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第八章 そして魔王は蜜罠にハマる

ここでも天井が見えない。

また、僕は上を見上げてしまった。

昼食のおかげで社交ダンスの練習から解放された僕は、ナーシャさんに図書搭につれてきて貰っていた。

アルマも付いて来たがったが何でも明日のお披露目会の為のドレスの採寸と微調整があるので、夕食までは別行動になってしまったのだ。

因みに社交ダンスは剣道の間合いを維持する要領でアルマのリードについて行けるまでにはなった。

辛うじてアルマからは及第点を貰えたが、今夜にでもまた一人で練習しておかないと明日の本番が心配だ。


ナーシャさんが重々しい鉄扉のノブに触れると自動ドアのように左右の扉が手前側に開いて僕らを招き入れてくれた。

魔術式がドアに仕込まれていて魔力を込めることで開く仕組みらしい。


「あれ?」


天井から視線を落とした僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。

僕にあてがわれた部屋から指し示された図書搭はお城の奥まった所にあり、確かに先細りの石造りの搭だったのだ。

しかし、僕が見ているのは僕の背丈の倍はある書棚が居並ぶ長方形の部屋でヨーロッパの教会にありそうな色とりどりのステンドグラスからは豊かな日の光が差し込んでいる。


「鈴宮様、これも魔術でございますよ。塔の形状では本の管理はし辛いので空間を歪めて変えたのでございます。」

「はぁ…。」


勝手に螺旋階段に沿って中心よりに書棚が配置されているのを想像していたので予想外であった。

書棚の手前にはモスグリーンのソファーが幾つか向かい合わせて置いてある。ちょっとしたサロンのようだ。

随分と寝心地…座り心地が良さそうだ。さすがに学院の図書室とは待遇が違う。


「それで、どんな書物をお探しで?」

「あー、折角だから吸血鬼族の事が分かる物があれば読みたいですね。

出来れば人間界と関わりがあるような歴史的な文献があると良いですね。」

「なるほど…それであればこの辺の書棚の物が良いかと。

それと差し支えなければ少し私の方からご説明致しましょうか?

お嬢様は我ら吸血鬼族の文化や特性などの説明を一切省いておいでになるようですから、鈴宮様にも知っておいて頂いた方が良いかと思うのですが…。」

「ナーシャさんのお時間が良ければ是非ともお願いします。アルマはそう言う点は秘密だからってあんまり教えてくれないんですよ。」

「お嬢様と仮にも契約されているので、万が一にもないと思いますが霊魔界の事を人間界でお話になるのは厳禁です。噂話が広まると人間界でも取り締まられますから、お気をつけを。」

「もちろん…でも、人間界にも霊魔界の事を知っている人間がいるんですね。」


文献の書棚近くに移動すると座り心地の良さそうなソファーを指し示され、僕らは向かい合って腰掛ける。


「もともと世界は分かれてはいなかったと言われています。秩序や法もなく、力だけが支配していた暗黒の時代。力を搾取していた旧神と呼ばれる者達から魔力を持たぬ人間族を護るために唯一神は七つの種族を率いて立ち上がりました。

旧神の封印に成功した唯一神は天界…霊魔界と天上界のことですが…を人間界との狭間に作り、旧神達から人間界を護ることにしました。

天界を七つの種族…魔人族、天使族、小鬼族、巨人族、妖精族、魔狼族そして我らが吸血鬼族に治めさせ、旧神の復活の阻止と人間界への干渉を抑える任を与えたのです。」


僕は初めて聞く霊魔界…天界の歴史に聞き入った。


「何千年も昔の話なのですけどね。七族のうちの一つが我らが吸血鬼族というわけです。

世界を分けたと言っても、旧神の全てを封印できた訳ではありません。人間界にも旧神の生き残りがいます…鈴宮様のお話に出てきた蛇神もその一つでしょう。」

「なるほど。」

「数は大幅に減っていますし、それほど脅威ではないと思いますが、人間界で悪さをしないかを我々は人間族と協力しながら常に監視しているのです。吸血鬼族は欧州地区を担当していますが、我々は主にキリスト教会と連携していますよ。極限られた教会の方々は天界の存在を知っていて、旧神討伐には連携していますしね。」

「教会と吸血鬼が協力している!?」

「驚くのも無理はありませんね。私も人間界の歴史を学んだ時には吸血鬼が神敵になっていると知って驚きましたもの。

異端という意味で一括りにしなければ当時は吸血鬼族に扮した旧神達に利用されかねませんからね。

そういう意味では論理的です…心情としては思う所がないではありませんが。」

「やっぱり、歴史の裏側ってあるんですね。」

「鈴宮様は七つの大罪という言葉をご存知ですか?」

「いろいろな宗教に出てくる人が犯してはならない禁忌ですよね?確か…憤怒、暴食 、色欲、怠惰、傲慢、強欲 、嫉妬だったかな。」


だんだん世界史の授業の様になってきたが、新しい歴史の一幕を垣間見て心が踊る。


「良く出来ました!

