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第二六話 共和国の王 二

 再出発から二日後、私たちはゲルドヴァ近郊まで辿り着いた。そのまま駐屯地に向かおうと提案する私たちに対してエルリックは異を唱える。ゲルドヴァを素通りしての首都直行がエルリックの案だ。


 状況を確認するため、私たち四人だけでも駐屯地に立ち寄らせてもらえないか、アリステルが尋ねる。しかし、ポーラは首を縦に振らない。


「あなた方が姿を見せてしまうと、我々も近くにいるもの、と軍は推測するでしょう」


 隠密行動を続けるエルリックの真意をアリステルが確認する。


「私たち共々、エルリックの存在を完全に隠して作戦開始を少しでも遅らせよう、という算段ですか?」

「そういうことです。それが正解かは分かりませんがね。もしかしたら、もうジバクマ軍は攻勢を開始しているかもしれませんし」


 そのあたりは軍と接触を持たないと事実確認を取れない。軍事拠点の周囲をコソコソと窺っていては、それこそ時間を大幅に食う羽目になる。


「首都の陛下に会って……全てはそれからか」


 何が正しい選択なのか、それは誰にも分からない。より正しい選択であることを願いながら、私たちは首都への直行に同意した。




 ゲルドヴァ駐屯地で偽装魔法(コンシステント)を習得して以来、裏街道ばかりを走る私たちが首都に着いたのは、ゲダリング奪還作戦が掲げられてから半月以上経ってからのことだった。私たちが巡り回った場所と、それら各所でやってきた内容を考えると、半月というのは相当早い。驚くほど時間がかからずに目標を達成してきたと言えよう。


 私たちは前回と同じように、ジルがいる夜の都庁を訪れた。先の経験を活かし、今度はジルの部屋の窓に直接向かい、窓ガラスを軽く叩く。すると、それに気付いたジルが窓を開けて私たちを室内へ招き入れる。


 国を代表する王の部屋に窓から入る。それも、王その人に窓を開けさせる、という暴挙。ジルはそれを何も咎めず、アリステルもエルリックに苦言を呈さない。本当にどうかしている。私の不満は大行の前に細謹を顧みているようなつまらないものなのだろうか……。




 やりきれない思いを抱えたまま室内を見回す。今日はレネーの姿がない。


「さて、この三か月のお互いの状況確認といこうか。そちらはどうなった?」


 ジルは何も気にする素振りを見せずに、ごく普通の抑揚で話を切り出した。


 アリステルが、首都を発ってからの行動を簡潔に説明する。


 中将を眠らせて砦まで担いで持っていった話から始まり、オルシネーヴァとの緒戦で連隊を一蹴したこと、死者はアンデッド化してから本陣に投げ入れたこと、二度目の戦いの際にはライゼンの雷魔法に匹敵する土属性の攻撃魔法ベネリカッターによって敗色濃厚の戦況を一変させ、ジバクマ軍の奮戦と相まってオルシネーヴァの大軍に大損害を与えたこと、レンベルク砦の防衛兵からエルリックがかなり高い忠誠心を得たこと、新規習得した私の偽装魔法(コンシステント)を利用してゲダリングとエイナードに潜入し、宝物庫を破って結界陣を奪還したこと、アリステルの病気である魔力硬化症の回復魔法はサマンダが習得したものの、薬の合成魔法はまだ誰も使えないこと、などなどだ。


 エルリックに同行していた私からしても、改めて聞くと胡乱な話だ。それをジルは大真面目に聞き、未知の情報には新鮮な反応を呈する。ゲダリング潜入などはジバクマ軍、オルシネーヴァ軍の双方が把握していない出来事であり、エイナード突入はまだジバクマまで伝わってきていない話であった。


「最新部分以外はレネーに上げられている報告と同じか。のらりくらりと防衛する話はどこにいったんだよ……」

「戦闘にもその時の地合いというものがあります。いい地合いであればつい手を出してしまうのはやむを得ないかと……。それに、我々が倒したオルシネーヴァ兵はそこまで多くありません。戦況の変化を読み切れなかったオルシネーヴァ軍と、時機を逃さずに反撃に打って出たジバクマ軍、この二者の相乗効果があったからこその大勝です」

