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第七章 そして魔王は謁見す

天井が見えない。

魔術でそう見えているだけだとアルマに説明されたが、不思議に映る。

ここから見上げただけでは天井が遥か高みにあるようにしか見えない。

アルマの父君であるクール大公のお城は緋翠宮ひすいきゅうというのが通称なのだそうだ。

日曜日だというのにこんな朝早くからお邪魔して大丈夫なのだろうか?

人間界と時差がないならまだ九時前なはずだ。

ブランチの準備をしていてもおかしくない時間である。

良く分からない術式で人間界のアルマの寮の部屋のクローゼットを開けたら、霊魔界の地下の祭壇のような所に出た。幾人かのメイドさん達が整列して出迎えてくれ、すぐにこの控えの間に通された。

皆一様に殆ど口を開かず、しずしずと歩くので挨拶をするタイミングすら失ってしまった。失礼をしたのではなければ良いのだけれど。

地下の祭壇は大公家専用のゲートなのだそうだ。

因みにアルマは僕をこの部屋に押し込むとそそくさと出て行ってしまった。

なので、僕は一人で身体が埋もれそうなふかふかのソファーに腰掛けながらポカンと天井を見上げている。

まるでお登りさんである。

この部屋が僕に与えられた仮初の居室でベットルームとは別に、今座っているソファーがある大広間がある。

その他にもドアが何個かあるが広すぎで見て回る気すら起こらない。

どこかのホテルのスィートルームと言っても分からないレベルである。

自分の手荷物といえば身の回りのものと虎杖丸だけの軽装だ。

広すぎる部屋に身の置きどころがない。

コンコン。

しばらくぼーっとして天井を眺めていると分厚い樫の木で出来た扉がノックされる。


「失礼致します。」

「あ、はい。どうぞ…。」


漆黒のワンピースに真っ白なエプロンという典型的なメイド服を纏ったザ・メイドという装いの女性が部屋に入ってきた。

先程出迎えてくれた方達の先頭にいた女性だ。

キビキビとした所作に、僕も場違いなとこに来てしまったなぁという思いがして首を竦める。僕が立ち上がると『おや!?』という表情を浮かべたがすぐに無表情に戻る。


「アルマディータ公女殿下の侍女長を勤めておりますナーシャロイコフでございます。ナーシャとお呼び下さいませ 、鈴宮様。」

「おはようございます。鈴宮 彩です。僕のことは彩でも、鈴宮でも構いませんよ、ナーシャさん。」


何故だが涙ぐんだ目で見つめられてしまう。今にも泣き出されそうでどきまぎする。


「……はっ!…申し訳ございません、鈴宮様。

本当にお嬢様とご契約されても、話まで出来る意志をお持ちだとは…。

先程も半信半疑でご挨拶もせず、大変失礼致しました。

話には聞いておりましたが、驚いて取り乱しました。」

「こちらこそ、挨拶もしなくてすいませんでした。大丈夫ですよ、ナーシャさんはちゃんとしてらっしゃいます。」

「大公妃様がお会いになられます…あの、お召し物は替えられますか?」

「学校の制服じゃ不味かったですか?正装というとこれしか無くって。」


アルマは普段着で良いからと言っていたが、僕は敢えて制服を着てきた。

念のため、ブレザーのネクタイを締め直しておく。

何せ言ったとおり正装はこれしか持っていないのだ。

ジーンズか何かで来たら恥をかくところだった。危ない、危ない。


「いえ、人間界の服装にはあまり詳しくないもので…それでは結構です。大変失礼致しました。」

「ねぇ、ナーシャ…まだぁ?」


アルマがドアからニョキっと顔を出す。


「お嬢様!はしたないですよ、大人しく廊下でお待ち下さいませ。」


ナーシャに窘められて膨れっ面を見せながらも、僕に手を振っている。


「じゃーん、どう?私のお気に入りの服なんだよ。」


アルマはオレンジ色のゆったりとした簡素なワンピースに着替えていた。