人間界ではキリスト教に限らず、様々な宗教で悪徳として控えるように言っていますよね?

これは天界七族の特性に起因しているのです。

それぞれの種族には、それぞれの事情がありますが、吸血鬼族の場合には『色欲』が禁忌タブーとされている種族です。何故だか分かりますか?」


しばらく考えて見たが、前提条件が分からな過ぎる。僕は素直に両手を上げて降参した。


「吸血鬼族はご存知のようにその特殊能力から『血の呪い』があるのです。

今回のように相手と魔力を共有したり、異種族であれば特殊能力である治癒力を分け与えたり出来る代わりに相手の意識を奪ってしまう…魔力量に大きな差がある時は、ですが。」


アルマはこの業に悩まされ、人間界にやってきた。彼女自身のせいではなく、種族としての『呪い』なのだ。彼女個人を責めても仕方がないだろう。


「もし、複数の契約を並行して行ったらどうなると思いますか?」

「…うーん、常に魔力量が低い相手とだけ契約をしていけば理論的には無限に魔力を高める事が出来る?」

「その通りです。代償として、共有する複数の相手の思考や感覚がないまぜになり、本人の精神は崩壊していくでしょうけれど。その行為は愛に支えられていればこそなのです。

ですから、吸血鬼族は愛し合う契約者パートナーと生涯を添い遂げるのです。」

「それって…結婚って事ですか?」


思いが至らなかったとは言え、聞いていた話の断片を合わせれば論理的な帰結かもしれない。

僕はアルマの気持ちを考えずに契約を強制してしまったのかもしれない。

突然、罪の意識に苛まれる。

もしかしたら、契約関係になってしまったから、仕方なく僕と一緒いるのかもしれない。

婚姻という事であれば、大公妃が『今しばらくは目を瞑るが、よく考えろ』と言った理由が分かる。


「まぁ、必ずしも婚姻を意味するという訳ではありません…お嬢様もそのようにはご説明されていないようですし。ただ、侍女といたしましては鈴宮様のお耳に入れて置いた方が良いかと思った次第です。」

「アルマは僕と契約したから…してしまって後悔してないんですかね?」

「鈴宮様はどうなのです?…大切なのはお気持ちですよ。

先程も申し上げましたが、契約関係とは必ずしも婚姻と言う事はございませんから…。」

「まだ、十七歳ですし…恋人すらいないのに、まして結婚なんて考えた事もないですよ。」

「我々もすぐにどうの、とは思っておりません。お二人で話し合って頂ければ幸いです。余り気になさらず、今まで通り過ごしていただければ…長話が過ぎましたね。私は仕事がありますのでこれで失礼致します。」


ナーシャさんはそう言うとにこやかに一礼して席を立った。

残された僕はぼんやりと天井を見上げて、見えないはずの暗闇の先を見極めようとしていた。

アルマの気持ち…まだ確認した事がなかったな。

契約と言う意味では自分との契約を湖望んだが、果たして契約を抜きにしたらどうなのだろう。

そこは確認しておきたい。

確認した方が…良いのだろうか?

仮に契約以外では自分に気持ちが向かないならアルマを不幸にしてしまう。


考えても仕方のない事で悩んでも仕方がないな。後でアルマに聞いてみよう。

夕食の時には一緒になれるはすだ。

悶々と同じ事を考える事をやめて、頭を切り替える。

僕はナーシャさんが指し示した辺りの書棚に向かって幾つかのめぼしい本を手に取った。



ナーシャは後ろ手に扉を閉めて思わず拳を握ってしまう。

脈あり!…というか見立て通りアルマディータ様に好意を抱いているわ。

もし、気に入らないならアルマディータ様のお気持ちを斟酌する事なんかせず、逃げる算段をするはず。

早く次の段階に進めなくては。

あれだけ話し合うことを勧めておけば嫌でも二人っきりの時にそういう方向の話になるはず。

お嬢様!後はお気持ちに素直になって下さいまし!

