第五話 『継承』
「なるほど。運命、か。確かに、お前の言う通りなのかもしれないな」
しかし私は、個人の意思だけで運命が決まるわけではないことを知っている。
世界もまた意思を持ち、私達の運命に関わってくるのだから。
「とりあえず、父さんは認めてくれるんだね。俺が主人公になるということを」
「まあ、待ちなさい。これは本当に大切なことだから、慎重に話をしたいんだ。そこでだ、私のほうからお前にいくつか質問をさせてくれないか」
「もちろん、かまわないよ」
遠くから小さな雷鳴が聞こえた。
これも何かの運命的な啓示だろうか、などと私は考えたりしない。
そんなものはたんなるこじつけにすぎないからだ。
嵐であれ、雷鳴であれ。
そして、夢であれ。
「お前は、母さんがいなくなってから、母さんの部屋に入ったことがあるな?」
ある、と息子は答えた。
もうこれで十分だった。
すくなくとも、運命が私の望まざる方向に動いていることはわかった。
だが私はあきらめない。
望まざる運命に抗うために、私達は意思という力を持っているのだから。
だからあきらめないし、あきらめたくない。
「なら、部屋の中にあるものも、見たんだな」
「見たよ。まさか母さんがあれだけのものを持っていたとは思わなかったよ。でもそのおかげで、俺は自分が目標とすべきものを、主人公という特別な存在を見つけることができた」
いなくなった妻の部屋にあるもの。
それは彼女が三十年以上にわたって収集してきたマンガや小説、ライトノベル、アニメや映画のDVD……。
ようするに、空想の世界だ。
こぢんまりとした部屋には特注の大型書棚がいくつも並び、大量の書籍が収められている。クローゼットには自作の棚が設置され、DVDやアニメ雑誌などが収納されていた。
テレビなどで大学教授の研究室を見たことがあるが、まさにそんな感じの部屋だった。
そう。
私の妻は空想の世界に……。
いや、夢と希望と冒険に満ちた物語の世界に深く魅入られ、心を囚われていたのだ。
私と出会う前も。
私と出会い、結ばれたあとも。
そして、息子が生まれたあとも。
「あの部屋には鍵がかかっていたはずだ。どうやって、中に入ったんだ?」
「母さんはいなくなる前に、あの部屋の鍵を俺に託してくれたんだ」
息子はズボンのポケットから部屋の鍵を出し、私に見せる。
「これを託してくれた時、母さんは言ったんだ。自分の身に何かあったら、あの部屋を自由にしていいって。きっと母さんは、あの部屋を通じて俺に伝えたかったんだと思う。世界は、無限の希望と可能性に満ちているってことをさ」
「お前はその時から、主人公になることを決意したのか?」
「はっきりと意識したのはその時だったよ。でも、小学生の頃から俺は漠然とそういう思いを抱いていた。この世界についても、もっと刺激や感動があるべきだと思っていた。この世界は平穏だけど平凡で、俺が求める理想がない。そうだね……、きっと俺はその頃から、俺の理想とする世界で、その中心である主人公になりたいと思っていたんだよ。そして母さんの部屋に入った時、俺は主人公になれると確信したんだ。俺に託されたたくさんのものを見た時、母さんが大丈夫と言って、俺の背中を押してくれたような気がしたんだ」
私はうなずき、息子の顔を見る。
瞳に宿る輝きには、少しのくもりも見えない。
まったく……。
妻は、いや彼女は、じつにとんでもないものを息子に残していったようだ。