第2話 不信心者の聖女様
「君は神様を信じる?」
その言葉を発した彼女、風間さんは微笑んでいた。
「それはそのままの意味でいいの?」
風間さんはこの学校でも珍しい、敬虔なクリスチャンとしてクラス、いや、学年中でも知られている。だから、この問いが真剣なものだったら、うかつな答えを返してはいけない。そう思っての言葉だった。
「うん。星崎君の思ったままを言ってくれればいいから」
彼女は至って真剣で、本当にそれを知りたがっているようだった。
「悪いけど、信じてないかな。宇宙を神様が作ったとか無茶っぽいし」
だから、そう正直に僕は答える。
僕の根本にあるのは自然科学的世界観だ。
無から宇宙が生まれ、星々が誕生して、そして地球が出来たというような。
その中には神様の「か」の字も入る余地はない。
でも、そんな無機質な世界観を時折悲しく思うこともある。
だから、もし、神様が居てくれたら素敵だな、とも思う。
目の前の彼女のようにそれを信じられるのも少し羨ましかった。
「そっか。自然科学が大好きな星崎君らしい返答だね」
その答えに僕は少し驚く。彼女と科学談義をした覚えはないんだけど。
「なんでわかるの?君とはそういう話したことないんだけど」
授業での態度から推測したのだろうか。
「だって、隣の友達とよく科学談義してるから。見てればわかるよ」
クスクスと笑う風間さん。
あまり交流がない僕なのに、大した観察眼だ。
「そっか。それで、質問の答えはあれで良かった?不愉快だったらごめんだけど」
彼女にしてみれば、無神論をぶつけられていい気はしないだろう。
「うん。満足だよ。それと、星崎君、君は一つ勘違いをしてるよ」
「勘違い?」
「うん。だって、私も別に神様なんて信じていないから」
あっけらかんとそんな事を言う風間さん。
僕はと言えば唖然としていた。
だって、風間さんは敬虔なクリスチャンのはず。
そんな彼女が神様を信じていないなんて。
「あのさ。風間さんはクリスチャンだよね」
念の為確認をしてみる。
「うん。そうだね」
それは間違っていなかったらしい。
「クリスチャンは、神を信じるものじゃないの?」
そう。そのはずだ。神様が居ない一派もあるのかもだけど。
少なくとも、カトリックはそうではない。
「普通はそうだね、普通は」
少し頭が痛くなってきた。
「神を信じてないのに、風間さんはクリスチャンなの?」
すでに肯定されている事だけど、最終確認。
「うん。私は、神を信じてないクリスチャンだよ」
敬虔なクリスチャンが聞いたら卒倒しそうな事を平然と言い放った彼女。
「それ、カトリックの教義と矛盾してると思うんだけど……」
いや、日本的には、そういうのもありなのか?
クリスマスも大晦日も元旦も祝うお国柄だし。
「そうだね。だから、正確には、クリスチャン(仮)なのかな」
(仮)って……。そんなのありなのか。
「そこまでして、なんで風間さんはクリスチャンやってるの?」
不思議で仕方ない。
「難しい問いだね。神とかイエス・キリストはどうでもいいんだけど……」
またとんでもない言葉が飛び出してきたな。
「だけど?」
「新約聖書の教えって、結構面白いの」
そういう彼女は、楽しそうだった。
「面白いって例えば?」
「うーん。"偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。"なんてのがあるんだよね」
「ミサとかで聞いたことがあったかも。どういう意味だっけ?」
「人の問題を指摘する前に、まず自分の問題を認識しなさいってとこかな」
「割と手痛い言葉だね。実践できる気がしないや」
自分のことを棚に上げて人を批判するなんて誰にでもあるだろう。
「私も全然実践出来てないよ。ただ、ためになる話だなって思うだけ」
そう、あっさりと言う風間さん。
「だけって……」
「でも、意識してたら、自分を戒められるでしょ?」
「それは確かに」
なんでもない事のように言うけど、それは尊敬できる事だと思う。
「あとは、"明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。"なんかも好きだな」
「それの意味は?」
「明日のことは明日の自分が考えるから、今日一日のことを考えなさいってこと」
「なるほど。結構いい言葉かも」