足元まで丈の長いスカートが覆っていいる。制服の時のように膝上までのスカートはこちらでは不味いのかもしれない。

文化が違う事はしっかり意識して置かなければ。ここは人間界ではないのだから。


「うん、とっても可愛いと思うよ。」

「彩も制服似合ってるよ♡」

「いつも見飽きてるでしょ。ところで、これからの予定はどうなるのかな?」

「うん、これからお母様に会いに行くのだけれど…まぁその前にナーシャと三人で話をしておこうかと。」


アルマはそう言うと僕達を手招きしてふかふかソファーに腰掛ける。


「ナーシャ、貴女だから打ち明けるのよ。心して聞いて頂戴。」


ナーシャさんは眉をひそめて、僕とはアルマを挟む形で座る。


「まず、彩と私は契約関係にあるわ。まぁ、これは話したわよね?

だから、彩の魔力の恩恵を享受出来ているの。」

「勿論でございますとも。そのご関係でお嬢様は霊魔界第二十九位階にいらっしゃるのですから。」

「でも、彩はどういう訳か私の吸血鬼属性…つまり治癒力なんかの恩恵は得られていないの。」

「は?…はい?」

「つまり、身体の物理特性…脆弱性は単なる人間とほぼ一緒なのよ。」


僕は隣でウンウンと頷いてみせる。


「えええええぇーーーー!…ふが、うぐ。」


途中からアルマがナーシャさんの口を押さえて黙らせる。


「ナーシャ、声が大きい!私の計画は貴女も分かっていたでしよ?

まぁ、前にも話したように結果的には私の知っている人の誰の意識も奪う事なく、契約が出来たのよ。」


そんな事が出来ると思ってなかったナーシャとしては半ば諦めて帰ってくるか、適当な見目麗しい人間の一人を人形として伴って帰国するだろうとタカを括っていたのだが、今更そんな事は言えない。

自分の知り合いとのパートナー契約では魔力量の大きなアルマでは相手の意識を奪ってしまう。

そのため、知り合いなどいない人間界に契約相手を探しに来たのだ。

その過程で、僕に会い自分の傲慢な考えを吐露して謝ってくれた。

まぁ、生命を救おうとした結果として意識のないアルマに口移しで自分の血を飲ませたのは他ならぬ自分なので、自業自得ではあるのだが。

自分としては初めてのキスだったが、ほんの少し唇同士が触れたくらいだったと思う…カラカラに乾いていた記憶しかない。

キスはレモンの味がするって誰か言ってなかったかな?

僕にとっては血の味なんだけどね。

「すいません…取り乱しました。しかし、鈴宮様は宜しいのですか?

お嬢様にとっては問題がないどころか願ったり、叶ったりの状況ですが、鈴宮様にとっては何の得にもなっておりません。」


ナーシャさんは現実的かつ第三者の立場から現状を冷静に分析している。

僕にとっては目の前で、しかも自分のせい!?で困っている人がいるので手助けをしようと思っただけなのだ。

ある意味、責任を取っていると言えるのではないかな?


「うーん。こんな事を言ってしまうと怒られるかもしれませんが、ずっとこちらに居るつもりはないんです。アルマが困っていて、助けて欲しいと言う事で来てはいるんですけどね。」

「ほうほう…それはお嬢様の事を心憎く思ってはいないと理解致します。」


きらん•̀.̫•́✧

ナーシャさんの目が光ったように思えるのは気のせいか?


「例えば吸血鬼族族長である大公殿下の財産と権力が狙いであるにしても、鈴宮様のお気持ちは大事ですからね。」

「財産?とか権力?…そういうのは特に興味はないけれど、良かったらこちらの図書搭は行ってみたいですかねー。」

「それくらいなら、大公妃殿下にお願いすれば叶えて頂けるとは思います。…私的には、将来的な大公家の系譜存続のためにお世継ぎを…ぐはっ!」


アルマが突然ナーシャさんの鳩尾に指先を押し当てるとナーシャさんが呻いて口を閉じる。

なんだ、なんだ?何を言おうとしていたんだ?

