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第二二話 敵地潜入 一 偽装魔法

 ゲルドヴァの駐屯地に着いたのは真夜中だった。大規模作戦の影響か、深夜とは思えないほどの灯りが駐屯地を明るく照らしていた。忙しく働く駐屯兵に紛れてこっそり復号器を使用することをほんの少しだけ考えたものの、数時間で習得できる技術ではないのだ。下手な真似をしても遠回りにしかならない。通常業務の始まる朝を待ち、事務担当員の勤務開始一番に復号器の使用申請を行った。


 情報魔法や幻惑魔法に関しての復号器の使用制限はかなり厳しいが、以前の使用経験が活き、申請はすぐに通った。担当員から、絶対にワイルドハントに魔法技術を漏洩しないよう、念押しされたあたり、私たちは案外型にはまった、いかにもありがちな行動を取っているのかもしれない。




 魔法練習に参加できないエルリックは、手配師から依頼を受けて仕事でもしてくる、と言って、駐屯地から出ていった。毎日一度は駐屯地に顔を出す、ということなので、偽装魔法(コンシステント)習得後に何日もエルリックと再会できない、などという心配はない。余計なことは考えず、とにかく私は練習だ。


 許可の得られた私だけが人払いされた訓練場に入り、コンシステントの詠唱律本文に目を通す。


 詠唱律を用いて魔法を使うのは数年ぶりだ。今読んでも、詠唱律の文面は格好良すぎて恥ずかしい。暗号化されているのだから表面的な字面にそこまで意味はないのだが、十代中盤の人間が喜びそうな痛々しさがある。私はその十代中盤ジャストの年齢だった時も、気取りすぎていて却って格好悪い、としか思えなかった。この感想は今も変わらない。男性訓練兵にはもしかしたらウケが良いのかもしれない。


 詠唱律を唱えるのは、自作の詩を知人の前で朗読させられるときのような恥ずかしさがある。誰もいない訓練場で、他人が作った詠唱律を唱えていてこれなのだ。これでもしも自作の詠唱律を好きな人に聞かれて、『それ、自分で考えたの?』などと言われた日には、もう二度と顔を見られない。むしろ、生きていけない。


 魔法練習には集中力が何より大切だ。しかし、そこは詠唱律と復号器。邪念しかない状態でも、詠唱に魔力を込めれば魔法は自動的に発動する。数年前に習得できなかった魔法が詠唱完了とともに自らの身体にかかる。


 素晴らしい、一回で見事成功だ。魔法が構築されていく際の微妙な感覚を覚え、自分で再現できるようにするのが詠唱律を用いた魔法練習である。しかし、私の頭を占めるのは羞恥にまつわることばかり。魔法については、『なんか発動した』程度にしか感じていない。それもこれも詠唱律が格調高すぎるせいだ。これほど肩肘張って見栄に見栄を重ねた言い回しはきっとジバクマだけだ。マディオフもゼトラケインも赤面せずに唱えられる言葉を選んでいるに違いない。なにが、我らの愛する精霊だ、叡智の結集だ、根源への奉納だ、奇跡の御業だ。魔力をやるからつべこべいわずに各種魔法を発動させろ、の短い一文で済む話だ。


 ふう……。落ち着け、私。皆、この()()()()詠唱律を唱えているんだ。犠牲者は私だけではない。今は集中するんだ。私はコンシステントを発動させられる。これをしっかり身体で覚えて、詠唱律無しで発現させられるようにならなければならない。それで初めて覚えたことになる。


 そして覚えたところが到達点ではなく、そこが出発点だ。詠唱律が作り出すのは実用的な意味に乏しい基本形。これを実用に足る形で発展させて初めて、その魔法を使えるようになった、といえる。


 取り敢えずの目標到達点は、アンデッド反応を生命反応に書き換えられるようにすること。これでアンデッド感知魔法(ディテクトアンデッド)や魔道具を欺けるようになる。そのためには、(いち)にも二にも魔法の流れを身体に叩き込むこと。恥ずかしがってなどいられない。攻撃魔法と違って偽装魔法(コンシステント)は発動しても、具体的にどんな現象が生じているのか視覚的理解ができない。よく分からないけれど何らかの魔法が自分の身体に適応された、という雲を掴むような感覚が道標の全てである。以前の私にとってはこれが詠唱律使用時における魔法訓練の常識であり、それ以外の状況というのは存在しなかった。しかし、今は違う。私は攻撃魔法の訓練をしたことにより、目に見える魔法というものに常識が若干傾いている。