「新種のアンデッドとやらも言い訳をするんだな……。事情や過程はどうあれ、結果は結果だ」


 ジルは組んだ両手で口元を隠し、しばし沈黙する。


「それで、陛下のほうはどういう状況なのでしょうか」

「ん、ああ。うちの秘書が問題ないことを確かめてくれたのは助かったんだがな、どうせならリオンを何とかしてほしかった。あいつは全然尻尾を出さなくてどうにも判断がつかない」


 飾りとはいえ国王お抱えの秘書に好奇心を発揮する時点でリオンは常識ある事務官とは言えない。だが、女好きなだけで気の利く無実の人間という可能性は一応まだ残っているわけだ。


「あとは俺たちの調べた範囲では内通者がいない。突き止められたのはアリステルを首都に呼び出した犯人だけ。これはイグナスって男だ」

「ハイナー少将ですか!?」


 あまり想定していなかった真犯人の名にアリステルが驚きを見せる。


「ああ。だが、他国と内通しているのではなく、自分で考えた正義感とか倫理観を基に行動しているだけのように思える。宗派が紅炎教で、しかも賢老院の強硬派と仲がいいからな。指令の方にしても、極秘指令でも何でもなく、ごく普通に下された指令だった」


 首都組の調査内容を聞いた私とアリステルは拍子抜けとなる。


「言われてみると確かにあの少将は独断でそういうことをやりそうですね」

「加えて言うなら、リレンコフの憲兵経由でエルリックを王都に呼び出しても、首都の防衛部隊に話をつけておかないと検問で問題が発生する、とは考えが及ばない奴だ」


 愚かすぎる人間は、自分の行動が実際にどんな結果を生み出すか思考が至らない。


 敵国目線で考えても、イグナスは頭が悪すぎて内通者として扱いにくいだろう。イグナスは内通者ではない、というジルの読みに私も同意だ。


「あとは声明関連の話だな。オルシネーヴァとの戦争に勝利した暁には、エルリックにダニエルの遺産を渡して満足してもらおう、という意見が賢老院議員の大勢を占めている。もちろんダニエルの領土は除いてな。あいつらは奪い返す予定のゲダリングをはじめとして、オルシネーヴァから獲得した領土をどうやって自分の支配地域に組み込むかばかり考えている。このままだと戦後の内部ゲバルトが起きかねない印象だ」


 これだから“愚者”は……。内通者がいるよりも救いがたい内部事情ではないか。オルシネーヴァに大勝したのが愚者の蒙昧ぶりを悪化させてしまっている。


「内部ゲバルトが起きるなら先に起こしてしまいましょうか」


 新種のアンデッドまでおかしなことを言い始めた。しかも、冗談ではなく、案のひとつとして本気で提示している。


「レンベルク砦の人たちは結構協力してくれるかもしれませんね。我々にライゼン卿、陛下、大将、リッテン少将。戦力は結構あるじゃないですか」

「それでどうする? 革命でも起こすのか。国として安定していないとゴルティアからの攻撃を防ぎきれないぞ」


 真剣な討論の中、誠にどうでもいい疑問が思考をよぎる。


 実権が無いとはいえ、国王の所属する側が引き起こす社会の変革を『革命』と言っていいのだろうか……。


「民主国よりは共和国、共和国よりは君主国のほうが戦争のある時代には向いているように思うんですよ。ほら、ジバクマだって公国時代、内政はともかく対外的にはそれなりに安定していたではありませんか。それが、共和国になった途端に東の公国ゴルティアと西の王国オルシネーヴァに攻められていますよね。ゼロナグラ公も不在となりましたし。ここらで長命の君主を擁立するのは良い案だと思うのです」

「だが、エルリックは統治するつもりがないんだろう?」


 三か月前の話し合いでは、新オルシネーヴァにエルリックが名義だけ貸すような話になっていた。その案を少し修正して、仮にジバクマ革命軍を作ったとしよう。革命軍がどれだけ領土を増やそうとも、そこにまっとうな統治者がいないことには先行きが暗い。そう簡単には倒れない旗が立っていなければ、人は誰も付いてこない。


「ちょうどいい人たちがいます。()()ではないですけれど」

「ヒトではない人? それは、つまり――」

「どんどん国土を奪われているゼトラケインの吸血種の元首長を招聘して、こちらで君臨してもらいましょう。どうです?」


 ジルという国王を前にして、別の君主を擁立しよう、と本気で言う新アンデッド。こんなに頭の痛い話があっていいのだろうか。奔放も過ぎたる発言だ。


 ……ただ、ゼトラケインの吸血種というのは着眼点として面白い。上手く選べば東からの侵攻を食い止められる可能性がある。しかもライゼン抜きで。君主にするかは別として、吸血種の登用は一考に値する。


