第六章 そして魔王は天を仰ぐ
薄暗い舞台の中央で一人スポットライトを浴びる少女。
その華奢な身体から伸びる真っ白な腕が一層白く、儚げに見せている。
「私は貴方の愛に溺れているの、貴方の尊き血にではないわ!
貴方に信じて貰えないなら、この白木の刃で私を貫いて…。世界は貴方を中心に廻っているの。
貴方の中で私の記憶が生きるなら、このまま生き永らえるより私は幸せになれる。」
吸血鬼姫がスポットライトの中で跪き、観客の方へ白い腕を伸ばす。
血を思わせる朱いドレスから伸びる腕はより一層白く見える。
「愛してとは言わないわ、私は異形の身…ただ、私が貴方を愛している事だけは知っていて。
そう…貴方は私に死んで貴方の中で生きていく事すら許してはくれないのね。
私は貴方に受け入れられなくとも、貴方を愛してる事だけを胸に生涯を生きて行くわ。
貴方のことは、だって…片時も忘れないもの。」
人間の王子を愛してしまった吸血鬼の姫君はその細い両の腕でその自らの肩をそっと抱く。
力を入れず、そっと儚げに。
細い身体がより一層か弱く、か細く見える。
「…人間の言葉に私のこの気持ちを表せる言葉があれば良いのに。
私の緋色の愛は貴方だけのものです。」
舞台は暗転し、場内からは溜息が漏れる。息を詰めて見入っている人も多いようで静かなざわめきが響く。
隣に座っている百合ちゃんは僕のキャンディーバーを口の中で転がしながら舞台を見つめている。
楓さんがお昼の公演の前に合流して、僕に託して行ったのだ。
既にすっかり、保護者である。
鷹司さんと三人で予約席を用意して貰えたのは思わぬ幸運だった。最前列のど真ん中である。
午前中の公演で、アルマ出演の噂が一気に広まり普通に並んだのでは立ち見しかできない盛況ぶりである。
『王子の活躍で火炙りの刑を辛くも脱出した吸血鬼姫は、国境にほど近い寂れた教会に逃げ込みました。』
楓さんの声のナレーションでスポットライトが灯り、シーンが変わる。
吸血鬼姫は、打って変わってボロのマントを羽織って十字架の前で走り疲れ倒れ込むように座っている。
「王子様、どうして私を助けたのです。このままでは貴方は異端者として追われてしまいます。
異端を愛している自分は既に異端って…それは私の事を…あぁ。
あなたの温もりが私の中で広がって行きます。王子様、じゃあ私を…。」
アルマがゆっくり立ち上がるとボロのマントが落ちて真っ白なウェディングドレスが光り輝く。
唇のルージュが妖艶に映える。
「…貴方のお嫁さんにして下さい。」
見えない王子に両手を伸ばして、小首を傾げてアルマが満面の笑みを浮かべる。
目を閉じて少しだけつま先立ちになる吸血鬼姫が王子から抱きしめられ、誓いのくちづけをされているのが誰の目にも鮮やかに脳内でイメージ化される。
本当に幸せそうな吸血鬼姫に周りの観衆からため息が漏れる。
スポットライトが落ち、電光掲示板が『Fin』の文字を浮かび上がらせて終劇を伝える。
すると、ため息は割れんばかりの拍手になり代わり、体育館を埋め尽くした。
男子よりも女子の方が多いようだが、恋愛ものだけに仕方がないか。
部員全員が並んでの舞台挨拶では、更に拍手が多くなる。
中には『アルマ様〜』という女子の黄色い声も飛んでいる。
何にせよ、準備期間が十日とは思えないほどの完成度の高さである。アルマが持ち込んだ衣装が本格的…本物であるだけに臨場感があり、観客を舞台の世界に引き込むには十分な事もあったが、それぞれの温めてきた演技が良かったのもあるだろう。
間違いなく、演劇部の報告会は成功の部類のはずだ。
舞台上でニコニコと手を振るアルマがこちらにも手を振る。
僕は手を上げて応えると百合ちゃんに目を落とす。
彼女は食べ終わっているはずのキャンディーバーのバーだけを咥えて、何やら難しそうな顔でアルマに手を振って応えている。
お話が少し難しかったのかもしれない。
アルマの舞台の成功を喜びながらも活動報告会明けから、また喧しくなりそうな気配なので、それを思うと今から落ち着くまで頭が痛い。
☆
ほぉ〜。
思わずため息が出てしまう。
舞台の中央で幕が降りた瞬間に私は大きく息を吐き出した。
|人間界(こちら側)にやってきてこんなに緊張した事はない。
大公の娘として幼い頃から周囲から視線を感じない瞬間はなかった。
朝起きてから、寝るまで…いや寝ている瞬間ですら、公女として見られていない時はないと言えた。
それでも、視線を感じるのと一挙手一投足に注目を集め続けるのは違う。