 初心を思い出せ。私は元々情報魔法使い。魔法とは目に見えるものではなく、視覚以外の感覚で理解するものこそが魔法だったのだ。攻撃魔法のことは忘れよう。目なんか瞑ったっていい。魔力の流れを感じ取れ。




 詠唱して魔法を体感しては、朧な感覚が記憶の中で温度を失わぬうちに自分で試し、何度も何度も繰り返す。それほど魔力消費の大きくない魔法だ。私の魔力量だってここ最近は跳ね上がっている。魔力欠乏(マナデフ)に陥る心配はない。問題となるのは魔力が()つかどうかではなく、集中力がどれだけ続くか、だ。漫然と失敗を繰り返すだけになってしまっては意味がない。常に考えながら試行する。


 コンシステントの難易度は、例えて言うなら小さな子供にとってのドアノブ。昔は飛んでも跳ねても絶対に届きっこない高さにあった。詠唱律を使っても発動しなかったのだから、むしろ高すぎて目に見えないと言っても過言ではないほどだ。


 今は、まだ完全には届かないけれど、少なくとも見えてはいる。思い切り跳ぶと指先が触れる。あとちょっとで指を引っかけられそうな、ギリギリの高さ。引っかかりそうで引っかからないのがもどかしい。




 夜を徹してでも練習するつもりだったが、日没頃にアリステルから練習を切り上げさせられた。これはアリステル本人の意志ではなく、エルリックの指示だ。不完全燃焼のうちに魔法練習を止め、班員相手に剣を振っても食事を取っても頭の中はコンシステント一色に染まったままだ。就寝時間になって床に就いても、夢の中ですらコンシステントの練習風景が広がり、私を悩ませる。深い眠りに落ちられず、何度も覚醒と入眠を繰り返し、現実と夢の狭間が曖昧になっていく。


 何度目となる目覚めか分からない目覚めの時、横のサマンダが起き上がったため、どうも現実の朝を迎えたようなので私も身体を起こす。


 立ち上がって横のサマンダを見てもイマイチ現実感がない。夢の中に広がる幻覚なのではないかと思い、頬を(つね)ってみる。


「イタタ。ちょっと、何するの!」


 サマンダが私の手をバッと払う。


「ごめん。あんまり寝付けなかったから、まだ夢の中にいるような気がして……」

「それ、自分の頬を抓るー! 私の頬を抓ってどうするの。はあー、もう」


 ご立腹のサマンダを見ているうちに、私の目も覚めてくる。班員とはいえ、階級上位の軍人に何てことをしたのだ。背筋がすうっと寒くなり、眠気は引いて恐怖が私の肩を叩く。眠気覚ましという意味では、自分の頬を抓るよりよほど効果的だった。また同じようなことがあったら、次もサマンダの頬を抓ろうと強く思った。


 きちんと謝り、機嫌を直したサマンダと一緒に食堂へ向かうとそこにはアリステルとラシードだけでなく、エルリックがいた。


 この新種のアンデッドはどうやって駐屯地に入る許可を得た。また指令書でも偽造したのだろうか。


 不要に秘密を握らされても困る。施設入場許可については敢えて尋ねずに、ポーラと一緒に食事を取った。食べたのはポーラの料理ではなく駐屯地の給食だ。量は軍人としての常識量どおり。ただし、エルリックがゲルドヴァの街中で買ってきたオレホヴニーク( くるみパイ )をデザートとして全員で賞味する。


 戦時下に甘味が入手困難なことは先日の街歩きで体感している。それをこうやって平然と持ってくるとは、つくづくエルリックだ。しかも、私とサマンダで吟味した料理屋で食べたデザートよりも美味しい。口の中に広がる優しい味には敗北感までトッピングされていた。


 食事後、すぐにコンシステントの練習に取り掛かろうとするも、エルリックはラシードやサマンダと一緒に通常の訓練を行うよう私に命ずる。


 こんなことをしている時間など無いのに、と不満たらたらで始めたものの、取り組んでいる間は完全にコンシステントのことを忘れた。


 訓練はラシードたちより軽めのメニューを短時間行って終了になった。それならそうと先に言ってもらいたいものである。解放される前に、エルリックが私に助言を残す。


「気分転換になりましたか?」

「気分転換なんて、そんな……。魔法の練習は、決して嫌ではありません」

「そうですか」


 ポーラはイタズラっぽく笑う。


「でも、あまり根を詰めすぎてもいけません。同じことを繰り返していると次第に視野が狭くなります。それでは、同じ失敗を繰り返すことにしかなりません。長時間練習なればこそ、休憩や気分転換も計画的に行うべきです」