意識していても実践するのは難しいけど。
「他にも、聖書の一節は、読むと「ああ、私、全然まだまだだなー」って思える教えがいっぱいあってね、面白いんだよ。ところどころに、だから神に仕えなさいだの、神を信じなさいだの何だのがあるのは相容れないんだけど」
神への信仰は聖書の重要な部分じゃないのだろうか。
それを「相容れない」とは……。
「思ったんだけどさ。単に自己啓発本として読んでる感じだよね」
まさにそのものな気がする。
「ふふ。そうかも。自己啓発本として読むと色々面白いんだよね」
神なんて信じていないなんて言う割に聖書の事を話す彼女は楽しそうだ。
「だから私は、聖書の教えは面白いと思うけど、神は信じてないの」
「それで、クリスチャン(仮)か。クリスチャン名乗っていいの?」
ようやく、彼女の言いたいことがわかった。
「ご明答。名乗っちゃ……駄目かも。だから、秘密にしといてね」
指を唇の前にあてて、「しー」の仕草をする風間さん。
そんな仕草も様になるんだから、美人はずるい。
「わかったよ。にしても、風間さんがそんな不信心者だったなんて」
ちょっと可笑しくなってくる。
「幻滅した?」
「ううん。親しみが湧いた」
「良かった。両親が厳格なクリスチャンだから、言えないんだよね」
ため息をつく風間さん。
なるほど。だから、敬虔なクリスチャンぽく振る舞っていたのか。
「納得。ところで、最初の質問に答えてもらってないんだけど」
なんで空き教室で黙想をしていたのかだ。
「ああ。自分を見つめ直す、の意味ね」
思い出した、というように、頭をポンと叩く彼女。
「そうそう。何か、嫌なことでもあったの?」
「ううん。特にないよ。時々、ああやって心を落ち着けてるんだ」
「風間さんが怒ったりしてる場面って見たことがないけど」
だからこそ、聖女なんてあだ名がついたのだし。
「私も普通の人間なんだけどな……」
なんだか、微妙そうな表情をされてしまう。
「ごめん、つい。ほんとに、いっつも穏やかだから」
「うーん。私も、心のなかで怒ってる事はしょちゅうだよ?」
とてもそうは見えないんだけどなあ。
「でも、そうだね。黙想していると、心の整理が出来てイライラが収まるのかも」
そんな、少し客観的に見たような論評。
「黙想一つでそんな風に感情を抑えられるのは凄いと思うよ」
「ううん、まだまだだよ。さっきだって、困ってる人を助けてるだけで、なんで聖女なんて陰口叩かれないといけないのかなって、ムカムカしてたし」
珍しく、少し憤ったように語る風間さん。
そうか。聖女様というのは、ある意味畏敬の意味でのあだ名だけど。
彼女にとっては不本意なものだったのか。
「ごめん、風間さん。僕も聖女様、とか思ってたよ」
何気なく言ってた言葉だけど、彼女を傷つけていたとは。
「星崎君はいい人だね。黙っててもいいのに、そんな風に謝ってくれるなんて」
嬉しそうな顔。でも、その顔は初めてみるものだった。
いつもの誰かに見せるための微笑みと違う、ただ、嬉しそうな表情。
「いい人って程じゃないよ。陰口で傷ついた事は僕もあるってだけ」
自分が居ないと思っているところでの陰口は本当に傷つくから。
「そうなんだ。でも、ありがとう」
そうお礼を言う彼女を見て一つわかったことがある。
彼女は自分に厳しいだけなんだって。
自分を律しようと懸命だから、完璧に見えるだけなんだって。
「なんだか、風間さんのイメージが随分変わったよ」
もちろん、いい意味で。
「敬虔なクリスチャンじゃないってことが?」
少し悪戯めいた表情で、問いかけてくる風間さん。
「ううん。ただ、優しい一人の女の子だってことが」
そんな言葉が自然と口をついて出ていた。
「それ、口説いてる?」
少し風間さんが頬を赤くしている。しまった。
「いや、そういうつもりじゃなくって……」
慌てて弁解の言葉を探す。
「冗談だよ、冗談。そろそろ帰ろっかな」
問答を終えて満足したのか、風間さんは鞄を取って帰り支度をしていた。
「ところで、これからマッグに行くんだけど。良かったら、一緒にどう?」
そんな彼女の少し意外なお誘いに、僕は、
「喜んで!」
と返事をしたのだった。
こうして、僕と不信心者の聖女様との交流が始まった。
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