私の指先の動き一つで舞台の成否が決まるかもしれないと思うと緊張してしまう。この舞台はみんなの努力の結集なのだ。たった二週間で主役に抜擢されてしまった自分とは異なり、ずっとこの日のために準備してきた楓のような人もいる。頑張ってきたみんなの為にも、王子への愛に身を捧げる吸血鬼姫を演じ切らねばならない。
その思いで自分なりに頑張ってきた。
もっと気安く引き受けたのだけれど、やってみるとみんなの『想い』がひしひしと感じられて、自分も全てを捧げなくてはという思いに駆られてきた。
これならばコティと震えながら、でも強がった笑顔で挑んだ舞踏会デビューの方がどれほど気が楽だったことか。
『お疲れ様でしたぁ〜』
『やったねぇ〜、大成功だよ!』
周りの部員は思い思いに舞台の終演を喜び、労っている。
「アルマ先輩、お疲れ様でした。」
一人呆けていたであろう私に楓が近寄ってくる。
「楓部長、お疲れ様でした。成功…だったのかな?」
「勿論です。この拍手が何よりの成果ぢゃないですか♪」
私にとっては楓の今の笑顔の方が嬉しいよ。
そんな風に思えるのも人間界に来て、身分から為さなくてはいけない事、ではなく自分の為したい事を努力してきたからなのだろう。ちょっとした心境の変化である。何という充実感。
初めて肩の力を抜いた瞬間、握りしめていた掌にポタリと雫が落ちた。
「え、わ、なんでアルマ先輩泣いてるんですか!?」
「あ〜、楓がアルマ先輩泣かしてる!」
「楓〜!私達のヒロイン虐めたなぁ!」
「ちょ、ちゃ!違うって!」
女子部員たちににじり寄られて楓の表情が引き攣る。
「怖かったよぉ〜、私のせいでみんなの舞台が壊れちゃったらどうしようかと思って、ドキドキして。
あぁ〜、無事に終わって良かったぁ〜。(๑´•.̫ • `๑)」
「ヤバイ、アルマ先輩…可愛い。」
「最後の王子様とのキスシーン!あんな表情されたら可愛くて食べちゃいたいです。」
「やっぱり、経験あるんですか?」
私の涙のせいで話がどんどん脱線していく。
「な、ないよ…まだ。」
「え〜、ぢゃあ鈴宮先輩ともまだなんですか?」
コクコク。
彩とキ、キスなんて…思っだけでも顔が熱くなるのが分かる。
「え、じゃぁ…アルマ先輩。私と初めてをしましょう!」
後輩の一人がとんでもない提案をしてくる。
「女の子同士は、さすがに…あははは。」
「私はアルマ先輩なら構いませんよぉ〜。」
「だめだめ!私が初めてをもらうんだから!」
「こらこら!遊んでないでさっさと撤収!舞台空けないと軽音楽部にどやされるよ!急ぐ急ぐ!」
悪ノリ…だと信じたいおふざけは楓部長の一言で終わり、みんな渋々片付けを始める。
私は掃除を手伝いながら、頭の中でリフレインしている単語を何とか振り払おうと格闘していた。
キス…口づけ。
手の甲に行う人間界中世の儀礼的なのではなく、昨日読んだ人間界のバイブル『ハイティーン』で特集されていた人間界での最近のキス。
唇と唇だけでなく、舌まで入れるって書いてあった。
読んでいるのが恥ずかしくなって、読んでいる途中でページを閉じてしまったもの。
侍女達から聞く、ロマンスにもそんな細かなことはないし…まぁ、そんな描写をされても困っていたでしょうけど。
吸血鬼族ではまず有り得ない光景。
契約関係になるための血の交わりは何も本当に血である必要はないの。
ご先祖さまの研究では空気に触れない状態での体液交換によってのみ契約関係は成立するみたい。
確かに契約の儀式では相手の首元に牙を立てるけど、立てた方の血液は別段相手側へは行かないものね。
唾液が空気に触れないように相手に入れば契約成立になるという科学的な検証が報告されている。
ま、その…結婚して、その…子供とかできる時にはキス以下にももっと色々ある訳で…。
考えているうちに顔から火が出そうになってしまう。
次の部活へのバトンタッチも無事に終わり、演劇部の控室で制服に着替えた後もその事が頭の中を駆け巡っている。
「アルマ先輩、熱でもあるんじゃないですか?顔が赤いですよ。」
楓が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、男の子ってやっぱりキスとかしたいのかな?」
「ど、ど、どーしたんですか!?急に?」
「言われると気にしだしちゃって。」
「まぁ、男子だけじゃなくて女の子だって好きな人とはしたいんじゃないですか?普通。」
「そっかぁ、楓は誰かしたい人はいるの?」
「や、や、私はまだそんな人は…いませんから。あは、あはははは。」
何故か乾いた笑いでそっぽを向かれる。その反応は中々可愛いぞ!楓!
