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真白き夜の夢

作者: 森永

 博士。私が貴方の家を出てから、どれくらいの月日が経ったでしょうか。


 時間をあまり気にすることのない私は、ついついそういったことを忘れてしまいがちですが、恐らく十年は経過しているでしょう。ぽっかりと穴が空いたような空虚感がその歳月を表しているかのようです。今さら帰ってきたのかと、いくら優しい博士でも怒るかもしれませんね。本当に申し訳ありません。

 けれど安心して下さい。

 家を出る前に、貴方に誓ったあの約束。一方的なものでしたが、きちんと守ることが出来そうです。


 本当のことを言えばもう少し早く帰って来れたのですが、ここへ来る決心がなかなかつかずに、こんなに遅れてしまいました。情けない私を許して下さい。私は少し怖かったのです、この顔で貴方に会いに行くことが。

 せめてものお詫びに、博士が好きだった花をたくさん摘んできました。

 償いにはほど遠いかもしれませんが、きっと貴方はこれを見たら以前と同じように許してくれることを私はすでに学んでいます。あの時も、博士はあれだけ怒っていたにも関わらず、この花を一輪差し出しただけの私を受け入れて、最後には許してくれましたから。

 小賢しいと思いますか?

 けれど、私をこう育てたのは他ならぬ博士、貴方自身です。

 __なんて、そんなことを言っては責任転嫁だと呆れられてしまうでしょうか。でも、私が小狡いのは博士もすでにご存知だったはずです。あの時だって絶対に入るな、と言われていた研究室に好奇心が抑えられず、博士を騙して私は足を踏み入れたのですから。


 秘密の研究室に入ったとき、思わず拍子抜けしました。穏やかな博士があれほどキツく禁止する部屋に、私は多大な期待を寄せていたからです。博士の几帳面な性格がよく表れたような整頓された部屋。どんな秘密が隠されているのかと推測していた分、他とさして変わらない様子に私が落胆して出ていこうとした時、私はあの写真を見つけてしまったのです。

 そうです。博士が何よりも大切にしていた、かつて行方をくらました貴方の婚約者と幸せそうに隣り合っていた写真です。

 私がそれを見つけて、これは何かと尋ねたとき、博士はたいそう怒りましたね。

 博士が怒った所など一度も見たことがなかった私は、あの頃には感情を少しだけ理解していたので、とても狼狽しました。博士から見たら無表情でしたでしょうが、あれでも内心は焦っていたのですよ?

 だから私は、博士がとても好きな、あの白い花を摘みに行ったのです。博士がいつも通り、微笑んでくれるようにと考えながら。

 嵐の中出掛けたので、やっと見つけた一本も所々千切れてしまいましたが。

 けれど、博士はずぶぬれの上に、泥だらけになって帰ってきた私をその花ごと抱きしめて、結局許してくれましたよね。心配した、と言っていってくれたことが、とても嬉しかったのです。

 私が悪いのに、博士は怒りすぎたね、と謝ってくれました。そして、しつこく写真を気にかける私を苦笑したのでしたっけ。


 それから、古ぼけた写真のこと。かつての婚約者のこと。結婚式間近に行方不明になってしまったこと。探しても探しても見つけられなかったこと。それがとても悲しかったことを私に教えてくれました。

 ”だからせめて君だけは側にいてほしい”と、涙に濡れた顔で笑った貴方に、胸が締め付けられるようだったことを今でもよく覚えています。尋ねたいことが他にもあったはずなのに、理解不能の胸の痛みで、口を開くことがなぜか出来ませんでした。ただ、小さく震える貴方を眺めるだけしか。


 それからも貴方と私の二人の生活は変わらなかったように思います。

 一年、五年、十年と、確実に時は過ぎ、貴方もまた確かに年を取っていきました。白髪が交じった髪の毛、皺が増えた皮膚、掠れが多くなった声___着実に忍び寄る死の影を穏やかに受け入れる博士と同じように、私も静かに時を過ごそうと思っていました。私自身が動かなくなるその瞬間まで、ここから動くまいと固く決めていたのです。

 けれど、博士が亡くなった時。

 あまりに安らかな貴方の顔を見て、私はいつぞやの疑問が消えることなく燻っているのに気がついたのです。

 それは今まで経験したことのない、激しい圧力でした。唐突にその答えを今すぐにでも探しに行かねばと急き立てる衝撃だったのです。

 そしてそれと同時に疑問を解消しない限り、私は心静かに貴方の隣にいられないことにも気がつきました。


 収まらない衝動は私に答えを探す旅に出ると決心させ、見晴らしの良い丘に眠る貴方に約束をさせました。答えを見つけたら、必ずここに帰ってきます、と。

 なんて大げさに言いましたが、実際に家から離れるときに少しだけ、決心が鈍りました。不思議なことに、”そばにいてほしい”と涙を流した博士の声が聞こえた気がしたのです。おかしいですよね。