 まるで私が同じ箇所で(つまず)く様を自分の目で見ていたかのようにポーラは言う。


「ドミネートで私の練習を見ていたんですか?」

「そんなに付きっ切りでお守りはしませんよ。ラムサスさんが攻撃魔法を練習していた時のことを思い出しただけです。また、似たような状況になっていないかな、と思い、老婆心ながら言わせてもらいました」


 在りし日のことを思い浮かべ、ポーラが目を細める。


「成功への近道は間違った努力をしないことです。睡眠時間を削る、食事の時間を削る、いずれも明確に間違っています。体調を崩してでもごらんなさい。それこそ遠回りになります。時折別のことをやる。すると、凝り固まっていた思考がほぐれ、視点が変わり、すんなり成功することがあります。気分転換は、決して怠惰などではないのです」


 私が犯しがちな間違いは、エルリックにはお見通しだったらしい。言いたいことだけ言って私を励ましたエルリックはゲルドヴァの街に戻っていった。




 私はひとりコンシステントの練習を再開した。ダンジョン内で攻撃魔法を練習していた時を思い出す。エルリックはとても根気強かった。私が諦め半分でモチベーションの上がらない練習をしていても、ずっと試行錯誤を続けてどうやれば私を成功させられるか考えていた。


 初めてアイスボールを成功させた時のポーラの喜び様が忘れられない。私の人生で最も祝福され、喜ばれたのがあの瞬間だ。


 また喜んでもらいたい。褒めてもらいたい。今、私は国を守るために魔法を練習しているのではない。自分のため、エルリックの気持ちの応えるために練習しているのだ。だから、絶対に成功させる!


 休憩? 気分転換? そんなものは上手くいかないとき、失敗続きのときに取るものだ。今、私は確かに失敗ばかりだ。しかし、同じ失敗を繰り返してはいない。少しずつ前進している。


 意欲は最高潮のまま練習を続け、その日の午後、詠唱律無しでコンシステントを成功させることができた。丸二日とかかっていない。


 どうだ、これが毒壺帰りの私だ。気取った詠唱律など、見事二日でお払い箱だ。今までどうもありがとう。さようなら、詠唱律! 


 ここまで幾度となく私を辱め、助けてくれた詠唱律に心の中で丁寧に辞去しておく。


 憎き詠唱律は倒した。一旦落ち着こう。これなら実用水準に改良するための時間には余裕がある。いいぞ、いい流れだ。




 成功には“まぐれ成功”というものがあるため、更に数回、詠唱律なしで魔法が発動するのを確かめる。大丈夫、まぐれではない。


 朝食後、通しで練習し続けたため、私は昼食を抜かしてしまっていた。エルリックに注意されたばかりなのにうっかりしていた。気が付けばお腹はペコペコだ。休憩がてら、人知れず昼食を取る。食事の間に魔法が使えなくなっていたらどうしよう、と不安になりながら、冷めかけた給食を大急ぎで胃袋に流し込む。


 食後、訓練場に戻って恐る恐る魔法を使ってみると、午前と変わらず問題なく魔法が発動するではないか。ここでやっと確信が得られ、アリステルたちに詠唱律と復号器からの卒業を報告する。三人とも私の偉業を称賛するが、想定よりも感動が薄い。考えてみれば、それもそのはず。この三人はいずれも秀才なのだ。昔から何でもできるアリステルは言わずもがな。サマンダはアリステル以上の回復魔法の使い手になる可能性が濃厚の新進気鋭の軍医。ラシードは元々軍医志望ではないのに、人から打診されて転向し、今ではちゃんと軍医になることができている。いつも馬鹿なことしか言わないのに、勉強は私よりもずっとできるのだ。三人とも勝ち組、持つ者、やらなくてもできる人、やれば超できる人間たちばかり。私が魔法をひとつ覚えた程度で、大袈裟に驚くわけがない。


 褒められ足りない私は、翌朝、駐屯地を訪れたエルリックに自信満々で魔法成功を報告する。


「ラムサスさん、お見事です。では、駐屯地を後にして、続きの練習は道中で行いましょう」


 エルリックはゲダリング方面へ移動しながらの魔法の練習を提案する。


 もうゲダリングの街に向かう? 練習を森の中で? いやいや、何より重要なのが、あんまり私を褒めてくれないことだ。折角、あんなに頑張ったというのに!


