第九章 そして魔王は福音を受ける
「こ、こんばんは…ナーシャさん。」
「こんばんは、鈴宮様。どちらへ?」
コトリアさんに二曲も付き合ったせいか、アルマは強硬に自分の方が多くなくてはイヤだとダダを捏ねて、結局三曲をお付き合いした。
『なによ!私よりコティが良いって言うの?この、浮気者〜。』と言われてしまえば致し方ない。無条件降伏以外に取れる解決法を僕は持ってない。
その後、苦笑気味のクランス君が代わりを務めてくれて、僕は晴れて自由の身となった。今度、お礼を言っておかねば。
それにしても舞踏会がこんなに深夜まで続くとは思わなかった。
主賓クラスの退場と共に会場を後にしたのだが、部屋に戻りシャワーを浴びたらかなり遅い時間になっていた。
遠くではまだ何やら音楽も奏でられているようでまさに不夜城の様相である。
で、身支度を整えて廊下に出ると何故かナーシャさんが待ち構えていた。
「えーっと、寝るまでの間に少し本を読んでおこうかなって。」
「今夜は城内に様々なお客様がいらっしゃいます。早々不埒な者はいないと思いますが、明日に備えて今夜はお部屋にいらっしゃって下さいませ。」
「危険…ですか?」
「明日の宣言の前が唯一と言えば唯一の機会ですからね。
…特に人間族の鈴宮様は我らが一族と違って血の呪いがありませんから、つまみ食いしても影響力が出ない上に、今日だけは公式的に文句は言えないですから…。」
ナーシャさんは何やら考え込んでブツブツと呟いている。
「アルマも危ないと言うことですか?吸血鬼族はまだ内紛があるのですか?生命を狙われるような?
僕は昨日、吸血鬼族の近代史を勉強しましたよ。
コトリアさんは暗殺未遂にあってますし、同じ様な事が起こる可能性があるならアルマを護りに行きます。」
「え!…そっちは恐らく大丈夫です。侍女が総出でお側に付いておりますし、どちらかというとコトリア様尽きぬお話があるようで今日はご一緒にお泊りになるようです。
…そっちは別意味で計画に支障があるのだけれど…ブツブツ。」
「コトリアさんが一緒なら、シャイターンさんもご一緒という事ですよね?なら、安心ですね…僕が行くまでもないか。」
「流石に外聞があるので、鈴宮様をお嬢様のお部屋に公けにお泊めする訳にはいきません。」
「分かりました。そういう事情なら今日は大人しく鍵を掛けて寝ることにします。
おやすみなさい、ナーシャさん。」
「ご不便をおかけします、鈴宮様。早めにお嬢様には抜け出して…いえ、何でもありません。
では、おやすみなさいませ。」
僕はナーシャさんに一礼して、部屋に戻ってベットに直行した。
明日がお披露目会としては最後の行事の筈だ。
今日までが僕という存在をそれとなく、周囲に紹介する意味合いでのお披露目会。
明日、アルマが僕との契約を公にして
終了である。
婚姻する場合には、コトリアさんのように結婚式までやるそうだが僕らの場合にはまだそういう段階じゃない。
ナーシャさんがいう『危険』がクール家…吸血鬼族の事情なのかもしれない。大公家ともなればそれなりに相手方の格式で婚約者を選ぶだろう。
契約者としてのみ紹介し、婚約者としては暗喩するのみ。
そこまでして儀式を急ぐ理由がクール家にはあるに違いない。きっとアルマが考えるより、ずっと深い何かが。
…僕の気持ちはどうなんだろう。
あんなに可憐な女の子が自分を好きでいてくれるなら嬉しい。
でも、それは状況であって僕の気持ちではない。
大きなベットの上で大の字になりながら、考えてみる。
アルマが吸血鬼でなかったら、アルマが公女でなかったら…それでもあの時目の前で死にかけていたアルマを見捨てる事など出来なかっただろう。
たまたま救う方法が血の契約であっただけで、その他にやりようがあればそれを実践していたはずだ。
僕は…アルマを護りたい。
自らの過ちを告白して、僕の腕の中で泣きじゃくったアルマを僕は護りたい。この感情が恋なのか、愛なのか…それは正直分からない。
歴史書なら簡単に読み解けるのに、自分の心ほど複雑怪奇で分析が厄介なものはないな…思考が堂々巡りをしている内に僕は意識を手放していた。