後で櫻子にも聞いてみよう。
彩がどう思っているのかはまだ怖くて聞けないし。
彩の求めに応じられないなら、彩が他の娘を好きになる事を私は許せるのだろうか?
子供は人工授精や代理出産という医療技術が霊魔界にだって確立されている。大っぴらにはされてはいないけど。また一つ、悩みが増えてしまった。眉間にシワが寄らないようにお手入れしなくっちゃ。
「先輩、本気で私達と舞台やりませんか?今回の舞台はすっごく良かった。
でも、やっぱり先輩の伸び代ってもっとあると思ったんです。
だから、一緒にやりましょう!」
物思いに沈んだ私が、それ以上追求しなかったので楓が真剣な表情で私に向き合い、切り出した。この話は今日に始まった事じゃない。
何度も申し入れされている。その度に躱してきたのだけど、今日は真摯に向き合わなくてはならないだろう。
私は人間界(こっち側)では仮初の存在。出来るだけ軌跡を残してはいけないのだ。
「楓さん、ありがとう。こんな私を誘ってくれて。この十日間の練習でみんなの演劇に賭ける情熱はよく分かっているつもり。」
楓はキラキラした目でこちらを見つめている。純粋なんだなぁ、ホントに。
「でも、ゴメンネ。今回は短期だから何とか誤魔化してきたけど…多分、体が持たないと思うんだ。
迷惑をかけちゃうから、遠慮してさせて貰うわ。でも、応援はしているから頑張ってね。」
ペコリと頭を下げる。彼女達のひたむきさや一生懸命さが私にはとっても眩しく見える。
「残念ですけど、先輩の事情も分かりました。先輩も舞台見に来て下さいね。」
また、眩しい笑顔を見せられ少しだけ羨ましく思えてしまう。
私の初舞台はこうして、成功のうちに幕を閉じたのだった。
後でたっぷりと彩に感想を聞かなきゃ。
☆
アルマの迫真の演技に鳴り止まねぬ拍手で舞台の幕が降りると、僕ら三人は体育館を後にした。
百合ちゃんが迷子にならないようにしっかりと手を繋いで人混みを抜ける。
「百合ちゃんには、少し難しかったかな?」
「異種族間での恋愛は、異文化間での恋愛に等しいから、あれが初めてのケースなら双方の周りがさぞ煩かったろうに…と、思っただけ。
演劇としては逆側から見ても面白いかな。」
「なるほど、吸血鬼側から人間界を見るというわけだね?歴史の両面から考えるのは確かに面白い視点だよね。
『歴史は常に勝者からのみ語られる』からね。」
「彩…それをどこで…?」
「昔、誰か親しい人に言われたんだと思うんだ。でも、ごめん。あんまり覚えていないんだよ。」
「…そう。記憶がないの…なら、我慢するわ。」
百合ちゃんがこちらを見上げて、ぎゅっと手を握リ返してくる。
今にも泣きそうな顔をしていると思ったのも束の間、すぐにそんな表情は消えてしまう。
「アルマさんは迫真の演技だったわね〜。
じゃあ、次は模擬店に行って何か食べようか?お姉さん、おごっちゃぉ〜。
鈴宮くんは次の演武の準備があるんだよね?」
「うん。じゃ、鷹司さん。百合ちゃんをよろしくね。
百合ちゃん、また後でね。」
そう言って僕は本日二回目の演武をするべく武道場へ向かった。
アルマ特製のおやつを護らなくてはならない。
午前の部と同じように型の演武の後で、乱取り(とはもはや言えないと思うが)も行った。
今回は死者三名を出したが、風城先輩以外は二回目の死者は出なかったと言っておこう。
風城先輩は血糊が無駄になったとブツブツ言っていたが、去年のような血まみれ事件にはならずに済みそうである。噂で尾鰭が付くことは間違いなさそうだが…。
そして、迎えたスポーツチャンバラならぬ、おやつ争奪戦である。
今回はお陰様で長蛇の列が出来ており、部長がニヤニヤと金勘定をしている。
元手がタダなんだから、儲かるわな。
それは。
百人ほど相手をした所で制限時間一杯の合図がなり、最後の一人となった。
勿論、おやつは護り通している。
大人気ないと言われても構うものか!