「どうしたんですか。ラムサスさん? なぜ、機嫌を悪くしているのです?」


 抱いた不満を表現することなく平気を装う私に、ポーラが目ざとく気付いて不思議そうな顔をする。


「ははあ、分かりました」


 ポーラはピンと何かを閃いた顔で荷物に手を伸ばす。このニブちんアンデッドは私が何を不満に思っているか理解したようだ。


「ラムサスさんはご褒美が欲しかったんですね。今日は取っておき、ゲルドヴァの名店、シャムロック謹製のマコヴィエツ( ケシの実ケーキ )を買ってきました」


 エルリックは私の不満を何も理解していなかった。盛大に勘違いしたまま満面の笑みを浮かべている。土魔法の容器の蓋を開けると、中からマコヴィエツ独特の良い匂いが漂ってきた。


「移動しながら皆で食べましょうねえ。心配せずとも、ラムサスさんには一番大きく切り分けて上げますからね」

「えー、私たちも食べていいんですかー。やったー」

「マコヴィエツ食べるの久しぶりだなあ」


 誰も何も疑問を抱かないまま、話が進んでいく。


「ちょっと待ってください」


 アリステルだけがその流れに待ったをかける。


 流石はアリステル、流石は班長、流石は古くからの“仲間”。鈍感な班員と違い、私を気にかけてくれている。


「この街の状況で、よく連日お菓子を購入できましたね」


 どうやら私はアリステルを過大評価していたようだ。アリステルも私のことなんか考えていなかった。


「いやはや我々も苦労しましたよ。お店に行ってお金を出しても売ってくれない、ときたではありませんか。そこで、食材の一部を集めるところから始まったのです」


 エルリックはケーキ購入の苦労を切々と語る。話はドンドン違う方向へ流れていき、源流に戻ってくることはなく、私はフィールドを歩くイデナの背中の上でムシャムシャし続けるしかないのだった。




 勘違いアンデッドの苦労の成果をこの世から消し去った後は、魔法練習の続きだ。エルリックがゲルドヴァの街で購入したアンデッド感知の魔道具を欺けるかどうかで、コンシステントの完成度を確認することができる。最初はてんでだめ、最安値の下級感知器すら欺けずに魔道具から警報音が鳴り響く。


 魔道具という客観的判定指標を用いて何日も練習を続け、複数用意された魔道具のうち、中級の感知器まで欺けるようになったところでゲダリングに潜入することになった。


 アリステル班では私だけ、あるいは私とアリステルだけが潜入すればいいようにも思われるが、ジバクマ内部の敵を排除しきれていない状態でラシードとサマンダだけを放り置くのは危険である。それに何よりエルリックとアリステル班の両者全員が姿を晦ますことで、ジバクマの作戦開始を多少なりとも遅らせられるかもしれない。エルリックは今やジバクマの強力な剣。その武器そのものが姿を隠し、剣との最大の接点であるアリステル班も不在になったとあらば、ジバクマ軍は大いに動揺することだろう。


 かくして全員でゲダリングへ突入する。ゲダリングの街の中心は、ジバクマ首都の城壁を彷彿とさせる厚く高い防壁に囲まれている。既に完成している都市に後から改造を加えたにしては完成度の高い、要塞都市にも近い堅牢なオルシネーヴァの拠点である。


 だが、どれだけ高い壁もエルリックに意味をなさないのは首都の城壁で証明済みだ。壁登りのスキルの前には、垂直に伸びた通路でしかない。私たちはジバクマの首都同様、いとも容易く壁内に忍び込む。ジバクマ軍がゲダリングを攻める際は、この高い壁に阻まれて攻撃は難航するであろう。




 星明りの下で眺めるゲダリングの街は、私の記憶とはかなり変わったものになっていた。


「街の北側に大聖堂があります。当時のままであれば、“飾り”はそこにあるはずです。大聖堂を最初に確かめに行きましょう」


 敵地に潜入したため、符牒を用いて意思疎通する。飾りが意味するのは勿論審理の結界陣である。


 アリステルの指示した北に向かい、夜の街を風が吹き抜けるようにエルリックは走る。首都を走った時も感じたのだが、誰もいない夜更けの街を疾走する、というのは結構気分がいい。街と夜空を独占する充実感や、誰もいないという開放感、そしてイタズラをしているときのような背徳感を味わえる。そこに敵地潜入という緊張感が交わり、私の精神は著しく高揚する。


 夜であってもそこかしこに明かりが点いていて、それなりに人通りもあるはずなのだが、エルリックが通る道には人っ子ひとりいない。何らかの方法、おそらくドミネートを駆使して人がいない場所をあらかじめ見定め、不要な接触を持たないように注意して走っているのだろう。用心アンデッドだ。