ナーシャさんの顔が若干青い。


「ナーシャ、そういう話をしたいんじゃないのよ、今は。」

「…は、はい。お嬢様、死んじゃいますから、指を退けてくださいませ。」


アルマのこめかみがピクピクしている。冷や汗を額に浮かべ始めたナーシャさんの耳元にアルマが口を近づけ、何やらコソコソと話し出す。


「順番が色々バラバラで、まだ彩の気持ちを確認出来てないのよ。

ここで契約関係が婚姻に近いなんて言って、断られたらどうするのよ。」

「近いどころか、人間界ではほぼそうではないですか…大丈夫ですよ、お嬢様。心憎く思っていたらここまでは来ませんよ。

ナーシャの目に狂いはありません、保証致します。鈴宮様はお嬢様を愛しているに違いありません。

お嬢様から申し入れるというのも、憚られますし…ここは鈴宮様の方から申し込まれるように段取りいたしましょう。

あと、お嬢様…ホントに死にそうなのでその指、どけて下さい。」

「…嬉しいんだけど、ゴメンネ。ナーシャ、もし彩がそういう気持ちでいてくれても…そういう事になっちゃったら彩の意識を奪ってしまうかもしれない。だから、私はこれ以上の関係は望まない事にしたのよ。」

「お嬢様…何を仰っているのです。ご自分の幸せをお掴み下さいまし。」

「…ありがとう、ナーシャ。それは考えてみるわ。でも、先走らないでよ。」


ナーシャは暫くアルマの顔色を伺っていたがやがて諦めたようにため息をもらす。アルマの指先がちょんと鳩尾を撫でるとコクコクと同意する。


「ナーシャ、そう言う事を伝えたいんじゃなくて、『彩が人間族である』という事を理解しておいて貰いたいの。」


アルマはナーシャから指を離して、僕の方にチラリと視線を向けた。

何の話をしているのか全く聞こえない。近くで音が遮断されるのは魔術の効果なのだろう。内緒話が吸血鬼族の女子スキルだとは思いたくない。魔術とは便利で…怖い。


「魔術は使えない…というか勉強中で、吸血鬼族こちらでの一般的な意味での治癒能力はないから覚えておいて。」

「では、お城の外は出歩かないようにして頂いた方が良いかもしれませんね。無闇に人を襲うような者はおりませんが、魔獣などの類もございますし。」

「そう言う意味では彩は強いから心配しなくても良いわよ。私もレイピアで勝てないくらいなんだから。」


昨日の報告会での立会の事だろうか?

最終的には風船を割られて、ここに居るんだけどね。

ナーシャさんは口をあんぐりと開けて僕を見つめている。


「お嬢様のレイピアを?」

「ええ…掠りもしなくて。私もまだまだよ。」

「お嬢様はあのシャイターン様の薫陶を受けられたクール家随一の腕前なのですよ?」


じろり。

ナーシャさんの目が僕に再び落ちる。


「ナーシャさんもフェンシング…じゃない、レイピアをやるんですか?」

「ええ、吸血鬼族の間では身につけている方は多いですね。

子供の頃、最初に持たされるのがレイピアなので、そのまま長じてレイピア使いになる方が多いですね。

その中でもお嬢様は吸血鬼族指折りなのですよ。」

「僕が勝てたのはたまたまですよ。運が良かっただけ。」

「もう、ナーシャ。話がまた逸れているわ。私は契約の終了を周知すること。

彩に治癒能力が無いことを悟られないようにすること。キチンと無事に人間界に帰ること。

これを助けて欲しいのよ。お願いできるかしら?」


アルマはまっすぐナーシャを見て、頭を下げた。


「お嬢様…ズルいですわ。お嬢様に頭を下げられてはお嬢様付侍女長ナーシャとしてはお断りは出来てませんわ…確かにお引き受け致します。」


ナーシャさんはそっとアルマの手に自分のものを重ねて、味方になる事を約束してくれる。


「鈴宮様。まずはこのチョーカーをおつけ下さい。これは、吸血鬼族では首に傷があって、癒えていない事をさり気無く示します。傷はございませんが、ある様に振る舞って下さい。