☆
「ナーシャさん、大丈夫ですか?」
「うん、目の下にクマが出来てるわよ。無理しないでね、ナーシャ。
私も久しぶりにコティと夜中までおしゃべりして、一緒のベットで寝ちゃったわ。いつくらいぶりかしら?」
「大丈夫です。鈴宮様、お嬢様…まだチャンスはございます。いえいえ、独り言ですわ。」
今、僕らは昨日の大広間で玉座を中央にコの字型に列席していた。
玉座と並んでドロレスさんの座る大公妃席。一段降りてクランス君の公子席が設けられている。
僕らはもう一段下だが、招待客よりも一段高い。
階段の昨日とはうって変わって、外の景色がよく見える開放的な空間になっている。これも魔術なのだろう。
ナーシャさんの独り言はドロレスさんが口を開くと共に止まった。
「昨日はクール家が公女アルマディータ主催の舞踏会を皆が堪能してくれた事を嬉しく思います。
本日は公女アルマディータより皆様にお話があります。」
ドロレスさんの手が左側を指し示すと純白に緋色ラインポイントが目を引くドレスに身を包んだアルマに全員の視線が集まる。
左腰には愛用のレイピアが収まっている。見事な柄のレリーフが刃の切れ味を容易に想像させる。僕らはこれから始まる儀式の為に帯刀を許されていた。借り物の帯刀用のベルトが面映い。
みんなの視線の集中をうけ、隣にいる僕まで緊張してしまう。アルマも緊張しているのだろう。少し震えている。
僕は手袋の上からそっとアルマの手を握った。
温かくて、柔らかいアルマの手が優しく握り返してくる。ちらりと笑みを交換するとアルマの肩の力が抜けるのが見えた。最後にきゅっと一際強く握り返して手を離すと、アルマは玉座の正面に移動して招待客に向き直る。
「昨日はお楽しみ頂き、光栄です。
若輩者ゆえ、至らぬ点もあったかと思いますが、その点は御寛如頂ければ幸いです。」
ゆっくりと腰を少し落として優美に一礼する。
列席者が一様に答礼をする衣擦れの音だけが広間に木霊する。
「私、アルマディータ=ド=ラ=クールはここに鈴宮彩を我が契約者に任ずる事を宣言します。
もし、異議があらばその剣を掲げよ。」
アルマは場内を見渡す。
「異議あり!コトリア=ヴァルフォーレがヴァルフォーレ公爵家を代表して異議を唱えるわ。」
ざわり。
なんだ!?予定調和…段取りされた儀式じゃないのか?
今日の式次第など貰っていない僕としては頭の中で混乱しかない。
周りはそれほど驚いてはいない。念のため、後ろに控えるナーシャさんを見たが『どうかなさいましたか?』というように見返されてしまう。
こんなの勉強した典礼辞典にも載ってなかったぞ。今の僕なら吸血鬼族の儀礼典礼についてのレポートが書けるくらいにはなっているつもりだが、まだまだ知らない事もあるようだ。
昨日、強引にダンスに誘われたコトリアがこちらも腰にレイピアを帯刀して前に出てきた。
「人間族を契約者にするなど前代未聞。我が剣に賭けてこの契約を認めませんわ。」
「ならば、剣には剣を以って応えましょう。アルマディータ=ド=ラ=クールの名のもとに勝利を以って契約たらんや?」
「宜しいですわ、私に勝ったら貴女の契約を認めましょう。
ご列席の方々もそれで宜しいか?是とするなら、沈黙を以って応えられよ。」
列席者からは沈黙の返答。
コトリアさんがレイピアを抜いて、自分の前に垂直に構え、礼の姿勢を取る。アルマも合わせてレイピアを構えて、礼の姿勢を取る。
左手を腰に、右手で構えたレイピアの切っ先がゆっくりと近づく。
ちりっ。
本人達にしか分からないような切っ先の触れ合う音を合図に見事な突きの応酬が始まる。相手の突きを曲げて躱し、逆に相手の間合いへ。それを身体を反らして躱しながら手首を捻って反撃。
速い。
見きれないくらいではないが、風城先輩の突きの速度に匹敵するほどのスピードだ。アレに毎度付き合わされている自分としては見慣れている速度だが、自分があの二人の前に進んで立ちたいとは思わない。
因みにどんな風に終わるんだ?