 生活感があるのに誰とも出くわさない。まるで一夜にして住人が消えてしまった街のようではないか。小説の設定にありそうな奇妙な空気を堪能しながら街を北上し、目的の場所の周囲に着く。


「おかしいですね、このあたりの筈なのですが……」


 アリステルの案内が覚束なくなり、エルリックの足が止まる。私もこの辺りの街並みに見覚えがない。あちらだろうか、それともこちらだろうか、と、数度、同じ場所を行ったり来たりする。


「どうも場所はここで合っているようです。以前はここに大聖堂がありました」


 大聖堂の建物が見つからないまま、アリステルは大聖堂があった場所を特定する。そこには、野暮ったい倉庫のような建物が根を張っていた。大聖堂だけでなく、周囲の建物も見知らぬ建造物に変わってしまっている。これでは分からないはずだ。


 エルリックは、「我々だけで軽く中を探ってきます」と言い残し、屋根裏から倉庫へ侵入した。敵が侵入してくる、というのが前もって分かっていれば、オルシネーヴァ人としても念入りに施錠するであろう。しかし、そういった特別な事情でもない限り、大きな建物というのは窓なり裏口なり、どこかしらの侵入口が開いているものだ。


 コウモリやネズミ、不快害虫ではないのだ。一体どこの世界でワイルドハントが屋根付近の小さな通風孔から侵入してくると予測できる。城壁だろうが防壁だろうが壁だろうが、構造物の高さはエルリックには関係ない。そのことを改めて痛感する。


 騎乗していると分からないが、背中から降りて、こうやってマジマジと壁を這い回るエルリックを見ると、動きの気持ち悪さがよく分かる。全く人間の動きではない。ローブを纏っていなければ手足の動きがもっとはっきり見え、気持ち悪さは一層増すだろう。城壁では爬虫類に例えたが、クモやゴキブリという表現もしっくりくる。蜥蜴人間(リザードマン)のアンデッドなら許せるが、まさか巨大ゴキブリのアンデッドではないだろうな……。虫は基本的にアンデッド化しないとはいえ、エルリックは異色のアンデッド。油断はならない。




 倉庫から少し離れた物陰に隠れ、修理から戻ってきたアリステルの懐中時計と皆で睨めっこをしていると、二〇分ほどでエルリックは戻ってきた。


「中には大量の物資がありました。しかし、魔道具のような貴重品の類はおそらく無いですね。どうも軍事物資のようで、動哨がそれなりにいました。もうすぐ皆さんの物になるのですから、火を放って焼失させることもないでしょう。動哨には未来のあなた方の物資を存分に見張っておいてもらいます」


 エルリックはジバクマの勝利を前提として話を進める。とても気が早い、早計アンデッドだ。


 それにしても、外観だけ失われたならまだしも、大聖堂は中までそっくり作り変えられてしまったらしい。重要な文化的価値のある建築物に対する敬意はオルシネーヴァにはないのか。たとえ敵国でも、そこは尊重されるべき部分のはずだ。メラメラと怒りが込み上げる。


「さて、次はどこを探しましょうか?」

「“飾り”そのものを直接探すよりも、王国の要人を探したほうがいいかもしれません。要人に当たっていけば、いずれ“飾り”に辿り着くはずです」


 相談するまでもなくアリステルは小妖精を活用した物の探し方を心得ている。あんな小さい首飾りを闇雲に探しても見つかりっこない。在処を知っている人間を突き止めるほうが早い。これから調べる人間が審理の結界陣の所在を知らなくても問題ない。ジバクマからの鹵獲(ろかく)品、特に超貴重品の保管場所に心当たりのありそうな人物がいないか“質問”すればいいのだ。それで、遠からず“知っている人間”に辿り着けるはずだ。事前予想としては、宝物の移動に携わるのなら、軍人か、大臣級の人間か、王族か……。


「ならば役所に行ってみましょう」

「ああ、軍衙(ぐんが)ですね」


 アリステルに念押しされたポーラは、声を抑えて顔だけでくつくつと笑う。


「それは優等生すぎる解釈ですね。残念ながら、私が指したのは非軍事行政を取り扱う役場です」

「……それならば、ここから少し南の区画にあります」


 何とも意外な場所の調査をエルリックは提案した。常識と非常識が思いもよらない錯綜配列となっていて、エルリックは何とも読み難い。


 役所には大量の書類があることだろう。場合によっては、私の能力が活用できそうだ。勿論それは使い方次第。人名が羅列してあるだけの書類を見せられても、ポーたんはあまり価値を発揮しない。


