足元に目をやってしまう。

 スカートの中の深淵。天の川銀河。


「あの、アレって本物……なわけないですよね」

「なわけない、わけないでしょう?もう、本物じゃないならわざわざ君をこんなところに拘束しないよ。正真正銘、本物」


 いよいよこの女は頭がおかしいらしい。なぜならスカートの中に宇宙が存在するなど常識的に考えてありえない。おそらく現在進行形で俺を怪しげな組織に加入させるためのフローチャートが進行中のはずだ。


「その顔、信じていないな?」

「そりゃそうでしょうよ」


 思わず反射的に言葉が出てしまった。少し過激だったか?怒らせたりしないだろうか。不安が杞憂に変わるまでの時間すらくれずに飯田は突然テーブルにあった紙ナプキンをぐしゃぐしゃに丸めると、机の下へと投げ捨てた。


「その紙、拾うフリして私のスカートに投げ入れてみてよ。怒んないから」

「えっ、そんなことしたくないですよ!」

「いいから。論より証拠だよ」


 知り合って間もないどころではないクレイジー女のスカートを覗き込み、しかも手を入れるなどとおおよそ正気の沙汰ではない。しかし俺はこの場で強く抵抗できるほど図太くもなかった。呑み込むような視線に気圧され、机の下へと潜り込む。

 紙くずはすぐ近くに落ちていた。そして俺が机の下に潜ると同時、飯田は足を組んだ。

 普段なら女性の足をこんなにも間近で眺めることも、ましてスカートの中を覗き込むことなどあるはずもなく、突然のスケベな展開に心が躍っていたところであろうが、今の俺は完全に違う意味でドキドキしていた。この謎の意味不明世界観から早く脱出したい。その思いだけを頼りに紙くずを拾い、指示通り、スカート内部の未だ煌めく宇宙に向かって投げつける。

 紙くずは緩く放物線を描き、ふくらはぎをかすめて、宇宙がプリントされているとしか思えない布へと突き進む。

 普通ならこのままぶつかって床に落下する、そのはずが、紙くずは布に当たるどころかそのままふわっ……と奥まで飛んでいくではないか。


「うおっ!?イデっ!」


 物理法則が完全に乱れたのを見せつけられた俺は思わず飛び上がり、そしてテーブル板に激突した。


「大丈夫かい?」


 頭上からどちらかと言うと愉快そうな声が聞こえてきたが、今の俺は返答するための適切な言葉を持ち合わせていなかった。ある瞬間に見失ってしまうまで、俺はしばらく三次元空間の容積を完全に無視しスカート内の宇宙を飛んでいく紙くずを凝視していた。


「宇宙、あったでしょ?」

 天の川銀河見学ツアーから離れてミラノ風ドリアの目の前に帰還すると、ドヤ顔の飯田と目が合った。


「騙されている気もするけど、一旦信じますよ」


 俺は観念し、降参の意を示す。これで本当に謎の宗教勧誘だったら、スカートの仕組みと引き換えに入信してやってもいい。


「で、信じるからには聞きますけど一体何をしたんです?ドリアがどうとか言ってた気がするんすけど」

「ドリアは関係ない。だがその、ここまで話しておいてアレなんだけど、やっぱりちょっと話しづらい理由というか」


 さっきまでの威勢はどうしたのか、突然飯田の歯切れが悪くなった。目を伏せ、ドリアをじっと見つめている。


「何ですか、勿体ぶらないでくださいよ。おっしゃる通り、ここまで話して見せつけておいて宙ぶらりんはひどいっす。も、もしかして違法行為が関係しているとかですか?流石にそれは俺にどうしようもないっすけど」

「まあ、そうだよねぇ……」


 飯田はハァーと長く息を吐いた。


「じゃあ話すけど、元に戻すのに協力するって約束してちょうだい」

「あ、やっぱり元に戻したいんすか。テレビとかに出たらすごい有名人になれますよ。ネタとしてはきわどい気がしますけど」


 なんと、私の股間はスカート丸ごと宇宙に呑み込まれているんです!スカートピラッ、ひな壇に並べられたタレントたちがドッと盛り上がる……いや、想像できない。ど滑りする気しかしない。


「おふざけはいいから。協力してくれる?」

「違法行為でなければ。もう乗りかかった船ですし」

「言ったな。録音したからね」


 飯田は鞄からスマートフォンを取り出し、テーブルに置いた。録音中の文字がデカデカと表示されている。あれ、もしかしてヤバい口約束をしてしまったのか?やっぱりヤバい宗教団体なんじゃないだろうか。それか多額のお金をむしり取られるとか……俺にむしり取るほどの金なんかないぞ。

 冷や汗がこめかみを伝う。サイゼリヤの店内だというのに、周囲の喧騒がとてつもなく遠い。今この空間には俺と向かいの飯田が座るボックス席、それしかないみたいだった。唇は硬く閉じてしまって自力で開くことができない。飯田の次の句を待つしかない。

 飯田の顔を見る。飯田もまたこちらを見つめていた。唇がふるふると震えている。何か大きな存在に怯えているかのようだった。やけに距離感が近いように感じるのは気丈に振る舞っているだけで、実は自身の身に降りかかった理不尽かつ摩訶不思議な非日常に恐怖しているに違いない。


 そう思うと、妙な使命感が湧き上がってきた。

 この俺がこの女を、飯田を、救ってやらねばーーー。


「私の、下半身が、こんなことに、なっちゃったのは……」


 飯田が途切れ途切れに言葉を紡ぐ。俺の心臓も早鐘を打っていた。

 ただの一般人の下半身に、スカート内に、突如宇宙が召喚されてしまった衝撃の理由とは……!


「じ、じ……」


 じ……?


「自慰行為で、宇宙を感じちゃったからなの!!!」


 からなの!!からなの!からなの、からなの……。

 静寂の中脳内で反響する低めの声に一瞬、世界中に二人だけみたいだなぁと、そう思った。

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