03
見回り衆から呼ばれたのは、がたいのいい四十がらみの男だった。
襖を開けて最初に見せたのは、驚きの表情。次いで、侮るような視線。おそらく、想像よりもこちらが若かったためだろう。実際、タツミの弟子の中でも自分は年若の方だ。この手の態度には慣れている。
それでも男は、こちらの腰に差された刀を目にすると、すぐに表情を改めた。見回り衆といっても、あくまで宿場の自警団である。男も帯刀している様子はない。
「大宿の旦那に呼ばれて来た者だ。宿場の事件を説明するよう言われている」
「はい、それで大丈夫です。よろしくお願いします」
互いに軽く頭を下げる。体格に違わない厳つい口調だった。生来のものか、それとも見回りという仕事のためのものか。判断は付かないが、似合ってはいる。
畳の上で正座した男が懐から紙の束を取り出す。ぺらぺらと項を捲る姿は、なかなかどうして様になっていた。この町の見回り衆がどの程度の規模なのかはわからないが、その中でも立場のある者なのかもしれない。目当ての紙片を見つけた男は、ふむ、と顎髭を撫でた。
「順番にいくぞ。こちらで把握している一番古い事件は、引退した大工のじいさんの訴えだ。いいか、ここにはこう書かれている」
太い指が紙片は叩く。
「半年前だな。その日、じいさんは町の散歩に出た。特に宛てもなく歩いて、いつの間にか町はずれの小径に至っていた。ひと気がなく、いやな感じがしたらしい。それで、引き返そうとしたら、急に目が見えなくなったんだそうだ」
「目が見えなくなる? それはどういう……」
「うん、目の前がいきなり真っ暗になった、とある。で、じいさんは堪らずしゃがみ込んだ。じっとしてると、ぶわっと風が吹いた。そしたら目が見えるようになって、気付いた」
男が、太もものあたりをすっと指でなぞった。
「ここら辺に、ぱっくりと傷が開いていたそうだ」
「ぱっくり、というと、切り傷ですか」
「そう、刃物でつけられた傷だ。だが不思議なことに、血は出ていなかった」
「……血の出ない、切り傷?」
なんだそれは。思わず眉を顰めてしまう。それを咎めるでもなく、見回り衆も困ったように頭を掻いていた。
肉を切れば、血が流れる。それは人も動物も変わらぬ道理だ。生き物は血の通る管を全身に張っていて、それが断たれればとめどなく血が零れてくる。体には傷を自然に治す働きがあるが、切られた瞬間に傷が塞がるなどということは、本来ありえない。
「その話を直接聞いたのは」
「いや、おれじゃない。対応したのは別の若い衆だ。もちろん、そいつが嘘を吐いてるとかでもない。なにしろ、じいさんの方がえらく興奮しちまってな」
見回り衆の男が深々と溜め息を吐いて天井を見上げた。件の老人を思い出しているのか、視線が宙を彷徨っている。男は上を向いたまま、言葉を続ける。
「これは『かまいたちの仕業だ』って、ことあるごとに騒いでた」
「かまいたち、ですか?」
「知らないのか? この辺りじゃ有名なんだが。こう、風が吹くと現れる、鎌を持った鼬の妖怪だ」
「おれも実物は見たことないが」と前置きして、男がわっと手首と肘を直角に曲げる。話の流れからすると、かまいたちとやらを表現しているのだろうか。
ぱっと見て思い浮かんだのは、かまきりの姿だ。しかし、そこからどうやっても鼬に繋がらない。かまきりと違って鼬は四足で歩く。腕が鎌になってしまったら、まともに歩けないのではないか。
曰く、かまいたちの鎌に斬られると、傷口から血が出ないのだという。斬った瞬間に血を啜って、すぐに血止めの薬を塗りつけてくるらしい。ますますわからない。腕が鎌で塞がっているのに、いったいどうやって薬を塗るのだろう。
こちらが首を捻っていると、所在なく腕を浮かせていた男がごそごそと居住まいをただした。咳払いがひとつ。憮然とした表情でこちらをじっと見つめてきたので、先を促す。
かまいたちなる妖怪の姿については、ひとまず横に置いておこう。
「実際のところ、じいさんもはっきり見たわけじゃないらしい。斬られたときは、目も見えなかったわけだしな。じいさんの話を聞いた町の皆も、最初は半信半疑だった。……ところが、だ」
「それで終わりではなかった」
「ああ、そうだ。といっても、じいさんと同じように斬られた者がいたわけではない。襲われたのは、食料だ」
男の指が再び紙を捲った。一枚の紙片に留まらず、ぱらぱらと続けざまに目を通している。
「保管された食料が食い荒らされていたんだ。最初は百姓の倉。次に飯屋の厨房。その後も似たような事件がわんさか起きている」
「野生の動物が忍び込んだだけでは」
「いや、それは違う。確かに荒らされ方は獣のようだったんだが……、これを見てくれ」
見せられたのは、紐で綴られた中の一枚の紙片だった。筆と墨で簡単な絵が描いてある。
大きな四角形の木戸。それが、ちょうど斜めに両断されていた。
「爪でも牙でも、ましてや体当たりで押し破ったなんてものじゃない。どの現場も、入り口が刃物で真っ二つにされてたんだ」
「目撃者は?」
「いない。いずれも人の目の無い時間を狙われた。だが、現場にはいつも獣の毛が残されていた。長い黄色の、鼬の毛だ」
「それが、かまいたちのものだと?」
見回り衆が腕を組んで神妙に頷いた。
当たり前だが、普通の獣は刃物を使うことなど出来ない。確かに不可解だ。
紙片を捲った男曰く、同じような事件がひと月ほど続いた辺りで、妖怪の噂が真実味を帯びてきたらしい。食料を食い荒らされ、生活に困窮する者もいた。宿場の住人に不安が広がり、ついには領主に相談することになったそうだ。
「妖怪が出たなんて、お上がちゃんと聞いてくれるか不安ではあったがな。大宿の旦那は本陣の縁者で、どうにか話を通したらしい。まずは調査のために、山向こうの城から侍がひとり派遣されることになった」
「侍が? では、その方も既に宿場に?」
お上に相談しても上手くいっていないと、確かに宿の主人も語っていた。てっきり『妖怪の仕業』では取り合ってもらえなかったのかと勘違いしていたが、まさか、正式に武士が動いていたとは。
武士がいるのであれば、その面目を潰すわけにはいかない。彼らは統治者側の人間だ。余計な衝突はこちらも御免だった。
ところが、こちらの問いに見回り衆の男は苦虫を噛み潰したような表情になった。視線を泳がせ、部屋の外をしきりに気にしながら、声を潜ませる。
「それがだな。その侍ってのが、姿を眩ませて行方知らずになっちまったんだ」
「……は? 行方知らず、って、そんな」
「多分、それが最後の一押しになって旦那がイスルギ殿に依頼を出したのだろうな。早いところ解決の目途をつけないと、碌なことにならんのだろう」
思わず呆けた声が出た。目の前の男も口の端を引きつらせている。
「まったく、厄介なことになったもんだ。若いの、あんたも災難だったな」
皮肉気な口調である。
まったくもって、同意見だった。