ナーシャは落ち着いた足どりを装いつつ、最大限のスピードで自室に戻るとネックレスに付けている鍵で机の引出を開けた。

一番奥まった所にしまってある小箱を取り出す。

鍵穴に指先を当て、魔力を込めるとカチリと鍵が開く。自分の魔力パターン出ないと開かない仕組みだ。

中には色とりどりの薬瓶が入っている。


「紫…は刺激が強過ぎるから、まだ少しお子様なお嬢様にはムフフ(๑•̀ㅂ•́)و✧」


ナーシャは考えた末に、青い透明な液体が入った小瓶を取り出した。

少しだけ効果は穏やかだが、その手の事に奥手なお嬢様の背中を押すだけの効果は期待出来るに違いない。

小瓶をスカートのポケットに入れて小箱と引出を元通りにして部屋を出る。

『お嬢様、頑張っちゃお!』

心の中で応援すると、スキップしながら仕事場に戻って行く。

斯くして、当人たちが知らないところで策謀は進んで行く。



夕食は大食堂で四人で取ることになった。

ドロレスさんがホステス席に上座にクランスくんで、反対側にアルマと僕が座っている。

五十人は座れるだろうという長テーブルにはキャンドルが置かれ、淡い光が料理を照らしている。

圧巻なのは後ろに整列している侍女さん達だ。直立不動でクランスくんの後ろにズラリ。

アルマの後ろにもズラリ。

ドロレスさんの後ろには数人が控えているが給仕をしてくれている人達の数を合わせれば、たった四人の食事に三十名以上が関わっている。

人間界の高級フレンチでもこんなに給仕係はつかないに違いない。

もちろん、食べたことはないけど。

料理は、と言えば吸血鬼族の郷土料理との事だが、見た目は西洋料理そのものだ。

ただ…アトラクションのつもりなのだろうが、お肉がソースの中で踊っているのだ。

味がではなく、実際。

物理敵的に。

ナイフとフォークを近づければ静かな素材に戻るのだが、フォークを戻せばダンス再開である。

魚料理で踊り食いや活き造りというのがあるが、アレのお肉版である。

生肉ではないが思わず元の動物が動いている所を想像してしまい、正直食欲が湧かない。

そういえば元はどんな動物なのだろう。考えない方が良いかもしれない。


「今日は人間界からのお客様ということで、うちの料理長もちょっとおふざけが過ぎているかしらね。

お口に合えば良いのだけれど。」

「美味しいのですが、逃げられそうでドキドキしますね。」

「彩さんは人間界ではどんなものを召し上がっているのですか?」


クランスは最初の謁見の後で、僕の事を『彩さん』と呼ぶことに決めたようだ。

僕も合わせて『クランス様』と呼んでいる。『殿下』では他人行儀だが一応、礼儀は保たなくては。


「学院のお昼ご飯で人気なのはゴボウコロッケパンですね。

最近は専らアルマ…ディータさんに作って貰っているお弁当なんだけどね。」


クランスくんだけでなく、その場の全員が一瞬息を飲むのが分かった。


「…お姉様が手ずからお作りになっているのですか?」

「まぁ、この娘がですか!?」


今まで静寂さを保っていた食堂が、侍女さん達の囁きで騒がしくなりかける。が、ナーシャさんの咳払いで静まり返る。


「何よ、私だってお料理くらい勉強するわよ。しかも、魔術を使わないで自分の手で作るんだからね。」


ザワ!…ゴホン!

またぞろ同じ静謐が戻る。


「すごく美味しいんですよ。最近、めきめき腕前も上がっていますし。」

「あー、彩。私は魔術料理が下手な事で知られているのよ。だから皆意外なんだと思う。」

「魔術料理?…手で作れるのならそれでも良いじゃない。アルマの料理は美味しんだから、最も自慢して良いと思うよ。良いお嫁さんになると思いますよ。」

「あら、そ〜。この娘が料理をね〜。( ̄ー ̄)ニヤリ」


ドロレスさんは意味深な顔でアルマを見つめる。

アルマは喉が乾いたのか、ごくごくと赤い飲み物を飲み干す。

それ、アルコール入ってないか?

多分、赤ワインだよね?

