第二〇話 感想戦
オルシネーヴァの大軍を退けた後、私たちアリステル班は再び負傷兵の治療に忙殺されることになる。圧勝に終わったとはいえ、それでも自軍に相当数の死傷者が出た。その数の多さたるや、雑木林のアンデッド処理を終えたエルリックも治療に参加するほどだ。
忙しかったのはアリステル班や砦の軍医、衛生兵といった衛生部隊だけでなく、砦の全員だ。誰もが降って湧いた仕事に追われた。暇を持て余していたのは、捕虜となったオルシネーヴァ兵たちだけだったかもしれない。何せ数が多いのだ。全員が尋問を受けることはない。そういうのは将校の中でもとりわけ上位階級にある者の役割である。多数を占める下級兵士は過密状態の牢の中で食べて寝ているだけでいい。
とにかく私たちは忙しかった。寝る間もないとはこのことだ。それでも、大きな戦に勝利した、という高揚感が私たちに疲れを忘れさせた。
会戦から十日を経てようやく捕虜を含めた負傷兵の治療が一段落を迎え、エルリックを交えて一息衝く時間を作れるようになった。私たち三人の部屋にポーラとアリステルが顔を出し、狭い部屋の中で話が始まる。
「会戦よりも戦闘後の処理で皆さんげっそりしてますね。あまり寝ていないのではありません?」
ポーラは普段と変わらず余裕綽々だ。この十日間、ポーラがどれだけ休息を取れていたか、私は知らない。顔色を見る限りだと、睡眠も食事も必要十分な量を取っていたように思われる。この余裕溢れる新種のアンデッドが戦後治療に力を貸してくれなければ、自軍の治療すらまだ半分も完了していなかったことだろう。
サマンダたち軍医の傍らで私は治療介助にあたりながら情報調査に勤しんだ。しかし、取り立てて目立つ情報を入手することはできなかった。小妖精を使ってすらこうなのだから、尋問の成果も似たようなものだろう。
「お見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありません。でも、見た目以上に気力は充実していますよ。希望が持てる中での疲れですからね。エルリックの皆さんには、あれだけの大軍を撃退していただき、何と感謝して良いものやら……」
この一戦の論功行賞などずっと先の話である。勝利といっても、攻めて勝ち取った勝利ではなく、守っての勝利であり、褒美として国が拠出できるものは限られている。しかも、エルリックはライゼンと違って国と正式な傭兵契約を結んでいない。全ては“仲間”とエルリックの間の話である。“仲間”がエルリックに報いることはあっても、国がエルリックに報いる可能性は低い。せめて気持ちだけでも伝えるべく、アリステルが労う。
とはいえアリステルは、心の底から喜んではいない。確かに自軍の被害は事前予想よりもずっと少なく済んだ。しかし、この一戦の全ての部分に最善の評価を与えることはできない。アリステルの笑顔には、疲れとは異なる一片の翳りが潜んでいる。
「両軍ともにもっと少ない被害で戦闘を終えられれば良かったんですけどね。戦況の制御というのはなかなかどうして難しいものです。我々もあの場の熱気や興奮に影響されてしまい、戦前見込み以上にオルシネーヴァ兵を屠ってしまいました」
アリステルや私が気にしている部分をエルリックは理解していた。アリステルに詳細を言及される前に、会戦を振り返って失着について語り始める。
「事前に土中に仕込んだアンデッドを雑木林に展開し終えてレンベルク砦に目を向けると、今にも防壁を突破されてオルシネーヴァ軍に飲み込まれそうになっているではないですか。あれを見たときは慌てましたよ」
腕を組んだポーラは顔だけ正面に、目だけを上に向けて天井を睨んでいる。
「ここに来る前は、砦のひとつや二つがどうなろうと知ったことではない、と考えていました。ですが、我々は砦の人たちと接触を持ちすぎたようです。危機的状況に置かれた砦を見て、せっかく治療して傷の癒えた人たちが、また怪我人に逆戻りしたりとか、顔も名前も覚えた人間がこの砦の中で死んでいったりとか、そういうのを受け入れがたい、と思ってしまったのです。感情に踊らされるとこうなる、という典型的な失敗例です」