鈴宮様は魔力の性質上、お嬢様の治癒能力を受け辛い体質ということにしましょう。

将来の悩み事は、将来悩む事にして…まずは今を乗り切りましょう。」


心強いナーシャさんの言葉に僕とアルマは思わず拍手を送ってしまった。

何だか大切な事を聞き逃しているような気がする…気のせいであって欲しい。



拝謁というからだだっ広い玉座の間のような所でやるのかと思っていたら、庭園の四阿でアフタヌーンティーならぬ、モーニングティーをしながら大公妃、つまりアルマの母親と会うことになっていた。

それでも、大公妃ともなると分刻みで予定があるようで遠くから前の打ち合わせが終わるのをナーシャさんがチラチラと見てはこちらに知らせてくる。

小さな池の中央に橋を渡した小島に四阿はあった。


「鈴宮さん、ようこそ緋翠宮へ。

私はアルマの母親のドロレス=ド=ラ=クールです。」


優雅な様子がさすがに大公妃の余裕をみせている。声はアルマより若干低いか。

少しゴスロリっぽいが白を基調としたドレスに黒いフリルが栄える。

アルマと同じ髪色で、長じればアルマもこうなるんだろうなぁという未来像が思い浮かぶ。

その脇にちょこんとブラウンヘアの少年がお行儀良く座っていた。


「お母様、ただいま戻りましてございます。

クランス、お久しぶり。また、背が伸びたわね。」

「お姉様もお元気そうで、何よりです。鈴宮さん、姉共々宜しくお願い致します。」

「初めまして、鈴宮彩といいます。アルマ…アルマディータ公女殿下には人間界でお世話になっています。」


アルマの呼び方についてはナーシャさんの強い主張でまずは正式な尊称を使う事とした。何とも、言い辛い。


「鈴宮さん、こちらはクランス公太子。アルマの弟に当たります。

クランス、いくら愛しの姉上のご帰還とは言え、名乗る前から話しかけては相手への礼儀を欠きますよ。」

「申し訳ございません。鈴宮さん、私は公太子クランスです。以後、お見知りおきを。」


クランス公子は顔を赤らめながら僕にちょこんと頭を下げる。

貴族と言うからプライドが高くて、まともに話も出来ないのではないかと心配していたが、クール大公家の方々は気さくな家風のようだ。


「ありがとうございます。クランス公太子殿下。」

「僕の…私のことは『クランス』と呼んで下さい…あの、その… 鈴宮兄様。」

「あ、では僕のことは彩と呼んで下さい。」


最後のところは何となく尻すぼみでクランス公子の言葉は聞き取れなかったが、何だかアルマの方を見てどきまぎしているように思えるのは気のせいか?