「陛下。仮にジバクマが吸血種の統治する国になった場合、東との戦争はどうなるでしょうか?」

「ゴルティアが攻撃を止めるってか?」


 ジルは眉を顰め、しばし天井と睨めっこをした後、再び口を開く。


「停戦には至らないだろう。あいつらは吸血種全般に気を遣っているのではなく、ギブソンを恐れているだけのように思う」

「招くのが王子や王女であればどうです? この際、末席でも構いません」


 ジルは腕を組み、うーん、と唸りながら再度天を仰ぐ。


「それでも奇策の域を出ない。停戦に持ち込める可能性は高くないし、停戦に持ち込んでも新体制を維持しつつ内側の愚か者を黙らせておくのは並大抵のことではない。それならば、賢老院の馬鹿どもを少しずつ散らしていったほうがまだ堅実かつ確実な策だと思うぞ。あー、レネーもここにいれば話が捗ったんだが……」

「確かに、大将の自宅に寄って来ればよかったです。気が回りませんでした」


 人間組が真剣に考えているというのに、新種のアンデッドは友人宅に集まってホームパーティーでもやるような言い種である。事態の受け止め方のズレに脱力させられる。


 そこへアリステルが新しい切り口で割って入る。


「オルシネーヴァから取り返したいものを、エルリックは既に手に収めたのですよね。オルシネーヴァにも一回は攻め込んだ。仮にこのままジバクマ軍のゲダリング奪還作戦に協力したとして、賢老院はエルリックにゼロナグラ公の遺産を渡す。ラムサスも三年間マディオフに付いていく。これらの条件は、私たちはともかく、エルリックにとって不満なものではないように思います。それなのに、なぜあなた方は協力し、悩んでくれるのです」


 アリステルに指摘されて初歩的なことを思い出す。エルリックは私たちに協力して当たり前、などではない。力を貸すには、それなりの動機や理由が必要だ。ラシードやサマンダを責められないほど、私も呆けてしまっていた。


「そういえば呪いがどうこう言ってたな。あれは何なんだ? まだ秘密か?」


 呪い、と表現しているというのに、ジルはひどく軽々しい尋ね方をする。私もそれは知りたいし、むしろ知っておくべきことのように思う。しかし、ジルは必要性に迫られているから、というよりも、好奇心に突き動かされている側面が大きい。


「はぁー。今はそんなことなど、どうでもいいような気がしますが、人間心理として目的が分からない相手は信用しにくい、か……」


 ジルは好奇心に満ち溢れた目でポーラの次の言葉を待つ。


 同じ状況で私が、悩みを打ち明けろ、などと言われたら、絶対に喋らない。


「死なせるには惜しい人間がいる、ジバクマ国内に。要点だけ言うとそういうことです。個人名を出してしまうと、その人間の立場を不利にしてしまう可能性がありますので、そこを話すつもりはありません」

「それを()()と表現するか。人間とアンデッドの感性の違いってやつを考えさせられるな。人間なら愛とか友情とか呼ぶぞ」


 ジルはエルリックの発言内容を疑いすらしない。まあ、嘘は言っていないだろう。ポーたんはおかしなことを言っていない。それどころか、ゲルドヴァで出会って以来、最も明確なメッセージで、発言が真実であると告げている。


 エルリックは強制されてイヤイヤその人間を守っているのではない。自らの意志で命を賭してその人間を守ろうとしている。


 エルリックは自ら抱く意志を指して敢えて“呪い”と言っている。愛情でも友情でもない理由。それこそがエルリックの秘密の中枢なのではないだろうか。従来のアンデッドと新種のアンデッドの違いを決定的なものにする要因。食事の摂取も生命反応も、秘密の本質からしてみれば些末なものに過ぎない。