あれだけ戦場に大量の死を撒き散らした死の権化とは思えない哀愁じみた台詞だ。砦の兵に対して抱いた情を、ほんの少しでもオルシネーヴァ兵にかけてやっていたら、オルシネーヴァ側の死傷者数は劇的に減っていたことだろう。
「あとは、サングレン大佐が、事前に通知しておいた我々の行動計画を全面的に信用した上で防衛作戦を練っていた、というのも想定外でした」
ヴィクトール・サングレン大佐はレンベルク砦の指揮官だ。私はこの最高責任者と直接対話したことがない。だが、ヴィクトールがエルリックに全幅の信頼を置いてはいない、と私は重々承知している。信頼するどころか、ひょっとすると、ゲルドヴァに帰った中将のミゲル以上にエルリックのことを警戒しているかもしれない。少なくとも、エルリックのことを嫌っているのは間違いない。これは、アリステルからも、砦の各所の兵からも、幾度となく聞いたことだ。
「我々のことを毛嫌いしているはずなのに、彼は作戦立案に自分の感情を挟みませんでした。もしジバクマ軍が追撃のために砦外へ打って出なかったならば、オルシネーヴァ軍の被害は半分どころではなく減っていたはずです。実際、ジバクマ兵が殺したオルシネーヴァ兵の数は、我々よりもずっと多いですからね」
人は誰でも何かしらの好き嫌いが存在する。アンデッドのワイルドハントを好きな人間など、あまりいない。ヴィクトールは大勢と同じく、エルリックを嫌う側の人間である。しかし、ヴィクトールは何が勝利に必要で、どの提案を採用すべきか、感情を殺して判断した。だからこそ、エルリックが砦内で食事を振舞うことに許可を与え、エルリックの通知に則した形でオルシネーヴァ軍に打撃を与える作戦を採用し、兵を配置した。
後者は指揮官の選択として理解できるにせよ、前者の焼肉慰安の会など、敵の総攻撃が目前に迫っている点を踏まえると、狂気の沙汰にも思える。しかし、あれは結果的に砦の士気を大幅に向上させた。
ヴィクトールはここまでレンベルク砦を守り切っていただけあって、文句なしの名指揮官だ。感情に踊らされることなく判断を下す能力や、一見罠にしか見えないが、その実正解、という選択肢を選び取る力を持っている。
優秀過ぎる指揮官のせいで、想定以上の大打撃をオルシネーヴァ軍に与えてしまった。この一戦だけで見れば大勝もいいところではあるが、エルリックの狙いや“仲間”の計画を考えれば、後々の自らを苦しめることになる、過ぎた勝利だ。
ヴィクトールは何も悪くない。ヴィクトールは、“仲間”ではないから、勝たず負けずの防衛を行う、という目標など持っていない。責任の所在を求めたところで何も始まらない。私たちのすべきことは、計画に大幅な修正を施す、これだけである。
「まあ、死んだオルシネーヴァ兵はさして強くない雑兵ばかりです。死者を冒涜するようで申し訳ありませんがね。剣や魔法の腕に覚えがある人は、易々とアンデッドの群れが蔓延る雑木林を抜けていきました。予想通り、弱小のアンデッドでは百いようが千いようが、強者の足止めにすらならない、ということです。つまり、オルシネーヴァには精鋭ばかりが残ったことを意味しています。再び攻めてきたら、前回よりも更に厳しい防衛戦が強いられるかもしれませんね」
「いやあ、それはないと思いますよ」
アリステルは曖昧な笑みを浮かべてエルリックの予想を否定する。
エルリックは優れた戦闘勘を持っているけれど、軍隊の運用とか兵法というものをどうも理解していない節がある。大きく言うならば、戦略眼に欠けている。
砦や城攻めに要求されるのは一兵あたりの能力の高さだけでない。純粋に頭数が多く必要になる。少数の精鋭がいたところで、搦手や奇策が相当大ハマリしないことにはどうしようもない。それに、今はオルシネーヴァも負傷兵の対応に追われているはずだ。被害は向こうのほうが圧倒的に多いうえに、こちらと違って無限にも思える治療能力を持ったエルリックがいないのだから。