「さぁさ、お茶を召し上がって。今日はイギリス風に紅茶とスコーンを用意させています。

貴方のお話を聞かせてくださいな。」


優艶とも言える優しい笑顔でお茶を勧められる。

状況が状況なだけに緊張している。何と言っても異世界しかも吸血鬼族の城にいるのだ。その反面非現実的な状況を楽しめるくらいには僕の神経は太いようだ。

夏期講習で出会って、近くの泉に祀られていた蛇神様を二人で退治したことや学院での様子、活動報告会でのアルマの演劇などの話を掻い摘んで説明をした。

途中、蛇神様の辺りではどのようにアルマを救ったのかはやんわりとぼやかしたが、特に深くは突っ込まれなかったのは幸いだった。

自分に子供の頃の記憶がなく、たった一人の身寄りであった嚴志郎も亡くなり天涯孤独の身の上である事も包み隠さず話した。

身分の差があってアルマの経歴に傷が付くかと心配したが、サラリと流されてしまう。下僕扱いだからなのか疑問だが問題視されないならそれに越した事はない。

図書搭の蔵書に興味がある事も忘れず話に折り込んでおく。


「鈴宮さん、貴方は不思議な…人間ですね。本当に人間族なのか疑いたくなるくらいの魔力量だと思うわ。

我が娘の見立てと同様、私もそう感じます。

魔力量が世間での地位…序列を決めると言っても過言ではない霊魔界でも稀有の存在かしらね。」


大公妃の言葉に疑問の一端が氷解した。

あぁ、そうか。魔力量がすべてを図る基準。生まれや身分、自分の努力は関係なく、ただ生まれ持った魔力量で決まる人生。

だから、気にしてしまった僕の人間界での身分にはそれほど気にされなかったのだ。人間界での序列などこちらでは気にかけていないだけかもしれないが。


「私としては、鈴宮さんにはこちらでアルマと過ごして貰った方が嬉しいのだけれど…こう言っては悪いけど、娘を所管範囲外の地域…まぁ、遠方に置いておくのも心配なのです。」

「お母様、その点はお話申し上げたはずです。彩は…。」

「はいはい、分かっていますとも…まだ向こうでやる事があるのでしょう?

でも、こちらを見て鈴宮さんの気が変わるかもしれないでしょう?聞くだけはタダよ。ね?鈴宮さん。」


ドロレス大公妃は茶目っ気たっぷりに僕にウィンクすると、紅茶に手を付けて話を切る。

うまい…外交スキルと言うのだろうか?絶妙な話術だ。


「しばらくは目を瞑りますが、キチンと考えなさい、公女アルマディータ。

鈴宮さん、この娘の事なのできっとこちらの色々な事情を説明もせずに、貴方と契約したと思うのだけれど…こちらにも立場と事情があります。二人でよく話しあって下さいね。」


意味深な事を言われて、初めての謁見は終了したのだった。

何だかまだ僕の理解していない事がありそうな気がする。

でも、契約を遂行したのは僕自身であるので、契約前の説明責任をアルマに要求するのは憚られる。

僕は身勝手なアルマへのキスシーンを思い出さないようにして無理矢理自分自身を納得させた。

僕にとっては図書搭への立ち入り許可を貰えたのは十分な戦果と言えた。



「まずはおめでとうございます。

初回の謁見は無事に過ごされましたね。後は大公殿下がご帰還された時にどうなるか?ですが、ドロレス様があのように好意的に仰っているのでまぁ大きな問題にはならないと思いますね。」


先程のように三人で腰掛けながら、ナーシャさんは僕らを労ってくれた。


「彩、お疲れ様。お母様も彩の事を気に入ってくれたみたいだし。」

「はい。後は明日のお披露目会が終わればご帰還頂けると思います。

私共としてはもう少しごゆっくりしていって頂きたいんですけどね。」

「お披露目会?…何をするの?」

「彩が私の婚…契約者だよってみんなに言う会…まぁ、形式的に挨拶を受けるだけだから難しくはないわよ。」

「下僕として周知されるのも何だかなぁ?(¯―¯٥)」


ナーシャさんが何故かこめかみをピクピクさせ始める。


「す、鈴宮さま?その、お嬢様からはどのような説明を受けていらっしゃるのですか?」

ナーシャさんはアルマの指先攻撃を警戒してか、突然立ち上がって僕を覗き込んできた。

「え?吸血鬼族の通過儀礼として魔力量の多い下僕を持つのが習わしで…不釣り合いだと相手の意識を奪って人形みたくしてしまう。

知り合いからそんな人形を出したくないアルマは人間界で下僕候補を探していて僕に出会って契約となった…ってことくらいかな?ね、アルマ?」

「大体、そんな感じかな。」


アルマがナーシャさんを見上げて応える。


「なるほど…ふむふむ。」


ナーシャさんはニヤリと笑みを浮かべるて、何やら独り言を始める。

あの笑顔はアルマで経験しているが大抵ロクな事にはならないと僕の勘が告げている。


「では、鈴宮様。お昼ご飯はこちらに運ばせますのでゆっくりお寛ぎくださいませ。

昼食の後、ドロレス様に許可を頂いた図書搭へご案内しましょう。

アルマ様はお食事まで、明日のお披露目会についての細かな(・・・)内容を鈴宮様にご説明して頂けますか?」

「あ、うん。了解!」

「特に鈴宮様。明日のお披露目会は舞踏会の形式ですのでお嬢様と最初に踊って頂く事になりますが…ダンスはお得意ですか?」

「え!?は!?…ダンス?ムリ無理…ラジオ体操とかなら辛うじて。」

「ラジオ何とかは存じませんが…お嬢様、昼食まで鈴宮様に手ほどきをなさっては如何ですか?