クランスくんのはほんのり黄色がかった別の飲み物だぞ…ジンジャーエール系の。

案の定、飲み干した後でアルマは咽ている。


「クランス様もレイピアをやるんですか?ナーシャさんがご一族ではレイピアが主流だと言っていたのですが。」

「残念ながら、それほどの腕前では無いんです。どちらかと言えば魔人族が得意としている弓の方が得意ですね。

狙っていると的がどんどん近づいてくる気がするんです。三十メートルくらいなら離れた動く標的でも外しませんよ。」

「へ〜、それは凄いな。僕は片刃刀の剣術しか出来ないから、良ければ一度手ほどきをお願いします。」

「なら、今度小龍狩りに参りましょう。森の中ですばしこく飛び回る小龍を見つけて、射るのです。」

「クランスはアレ好きだものね。お城での政務をサボれるからかな?」


アルマが弟をからかう。


「違いますよ、お姉様。クランスはもう子供ではありません。お母様、構いませんよね?彩さんをお誘いしても?」

「構いませんが、鈴宮様のご都合次第ですよ。スケジュールは詰まっていますけど、少しは開けられるでしょう。」


大公妃の了承が得られるなら問題はないだろう。

僕はクランスくんを見てニコリと頷く。


「では、是非。」

「はい!」


夕食は動く事を除けば味は美味しい。

動かないスープだけは安心して飲めるので、こっちにいる間は流動食過多になりそうだ。

アルマが赤い飲み物…おそらくワインのせいで顔を真っ赤にさせたこと以外は和やかな雰囲気で終わった。

僕の霊魔界初日が無事に終わろうとしていた。

部屋に備え付けのシャワーで身体を洗い、スウェットとТシャツという軽装に着替えた頃には、後は寝るだけだろうと言ってあるので、放って置かれている。独りで出かけるには丁度良い。

僕には行かなくてはいけない所があるのだ。



顔が火照る。

というか、胸もドキドキしていて息が熱い。熱がある訳でもないのだが、どうしてしまったのだろう。

慣れないワインをがぶ飲みしてしまったからだろう。

彩が『可愛いお嫁さんになれる』なんて言うからだ。喉が乾いてワインを一気に飲んでしまったではないか。

あれ、『良いお嫁さんさんになれる』だっけ?

大浴場で湯浴みをしてから、少しぼーっとする。

自分でも意識していないが、随分と緊張していたのかもしれない。

きっと疲れが出ているのだ。

少し早いが今日はもう休もうと寝室に足を向ける。

明日は早起きして、彩の寝起きの顔を見に行こう。ダンスの復習をしなくては。

彩は舞踏会に出た事はないというが、飲み込みが早くてリードさえすればちゃんと優雅に踊れている。

あのままぎゅっと抱きしめてくれれば良いのに。

いつもなら考えない様な事を想像してしまうのも疲れかなと思う。

室内着から着替えようとベットの上を見ると二つの純白な夜着が綺麗に畳んで置いてあった。

一つは大好きな着心地の良いネルのパジャマ…子供っぽいから最近は我慢してシルク製を着ているけど。

…それはまだ分かる。

もう一つを見た時に我が目を疑ってしまう。

薄い…薄いのだ。

よく見れば身体のラインまで見えてしまいそうなネグリジェ。

誰だ、こんなものを準備したのは!