「それは……本当ですか?」


 アリステルはポーラの言葉を額面どおり受け取っていない。


 ラシードとサマンダは何も言わないが、多分エルリックの発言を信じている。


 一緒にいた時間がどれだけ長かろうとも、常に発言や行動の真偽を疑う。アリステルの考え方は、上に立つ者として間違っていない。


「そういや結界陣があるんだろ? それを起動して喋ればいい。俺たちもエルリックも嘘をつけなくなる。効果範囲はよく知らんが、アリステルは知ってるか?」

「効果範囲は可変です。オルシネーヴァが作ってくれた説明書がありますから、ご覧になりますか?」


 ジルは人差し指をくいくい、と動かす。


 アリステルはエルリックから手引を受け取ってジルに手渡す。


「ふーん、オルシネーヴァって結構マメなんだな、わざわざ説明書を作るとは。おかげで役に立つが……」


 ジルは説明書にざっと目を通した。


「全体を流し読んで見たところ、結構俺の知らないことが書いてあった。だが、それは細部の話。効果全体としては、前から聞いていた内容に相違ない。オルシネーヴァは態々自国民の命を使って、これらを検証した、ってわけだ。この説明書を作るために、宮廷魔道士とか何人か死んでいるんじゃないか?」


 ジルは嫌味たらしい笑みを浮かべてくつくつと笑う。


「それはいいが、取り敢えず使ってみてくれよ。俺は別に隠し事など無いし、お互い化かし合いに労力を割かずに済むだろ」


 ジルの話しぶりからするに、この人は社長時代も嘘を駆使して渡り歩いてきたわけではなさそうだ。トップに立つ人間というのはやむを得ず嘘を言わなければならない機会が多いように思うが、こういう毛色の長でも成立する会社があるらしい。


「陛下。結界陣の使用対価はお読みになりましたか?」


 ポーラは今までより少しトーンの低い声でジルに語りかける。


「ん? ああ、魔力はそれなりに消費量が大きい、ということと、使用者が人間の場合は命を失うってやつだろ。待てよ、そういえば――」


 そうだ。エルリックは新種のアンデッド。背高みたいな新種が使うと、背高は……死ぬ? もしそうであったとしても、シーワとかフルルとか、おそらく純粋なアンデッドと思われるメンバーもいるのだから、その旧種のメンバーが使えばいいだけだと思うが。


「エルリックは結界陣を使えないのではありませんか? 必要となる対価のせいで」

「その質問に答える前にズィーカ中佐、約束していたお願いをここで使わせてください」


 なぜこのタイミングでそれを。何を願おうというのだ。


「それは……。一体どんなことを望むのでしょうか」


 ポーラはひとつ間を置いた。エルリックにも迷いがあるように見える。


 その目が焦点を定めないまま、ポーラは再び口を開く。


「ゼロナグラ公の研究室に連れて行ってください」


 いやいや、何を言う。研究室があるのは首都からずっと遠い場所だ。この部屋の隣とか近所ではないのだから、それほど気軽には連れて行けない。


「話の途中じゃないか。研究室までエルリックの足でも丸一日はかかるんじゃないか? どうしてまた今行きたがる」

「そうですよ。賢老院も遺産を渡すことに異論はないようですから、後でいくらでも堪能できます」


 ジルとアリステルの解釈は何か間違っている。結界陣の話をしたからこそエルリックは今、研究室に行くことを欲している。


 そういえばポーラは教会の地下室で説明書を読んだ際に顔を(しか)めていた。


 あの時、私はそれを見ても特別疑問には思わなかったが、考えてみればこれはおかしい。結界陣について誰よりも詳しいはずのエルリックが手引を読んでなぜあんな反応を呈する。


 エルリックの気付いていなかった何かが記載されていたのか? それとも失念してしまっていた何かを思い出した?


 ……結界陣を使いこなせたのはダニエルただひとり。どこまでいっても人間には使いこなせない魔道具である以上、オルシネーヴァがどれだけ全力で調査しようとも結界陣の詳細全ては明らかにならない。


 あの手引には書かれていない、私たちも知らない秘密。ダニエルしか知らない隠された機能があり、それが故に今、エルリックは研究室を必要としているのではないだろうか。


「それは結界陣と何か関係があるのか?」

「今ここで結界陣を使って()()すれば、我々を含めた全員がこの場で命を落とします」


 結界陣の起動や使用に失敗することがあるとは初耳だ。


 それに全員? 結界陣が命を奪うのは使用者だけのはず。近場にいる全員の命を奪う特殊な使い方がある?