これ?
撃ち合うこと五十合はいっているだろう。周りもソワソワしだしているのが分かる。
二人共真剣勝負になっている気がする。最初の手合わせから以降、速度が上がりっぱなしになってきている。
本人達は夢中なんだろうけどね。表情が楽しげですらある。
しかし、アルマはよくハイヒールであんな動きをするよなぁ。コトリアさんはかなりのローヒールでいつもなら双子のように背丈まで一緒なのに、少しだけ身長差が出ている。
元々手合わせはここまでの本気で演るのではないのではないかな?
あ、アルマ…今のは悪手だと思うよ。
相手を誘う為に態と下半身を狙い、コトリアさんのステップを止めようとしたのだが返って踏み込まれてしまう。
僕は傍観者の立場で分析をしてしまう。このままだと…。
どこまで本気か分からないが見ている前で怪我をされるのは嬉しくない。
アルマのレイピアが空を滑り胴が空くのを見た瞬間、頭で悩むより身体が動いていた。
キーン。
金属音は後からやってくる。
コトリアさんの突きを虎杖丸を少し抜いて刃の腹で受けた。
突き抜ける筈だったレイピアが邪魔をされて撓る。
「コトリア殿下、そのくらいにして頂けませんか?アルマディータ殿下はハイヒールなもので、後退が上手くいかないんです。」
コトリアさんの目が驚きに見開かれた次の瞬間、ニヤリと少し嫌な予感のする笑みがその美貌に宿る。
アルマは固まったままだ。
「アルマが勝てないと鈴宮様の契約は認められませんのよ。
貴族同士が名乗った試合に割り込むなんて生命知らずですわね。負けたら命はないんですのよ。」
「参ったな、そんなつもりじゃなかったんですけど。」
「彩…私の為に♡」
別意味でウルウルしているアルマを放っておいて、僕はレイピアの切っ先から虎杖丸を退けた。
コトリアさんもレイピアを下げてくれる。しなし、その手を後ろから握る者があった。シャイターンさんがいつの間にかコトリアさんの後ろに立っていた。
「シャイターン…わ、私だってそんなにムキになってなんかないわよ。ほんのちょっとだけだってば…そんなに怒らないでよ。」
コトリアさんは悪戯が見つかった子供のようにシャイターンさんに言い訳する。
やっぱりムキになってたんだ…という突っ込みはこの際止めておく。
シャイターンさんは優しくコトリアさんからレイピアを受け取るとゆっくりと僕に対峙した。
「では、決着は契約者同士でつける事としましょう。」
ドロレスさんの一言でその場がざわつく。
「お母様…大公妃殿下、そんな!」
アルマの悲鳴を掻き消すかのようなざわめきが広間を埋め尽くす。
興奮、熱気…困惑、興味津々といった感情が渦巻く。
「アルマ…下がっていて。死なないように頑張ってくるから。」
「絶対無理しないでよ。彩は人間の身体なんだからね。相手はコトリアの魔力の恩恵を受けて治癒力も有るんだからね。」
「ふむ、それは忘れてた。」
「ちょ、大丈夫なの?」
「なんとかするさ。さ、僕間合いから離れて。」
コトリアさんはとっくに列席者の最前列に戻って観戦を決め込んでいる。
僕も相対して、直立からシャイターンさんに一礼する。
顔の前にレイピアを構えて答礼してくれる。
虎杖丸の鞘を左腰に溜めて少し後ろに引き、抜刀の構えを取る。
…狙いは初撃。
レイピアがゆっくりとこちらへと降りてくる。
ピタリ…僕の眉間を狙う位置で止まった瞬間。
僕らは動いた。
キュィーン…先程より更に甲高い金属音が響く。
僕らの動きを見切った人は…霊魔界人は居ただろうか?