 そう、問題なのは使い方。使いこなすためには、能力の詳細を知っていなければならない。エルリックは小妖精の能力の詳細を知らない。さて、どこまで伝えるべきか……。




 詳細を伝えぬままに役所に着き、私たちもエルリックと一緒に中に侵入する。ここにも人がいるものの、人数はごく少数で、誰も巡回していない。ここにいる人間はどうやら決まった時間に指定の順路を巡るだけの雇われ警備員のようだ。気の緩みっぷりからして、見るからに民間人だ。


 巡回する人間がいなければ照明もないわけで、星明りの届かない建物の中は真っ暗である。暗視能力のあるエルリックが勝手に動いていくので、私たちは背中の上でボーっとする以外にやることがない。こうまで暗く静かで適度に揺らされると眠気がそぞろ出てくる。


 ここは敵地だ。潜入しているのだ。転寝(うたたね)などしている場合ではない。しかし、この暗闇の深さときたら、すぐ傍にいるはずのアリステルやラシード、サマンダの姿すら見えないほどだ。もし私が目を瞑っても、誰も気付きはしない。


 (まぶた)を閉じ、しかし眠りには就かずに他の感覚を研ぎ澄ます。私を背負うイデナは生命の放つ気配が無い。集中したところでイデナの気配は探り当てられず、自分の鼓動や呼吸といった、自分が放つ生命の気配だけを感じることになる。


 どうしてイデナは呼吸をしないのだろう。それはアンデッドだからである。生きていくのに必要だから人間は呼吸する。アンデッドは偽りの生命しか持たないから呼吸しない。それなのになぜ、この新種のアンデッドは食事を取る。しかも、自分では食べずにポーラに食べさせてもらう。口からではなく腹から。見た目の割に甘えん坊なのだろうか。こうやって密着しているというのに、エルリックのことはよく分からない。




 眠気に耐えて考え事をしていると、瞼越しに光が見える。目を開けてみると、視界の端に小さな淡い光粒が出現していた。


 あれ? これは……毒壺の最下層で見た光粒と同じものに見える。なぜこんな場所にあの光粒があるのだろう。


 光粒は(せわ)しなく視界の中を動き始めた。気が付くと光粒は複数出現している。最下層のように無数にあるわけではないが、なんとなく懐かしさを感じてしまう。あれももう二か月以上前の話だ。レンベルク砦で忙しく活動している間に結構な時間が流れたものだ。エルリックと会ってからもう一年と少し経ってしまっている。ゲルドヴァにワイルドハントが出現した、という話を聞いた時、まさかこうやって一緒に敵地に潜入するなんて考えもしなかったなあ。


 感慨を覚えつつ辺りを見回す。光粒が出現したことで周囲がほんの少しだけ見えるようになっている。どうやらここは書類の保管庫だ。光粒は所狭しと並べられた書類の表紙を確かめるようにカサカサと動いていく。カサカサと、そう、まるでその動きは……動きは……。


 うぅ……まさか……。




 すこぶる悪い予想が頭の中を駆け巡ることしばらく、目の前に小さな炎が出現する。イデナが指先に火を灯したのだ。いつの間にか私たちは土魔法で作られたテントのような物の中にいた。ポーラが真ん中に書類を広げていく。


「重要そうな人物名が書き連ねられた書類を見つけました。リスト(アリステル)さん、この中に見知った名前はありますか」


 背中から降りたアリステル、暗号名(コードネーム)「リスト」にポーラが書類を見せていく。敵地潜入ということで、アリステル班は全員コードネームを考えてある。私はサナ、サマンダはタバサ、ラシードはアシッドだ。


「これは……オルシネーヴァ軍の幹部たちですね。よくこんな短時間で見つけられるものです」

「人間、宝でも書類でも大事な物は同じような場所に保管したがります。国が変わってもそれは変わらないらしいですよ。そういう()を探すのは得意なんです」


 盗賊御用達のスキルを持つエルリックは盗賊ならではの嗅覚を自慢気に話す。


「ポーラさん。言ってくれればそういうのは私の能力ですぐに見つけられます。次からは言ってください」


 ポーラは私を見ると、ニヤリと笑った。


「我々にそんなに能力をひけらかしていいんですか? では、早速活用するといたしましょう。この幹部たちの住所録を見つけたいのですが、どこにあるか探り当てられますか?」