「アリステル。ダニエルが結界陣を使った時にそのような大惨事が引き起こされたことはあるのか?」

「私も結界陣の使用に立ち会ったことはありませんし、そういう話は初めて耳にしました。もし、そんな事態が一度でも起こったならば、確実に大きな噂になっているはずです。ジバクマでの話ではないのだと思います」


 エルリックは私たちを煙に巻こうとかはぐらかそうとしているのではない。現実に起こりうる問題を危惧してああ言っている。


「我々にも確証はありません。ですが、研究室でひっそりと使う分にはそれも確かめられるでしょう。使用に失敗しても我々が死ぬだけ。我々が死んだところで、皆さんが言うところの『新種のアンデッド』から、人心を解さない普通のアンデッドになるだけです」


 エルリックは自分たちが偽りの生命を持つ通常のアンデッドとは異なる、特殊な存在であると自認している。本当の生命を持つ新種のアンデッドが審理の結界陣を使って失敗すると、本当の生命は失われ、偽りの生命しか持たない通常のアンデッドに戻る。


 それはつまり、結界陣が直接私たちの命を奪うのではなく、生命喪失と同時に人の心を失ったエルリックが私たちを殺めてしまうかもしれない、と言いたいのではないだろうか。先日、旧国境付近でシーワがラシードに剣を振り下ろした時のように。


 エルリックは私たちを手にかけたくないから研究室でそれを試そうとしている……。きっとそうだ。


「なるほど。試行のためには遅かれ早かれ研究室が必要になるわけだ。それで、数日で帰って来られるのか?」

「結界陣を安全に使用するためには新しい魔法をいくつか開発する必要があります。実際にそんな魔法を作れるのか、やってみないと分からないですし、中途半端な魔法を作り上げてしまい、結界陣の使用に失敗した場合、以後皆さんとお会いすることはないでしょう」

「その魔法が完成すれば、私たちのような人間でも命を失わずに結界陣を使用できるのでしょうか?」


 アリステルはかなり踏み込んだ内容、ともすればエルリックを怒らせかねない深部まで無造作に言及する。機転の利くアリステルが自分の言動の危険性を自覚していないとは思えない。


 アリステルはひとりだけでエルリックと話すことが今まで度々あった。アリステルはそこで、今のような感じでかなり際どい遣り取りを交わしていたのかもしれない。


「我々の思い浮かべている魔法を完全な形で皆さんが行使できたとしても、ズィーカ中佐が期待する結果は得られないでしょう。これは云わば、我々にしか意味をなさない魔法です」

「そうですか」


 魔法開発にかかる時間が読めないのは痛い。せっかく結界陣を奪還したというのに、これだと状況は何も好転していない。


 エルリックは魔法の開発のために首都を離れ、戻ってこられるまでどれくらい時間がかかるか分からない。事が悪く転ぶともう戻ってこない。早くに戻ってこられても、賢老院にいるのは文字どおりの愚か者ばかりで、内通者はいない可能性が高い。ジルたちの下調べが正しいのであれば、結界陣は真価を発揮できない。


 すると、ジバクマとオルシネーヴァのゲダリングでの戦闘は避けられない。戦争に勝利しても、ジバクマは内部崩壊しかねない。


 やはりレンベルクの悪夢が起こった時点で流れは変わってしまったのだ。


「勝利条件を変えるのはどうだろう。俺たちは、『内側の敵を倒しオルシネーヴァを下す』という形で話を進めてきた。だが、賢老院の輩はいずれ入れ替えるにしても、必ずしも今すぐ倒すべき敵というわけではない。オルシネーヴァを倒そうと思うから賢老院が邪魔になる。オルシネーヴァを倒さずに戦争を終わらせることができれば……」


 それはエルリックがジバクマに姿を見せる前に私が考えていた理想の終戦図に近い。


 世界は二者に分類できる。敵か味方か。戦争のように対立構造が明確な場合、分類は簡単だ。オルシネーヴァは私たちの敵である。しかし、“絶対的な敵”というものは、極めて稀にしか存在しない。敵国であるオルシネーヴァですら、絶対的な敵にはなりえない。