否定根拠はまだまだある。エルリックは実感が無いのかもしれないが、土魔法で消し飛ばした魔法兵の大隊は、雑兵とは言い難い。魔法兵に配置されていた、というだけで、その人員が優秀な魔法使いだったことは間違いないのだ。それを大隊ひとつ分丸々消し飛ばされたのだから、オルシネーヴァは貴重な人材を大量に失ったことになる。魔法兵は技工兵や軍医と同様、替えの利かない兵科だ。魔法兵の少ない著しくバランスを欠いた部隊を再編成したところで、現代の戦争においては兵数に相応しい戦闘力を発揮できない。
「そうですか。ズィーカ中佐はそう思うんですね。我々は戦術にも戦略にも疎いですし、用兵なんてものは知りません。こういうのは幹部教育を経ている中佐とか、戦略部、参謀陣の意見のほうが的確でしょう。我々はこれ以上愚見を晒さず、もっと局所的なこと、オルシネーヴァが再襲来してきた際に効率良く撃退する方法を考えておくことにします」
敵軍動向の予測が私たちと異なっていることにエルリックは大きな反応を見せない。雑多な事柄に興味を抱くエルリックでも、戦争戦略についてはあまり関心がないようだ。戦争ではなく戦闘部分、倒せるかどうかにしか目が向いていない。
「戦略の大本を考えているのは、ポーラさんの言うとおり、司令部ですからね。根源的には首都の総司令下の戦略部……。オルシネーヴァの戦略よりも、気がかりなのはジバクマの戦略です。今の気運だと遠くない将来にオルシネーヴァへ攻勢をかけることになるかもしれません。手始めに立てられる作戦はゲダリングやリゼルカといった、オルシネーヴァに占領された都市の奪還でしょうね」
「ジバクマ国内の状況が変わらない限り、我々は防衛戦以外に関与するつもりはありませんけれど……」
声明発表まで、エルリックは防衛にしか手を貸さない。これは少しライゼンの方針に似ている。
ライゼンは東から攻めてきたゴルティア軍を、ジバクマ軍と協力してミグラージュ以東まで押し返した。大半の領土を取り戻した後は、ミグラージュに作り上げた要塞近辺での防衛戦にしか手を貸していない。
エルリックとライゼンの違いが明確になるのは声明発表後だ。ゲダリングを奪い返すと同時にオルシネーヴァを攻め滅ぼす。エルリックはそのつもりでいる。全く同時というのは不可能だから、ゲダリング奪還から息つく暇なく次々に都市を攻めるか、あるいは並行して何箇所も攻める気か。
いずれにしても、“仲間”とエルリックにとって重要なのは声明発表後の動き方だ。そのことを知らない中央のお偉方は、オルシネーヴァの大軍に圧勝した、という朗報に浮かれ、歓喜して反攻の見積もりを立てているだろう。エルリックの手を借りられない、とはこれっぽっちも思わずに。
ジバクマ軍単独でゲダリングを攻めるのは無謀極まりない。やぶれかぶれの特攻のようなものだ。ゲダリングはオルシネーヴァによって中心地が要塞化されている。防壁の外にあるのは、市街地という肉の壁である。この肉の壁はオルシネーヴァ国民ではなく、占領下のジバクマ国民によって構成されている。ゲダリング奪還時にはどうしてもこの市街部に被害が出てしまう。城塞攻めはただでさえ攻撃側が不利なのだ。ジバクマ国民という云わば人質がいる状況でゲダリングを攻めるのは考えるまでもなく難しい。無策に戦力を投入したところで、ジバクマの軍と民間人の双方にばかり被害を出すことにしかならない。
「“仲間”の方々から声明発表の兆しすら聞こえてこないのは考え物です。それだけ抵抗が大きい、ということでしょうか。国王たちには期待しているのですが、まさか草案すら作成していない、などということは……」
たたき台となる草案は既に作成を終えているはずだ。あとは発表のために愚者側とすり合わせる。これこそが問題なのだ。あの薄汚い寄生虫どもと……。根回しとすり合わせが終わらないうちに声明の内容が漏れては問題だ。兆しが聞こえてこない、というのは、必ずしも悪い兆候ではない。それに、声明の作成や発表は法律の制定と施行にも近い。二か月というのは取り立てて長くかかっているわけではない。ジルたちが戦わなければいけない相手の狡猾さを考えれば、ある程度は時間がかかって然るべきだ。