『おおっと、もういないか?もぉ〜、挑戦者はいないかぁ?』
煩いほどに風城部長の声が武道場に響く。これで活動報告になるのだろうか?
「はーい!私も参加しても良いかな?」
高いアルトの聞き慣れた声が応える。
人混みを掻き分けて、金髪が出て来る。アルマである。
制服姿に戻った主演女優がこちらに小さく手を振る。
『おぉーっと、ここで賞品の提供者であるアルマ嬢が登場だぁ〜。』
何故か、ヤケクソ気味な部長の声が武道場に木霊する。
『勿論、どなたでも参加できますよ〜。さぁさぁ、どうぞどうぞ!叩きのめしてやって下さい。』
風城先輩…貴方、どちらの味方ですか?
「風城さん、私が勝って賞品を頂いても申し訳ないので、私が買ったら剣道部の皆さんで召し上がって下さいね♪」
思わぬ提案に一瞬静まり返った武道場は、歓声に包まれる。
曰く、
『鈴宮、負けろー!』
『先輩!女の子立てなきゃダメですよ〜!アルマさんの手作りお菓子食べたいぞ〜!』
主に応援しなきゃいけないはずの剣道部の面々はこの提案に一挙に乗っかって来た。
『ここでアルマ嬢から新たな条件の提示だぁ〜!分かりました。剣道部としてはその提案を受けて立ちましょう!
その代わり、アルマ嬢が勝った場合には『負けた鈴宮が何でも言うこと聞く』って事で如何ですか?』
「はーい。私は、構いません。」
風城先輩…何を勝手に賭けてるんですか?まぁ、勝てば良いのでしょう。
もぉ、ヤケクソです。
『鈴宮もそれで良いな?』
風城先輩の念押しにただ頷く。
アルマはニッコリ微笑んで剣道部員から道具とルールの説明を受けている。
僕は自分の紙風船がちゃんとした位置に付いているかを確認して備えた。
『それぞれ、準備は良いかな?』
風城先輩の掛け声で前を見るとアルマが右手のスポンジ剣を自分の前で垂直に掲げ、半眼で集中している。
左手は背中を当て、典型的なフェンシングの構えを取っている。
切っ先を突く事で攻撃するフェンシングは刃の部分で斬る刀を想定している剣道とは大きく異なる。
間合いの取り方が真っ直ぐ剣を伸ばして戦うフェンシングの方が圧倒的に長い。
『始め!』
今日一番の歓声を背にアルマが剣を付きだし構えを取った瞬間、間合いを詰めて僕の額の紙風船を狙ってくる。
自分の剣を振り上げて切っ先を外す。
途中でアルマの刀身の重みがフッと消える。
踏み込みに縦横のベクトルが掛かる剣道とは異なり、前後の突きが基本のフェンシングでは切っ先が外された時にすぐに引き戻す事が出来る。
アルマの次の突きが、がら空きとなった鳩尾に伸びる。
僕は後ろに飛び退いて直撃を避けた。
ルール的にはそこに当たっても紙風船があるわけではないので何の問題もないが、無様に急所を突かれるなど八閃流門下生としては有り得ない。
アルマの剣撃の風圧が胃のあたりを撫でる。
本日初めての後退である。ヒヤリと冷たい汗が吹き出る。戦場なら致命傷になりかねない。
一瞬、何が起こったのか分からなかった会場にどよめきが広がる。
今の速度を見切れるのは風城先輩くらいだろうか?
胴を突く時に更に間合いを詰められて、切っ先が二倍も伸びたように錯覚してしまう。
吸血鬼大公家の姫君は深窓のお嬢様ではなく、しっかり護身術以上の武術を嗜まれているようだ。
『おぉ〜、すげー。鈴宮が初めて退いたぞ!そのまま押し切っちゃえ!アルマ嬢!』
歓声というより、怒号と化した場内はアルマの応援一色となっている。
いやいや、風城先輩…あなたこちらを応援する立場なのでは?