 オルシネーヴァはマディオフと縁の深い国であり、この先もこの二国が戦争することはないだろう。しかし、マディオフが甘い顔を見せるのはオルシネーヴァに対してだけ。マディオフは極めて好戦的な国であり、ジバクマはなるべくならば接触を持ちたくない。ジバクマとマディオフは現在、ブライヴィツ湖以東においてグルーン川という国境で接しているが、この巨大な渓谷を渡って敵軍が攻めてくる可能性は低い。ブライヴィツ湖以西にはオルシネーヴァがあり、オルシネーヴァが国として存続してくれれば、ジバクマとマディオフの間で緩衝地帯として機能してくれる。それに、オルシネーヴァの存続はジバクマの“愚者”による縄張り争いを抑制する。


 だから、オルシネーヴァは絶対的な敵ではないのだ。居てくれるだけで、ジバクマを安定させられる。仮に結界陣を使用できれば、偽りとか一時的な停戦ではなく、真の停戦に漕ぎ着けて新しい条約を締結できるかもしれない。


「結界陣を国内の人間に、ではなく、オルシネーヴァの要人に対して使う、ということですね」


 私が確認すると、ジルは鷹揚に頷く。


「その場合も、領土をかなり奪われている点が問題になります。領土を取り返しただけでは、賢老院議員だけでなくジバクマ国民も納得しない。オルシネーヴァ側に相当不利な条件を呑ませないことには、国内側の同意が得られないと思います」


 ゲダリングを含む奪われた領土を全て返還させ、なおかつ賠償金やそれに類する補償を引き出す条約締結が求められる。オルシネーヴァ側に深く踏み込むとオルシネーヴァ人に大きく反発され、踏み込みが浅いとジバクマ人に不満をぶつけられてしまう。


 停戦へ持ち込むまでも、停戦から条約締結までも、どちらも予想される道程は険しく厳しい。


「宝物庫急襲により、オルシネーヴァの王族には強い恐怖が刻まれました。結界陣使用下での条約締結は、恐れおののく彼らに身の安全を保障することになります。恐怖の感情や自己保身の欲求はこれ以上ないほど強い原動力になる。今は、大きな痛みを伴う条約であっても受け入れられる心理状態であると考えます。ラムサスさんの提案に従い、エイナードでオルシネーヴァの横っ面をひとはたきした意味があったというものです」


 あそこまで派手に王城を破壊しろ、とは言っていない。だが、やってしまった事実は変わらない。ならば、それを如何に活用するか考えるのが建設的だ。


 戦場の兵ではなく、命令を下し、最終的に調印を行う立場にある王族に恐怖を与えたのは、考え方によっては好首尾だ。オルシネーヴァの王がどこまでなら譲歩して停戦に応じるか是非今すぐ調査したいところである。


「オルシネーヴァがジバクマに攻めてきたのは単純にゴルティアのジバクマ侵攻に便乗したのではなく、ゴルティアから脅迫めいた要請を受けていたからだと俺は思っている。『ジバクマ攻めに加勢しなければ、次はオルシネーヴァを滅ぼす』とな」

「ライゼン卿はかなりの高齢ですからね。いつミグラージュを守れなくなる日が来てもおかしくない。そういう意味では、ゴルティアに尻尾を振ったオルシネーヴァの当時の戦況判断は必ずしも間違ったものではない。しかし、我々が来たことで状況は変わりました。軍にも王城にも大きな被害を被った今、舵をどう切るか見ものです」


 ジバクマ東部のミグラージュに要塞があり、その近くにライゼンがずっと控えている。この二点が揃っているからこそ、ジバクマはゴルティアの大軍から国を防衛できている。ライゼンの年齢的に、この防衛構造はいずれ間違いなく破綻する。それを見越してオルシネーヴァはゴルティアに恭順した。


 それが、ライゼンが存命のうちにライゼンに匹敵する新戦力のエルリックが登場した。私たちからしても嬉しい驚きであり、オルシネーヴァもゴルティアも泡を食っているはずだ。


「もしも停戦に応じないようであれば……」

「そのときはやむを得ません。ゲダリングを落とすだけです。ジバクマ軍の調べでは、レンベルク砦を落とすためにオルシネーヴァは戦力をレンベルク砦付近に集中させた、という話ではないですか。ここ最近、我々が見たものから察するに、レンベルク砦北方の陣に置いていた戦力の多くは、更に北のゲダリングへ引き上げた模様です。つまり、現在の戦力集中箇所はゲダリング。あそこを落とせば決着がつく」