「やってみます」


 再びイデナに背負われ、ポーラの後を付いて行く。ポーラに先行する光粒を追いかける形でポーたんを操作する。


「多分この辺りにあると思われます」


 とある書類の一角でポーラが止まる。その付近に並べられた書類をポーたんに調べさせる。


「あー……っと、それですね」


 ポーたんが見つけてくれた目的の書類に極小のマジックライトを飛ばす。マジックライトによってマーキングされた書類をポーラは取り上げ、頁をペラペラとめくり中身を確かめる。


「なるほど、これは正しく目当ての書類です。そちらさん(ポジェムニバダン)の力は罠を見つけるものだとばかり思っていましたが、どうやらそれは能力の一端でしかないようですね」


 ポーラが書類の一部を背高に見せると、背高はポーラによって頁送りされる書類を流し読む。その頁送りの早さは、書類内容を瞬時に読み解く何らかのスキルを背高が持っている、と暗示している。


 最後の頁まで読み終わると、ポーラは書類を元の場所へ戻す。それと同時に光粒は立ち消え、周囲は再び暗闇に包まれた。


 明かりを見つめたせいで、せっかく暗闇に慣れた目の状態が元に戻ってしまい、光が消失した途端に一切何も見えなくなる。


 次に視界が開けたのは役所を出た時だった。





 その後は、首都で秘書を調査した時と同じような展開になった。書類に記されていた幹部の家を回り、エルリックに指示された人間をトゥールさんで調査する。レンベルクの一戦でオルシネーヴァ軍は大きな痛手を負ったばかりだというのに、軍人のお偉方はどいつもこいつもジバクマから奪ったゲダリングに設けた自宅で高いびきだ。癪に障る話ではないか。……いびきはエルリックの睡眠魔法で深く眠らされているせいかもしれないが。


 役職と階級が上の者から調べていき、三人を調べて三人全員から、『審理の結界陣は王都にある』という結果を得た。これ以上調べても、『やっぱりゲダリングにある』という結果にはならなさそうだ。私たちはオルシネーヴァの王都へ向かうことになった。




 侵入したばかりのゲダリングを脱出し、誰もいない街道脇の林の中を進む。ある程度ゲダリングから離れて小休止となったところでエルリックに話し掛ける。何を差し置いてでも絶対に聞いておかなければならないことがある。


「ねえ、ポーラさん。ゲダリングの役所の中で見た小さい光の粒のことをお聞きしたいのですけれど……あれって、まさか……」

「あれは毒壺最下層にたくさんいた油虫、シフィエトカラルフです。明るくて便利です。採取しておいた甲斐がありました」


 ああああぁぁぁぁ……。


 分かってはいた。だけど、どうしても聞かずにはいられなかった。驚愕の真実に触れたラシードも隣で悶絶している。


 美しい眺めとして私の記憶に残っていた最下層の光景は恐怖に歪み、二度と足を踏み入れてはいけない絶叫区画ランキング最上位に一瞬で昇りつめた。(おびただ)しい数のゴキブリが蔓延(はびこ)る場所を私は無警戒に歩き回ってしまった……。道理で人が歩いた場所は光が消えるわけだ。人を警戒して、光を消して逃げていたのだ。


 あの時にゴキブリが装備や所持品の中に紛れ込んではいないだろうか。背筋がゾワゾワするのは恐怖故だろうか。今まさに私の背中をゴキブリが走り回っているのではないだろうか。ああ、そうだ。鎧も鎧下着も新しい物に変えたのだった。では、危険なのは所持品だけだ。砦か街に戻ったら、携行品を全部熱湯消毒しないと! それで成虫も卵も全部駆除して……。


「この油虫、地上の油虫とは一味違うんですよ、なんとですね――」


 味が……違う……? まさか、今まで私たちにそのゴキブリを食べさせていたのか!? そんなことは許されない。絶対にだ!!


「もう……もう、ポーラさんの料理は食べられません!」

「えっ、それはまたどうして? 油虫はあまりお好きではありませんか?」


 やはりだ。やはり、ずっとゴキブリを私たちに食べさせていたんだ……。


 夜の闇が深さを増し、私を包む世界がどす黒く変色していく。


「俺、ゴキブリは食べられないです……」


 たとえ筋肉の為であってもゴキブリは受け入れられないようだ。今だけはラシードが常識人に見える。


「えー、アシッド(ラシード)さんも嫌いな物があるんですね。そういえばアシッドさんが露店でゴキブリを買うところは見たことないかもー」

「露店で売っている、というのは……?」


 不穏なことを口にするサマンダに恐る恐る詳細を尋ねる。


サナ(ラムサス)も食べたことないんだ。露店で売ってるのは大体素揚げだねー。塩とかタレをつけて食べるんだよー。味はすんごい美味しいってほどじゃないかな。でも偶に食べたくなるんだよねー」