立ち位置を全く後退してお互いに背を向けている。
お互いの剣が弾き合い狙いを外した。
流石に貴族が使う逸品ものだ。根本から刃を斬ろうとしたが、自身の強度とシャイターンさんの捻りで躱されてしまう。ただし、手応えはあった。
もう一度お互いに向き直る。
頬に刺すような痛みが走る。つーっと、一筋の赤みが増す。刃で切られたというより圧縮された空気摩擦のせいだ。
アルマが息を飲むのが聞こえたが、余所見はしていられない。列席者は何が起こったか理解していないようだが、歓声だけはあがっている。
今度は鞘をベルトに挿して両手で青眼に構える。また、シャイターンさんのレイピアが眉間を指すのを合図に踏み込む。僕の全速力での打ち込みをものの見事に撃ち返す。刃に薄っすらと緑色の靄の様なものが纏わりついているがアレが魔力なのかもしれない。
霊魔界の剣術が魔力と結びついていても何の不思議もない。使える技法、力なら取り入れない方がどうかしている。切れ味なのか、スピードなのか影響力を悠長に見極めている余裕はない。一進一退の攻防を繰り返すこと数十合…広場が次第に息を飲んでくるのが分かってくる。先程の女性同士の撃ち合いの数倍の速さはあるだろう。
お互いに右に左に相手の剣をいなし、流して次の一手の機会を狙う。
そろそろか?
少し上体を反らして間合いを半歩詰める。案の定、レイピアの切っ先が僕の眉間を狙い真っ直ぐ進んでくる。
シャイターンさん、避けなかったら死ぬからね。その突きは!
手首を返してスナップを効かせて体重と共に虎杖丸を押し出す。
レイピアは突きを重視した武器であり、急所を的確に突くことで相手を戦闘不能たらしめる。
一方、日本刀などの反りのある片刃刀は押し斬る事で相手に打撃と致命傷を負わせて戦闘不能たらしめる。
思想の異なる武器。
レイピアは弛む。突きを重視した武器としてそのバネが打突を更にパワーアップさせるのだ。
押し斬る片刃刀がその打突を受け止めたら…押し返したらどうなるか?
レイピアは弛み、押し返そうとする。
もし、弛みの応力が集中するであろう箇所に傷が付いていたら?
その傷を広げさせる為に横振りのベクトルを掛け続けたら?
キン!
応力を押し返そうとする刀身が耐えたれなくなり…レイピアが断末魔と共に中程からぽっきりと破断する。
ごめん。これしか思いつかなかった。
僕は心の中で手折ったレイピアに頭を下げる。
折れたレイピアの先が石床に突き刺さる。諦念の溜息を漏らすように半身を震えさせている。
僕は虎杖丸を鞘に納め、その折れたレイピアの破片に手を伸ばした。
広間はまだ静寂に包まれている。
まだ、何が起こったか理解出来ていないのかもしれない。
視覚認識が脳内でゆっくりと変換され、理解されると歓声と拍手があがり始める。
正にその瞬間…ゾワリ。
僕の皮膚を嫌な風が撫でた。
反射的にそちらを見て、虎杖丸をいつでも抜けるように構える。
シャイターンさんもすぐに同じ方向を向く。折れたレイピアを心許なげに構える。
『異議がある。』
若い男の声が広間に響く。
異変に気づいた列席者がざわめく。
ドロレスさんが片手を上げて、収めなければ混乱していたかもしれない。
さすがは為政者と言うべきか。
『我がハルファス家を代表して位階序列五位の、このスイレスがアルマディータ公女殿下を正妃として申し受けたい。』
「ふん…丁重にお断り申し上げる。本日この時を以って我が娘アルマディータは鈴宮殿を契約者と定めた。
残念ながらクール家には複数の妻を娶る慣習はない。」
微妙に嘲笑の入り混じるドロレスさんの声が朗々と響き渡る。
相手もここにいる訳ではなく、声だけを広間に飛ばしているようだ。
この異様にねっとりとした感覚は魔力なのだろう。
意図的にこちら側に照射しているとしか思えない。力の誇示…威嚇と言ったところか。
恐らく声の主は外にいる。城の外壁の外にいるようだ。
ざっくりとだが、魔力の発信源がどの辺にいるのかが分かった。殺気が混じっているからなのかもしれないが今の僕には何故か確信があった。
『ならば、剣にて我が威を示そう。
我が名スイレス=ハルファスはこの契約に異を唱える。
認めぬのならばこの場にて、私に勝って契約たらしめよ。』
貴族には貴族のルールがある。
先程のコトリアさんとアルマの口上のように名前と名誉を賭けて挑まれた時、余程の理由がなければ逃げることは出来ない。
敵に背を向けるのは貴族の誇りが許さないのだ。
ドロレスさんが苦虫を噛み潰した顔をするのを初めて見た。
全員がドロレスさんの裁量を固唾を飲んで見守っている。
侍従から状況の説明を受けているドロレスさんの顔が沈んでいく。
「大公妃殿下、彩と共に参ります。」
アルマが一歩進み出て片膝をつく。
アルマを一人で行かせることはできないな。僕は構えを解いて、アルマの後ろに立つ。
「ダメよ、アルマ。もう契約の儀式は終わったのよ。貴女が応える義務はないのわ!」
コトリアさんが悲鳴を上げるように叫ぶ!
