アナザー・ストーリー〜エピソード4「魅惑、由佳の狂気」
その入り口はポッカリを口を開いた魔物のようだった。
入り口から奥は真っ暗闇、物音さえしない真の暗みだ。
とても女一人で足を向けるような場所ではない。にも関わらず、この入り口の二人の女が立っていた。
「本当に行くの?」
「ええ」
「私には分からないよ。どうしてこんな事に・・・・」
「それは私だって同じだよ。ありがとう、真奈美。付き合ってくれて」
「ねぇ、由佳。もう一度考え直そうよ。無謀過ぎるって女のあんたが魔界に行くなんて」
「そうだけどもう手遅れだよ。私は人を殺した。しかも最愛の人を・・・」
「あの男は結局由佳を騙していたんじゃない。それはくらい分かるでしょ?」
「分かってる。だけどこの手に掛けたのは事実だから。私はもうこの世界に居られない」
「警察行こう。自首して罪を償って、それが終わったらもう一度やり直せば良いじゃない」
「真奈美、私は捕まるのが嫌で魔界に行くんじゃないよ」
「だったら余計・・・」
「また人を殺しそうだから魔界へ行くの」
「由佳・・・」
「私はもう人を殺す快楽を覚えてしまった。この手がね、私に言うの。殺せって」
「・・・・」
「私はもう人間じゃない。人を殺めた。後戻りは出来ないの」
「だけど、だからって何も魔界へ行く必要は無いでしょ」
「あるわ。魔界へ行けば私は人を殺さない」
「どうして?」
「魔界には殺人鬼しかいないんだよ。女の私じゃとても闘えない。だから私は人を殺さない。
だけどこのままこの世界に居たら、私は間違いなく人を殺す」
「自分を止めるために魔界へ?」
「そう。それしかないの」
そう言うと由佳は真奈美の方へ振り返った。
「真奈美、今まで本当にありがとう。私が信用できるのは貴方だけ。
だけどこのまま真奈美と一緒に居ると、取り返しの付かない事になりそうだから、私行くよ」
「由佳」
「それじゃ、またね」
そう言い残し、魔界の闇へ消えて行った由佳は、二度と振り向かなかった。
事の発端は数ヶ月前に遡る。
由佳には結婚を約束した彼が居た。彼の名前は雪城 裕也
由佳が18歳だったのに対し、裕也は24歳で一流企業に勤務するエリートだった。
裕也との出会いは出来心で参加した合コンがきっかけだった。
二人の共通の知人が、他数名をカップリングし行なわれた合コンで席が隣同士になった。
そのため二人は自然と話しをするようになり、気付けば意気投合を果たしていたのだ。
付き合うようになったのも極自然の成り行きで、気持ちを伝える前に既に身体の関係を持っていた。
今思うと明確な告白は無かったような気がした。由佳も面と向かって気持ちを伝えた事はなかったし
裕也も無かったはずだ。例え愛の告白がなかったとしても、二人の未来は輝いていたのだ。
幼い頃から愛情に飢えていた由佳は極度の寂しがり屋。自分一人で生きて行けるようなタイプではない。
一方の裕也もどちらかと言えば寂しがり屋で、少々頼りない一面もあったが、由佳はそんな裕也が好きだった。
表面的には気持ちは一致しているはずだった。
少なくとも由佳は裕也との結婚を考えていたし、その後の人生も共にするつもりでいたのだ。
だが裕也はそうではなかった。
元々親の七光りで世間に出た裕也は我慢と言うものを知らない。
おまけに性格は甘ったれで、親の敷いたレールを歩いてきた世間知らずの男。
由佳との初めての性交でその快楽を覚えた裕也は、その後は避妊せずに行為に走った。
受け入れる由佳としては、避妊しなければ子を宿すという事は知っていたが
裕也がそれでも良い。あるいはその気があってしているものだと解釈していたため
避妊せずのセックスを拒む事はしなかったのだ。それが仇となった。
避妊せずに一ヶ月が経過した時、由佳は子を宿した。
医者からは「おめでたですよ」と言われ、由佳自身も大いに喜んだ。
共働きで、尚且つ由佳が中学生の頃に交通事故で両親は一度に他界。
親の愛情などほとんど与えられなかった由佳にとって、最愛の人の子を宿す事はこれ以上に無いほどの喜びだった。
だが妊娠した事実を裕也に伝えると、裕也は顔を真っ青にしてこう言った。
「堕ろしてくれないか?」
それは由佳にとって「死の宣告」と同じ破壊力を持っていた。
結婚の約束をしていたのは事実だが、裕也は明らかに由佳の妊娠についてビビっていた。
突如として突き付けられた現実を拒否したのだ。元々親の七光りで社会に出たような男だ。
当然の反応といえば当然でもあるが、まだ無垢だった由佳にとって、それはにわかには信じがたい態度だった。