「そんなに早くは何事も形にできません。もっと時間がかかると思います」
「平時の立法、行政ならそうかもしれませんが、戦時においてこの動きの遅さは嘆かわしいですね。はぁ……。近くには大物の魔物もいないし、ダンジョンでもあるならばそこに籠り、オルシネーヴァが攻めてきたときだけ呼んで貰いたいところです」
「無理ですよ」
ディープセーフティーゾーンまで誰が呼びに行くのだ。私たちが全速力で呼びに行ったとしても、エルリックがダンジョンから出てくるときには、戦いは終わっているだろう。
「話を先の一戦に戻しますけれど、エルリックが最初のほうでオルシネーヴァに撃ち込んだ大魔法。あれは何というのですか?」
ジバクマの敗色濃厚だった戦闘の趨勢を、ものの一発でひっくり返したゲームチェンジャー。私はその魔法が放たれる様を直接見ていない。戦後に砦から荒れ地を見ただけ。それだけで、常軌を逸した威力の魔法である、と簡単に理解できた。
「名前を付けるような代物ではないですよ。大きめのクレイスパイクを風魔法で加速して撃っただけの合成魔法に過ぎません。風と土の二色を操る魔法使いならば、大なり小なり誰でも使えると思います」
それを言うなら、魔法を使える者も、剣を操る者もいくらだっている。精度や威力は千差万別であり、威力が桁外れに高いからこそ聞いているのだ。
「もう少し詳しく語ると、頑丈極まるゴーレムを貫くために毒壺で練習した魔法ですね。長所は長射程と高威力。短所は、溜めに長々と時間がかかること、手がかなり塞がってしまうこと、魔力をごっそり持っていかれること、などなど。短所があまりにもはっきりした魔法のため、そんなに使い勝手は良くありません。ゴーレム戦後、再使用の機会など無いのではないか、と思っていましたが、案外平地でも役に立って嬉しい驚きです。こうなると、改良と調整の意欲が湧くというものです」
ポーラはとても楽しそうに笑う。戦闘に勝利したことにはあまり喜んでいないのに、魔法の実用性と今後の改良点を見出したことには喜びを感じている。エルリックの関心事が少し理解できてきた。
大消費、長時間チャージ、手が塞がる。大魔法なれば、いずれも当然のことばかりであり、特筆すべき欠点には該当しない。
「せっかくなので、名付けるとするならば……。うーん、『ベネリカッター』とか、そんな名前でどうですかね?」
「別に命名に携わりたいわけではないので、そこはどうぞご自由になさってください」
出典はよく分からないが何となく強そうな響きだ。そういう古代兵器でもあるのかもしれない。あの魔法を放ったのは、エルリック最強の魔法使いと思われる背高だろう。ライゼンの雷魔法に匹敵する極大の魔法だ。物理的な破壊力だけならライゼン以上とみて間違いない。
「頑丈なことで知られるゴーレムを打ち砕いたのも納得の威力です」
「最下層で使ったときはもっと低威力でしたよ。今回よりも魔法としての完成度がずっと低かった、というのもありますし、ゴーレムの攻撃を回避しながらのチャージでしたからね。今回はオルシネーヴァが何もこちらに手出ししてこなかったおかげで、心ゆくまで魔法をチャージできたために砲弾を大型化させられました。バチバチに交戦している最中にはできないことですから、あの威力は今回限りです」
チャージにかかる手間と時間をエルリックはいやに気にする。戦争において使用する分には、そこまで問題となる欠点ではない。
なにせ、ベネリカッターを撃ってもらうだけで一戦の趨勢は決定的になるのだ。自軍は全軍で魔法使いの防衛を行い、魔法使いには魔法構築に専念させる。これで問題のほとんどは解決できる。
自分たちだけで魔法を完結させようとするから長時間のチャージがひどく足引っ張りに感じる。エルリックは戦略どころか軍隊戦術レベルですら物事を考えていない。
雷魔法を操るライゼンと並んで、エルリックは世界中の軍が自軍に組み入れたい戦力の筆頭だ。この戦術眼を持たないワイルドハントを組み入れるだけで戦略が激変する。
「俺は、街道をたった三人で封鎖した、っていう話に打ち震えましたね。あれは誰がやったんですか?」