「ありがと、コティ。でも、これはクール家に対する異議だから。ごめんね。」
「な、なにを…言うのアルマ。
叔母様、ヴァルフォーレ家は異議に異議を申し立てますわ。契約はこの場の列席者の同意の元に成立していますわ。ハルファスの言うことなど捨て置けば宜しいのですわ!」
コトリアさんが玉座に一歩踏み出し声を上げる。
「ヴァルフォーレ家には感謝を…。」
大公妃は僅かに頭を下げる。
広間には安堵の吐息が漏れる。先方の挑発を無視してしまえば、この場ので丸く収まるだろう。
しかし、次の一言で空気が凍りつく。
「しかし、公女が言うようにこれは我がクール家に対する侮辱です。
公女アルマディータよ、契約者と共に赴いてクール家の威を示しなさい。
近衛師団は準備が整い次第、後を追います。」
ドロレスさんは契約の異議に関しては応えず、今回の異議は大公家に対する挑発として扱う事で仮に僕らが負けても契約は終わったのだという状況を作り出してくれた。
近衛兵の方々が到着するまでの時間稼ぎが僕らに与えられた任務というところだ。
骨は拾ってくれる状況の出来上がりだ。
「分かりました、大公妃殿下。我が名…我らが名前に賭けてあしらってご覧にいれます。」
凛として応えるアルマを他人事ならカッコイイんだろうなぁと思いつつ、僕は虎杖丸を握り直した。
☆
よく日焼けした吸血鬼というのも面白い表現だが、血色の良い筋肉質の男…あの声の主たるスイレスは腰掛けながら退屈そうに肩を揉まれていた。
小手と胸当てだけの上半身からは鍛えられた筋肉が覗いている。
背中には直刀の大剣が提げられている。恐らく打撃に特化した両刃大剣だろう。自重で肉体を叩き割る肉体派の武器の代表である。
城の外は赤茶けた土の大地が広がっていた。その向こうには鬱蒼とした大森林が広がっているのが見える。
その大地に華奢な女性を四つん這いにさせて、その上に座っている。真っ赤なビキニスタイルの水着に透き通るベールを身に纏っており、殆ど半裸と言って良い。その後ろでは椅子になっている女性と瓜二つの顔を持つ女性がその男の首筋やら肩やらを揉みほぐしている。唯一の違いと言えば翠のビキニを纏っている所くらいである。
趣味の良い光景とは言えない。
今にも雨が降ってきそうな分厚い雲のせいで余計に気鬱にすらなる。
「余り主人を待たせるものではない…アルマディータよ。
大人しく我が妻となれば良し。頷かねば我が屋敷にて『是非』と泣き焦がれる程に教えてやる。」
スイレスはゆっくりと立ち上がり、こちらに一歩近づく。
身長は僕より頭一つ分くらいは高い。
後ろには百や二百ではきかない数の兵士が片膝を付いて指示を待っていた。
物音一つ立てないその静寂さは返って異様な雰囲気を醸し出している。
「残念ですが、私の正式な契約者はここにいる鈴宮彩です。貴方の申し入れを受ける訳には参りません。
どうぞ、お引き取り下さい。」
アルマは出来るだけ丁寧に頭を下げる。
「何の話をしている?そこにはこれから死体になる男しかいないではないか。案ずるな、悪いようにはせんさ。ハルファス家にも跡取りは必要だからな、私の人形となっても子供だけは沢山産ませてやる。一人くらいはクール家に戻してやっても良いぞ。」
「双子の妻を娶ってまだ足りぬか?このケダモノ!