「確かに夢中になるような美味しさはないけれど、目の前に置いてあるといつの間にか手が伸びてしまうね」


 ゴキブリを食品として肯定的に捉えるサマンダにアリステルが同調する。アリステルまで()()()()の人間だとは……。おかしい。アリステルは毒壺で毒芋虫(キャタピラー)を食べるのを拒んでいたのに。あれはまさか、安全に食べられるかどうかエルリックを警戒していただけで、芋虫そのものに忌避感は無かった、ということか? 勘違いしていた。


「好き嫌いは色々あるのでしょうがないですね。虫全般が食べられない、というのは食の範囲が狭まるので軍人としては感心しませんが。心配せずとも、今まで皆さんに振る舞った料理に油虫が入っていたことはないですよ」


 食事にはゴキブリが混入していないと分かり、みぞおち付近に走る不快感が少しだけ軽減する。


「でも、奇妙ですね。油虫は食材として優秀です。味にしても栄養面にしてもアシッド(ラシード)君は気に入りそうなものです。風味が嫌いなんですか?」

「俺、食べたことないです」

「なんだ、ただの食わず嫌いですか。こういうのは最初が肝心です。上等のフルーツばかり食べて丸々太った油虫は香りが良く、軽く熱するだけで食べやすいオヤツになります。今度街に行ったら一番良い物を食べてみましょう」

「いや、俺は――」


 ラシードは角が立たないようにエルリックの誘いをやんわりと断ろうとしている。ここでスパッと断れないラシードは近いうちにゴキブリを食べさせられてしまう未来が半ば確定している。


 サマンダとアリステルの評価は悪くないようだし、ポーラの言うとおりおそらく味は良いのだろう。だが、問題は味ではない。見た目だ。圧倒的に見た目だ。ツヤツヤと光る茶褐色の外皮、胴体から伸びる毛むくじゃらの肢、長い触覚。好くべき要素がない。


 動きもまた最低最悪だ。不潔な場所を這いずり回っては、危険を察知した瞬間に超加速し、物の隙間に入り込み、それが無理だと翅を広げて飛び回る。人類に対する明確な敵対姿勢に他ならない。この不気味な生き物を口に入れてはいけないのだ。


「私は要りませんからね」


 破滅へと誘う疫病(やくびょう)アンデッドの魔手が私に伸びぬうちにあらかじめ断っておく。


「そうですか。しかし、アシッド君が喜んで食べるようになればサナさんの意見も変わるかもしれません。これは、ますます美味しい油虫を探す理由がでてきました」

「だから、俺は――」


 もうラシードは無理だ。エルリックに完全に標的と定められてしまっている。きっと両手両足を押さえつけられ、無理矢理口を開けさせられて、汚物に群がっていたゴキブリを目一杯口に押し込まれるのだ。


 ラシードの犠牲を無駄にしないためにも、私だけはゴキブリとエルリックの奸計から逃れなければ。


「でも、皆さん敵地に潜入したばかりなのに食べ物の話で盛り上がれるとは、若さ故の食欲旺盛さです。寝る前に摘むものでも作りましょうか?」


 断じて盛り上がってなどいない。私の食欲は完全に消失している。


「眠る時間が減りそうなので私は寝まーす」

「俺も。少しでも横になりたいし」


 ラシードはゴキブリ談義から眠りの世界へ逃避を図る。敵地に足を踏み入れているというのに、ラシードは寝付きを不安視する様子がない。将官が集まる会議などは緊張するくせに、敵地潜入ではあまり緊張していない。私とは逆だ。


 ゲダリングの壁内をエルリックに騎乗して駆け抜けている時は興奮もあってか過度な緊張はしていなかったが、こうやって静かな場所に来てしまうと不安を主とした様々な負の感情が込み上げてくる。鎮静魔法(コーム)を使って心を落ち着けないことには、緊張が過ぎて寝付ける気がしない。


 サマンダは会議と敵前、どちらもほどほどに緊張するが過緊張はしないタイプだ。私にもサマンダのようなバランス感覚が欲しい。

油虫 = ゴキブリ

アブラムシ = アリマキ

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― 新着の感想 ―
[良い点] ラムサス「むしゃくしゃしてムシャムシャしてやった」
[一言] 1章までとても楽しく読ませていただきました。 2章に入り、ここまで読み進めて来たのですが、主人公の視点に戻る影すら見えません。 このまま主人公の登場を待ちわびつつ読むのは辛いのでいつ頃主人公…
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