ラシードの興味は想像を絶する一発の攻撃魔法よりも、街道での殺戮劇に向いている。
「あなた方が呼ぶところの、シーワ、フルル、背高って手足ですよ。あれも別に大した話ではありません。ラシード君は、オルシネーヴァ兵が怒涛の如く我々に斬りかかってくるところを想像しているのかもしれませんけれど、そうなったのは街道を塞いだ初期の初期だけです。一斉にかかってきた数十人を倒したら、後は誰もかかってこなくなってしまいました。身を守りながら懸命に我々の横をすり抜けて行こうとするばかりで、こちらに攻撃しようとする兵のほうが少数派だったのです。あまりに手を出してこないので、若干気が咎めたのを覚えています」
やられるが一方のオルシネーヴァ兵にエルリックは興が削がれたようだ。私はてっきり毒壺上中層で虫けらを殺したときのように無感情に惨殺したのかと思っていた。
「レンベルク砦の門が開き、逃げるオルシネーヴァ兵の追撃を始めたときは我々も『これは拙い』と思いましたけれど、もうどうすることもできません。後の祭りだったんですよねぇ……」
「オルシネーヴァの潰走はあまりに酷かったにしても、城塞攻め、というのは攻める側の手が止まれば攻め手が甚大な被害を受けるのは必定なのです。基本的に防衛側が圧倒的に有利なのですから」
「雑木林に準備したアンデッドの大軍は結果的に全く無用の長物でした。仕込みが凄く大変だったんですけどねえ……。我々は盛大に墓穴を掘ってしまった、ということです」
エルリックが砦を何日も空けたのは、アンデッドの大軍を用意するためだった。土中に隠しておいた、と言っているから、アンデッド本人に穴を掘らせたのかもしれない。掘っていたのはアンデッドの隠れ場所であり、オルシネーヴァ兵の墓であり、エルリックの墓穴である。
話し合いは、話せば話すほど愚痴っぽい反省会の色が深くなっていく。
「エルリックも結構ウジウジ悔やむことがあるんですねー」
「悔いて悩むのはいつものことです。しかし、今回は普段よりも心に負った傷が深いかもしれません。国王の前であのような放言をしておきながらこの体たらく。赤恥もいいところです」
珍しい物でも見たかのようにサマンダは言うが、ポーラは毒壺内で誰よりも表情豊かに落ち込んだり浮かれたりしていた。セーフティーゾーンで植物の栽培に失敗して、ダンジョンに土から何から丸ごと吸収されたときなどは、この世の終わりのような顔で分かりやすく落胆していたではないか。落胆を引きずることこそないものの、感情の波は顕著である。
「一時の感情に流されて浅慮な行動を取ってしまうと、すぐに後悔することになる、という端的な一例です。若い皆さんは我々の失敗を逆の鑑としてください」
エルリックは自虐的に反省している。
「何を言うのです。取り返しのつかない失敗をしたわけではないのです。どんな形でも勝利は勝利。勝っている分には、取れる選択肢はいくらでもあります。反省はこれくらいにして、これからのことをもう少し気を楽に持って考えてみましょう」
沈んでいく一方の場の雰囲気を嫌気し、アリステルが先の展望に話題を変える。
「先のことですか。“仲間”の朗報は、今回の一件で更に先延ばしされたものと考えたほうがよさそうですし、時間つぶしの方法でも考えましょうか。また焼き肉でもやりますかねぇ……」
アリステルが話したかった内容とは違う方向へエルリックは逃避を始めた。焼き肉慰安の会の受けが良すぎて、輝かしい成功体験として記憶に残ってしまったのかもしれない。
「確かに砦だと満足に食事もできないですからね」
ラシードはおかしな理由でエルリックの意見に同調する。この人の食事量と食事回数の基準は壊れたまま一向に戻る気配がない。
レンベルク砦では十分な量の食事が提供されている。味はポーラの料理に比べると格段に落ちるが、私もサマンダもアリステルも、誰も不満を感じていない。……私はたまに、ポーラの手料理が食べたいかなぁ、などと気の迷いが生じてしまうけれど、それを胸中から出したことはない。