こんな恥ずかしいもの、着れる訳がない。

ネルのパジャマに手を伸ばしたところでトクンと胸がなる。

私の頭の中で彩の優しい声が『可愛いお嫁さん』のフレーズがリフレインしている。顔が熱くなるのが自分でも分かる。


「こっちを着て彩に会いに行ったらどうなるかな?」


恐る恐るネグリジェに手を伸ばす。

数分後、私はガウンを羽織って何故かマイ枕を抱えて彩の部屋の前にいた。

ナーシャが昼間渡してくれた魔術品も…中身はよく分からないけどお守り代わりに一応持ってきている。


「ちょっと、おやすみを言うくらい良いじゃない。」


何故か言い訳をしてしまうくらいにはドキドキしている。

ノックをしても返事がない…もう、寝てしまっているのかもしれない。

そーっと、ドアを開けて中を伺う…物音すらしない。


「お邪魔しまーす、彩…寝てる?」


返事がない。

私は気にせず、ドアを開けて中に滑り込む。

部屋の灯りは最低限に抑えられているのだ。

胸のドキドキが止まらない。

頭がぼーっとする。このままベットに倒れ込みたい衝動に駆られる。

足はなんの躊躇もなく寝室へと向かう。

寝室の灯りは既に消えている。やはり寝ているのだ。ベットの中央がこんもりと盛り上がっている。

仕方がない。寝顔だけ見て帰る事にしよう。

もしかしたら、少しだけなら一緒に横になっても良いかもしれない。

彩の寝顔を堪能すればそうしたら、この胸のドキドキも落ち着くかもしれない。

いつもなら、考えつかない様な事を思いながらガウンを脱ぎながら、彩の隣に潜り込む。

今日はいつになく、大胆になったいるのは、緊張からくる疲労のせいかもしれない。

既に落ちかけている瞼が、それを物語る。


「彩…私は、彩のことが、好き。契約してくれたからとかじゃなく、今の優しい彩が好きだよ。

だーいすき。」


私は遠慮がちに彩の背中から抱きつきいた。

…パフッ。低反発な枕が意気地なくへにゃりと凹む。


「にゅ?!」


彩の代わりに枕が置かれていた。

アイツはどこへ行ったのだ?

私のこの姿を見れないとはきっと残念がるに違いない。折角、勇気を出してネグリジェを着て、ここまで忍んで来たのに。

私は残念な気持ちと、どこかでホッとしている気持ちがない混ぜになって行くのを感じていた。

彩の身代わりの枕にぎゅっとしがみつくと心地よいヒンヤリ感が頬を伝ってくる。どことなく彩の残り香がしているような気もする。

彩が私の隣にいるような感覚に胸のドキドキも少しずつ治まってきた。

やっぱり、彩と一緒にいると落ち着くな。彩の事を考えただけで胸の中が幸せいっぱいになって私はそのまま意識を手放した。



ナーシャの朝は早い。

手早く身だしなみを整えて、厨房へ足を運び、朝食の準備を指示する。

特に今日はアルマディータ様の晴れ舞台。それにうまく行っていれば二人の距離がグッと縮まっているに違いないのだ。私は想像に頬が緩むのを精神力で押さえ込むのに苦労した。アルマディータ様付の侍女長ともあろう者がニヤニヤして城内を歩いていては示しがつかない。

アルマディータ様の部屋へ朝のご挨拶へ行った時に、ベットルームまでものけの空だった時には思わず『よしっ』とガッツポーズをしてしまったくらいだ。キチンと用意していたネルのパジャマだけが畳んで置いてある事もしっかり確認している。

いけない、いけない。

侍女たるものの品位を保たねば。

高鳴る胸と早まる歩みを抑えつつ、鈴宮様の部屋をノックする。

まだ、寝ているのか返事がない。更に二回ノックしてから部屋に入る。

部屋の魔術灯に灯りを灯しつつ、寝室へと向かう。

初めての朝を迎えたアルマディータ様のお顔を見る権利は私にも十分あると思うのです。ホントはそっとしておきたい気持ちもあるんですけどね。でも、今日はスケジュールが目白押しなのでさっさと起きていただかなくては。

『ぐふふ…。』

いけない。下品な笑みが溢れてしまう。媚薬『新妻の初夜』は完璧に効いたと見るべきだろう。

ベットにはこんもりとした山が出来ている。二人分ある事を確認しつつ、

咳払いをする。


「ん、んう〜。」


アルマディータ様の可愛い寝返りをいただく。ご馳走様です、お嬢様。

ホッペをつんつんしたくなるのを我慢して、肩を揺り動かす。


「お嬢様、起きてくださいませ。朝ですよ。」

「ん〜。」


殆ど反応がない。幸せそうな寝顔をもう少し見ていようかと思ってしまうが、心を鬼にして…吸血鬼なんですが、少し意地悪を試みる。


「お嬢様、彩様がお呼びですよ。」


途端にパチリとアルマディータ様の目が開く。我らがご主人様のなんと現金な事か。


「ナーシャ、おはよう。」

「おはようございます。お嬢様。さ、起きてお着替えをしませんと。

もう一度、湯浴みもされませんといけないですしね…。」

「ん?なんで?きちんと顔を洗うから大丈夫でしょ?…あれ?ココは…。」


見る間にアルマディータ様の顔が真っ赤になる。

がばっと俊敏に起き上がると止める間もなく、ガウンを羽織って脱兎の如く部屋を飛び出して行く。

もう、恥ずがしがり家さんなんだから。


「さて、鈴宮様もご起床をお願いします。」


反応のない男子には…。

彩が全裸でない事だけを願い、上掛け布団の端を持つとフワッと剥ぎ取る。

(な?!)