私はお前のモノにはならない。直ちに自分の領地に戻るが良い!」
アルマの声が硬さを増して放たれる。
「その人間族の雄がそんなに気に入っているのか?そんなものすぐに忘れさせてやる。」
「その汚らしい口を閉じなさい!吸血鬼族の面汚しが!
禁忌を冒し、二人の妻だけでなく契約者を無数に増やして魔力を得た成り上がり者が!」
「俺は選ばれし者だ。後ろに控える千人の我が兵士と精神を共有した所で何の問題もない。精神が壊れると言うが、益々冴えて来てすらいるぞ。
何も考えず、逆らわず、ただ俺の為に盾となり、魔力の糧となる。
どうやってこんな精鋭部隊を作り上げたか聞きたいか?
特別に聞かせてやろう…姦通だ。我が妻は博愛の精神が旺盛でな、屈強な若者がいれば独りにはしておけんのさ。一夜を共にすれば忽ち人形と化す。
妻は俺の人形だからな。俺の魔力を上回らない限り、こいつらを通じてお楽しみの瞬間には意識を手放すさ。
血呪いの事を忘れた酔っ払いの馬鹿共には俺の近衛兵となる栄誉を与えているのさ。
場末の酒場で日に二人、多い時には六人の兵士を量産してくれている。」
「…なんて、おぞましい。」
アルマが双子の様子を正視出来ずに目を背ける。
僕は得も言われぬ気持ちが迫り上がって来るのを感じていた。
知っているのに思い出せない。イライラする。なんだろう、この気持ちは?
初めて…いや、以前に何処かで感じた事がある。何だろう?
スイレスの話は聞いていて気持ちの良い話ではないが、この気持ちは…はて?
「さて、お前が出てきてくれたので機嫌よく饒舌になったがそろそろ飽きてきたな。
アルマディータよ、その元契約者に別れを告げよ。」
「お断りよ。」
アルマが間髪入れずに即答した瞬間、土埃が舞う。
ギュン。
圧縮した空気が鳴る。
スイレスは虎杖丸の切っ先の向こうでニヤリと不遜に笑う。
「逆らわず、素直にその首を落としていれば苦しまずに済んでいたものを。」
スイレスはアルマの返事と同時に背中の両刃大剣を引き抜いて袈裟斬りに僕に迫ったが、初速では僕には叶わない。虎杖丸の横薙一閃でその動きを止めたのだ。
「アルマ…少し下がっていて。怪我をしないようにね。」
「サイ、ダメよ。」
「いま、僕は少し変なんだ。もう少しで分かりそうな気もするんだけどな。だがら…今は邪魔しないで僕の間合いから離れて。」
何かのイライラが少し強い口調が出てしまう。
アルマは少し驚いた様子で目を見開くと、でも次の瞬間にはニッコリ微笑んで頷く。
「はい♪…怪我しないでね。」
今にもスキップしそうな勢いで距離を取って下がる。何であんなに上機嫌なんだ?その間も僕の視線はスイレスを外さない。
それにしてもなんだか嫌な感じだ。自分の中に湧き上がるイライラの正体を探りながら一旦刀身を鞘に納めて改めて口火だけを切る。
「人間族は脆弱な生き物だと聞いているが、お前の身体で試してやろう。」
四尺(=1.2メートル)はあろうかと思われる大剣をクルリと回して青眼に構える。性格は悪いだが、剣術は正式に教育されているようだ。隙きがない。
相手の切っ先が動いた瞬間、僕は間合いに飛び込み一閃を放つ。
スイレスの後ろにすり抜けながらの横薙ぎ。下段からの切り上げはしかし身体と小手のパリィで浅くしか入らない。
「ほぉ…俺の身体に触れるか。」
スイレスは左脇腹についた傷から流れ出る赤い血を指先で拭うと舌先で味合うかのように拭い取る。
見る間に傷が塞がっていく。あれが吸血鬼族の治癒力か。ハンデがあり過ぎるな。
「お前は楽には殺さん。良いことを教えてやろう。この剣は我が一族に伝わる魔剣でな…相当の魔力量がないと使いこなせん。分不相応な者がこの柄を握れば剣に取り込まれてしまうという。魔剣というのはな…。」
スイレスはそう言うと剣を僕に向かって素振りする。背筋にゾワリと悪寒が走り、虎杖丸を構える。
うっすらとした紅い光が放たれ、次の刹那刀身に触れる。
まるであの大剣の一撃をまともに受けたような衝撃が腕に走る。
何とか受け流すが剣撃…魔撃?で後ろに押されてしまう。踏みとどまったが、何度も食らうのは勘弁願いたい。
「このように己の魔力を刃として放つ事もできるのだ。もっとも…魔剣の謂われはそれだけではないのだがな。来い!」
スイレスは満足げに感触を確かめているようで、僕が魔撃を受け止めた事に
もニヤリと笑っただけだった。
僕は踏み込んで斬撃を叩き込むが大剣に阻まれてしまう。
「彩、危ない!」
アルマの声が耳元で響いて反射的にスイレスから間合いを取る。
真横から鼻先を何かが掠めた。何かが頭上から来るのを感じて虎杖丸を掲げた。
凄まじい衝撃と突風が僕を薙ぎ払う。
トラックに轢かれるとこういう感じになるのだろうか?