「そこらの魔物でも狩ってきて我々の分だけ別に食事を用意するのは容易いですが、大盤振る舞いしてみせてしまった今となっては、自分たちの分だけ食事を用意したらひどく角が立ちそうです」
大盤振る舞いする前であっても、自分たちとは違う物をこれ見よがしに食べる集団には仲間意識を感じにくいものである。理屈では説明しにくいが、同じ物を食べる、という行為は時間をかけてジワジワと連帯感を芽生えさせるように思う。きっと理論とか理屈云々ではない本能的な現象だ。
「ポーラさんの料理は美味しいから、逆に偶に食べるくらいにしたほうが、ありがたみがあっていいと思いまーす」
サマンダの言葉にポーたんが反応を見せる。サマンダは、毎日は無理、と遠回しに告げているのだ。
「手の込んだもの、趣向を凝らしたものは全然作れません。本職の方が作る真のご馳走には程遠いです」
ポーラの声色や表情からは、照れや謙遜といった感情が読み取れない。本心からそう言っている。マジェスティックダイナーで泣きながら食事を取っていたことを振り返るに、心を砕いて作った料理とか確かな技術を持った料理人に対して心から敬意を抱いているのだろう。
「ああ、そうだ。中佐の班はこの砦の中にいても、必ずしもサングレン大佐の指揮下にはないのですよね」
「ええ。私の班は指揮系統が特殊です。緊急時以外に直接命令されることはないですね。伺いに近い形で治療依頼がある、という程度のものです」
大佐の話が挙がり、この砦に来た直後のことを思い出す。眠った中将と捏造した指令書があってもアリステルはヴィクトールを言い包めるのに相当苦労したらしい。なんなら、眠った中将そのものが邪魔だったとも言える。実際のところ、軍規に背いていたのは私たちの方であり、ワイルドハントとアリステル班のことを疑うヴィクトールのほうが規則の面でも感覚的な面でも正しいのだから、当時のヴィクトールの葛藤や当惑を察すると、私も少し複雑な気分になる。ヴィクトールの優秀さを考えると、よく私たちとワイルドハントの入砦を許可したものだ、と今更ながらに思う。アリステルの交渉力の高さにも改めて感心だ。
「では、ゲルドヴァに遊びに行きませんか。足繁くオルシネーヴァの本陣を見に行っていますが、砦に攻めてくる気配は今のところ皆無です」
本当に見ているだけなのだろうか? アンデッドを大量に本陣に投げ込んでおきながら、攻撃はしていない、と嘯き、善行を施した気になって悦に入るエルリックのことだ。また何か余計なこと、オルシネーヴァ軍からしてみれば大迷惑なことをしていても不思議はない。私は今、自分がオルシネーヴァ側に所属していないことを心から安堵している。
「ええ……? それは流石にどうかと思います。というか『遊び』とは?」
まさか、オルシネーヴァ軍に“善行”を施したように、ゲルドヴァの民衆でとんでもない“遊び”を始める気ではないだろうか。常識外れのアンデッドの新種が故に、発言ひとつで私たちは目一杯不安にさせられる。
「お買い物ですよ、お買い物。サマンダさんとラムサスさんにも剣を買ってあげたいですし、三人とも実力と身体にあった装備を身に着けるべきです。どうです、班長?」
ポーラは少し自信なさげな顔で上目遣いにアリステルを見る。
アリステルがポーラの色香に迷わされないか、私は少し不安になってしまう。
「班長ー。ゲルドヴァに行きたいですー」
返答を躊躇うアリステルにサマンダが畳みかける。
ポーラのおねだりに条件反射で否定的感情を抱いてしまったものの、よく考えてみれば私も街に行く用事があるではないか。行く用事どころではない。絶対に行きたい。
「今からですか?」
「いいえ。今日は都合が悪いので近いうちに」
今日ではないんだ。今日は然程早い時間でもない。では、明日かな?
調子がいいもので、いざ自分が街に行きたかったことを思い出すと、途端に待ちきれなくなってしまう。
結局その日、本当に大切な将来展望は語られることなく散会となり、次の日からエルリックは再び砦を空けるようになった。といっても、二日とか三日とか、ごく短期間である。