心ならずも声ならぬ声を出してしまう。

そこには二つの枕があるだけだった。

一つはお嬢様のもの。もう一つはココのものだ。

私がアルマディータ様に渡しておいた男性用避妊具も未使用のまま枕元に忘れられている。

期待していた初めての証たるシーツの染みもなく、しばし思考が止まる。

ベットメイクを手早く終えてアルマディータ様の枕と避妊具を回収すると頭の中を整理しながら、部屋を出ようとする。

ガチャリ…ドアが開く。


「あ、ナーシャさん。おはようございます。今日も良い天気…です……ね?

どうしたんですか?」

「…鈴宮様、今までどちらへ?」

落胆と驚きでなんとも間抜けな質問をしてしまう。


「夕食の後で、もう一度図書塔をお邪魔して本を読んでいたんです。

気づいたら寝てしまっていて、時計を持っていなかったので遅刻しちゃうんぢゃないかとヒヤヒヤしました。まだ、間に合いますよね?すぐに着替えますね。」

「はぁ…後で朝食のご準備が整いましたらお呼びに上がります。それまでに身支度をお済ませ下さいませ。」


それだけ丁寧に言い切ると彩と入れ違いに廊下に出て、後ろ手にドアを閉める。

ふはー…中々思い通りにはなってくれないものだなあ。

世の中の理不尽さを噛み締めながら私は今頃目を白黒させながらウンウンと恥ずかしさで唸っているだろうお嬢様を慰めるべく、早足にならないよう歩き始めた。



僕は舞踏会というのに生まれて初めて参加した。…というか主役であるアルマのお供なので、大げさに言えば僕らが開催したとも言える。

緋翠宮の大広間で開催される舞踏会には千名以上の招待客が入っており、まだその入場は続いている。

それでも狭く感じないだけの広さがこの広間にはあった。

僕の目の前には映画の中のような光景が展開されている。三々五々集まって来ているご招待者が名前と爵位を呼ばれて入場して来る。一様に大公妃とアルマ…オマケのように僕にも会釈をしてくる。

一応、にこやかに会釈を返すと驚いたような表情を示す人も多くいた。

やはり人形契約だと思われているのだろうか?昨夜の図書塔での自習で吸血鬼族の文化については大まかに学んだつもりだ。旧神との戦いの中で強くなる為に契約の通過儀礼を戦士に義務付けていた。血の呪いの副作用もあり、最初こそ忌避されていたが戦いの中で必要性に迫られて定着をしてきた。

最近では主に貴族がこれを行うが、確かに婚姻の意味合いが強いようだ。

一夫一婦制の吸血鬼族ではどうしてもそうなるのだろう。


「コトリア=ヴァルフォーレ公女殿下、シャイターン殿下のご入場ぉ〜。」


物思いに耽っている内に次々と入場してきている。アルマの親友はその爵位の高さから最後の入場と聞いている。

そろそろ引き攣りかけてきた愛想笑いで何とか応対しておく。

アルマは小さく手を振っていたが、コトリア公女殿下は綺麗な会釈の後、何か言いたそうだったがそのまま通り過ぎていく。

後でも話は出来るからスケジュールが押さないようにという配慮だろう。

最後の招待客が入り終わると、ドロレス大公妃の少しだけ長い挨拶の後で舞踏会が始まる。

今朝は少しだけアルマの様子がおかしくて、一度だけの練習しか出来なかったが一応こ及第点は貰えた。

今日はココを乗り切れば、無事におわるはずだ!