妊娠した事実を告げた翌日から連絡する回数が減った。
「どうして電話に出ないの?」と問い掛けても「仕事が忙しいんだ」としか言わない。
やがて連絡は来なくなり、毎日のように送っていたメールも、由佳が送らなければ返事が来ない状況になった。
妊娠する前は裕也のほうから五月蝿いほどメールが来たというのに。
その後しばらくすると今度は電話が通じなくなった。掛けても「おかけになった電話番号は現在使われておりません」と言う
冷たいアナウンスが流れるだけ。
更に関係を切る行為はエスカレートし、裕也の勤め先に電話しても彼には繋がらなかった。
電話を受けた相手の反応から見て、おそらく裕也から「いないと伝えてくれ」と言われているであろう事は明白だった。
自分は捨てられる。宿した子供と一緒に・・・。
まだ18の小娘である。頼るべき存在に捨てられてはどうしたら良いか分からなくなって当然だ。
シビレを切らした由佳はとうとう彼の会社と自宅を訪れた。
だがそこに彼は居なかった。会社の上司が現れ「裕也は2日前に退職した」と由佳に告げたのである。
上司の話しぶりから察するに、嘘を言っているようには見えなかった。どうやら本当に辞めた様である。
その足で自宅にも向かったが、もはやもぬけの殻だった。とっくに引っ越した後であり、自宅は空室になっていた。
逃げられた・・・・。この時まで心の片隅にわずかな希望を持っていた由佳だったが
もはや現実は変わらなかった。由佳は子供と一緒に捨てられたのである。
その後由佳は子供を堕ろした。
親の居ない由佳はたった一人で子供を堕ろすという背徳行為をやってのけた。
勿論、こんな事はしたくなかった。だがまだ二十歳にもならない親の居ない女に、どうやって子供を育てろと言うのだ。
人間的にも経済的にも、由佳自身が食べるだけで精一杯なのだ。
由佳は自分の本当の気持ちを押し殺し、泣きながら我が子を堕ろした。
「次は別のお母さんの身体に宿ってね」
「こんなママでごめんね」
「魂だけになって、いつか私を殺しに来てね。その時、私は喜んで貴方に殺されるから」
幾度と無く繰り返された自責の念に、由佳の心は大きく傷付き、もはや修復は不可能な状況に陥っていた。
子供を堕ろした由佳にはやるべき事があった。
それは最愛の人、裕也を抹殺する事だった。
犠牲は私たちだけで十分。彼が生きていたら同じ苦しみを味わう人が必ず出てくるだろう。
それだけはなんとしても阻止せねばならなかった。
由佳は興信所に裕也の行方を調べるようにお願いした。
すると呆気なく裕也は見つかった。驚いたことは裕也は以前住んでいた場所の隣の地区に住んでいたのだ。
しかも、新しい女と一緒に・・・。
鬼畜とはまさにこの事だった。由佳は自宅からありったけの凶器(包丁やカッターナイフなど)をバッグに詰め夜を待った。
興信所からの情報によると、夜は新しい女と一緒に過ごしているようだった。
由佳は裕也の家に忍び寄り、深い深夜を待ち、行動に移した。
案の定、裕也の家から女の喘ぎ声が漏れている。どうやらよろしくやっているらしい。
季節が夏だったせいもあり、裕也の家に窓ガラスは網戸になっていた。
気付かれないようにベランダに侵入すると、由佳は渾身の力を込めて網戸を包丁で引き裂いた。
「きゃああああっ!!」
裕也の下で両足を広げていた女が叫んだときにはもう遅かった。
由佳の振り上げた包丁は、女の上に重なっている裕也の背中から、下にいる女の腹部に突き刺さった。
包丁の柄の半分までが裕也の身体に突き刺さっている。相当深く刺さっている証拠だ。
刺さった場所も悪かった。刃はちょうど裕也の心臓を突き破っていたのだ。
ほとんど即死だったが、由佳はそれで手を休める事はしなかった。
由佳は何も言わず、ずっと黙ったまま何度も包丁を裕也と女に突き立てた。
血肉が飛び散り、内臓が露になる。口から大量の血が流れ、二人の喉がゴボゴボと嫌な音を立てる。
夜が開け、日差しが部屋に差し込む頃には、もはやそれが人間の原型とは思えないほど、無惨な姿と化していた。
この事件は警察でも大きく取り上げられ、メディアにも伝えられた。
だが、未だに犯人は捕まっていない。
自分の元から去って行く由佳を見つめたが、真奈美は涙を流さなかった。
「こうするしかない」と言う諦めは真奈美も分かっていたのだから。
魔界の闇に包まれた由佳は、目を閉じ静かに歩いた。
そして思う。
「もう二度と戻らない。私を愛してくれる人なんていないから」
この3年後、由佳は魔界で魔矢と出会う事になる・・・。
END