鈴宮様にはご苦労をお掛けしますが、お嬢様の為に頑張って下さい。

では、私はこれで。」

ナーシャさんはそう言うとドアの方へ向かいかけたがクルリと振り返り、アルマを手招きした。

「そうそう、お嬢様。ちょっとこちらへ。」

「どしたの?」


主従関係とはいえ、幼い頃から付き合いである二人の間は随分とくだけた感じである。

アルマの笑顔もほんわかとナチュラルである。

ナーシャさんが何が小さな包みをアルマに手渡しているが、それが何なのかアルマも分かっていないようでキョトンとしている。適当に頷いてポケットにしまっている。


「では、鈴宮様。後ほど改めて。いざと言うときには紳士としての行動を期待致します。

因みにそのソファーはふかふかですが、奥のベットの方が寝心地は良いと思います。

グッドラック!」


はぁ…ナーシャさんが何を言いたかったのかはイマイチ理解出来なかったがアルマと二人っきりでいつも通り落ち着けるようになった。

女の子と二人でいることで落ち着いたと思える自分の精神状態にも驚きだが、これもアルマとのリンクのおかげなのだろうか?


「さぁ、彩!特訓よ!

明日のお披露目舞踏会では最初に踊らなきゃいけないから、無様なダンスでは許さなくってよ。」


その言葉通り、僕は生まれて初めての社交ダンスなるものを鬼気迫るアルマ先生の指導の元、たっぷり二時間ほど練習する羽目になった。



ナーシャロイコフ。

アルマディータ公女付侍女長である彼女はドロレス大公妃の出身であるヴァルフォール家の遠縁の血筋に当たる。

切れ者で知られるクール家の侍従、侍女の中でも実力は指折り数えられるほどには一目置かれている。

今も昼食の準備を厨房に指示する傍らで、明日の舞踏会で彩に着てもらう服のサイズを配下の侍女に申し伝えている。


「今夜はお嬢様は大浴場の方へご案内して。お湯には…後で私が渡す薬…ハーブを入れておいて。アルマ様がリラックスするようにね。」


他の者へも指示を出してテキパキと準備を進めていく。

ナーシャはクール家に大恩がある。正確に言えばアルマディータ様に対してである。

十年程前のコトリアの暗殺計画に加担したと濡れ衣を着せられた両親を救い出して貰ったのだ。その時、すでにアルマディータ様付としてお側に仕えていてコトリアにも何度も面談している。

アルマディータ様とコトリア様自身からの強い願いもあり、ナーシャの実家は取り潰されるのを免れた。

善良だけが取り柄な田舎貴族の両親は御礼に領地特産の林檎を山ほど送ってきた。通常、金品などを送って寄越すものだろうがこれも両親の貴族ズレしている部分なのだろうと当時は呆れたものだった。

ナーシャとしては嬉々として三食林檎のデザートを頬張るアルマディータ様を見れて幸せであったのだが。

後日談として、『アルマディータ公女殿下御用達の名物林檎』という名称を付けて売上を二倍に増やした話を聞くと『ただでは起きないな』とその強かさには感銘すら受けたのだが…。