 それから、どれほどの間流離ったでしょうか。ようやく、貴方の最愛の婚約者であった綾崎ヒロさんの血縁の方にお会いすることができたのです。残念なことに彼女に会うことはできなかったのですが、それでも私がお話した方は、昔博士の隣にいた若かりし頃の彼女によく似ていて、同時になぜか懐かしい気もしました。

 なぜでしょうね?___ああ、そういえば博士にも少し似ていたのかもしれません。優しい目元や、穏やかな笑い方などが。


 ねえ博士。

 貴方が私に真実を教えてくれたあの夜、貴方は”君だけでも側に”と言いましたよね。

 けれどそれは正しくはありません。なぜなら綾崎さん、彼女は博士を愛し続けていたからです。病を患っていた彼女は、貴方と婚約した後に自分があと余命一年だと知り、貴方の前から姿を消すことを決意したのだそうです。病のことを知らなかった貴方は、たとえ事情を話しても、自分を引き止めると思ったのでしょう。私が知る博士もおそらく同じ行動を取ったと推測できるので、彼女の考えは間違いではなかったのではないでしょうか。だから、貴方に何も言わずに姿を消すと決めたのだそうです。結婚して傷が深くなる前に、と。


 その判断が正しいものであったのか、私には分かりません。事実、悲しませないようにと下した彼女の決断は、博士を必要以上に苦しませたのでしょう。近くで見ていた分、それは痛いほど伝わってきました。けれど、彼女が最後まで貴方を愛した、それだけは確かです。


 博士はときおり悲しそうに、苦しそうに目を伏せてましたね。私はそれを知っていました。けれど、博士の悲しみが何なのかは、まるきり分かっていなかったのです。

 どうして婚約者を失った貴方が、私を苦しげに見つめていたのか。

 どうして私の名前を呼ぶ時に、少し躊躇うような様子を見せるのか。

 分かっていなかったのでしょう。誰よりも近くにいた私は、貴方のことをちっとも。

 けれどこの旅に出てようやく、貴方の悲しみに、心に触れられた気がするのです。



 ___博士。


 貴方は婚約者を失って悲しかった、だから私を作ったのでしょう?

 彼女そっくりの、けれど人間ではない機械の私を。

 感情も乏しく歳も取らない、外見だけが同じの私が、貴方の中の彼女を傷つけてきたから、貴方はあれほど憂えていたのでしょう?

 私の存在が貴方を傷つけていたのなら、それはとても悲しく申し訳なく思います。


 けれども、貴方は確かに私の前で微笑んでくれた。感情を教えてくれた。温かいものをいつも与え続けてくれた。


 それだけは本物だと、真実だったと考えてもいいですか?

 時折頭を撫でてくれた優しい手のひらは、私だけのものであったと都合よく解釈してもいいですか?

 あの笑顔は、確かに私__白に向けられたものであったと、信じてもいいですか?


 私は機械です。あなたの最愛の人の形を模しただけの、ただのアンドロイドです。ですが、貴方の側にいた時間と、貴方を想う気持ちを誇りとする、白という名をもった存在です。

 それだけは私の唯一で確かなもの。


 だからどうか、許して下さい。

 約束を果たした今、貴方の側にいることを。

 この想いを、守り続けることを。


 貴方が私を作ってくれた。

 貴方が私に名前を与えてくれた。

 貴方が私を呼んでくれた。


 それだけで、私の中に生まれたものが、確かにあったのです。

 既成の物を覚えるしか出来ない、機械の私にも生み出せるものが。


 それを伝える術を私はすでに持ちません。それを何と呼ぶのか、私が悟る前に貴方は逝ってしまったから。



 だから。


 せめて博士のそばにいさせて下さい。祈らせて下さい。

 私が動かなくなる、最後の瞬間まで。


 白い花が似合う、貴方の眠りがどうか安らかなものでありますように、と。




                                貴方が作ったただ一人の娘 佐藤 白より

”白”の名前は、博士の叶わなかった願いにちなんでつけられました。

意味が分からん!という方で、知りたいと思う奇特な方がいらっしゃったら、どうぞご質問を^^

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