まず、一小節だけは主催者ホストとしてアルマと二人で踊り始めなくてはならない。

その後、招待客が加わるしきたりになっている。

緊張で喉が鳴る。

アルマのオレンジ地にフリルと大きな紅い薔薇の華をあしらったドレスは胸を強調し過ぎているようで目のやり場に困る。


「大丈夫よ、練習の通り私に付いてきて。」

「宜しくお願いします。ずっとアルマを見ているよ。失敗したら、今日のアルマが綺麗過ぎたって事にする。」

「う、うん。」


何故か真っ赤になったアルマが俯く。

この時、『今日はとっても綺麗なアルマだけ・・をずっと見つめているよ。』と脳内妄想変換されていたとは僕は夢にも思っていない。

アルマの細い腰に手を回すとピクンとアルマが震える。

緩やかなメロディーの生演奏が始まり、アルマの目が公女としての責務を思い出し、僕を見つめる。

最初のターンが終わったあたりで周りも踊り出したので失敗も目につき難くなって、少しだけ余裕が出来た。


「彩、昨夜はどこへ行っていたの?」

「夕食の後でまた図書塔へ行ってたんだ…今回の式典の成り立ちなんかを調べてたんだ。

アルマに迷惑を掛けたく無かったからね。これでも、ちょっとは勉強したんだよ、綺麗なアルマの晴れ舞台だからみっともないのは嫌だからね。」

「私よりも本を選んだのは癪だけど、そういう理由なら許してあげるわ…私もそれに救われてるとこがあるし…。」


なんだか急にアルマのご機嫌が回復してきた。

ダンスの方は練習の通り、まぁ何度か間違えたがアルマの機転の効いたフォローで事無きを得た。


「上手だったわよ♡」

「アルマのリードのお陰さ、ありがとう…飲み物でも、取ってこようか?」


目のやり場に困っていい理由を見つけて、コクリと頷くアルマの元を離れる。あのままアルマの側にいたら視点が自ずと落ちてしまう。

あの服はずるい。



「良いパートナーに出会えたわね、ディタ…おめでと。」


知らぬ間に近寄ってきたコティこと、コトリア公爵令嬢はドレスと同じ水色の扇で口元を隠しながら話しかけてきた。

視線は私と同じように彩を追いかけている。シャイターン様が後ろに控えてコティを優しく見守っている。


「ありがと、コティ…元気そうね。」

「お陰様で、飽きないわ。少し前までは素直に祝福してあげられなかったかもしれないけど。貴女の顔見たら、悩んでいる自分がバカらしくなってきたわ…コホン。」


何故か、コティは咳払いをする。

次の瞬間、私は信じられない光景を見ることになる。

シャイターン様が近くを通るウェイターから軽めのシャンパンのグラスを一つ受け取るとコティに差し出したのだ。


「シャイターン様!?」

「ダメよ、まだ話はできないの。」

「でも、だって…。」

「不思議でしょ?この所、シャイターンはこういう風に何も言わなくても優しくしてくれるのよ。

私の愛の深さを思い知りなさい。これだから毎日、でも期待しすぎないように、楽しみに過ごしているのよ。」

「正に愛の力じゃないの…凄いわコティ、良かったわね。」


感無量。血の呪いを跳ね返す奇跡を目の当たりにして、私も一縷の希望を抱いてしまう。

彩とも…こうなれたら良いな。


「そういえば…明日の貴女に異議を唱える大役をドロレス叔母様…大公妃殿下から拝命したわ。

覚悟しなさい!…今や私がシャイターンの一番弟子なんだから。」

「負けないわよ。」


声を上げて笑うのははしたないので扇で隠したけど、久々にコティと笑いあった。

そこへ、彩が飲み物を手に戻ってきた。

何故か、三つ持っている。


「はい、アルマ。どうぞ!良ければ…貴方もどうぞ。初めまして、鈴宮 彩と言います。」

「あぁ、彩…こちらは。」

「ヴァルフォーレ公爵の名代で参上致しましたコトリアと申します。こちらはシャイターン。

以後、お見知りおきを。あなた…折角だからシャンパンを頂いて。」


コトリアが声を掛けると優雅に彩からシャンパンを受け取る。

口をつける前に軽くグラスを持ち上げるところなど、意思を持たない人形であることを微塵も感じさせない。


「アルマ、少し愛しの方をお借りしますわよ。

鈴宮様、どうぞ私にアルマディータ公女殿下の選ばれた方と踊る栄誉をいただけませんか?」

「え?!あう、あ、はい。不束者ですが、宜しくお願いします。」

「シャイターン、ディタの相手を務めて上げて。」


そう言うとコティは彩の腕を取り、止める間もなくワルツの輪の中に入ってしまう。

もう、彩が嫌がるからもう一曲踊りたいのも我慢してたのに。

浮気者〜!

後ろを振り返り、チロっと舌を出すあたり、コティは確信犯だ。

私は横から手が出てきた時には更に驚いた。シャイターン様が無言だが、ダンスの申し込みをしてくださっているのだ。

何だかコティの分まで泣いてしまいそうだ。

私達の舞踏会は嬉し泣きの中で夜更けまで続いていった。

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