大方、何も知らされないまま勝手に暗殺首謀者から数合わせの為に名前を使われたのだろう。

田舎貴族とは言え、それなりに古い家系には違いないのだ。『うちは林檎農家に毛が生えたようなものだから』というのが口癖の両親に政治闘争なんて最も縁遠い。

自分が一番大切に思っている両親を守ってくれたアルマディータ様には絶対の忠誠を心の中で誓っている。

知り合いから人形を生み出すことを嫌い人間界へ行きたいと相談された時も、危うい契約状態である事を打ち明けられた時もアルマディータを最優先に考えている。

ナーシャ自身は周りがどんなに不幸になろうが『アルマディータ様さえ幸せになってくれれば良い』とすら思っている。

鈴宮という男が強欲で大公家の権力やアルマディータ様の美貌目当てにここへ来たのなら懐柔する方法はいくらでも思いつく。

アルマディータ様のためなら自身が鬼…吸血鬼なのだから鬼なのだが、になっても幸せを掴んで貰うように仕向ける事が出来る。

しかし、鈴宮彩は本当に『良い人』なのだろう。困っているアルマディータ様を見て、助けるつもりで異界までやってきた。

挙句の果てに古臭い本がカビ臭く眠っている図書搭を見せて欲しいというのが希望とは…無欲なのか、はたまた単なる馬鹿なのか。

いっそアルマディータ様を押し倒して男を見せてくれた方が結果として自分の望む結果は導き易いのだが…。

一応、保険でアルマディータ様には非常事態の時に『これ使ってね』と男性のエチケットグッズを渡しておいた。

初心なアルマディータ様はアレが何なのかは全く分かっていないようなのが少し心配だが。

全く純真というかそっち方面は初心でいらっしゃる。

鈴宮がそれを使わなければ、アルマディータ様の魔力量から言って人形となってしまう事は避けられないだろう。そうしたら鈴宮は人間界に帰る事もなく、二人共こちら側で暮らす事になる。『あの男の自業自得でしたね』とアルマディータ様に優しく慰めの言葉をかける自分を想像すらしてしまう。


お世継ぎが出来れば更に嬉しい誤算である。いっそ予め針で穴でも開けておいた方が良かったか?

アルマディータは『鈴宮の気持ちを確かめられていない』というが、恋愛についてはさっぱりなアルマディータ様に任せていては見ているこちらがはらはらしてしまう。

アルマディータ様が冷徹になれないなら、自分がその役目を買って出なくてはならないだろう。

表面上は平穏無事に見える吸血鬼族界も水面下では十年も前から不穏な動きが垣間見られている。

特にハルファス家の当主が代替わりしてからクール家に対して何くれとなく対抗してくる。

妻帯者にも関わらず、アルマディータ様を新たな妻として迎え入れたいと言う申し入れが人伝に打診された時のドロレス様の荒れ様は侍従長をして、全員退避の命令が下ったほどだ。


ナーシャとしても鈴宮を人形にしたい訳ではない。コトリア様が悲嘆に暮れるのを目の前で見ているのだ。

そうなってしまえば、アルマディータ様も同じように嘆き悲しむに違いない。

相思相愛になって、こちら側で暮らして貰えるならそれが一番なのだ。

クール家の世継ぎ問題は本来はクランス殿下のお役目だし、アルマディータ様が無理することもない。

少なくともアルマディータ様に正式な契約者が出来れば断る理由になる。

その為には人間族でも止む無しというのがドロレス様と父君ヴラド様のお考えなのだろう。

契約によって特に三十位階内という高位に叙されているのだ。クール家としては誰にも文句は言わせないはずだ。

外からの邪魔が入らなければアルマディータ様の望む形の幸せを出来る限り叶えてやろうというヴラド大公様の意向はお側に仕える者達は十分浸透している。

だから、どうしても今回のお披露目式でボロが出てはいけないのた。

後はアルマディータ様と鈴宮の恋仲が進展すれば良いだけなのだ。

それもこれも、鈴宮がアルマディータ様に求愛してくれなければ始まらない。

ナーシャの見立てでは鈴宮はアルマディータ様を心憎くは思っていない。

ただ、踏み込めないでいる。もしくは踏み込まないでいる。

後はそっと背中を押すだけだと女の勘が告げている。

アルマディータ様は思いっきり魅力的になって貰い、鈴宮の理性を破壊して頂きましょう。


『まずは媚薬を湯船に入れて…お二人には是非とも既成事実を作って頂きます。』


心の中で拳を握りしめて、決意を新たにする。

ナーシャの計画が当の二人が知らないところで始まった。

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