アルマは改めて直立し、自分の前で垂直に剣を構えてこちらとの間合いを測っている。
すーっと、右手の剣が切っ先をこちらに向ける。
向こうの間合いで戦っては不利だ。
フェンシングは切っ先が武器であるが本来刀身に致命的な攻撃力はない。
つまり間合いに入られた時の攻撃手段は極端に少なくなるはずだ。
剣道の間合いで戦う。
僕はアルマの右肩の風船に狙いを定め、抜刀術での踏み込みを行う。
相手も突っ込んでくると思っての踏み込みだったが、アルマは僕の踏み込みに合わせて後ろに跳んでいた。
アルマの背中で何かの影が揺れる。
更に一歩踏み出そうとしたその時、アルマが何故か構えを解いた。
ニンマリと笑うアルマに違和感を覚えて身体が止まってしまう。
次の瞬間、僕は頭に軽い衝撃を覚えた。
ぱふっ…というへちゃけた音が耳に届き、そしてスポンジ竹刀が僕の足元に転がる。
「やった〜♪」
『おぉ、鈴宮選手の風船が割れたぞ〜!
アルマ嬢の意表を突く二刀流作戦が功を奏したようです。
バンザーイ!お前ら喜べ!おやつは剣道部のものだぞ!』
いや、そこは喜ぶところじゃないと思うんですよ…風城部長さん。
アルマは左手を使わないフェンシングの構えを利用して二本目の竹刀を背中に隠し持っていたのだ。
ずっと背中に隠しながら僕が敢えて距離を詰めるように積極的な攻めをした 直後に、身を引く。
と、同時に頭上に投げた竹刀が僕の額に命中するように位置を合わせる。
まんまと乗せられたが、どれも素人では出来ない技だ。
勝負としては僕の完敗である。
「おめでとう。でも、アルマがフェンシングの心得があるなんて聞いてないぞ。」
「あら、女の子には秘密がたくさんあるものなのよ。(^_-)-☆」
ニコっとウィンクされ、少しだけ嫌な予感を感じ始めてしまう。
何を約束したんだっけ!?
因みに血塗れ鈴宮を打ち倒した女傑として尾鰭がついて、少しだけ男子がアルマに対して腰が引けてきた事は後日談である。
☆
缶コーヒーが音を立てて、コンクリートの地面に落ちる。
中身は殆ど飲み切っていたが、少しだけ地面に零れ落ちてしまう。
「え!?ごめん、もう一回言ってくれる?」
「だから〜、一度私の家に一緒に来て欲しいのよ。」
ここはいつもの屋上。
活動報告会も無事に終わり、アルマと二人でお疲れさん会をしているところだ。
鷹司さんは生徒会の仕事で飛び回っていて不在。因みに百合ちゃんはあの後模擬店をチラリと見ただけで帰ってしまったのだと言う。
それにしてもだ。
『勝ったからには何でも言う事を聞いて貰うわよ!』と言い放った直後に実家同行を切り出されるという展開。
これが恋愛ドラマなら彼女のご両親に挨拶なんてドキドキするシーンであるが、現実の状況は遥かに複雑で面倒である。
まず、行き先は霊魔界という異世界だ。ましてや、吸血鬼族の大公殿下のお城に行くのだ。
囚われの身を想像するのに苦しくはないと思わないかい?
「前にも説明したと思うけど、通過儀礼として私には契約者が必要なの。
仮初でも契約関係にはなった訳で…その、責任をとって両親に挨拶して欲しいなっと。」
「何だか事実を捻じ曲げた、いかがわしい言い方だけど、事情は分かった。
でも、ホントに僕が行っても大丈夫なのかい?」
「彩の安全は私が保証するわ。必ず人間界へ戻って来れるようにしてあげる。」
「…安全は保証…危険なんだね?」
「ちがっ、引き止められる可能性もあるって言うか…まぁ、彩が人間界でやりたい事があるから、それを見守りたいって話しているから、そこは大丈夫はず…です。」
( •̀ㅁ•́;)
「ほら、活動報告会の振替休日が一週間あるでしょ?
その間には帰って来れるから!ね?
お願い!何でも一個だけ良いって約束でしょ?ね♪」
男に二言はないと言うがこの場合は反故にできないだろうか?