数メートルほど吹き飛ばされ、ゴロゴロを転がって土埃を立ててしまう。
ゲホゲホ。
口の中が土と鉄の味で嫌な感じだ。
血と一緒にジャリジャリする土を吐き出して立ち上がる。
いつもより紫に見える虎杖丸が震えからかカタカタと鳴る。
「これも躱すか…つくづく苦しんで死にたいらしい。」
いつの間にかスイレスの横には人間大…吸血鬼大の狐の様な動物が並んでいる。しかも二匹も。
「初めて見るか?そうだろう…これは我が魔剣の中に眠っていた霊獣だ。
魔獣や妖獣ではないぞ…この世界に七体しかいないと伝説が言う神獣に次ぐ力を持つという霊獣クラスを私は使役出来るのだ…しかも二体もな。」
稲荷神社に祀られていそうな狐のお化けが僕を睥睨している。瞳の色が紅のと翠である以外は純白の毛皮に包まれたその体は紅いオーラに包まれていた。あれが魔力なんだろう。
僕は案外冷静に霊獣を観察していた。
「彩、退いて!下がりましょう!…何を話しても無駄だわ!」
「おいおい、折角珍しい霊獣まで見せてやったのに帰るなんて、新妻にそんな風に言われたら寂しいじゃないか?」
「誰が貴方の妻になんかなるもんですか!」
アルマが勢いに任せて自身のレイピアを引き抜いて構える。
「夫に向かって剣を向けるなど、言語道断!しおらしくしていれば良いものを!」
スイレスがくるりとアルマを振り返り、魔撃を放つ。
この位置からでは間に合わない!
それでも僕はアルマに向かって跳躍する。
間に合え…護るんだ。必ず!
目の前の景色が歪み始める。
夏の高原で一度体験した超常現象が再現する。
アルマまでの距離が一気に縮まり、空間を跳躍する。身体を半身捻りながら迫りくる魔撃を弾き飛ばす。
上手く力を受け流す程の余裕がこの刹那にはない。
虎杖丸が悲鳴をあげるのが分かった。
ごめんね、もう少し頑張ってくれ!相棒!
そのままアルマを抱えて転がる。
スイレスが近づく気配にそのまま転がって距離を取り、立ち上がる。
「大丈夫かい、アルマ?」
「いてて…私を押し倒すのは百年早いぞ!」
「なら、せいぜい長生きしないとね。」
軽口を叩けるという事はまだ余裕があるという事だ。機を逃さずスイレスが迫る。
大剣はその重量で骨ごと叩き折って相手を行動不能にさせ事を目的にしている。いちいち、それを受けてはいられない。
僕はアルマを斬撃線から微妙に外してスイレスの切り込みを躱し続ける。
霊獣達も黙って見ていてくれる訳ではなく、主人の意を汲みアルマを捉えようと二匹で囲み始めている。
「どうした人間、まだ楽になりたくないのか?」
スイレスは片手を軸にして大剣の起動を変えてクルリと変える。
ステップを切りながら逃げていると背中にピタリとアルマの背中が当たる。
上手く追い込まれたようだ。
「終わりだ。」
スイレスが剣を水平にかざして突きを放ってくる。
後ろは霊獣達に押さえられ、逃げ場がない。
アイツの剣を受け止めて、その力で態と後ろに吹き飛んで距離を稼ぐしかない。
悪手だが…僕は大剣の切っ先に集中して抜刀の斬撃を放つ。
刃の腹を撃つ狙い切ったその瞬間、スイレスが刀身を九十度捻った。
虎杖丸が空気を切り裂く唸り声を上げながら、大剣に迫る。
今からの軌道補正はいくら僕でも無理だった。耐えろ!虎杖丸!