 レンベルクの悪夢のようにゲダリングで大会戦が起こると、そこに住まうジバクマの民に被害が出るだけでなく、オルシネーヴァ軍が壊滅的打撃を受けてしまう。するとオルシネーヴァは停戦ではなく降伏してしまうかもしれない。それはなんとしても避けなければならない。降伏となると、“愚者”が我が物顔で領土の切り取りを始めてしまう。


「もしオルシネーヴァが恐怖のあまりに無条件降伏をしてしまったら――」

「その場合は内乱が起こる前に群がるハエを処理していくしかないな。時間はかかるわ、上手くハエを叩いてもマディオフと接してしまうわ、望ましくない未来だ」


 停戦には応じてほしいが無条件降伏はしてほしくない。普通の戦争とは理想の落着が全く異なっている。


「停戦を受け入れさせるためには、オルシネーヴァに対して強すぎないあとひと押しが必要です。“愚者”とやらが何も余計なことをせずとも、一切の犠牲を出さないでそのひと押しを行うのは無理ですね。ゲダリングでは戦闘が生じる。そのつもりでいましょう」

「それもエルリックが戻ってこられれば、の話だ。今はエルリック不在の状況だからこそ、部隊はゲルドヴァやレンベルクから動かずにいる。この待機状態がいつまで続くかは不明だ。おそらく来月中には見切りがつけられる、とレネーは睨んでいたぞ」

「できればジバクマ軍が進発する前に魔法を完成させたいところですね」

「期限を気にするあまりに不完全な魔法に頼った挙句、失敗し、エルリックに永久に不在になられるほうがよほど困る。たとえどれだけ自軍に被害が出てもお前らがいれば戦況はひっくり返せる。失敗のない魔法の完成。これを最優先にしてくれ」


 ジルは思い悩む時間をほとんど経ずに現実的な意見を並べる。エルリックが味方であり続けるためには、自国民に少々の犠牲が出ることなど厭わない。それが圧倒的多数のジバクマ国民の命を守る術だと確信している。


 レネーも最終的には同じ選択をするかもしれないが、あちらは結論を出すまでに迷いに迷うであろう。


「では、急ぎ研究室に向かいましょう。『封印されている』といっても、我々の侵入を阻めるようなものではないのでしょう?」

「封印とは言いましたが、周辺地域一帯を立ち入り禁止にしただけで、あとは当時のままです」


 確か、研究室を閉鎖しているのはただ物理的に重いだけの扉だ。上下に開閉する鎧戸だったように記憶している。これはあくまで“仲間”から聞いただけの知識だ。


「私たちや賢老院の許可があってもなくても、結局中に入るには力ずくです。力ずく、といってもエルリックであれば魔力ずく、正規の入り方ができると思います。一帯は憲兵団から派遣された管理集団が定期的に見回りを行っていますが、何分広い場所です。エルリックであれば掻い潜る(かいくぐる)のは何も難しくはないかと」

「陛下にはその間、可能な限りゲダリングへの攻撃開始を遅らせていただきましょう」

「それは今までと変わらない。俺は議員どもに働きかけるだけ。レネーは戦略部の奴らに慎重意見を提示するだけ。ただ、エルリックが戻ってきた時に少しは面白いことになっているよう努力してみるさ」


 秘密の作戦があるのか、ジルはそう言って不敵に笑う。そんなジルの様子を見たポーラは、「それは楽しみです」と、こちらも不敵に笑って応えながら、退室の準備を始める。


 作戦会議は終了だ。今日、王の部屋を訪ねた意味はどれだけあったのだろう。状況確認はできた。情報交換もできた。しかし、結果として状況は何も良くなっていない。大きく変わったのは、戦争における最終的な着地点やそこに至るための中間目標だ。作戦は修正する度に難易度が増している。エルリックほどの飛び抜けた能力をもってしても、この作戦が実現可能なものなのか、もはや何とも言えない。先行きは真っ暗ではないが、明るくもない。




 エルリックに騎乗した私たちは入ってきた窓を通り、まだ夜暗深い外へ出る。


 前回同様、ポーラとシーワが最後にジルの部屋に残った。ポーラとジルが部屋の中で交わしたいくつかの言葉は、これもやはり前回同様に聞き取ることができなかった。


 首都を出た私たちは、ダニエルの研究室があるドゥキアを目指し、一路東へと向かった。

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