う〜ん、やっぱりだめなのかなぁ?
ま、一週間…やる事もないのだ。
小旅行と思えば、貴重な体験だろう。
何せ、異世界である。
「おやつは三百円までかな?」
「…バナナはおやつぢゃないわよ。」
僕は自ら頷いた約束を守るため、全面降伏することにした。
アルマの鉄板の回答をスルーして、天を仰ぐ。
「分かったよ…但し、必ず帰って来ること。これは、絶対条件だからね。
アルマ…僕が心配しているのは、そんなことより『僕』で大丈夫か?ってことなんだ。
僕は通過儀礼の事を正確に理解している訳ではないけど、アルマにとって大事な儀式って事は分かる。
だから、出来る限り協力してあげたいとは思う。
そんな場に『僕』が行ってアルマの立場を悪くしないかが心配なんだよ。」
自分が出血多量で気を失ったアルマに口移しに自分の血液を飲ませてしまった事が発端なだけに大いに負い目を感じている。
「そこは…ほら、何とかするわ。私に合わせてくれれば大丈夫よ…きっと。」
( ・ั﹏・ั)
「胡散臭そうな目で見ないの!」
「大事にやらなきゃ良いけど…。」
「大丈夫、大丈夫!…何とかなるって!」
「はぁ…。」
ウキウキしているアルマが可愛く映って、何となく流してしまう。
僕はこの時、曖昧なまま流してしまった事を後で深く後悔する事になる。
☆
琥珀色の酒がグラスの中で揺蕩っている。プラチナブロンドを短く刈り上げた青年が広間の最上段の白亜の石造りの椅子にゆったりと腰掛けている。
足元ではほぼ半裸とも言えるシースルーのビスチェを纏っただけの女が二人侍っている。容姿がそっくりであることを見ると双子のようだ。
腰までの金髪のカールの仕方まで瓜二つである。
もしかしたら、シンメトリーがその青年の趣味なのかもしれない。
左手のグラスの酒を少し煽ると、右手の手紙を改めて眺める。
酒と同じ色の琥珀色の瞳が面白くなさそうに泳ぐ。
その手紙は今夜、霊魔界の主要な貴族に届いた吸血鬼族の族長クール大公家の封印が押されていた。
隠居した父親宛だったが、実質的な当主は既に自分である事は城内の誰もが知っている事なので手紙はすぐさま青年宛に運ばれてきた。
隠居したとは言いながら、仲違いをしているため正式な当主交代の通知を出していないのだ。
それもあの老いぼれが死ねば自動的に自分のものとなる。
形式に拘ってどうでもいい事に目くじらを立てる気はなかった。
既にこの城の中で働く男子で青年に逆らえるものはいなかった。
「気に入らんな。」
ボソリと声を漏らす。
手紙は大公女アルマディータの上位位階序列のお披露目会への招待状であった。実質的には人形契約をした相手を紹介する場となるだろう。
あの女の位階がどれくらい上がったかなど興味もない。今や霊魔界の序列第五位となり、族長であるクール大公夫婦を抜いて、吸血鬼族では第一位の序列である。
自分が族長を拝命しても良いのではないか?
もしかしたら、魔王の座にすら着けるかもしれないと内心考え始めている。
先代魔王の御代には魔王は位階序列第二位であった。
神々の系譜の序列に関係なく、魔王になれることは先代が身を以て証明してくれている。
つい先日には念願であった霊獣との契約も彼らをねじ伏せて行った。
魔獣や妖獣ではなく、命じれば人の形態まで取ることの出来る霊獣との契約である。
今度、呼び出して変幻させてみるのも面白い。彼らに牙を立てたらどうなるのだろうか?
魔力での契約は絶対的なものだが、霊獣に人形契約が出来るのか試してみるのも面白い。
思いは彷徨い、再び手紙に戻る。
「ならば、俺が貰い受けに行ってやろう。確か、見た目だけは良かったはずだ。愛玩動物代わりに側に置いてやることにするか。」
そのアイディアは案外悪くないように思えた。
族長は輩出しているクール家と自らのハルファス家が婚姻関係となれば族長の座も転がり込んで来るに違いない。
「お前たち、明日の晩までに後百人程連れてこい。明後日には全軍でクール領に招待されてやるぞ。
その身を汚して、このスイレスに尽くせ。」
青年、スイレス=ハルファスの琥珀色の瞳に狂気の赤に揺れたように見えた。