心の中で刹那叫びながら、大剣を跳ね上げる。
鋼同士の衝突にキンっと涼しい音が火花と共に辺りに溢れる。
僕は予定通りアルマを背中に感じながら後ろに吹き飛ばされた。
刀身半ばで砕けた虎杖丸の破片がキラキラと宙に舞うのが見えた。
☆
二匹の霊獣は上手く私を彩と鉢合わせてくれた。
背中に彩の熱気と荒い息遣いか聞こえる。
キンっと氷の割れる様な音が響いたと思ったら私と彩は物凄い勢いで霊獣の間を抜けるように距離を稼いだ。
少しは体制が整えられるだろう。
受け身の姿勢で彩を抱き留める。
背中の衝撃は魔術で和らげる。
それでも不完全で一瞬息が止まる。
「もう…何回押し倒すのよ。もう少し、レディーには優しくして欲しいものだわ。」
「…。」
彩を後ろからしっかり抱きしめてやる。胸が押し潰れて彩の背中に当たるが気にしない。
手に彩の熱い汗がべったりと付く。
「ちょっと、彩。大丈夫?」
顔を覗いた私は見た事を理解出来ていない。
私の指の間から彩の真っ赤な血がドクドクと溢れているのが見える。
ナニ?コレハ?
「彩…ちょっと、しっかりしなさいよ。ちょっと!」
「脆弱な人間などはこの程度だ。分かったら、さっさと俺と来るが良い。」
もう、スイレスの戯言など耳に入らなかった。必死に掌で彩の胸を押さえる。血が止まらない。どんどん彩の顔が青くなっていく。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、イヤだ、イヤだ…ナニコレ?
私は悲鳴を上げたのだろうか?
いつの間にか辺りは暗闇に包まれている。
指に纏わりつく流れ出てくる、彩の最後の暖かさを、私は無意識に発動させた『領域』の中で感じていた。クール家の特殊魔術である『領域』には術者の許した者しか入ることは出来ない。絶対の拒絶。
イヤだ、イヤだ、イヤだ、イヤだ。
私はダダを捏ねる幼子のように只々首を振っていた。
彩を失うなんて嫌だ。
あの笑顔が見れないなんて、あの優しい眼差しが見れないなんて、あの手で頭を撫でてくれないなんて、嫌だ。
『領域』を外から大きな魔力で叩き壊そうとしているのが分かる。その度に私の魔力を注ぎ込み、修復をする。
彩を失うなんて考えられない。
笑顔がなくても?優しい眼差しも?頭を優しく撫でてくれなくても?
もう、二度と話せなくなったとしても?
誰かが私に問いかける。
私はそれでも彩を失いたくない。
頭では分かっている。吸血鬼族の治癒能力ならこの傷を癒せることも。
このままでは私の魔力が尽きてしまう事も。
彩、ごめんね。
貴方はきっと私を許してくれない。
今から私は軽蔑される女になるわ。
あの男の言う事を聞く代わりに貴方だけは助けて貰うわ。
大丈夫…こんな傷なんてすぐに治っちゃうんだから。
貴方は優しいから、それでも私ではなく、きっと自分を許さないんでしょうね。どこ迄も優しい彩。
大丈夫…人形になったら自責の念なんて感じないから。
私がそんな事を感じさせないように、一生一緒にいてあげる。
ずーっと、一緒だよ。
ごめんね、彩。
最後までちゃんと、『好き』って言えなくて。
もう、二度と貴方を傷つけさせたりしないわ。私が…私の全てで護ってあげる。
私は溢れる涙を拭いもせず、彩の首筋に顔を埋めた。
遠くで硝子の割れる音がした。
私の魔力が尽きて『領域』が砕けた音なのかもしれない。
もし、叶うなら…。
『ありのままの彩でいて。』
そしたら、私の全てをあげるから。
ね?…約束だよ。
薄れ行く意識の中で幻の彩が優しく私の頭を撫でてくれるのを感じた。
そして、私は意識を手放した。