第十三話 『世界』
その時の息子の声は、とても無機質な音声として私の耳に届いた。
息子の言葉は不気味な残響と共に、私の頭に、そして心に広がっていった。
何一つとして言葉を見つけられないまま、私は息子を見る。
彼はゆっくりと起き上がり、私と向かいあうように立った。
「誰もが同じ理想をもって生きているわけじゃない。たしかに父さんと母さんは強い絆で結びつき、理解しあって、愛しあっていたんだと思う。それでも、父さんと母さんが求める理想は結びつかなかったんだ。同じ世界に生きていても、その世界に求める理想はちがったんだ。だから母さんは、この世界を離れなければならなかったんだ。母さんが、母さんの理想とする世界を手にするために」
「待ちなさい。お前は、何を言ってるんだ。まるで、母さんがいなくなった理由について、何か知っているみたいじゃないか」
「そうだよ。今から三年前の春、小学校の卒業式の前日に、母さんは俺に言ったんだ。理想とする世界を求めに行くって。俺や父さんとの暮らしは平穏で、満ち足りたものだった。だけどそれは父さんが理想とした世界であって、母さんが理想とする世界ではなかったんだ。父さんは自覚してないだろうけど、父さんは母さんに自分の理想を押し付けて、母さんの理想を否定していたんだ。だから母さんはこの世界から、父さんが理想とする世界から去ってしまったんだ」
息子の声には、今までになかった熱のようなものが感じられた。
おそらくそれは、怒りなのだろう。
「そして母さんは、俺にあの部屋の鍵を託してくれた。お前はお前が理想とする世界のために生きなさいと言って。そして、母さんは、いってしまったんだ」
嵐の音が遠のいていく。
息子は口を閉じ、私は沈黙し、静けさがゆっくりと満ちていく。
もし、今の息子の話が本当なら……。
いや、息子がこんなうそをつくはずがない。
今の話は本当なのだ。私はそう信じるべきだ。
そして、認めなければならない。
私が理想を求めたことによって、私の理想は壊れてしまったということを。
私自身の手によって、壊してしまったことを。
「父さんがいる限り、俺は俺の望みを、理想をかなえることができない」
息子の声は震えていた。目にはうっすらと涙がにじんでいる。
その涙が意味するものが何なのか、私にはわからなかった。
「だけど俺は父さんを失うことができない。父さんを殺すこともできないし、海外へ単身赴任させることもできない……。俺は、父さんの理想とする世界の前では、あまりにも無力だ」
そんな力は持たなくていい。そんな力を持ったところで、何になるというのだ。
私はそう言いたかった。だが、言えなかった。
「こうなった以上、俺にできることはただ一つだ。父さんを失うことができないのなら、この世界で俺が主人公になれないのなら、俺自身がこの世界から失われるしかない」
まさか、と思い私は叫ぶ。
「早まるな! 冷静に現実を」
「俺は異世界に行く」
私の叫びと同時に、息子は言った。
「………………」
「………………」
「……お前は今、なんて言ったんだ?」
私の問いに、息子ははっきりと答えた。
「俺は異世界に行く」




