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第九話 妹の戦い

「いけません」


 母がピシャリと言い放つ。


「えー、どうしてお母様。お兄様は昔からカールに稽古をつけてもらってるのに」


 エルザからのお願いを、一顧だにせず退ける母の言葉は、まさしく想定の範囲内というほかなかった。取りつく島も無さそうに見える母を、何とか切り崩してみせるのが兄の務めか。


「お母様、エルザはいずれ教会の道へ進ませるのですよね。それであれば武術の倣いを始めるには幼すぎるということも無いように思います」


 エルザの今後の進路の話なんて聞いたことも無いが、可愛がり方を見たら、軍人にさせるとは思えない。


「エルザの将来は、貴方が決めることではありません。控えていなさい」


 やはり私の言葉は母に届かない。それにしても、今の母の言葉は、エルザを教会に進ませる意思が無いようにも聞こえる。まさかとは思うが、今のは言葉のあやで、剣を習わせるつもりが無いだけだよな……?


「私はエルザの兄です。妹の事を案ずるな、とはあまりなお言葉だと思います。安寧とは言い難いこの世の中で、武術の一つも嗜まずに、蝶よ花よの生活が続けられる保証はありません」

「どうしてお母様は私に武術を習わせまい、と考えているのですか。理由を教えてください」


 エルザの言うことはもっともだ。武術を修めさせない明確な理由を母が持ち合わせているとは思えない。


「武術を習ってはいけない、と言っているのではありません。時間は有限です。家庭教師から授業を受けて、更に武術を修めるなど、そんな余裕は無いでしょう」

「それでは曜日を決めてはどうでしょうか。ヒルハウス先生の授業を受ける日と、剣術を習う日を決める、という方法もあります」

「知識も技術も、半端では役に立ちません。その方法ではどちらもモノにならずに挫折するのが目に見えています」


 そんなことは無いはずだ。私はその半端な知識と技術だけで前世をずっと渡り歩いてきた……と思うのだが、それをここで引き合いに出すことはできないから、何と言ったものか。


「でもお母様も、武術の必要性自体は感じていらっしゃるのですよね」

「お母様もお父様もお兄様もみんな戦える。リラードはまだ小さすぎるから別として、家族で戦えないのが私だけなのはおかしいと思います」


 エルザの言葉を聞いて母は少し考え込む様子を見せた。さっきから私の言葉よりもエルザの一言一言のほうが有効打を与えている気がする。


「そんなに武術を身に着けたいのであればこうすることとしましょう」


 エルザの訴えは母の気持ちを動かしたようだ。


「エルザ、明日から早起きしなさい。私が打棍で稽古をつけてあげましょう」


 ただし、それは思わぬ展開を見せたのであった。




 呆気にとられる私とエルザを他所に、母は会話を切り上げて自室へ戻ろうとする。エルザは母に駆け寄ってまだ何事か反論を述べているが、母は全く取り合う様子を見せない。既に気持ちは固まってしまったようだ。


 (すが)る手を無下に払われたエルザはトボトボとこちらに帰ってきた。


「私が習いたかったのは剣術なのに、どうしてこんなことに……。お兄様も、あそこで何か言い返してよ」

「お母様は、最初から最後まで私の言葉に取り合ってなかったから、きっと無駄だったよ」


 嘘は言っていない。予想外の展開に、上手い返しが浮かばなかったというのもある。ただ、これはエルザには絶対言えないことではあるが、戦う母を見てみたい、という気持ちが私を黙らせたという部分は確かにある。


「それにお母様は修練場にいた一番強い人と多分同じくらいの強さだと思う。強さ、という意味では、お母様は稽古の師範として申し分ないよ」

「えー、打棍なんて恰好悪いよ」


 打棍を修める全ての人への侮辱である。エルザでなければ許されるものではない。


「打棍は状況によっては、剣術よりも力を発揮する。アンデッド相手なら尚更だ。一概にどちらが優れているとは言えないよ。エルザの好みは知らないけど」

「ひどいよお兄様」


 頬を膨らませてぶーたれるエルザも可愛い。


「強いかどうかと、教えるのに適しているかはまた別の要素があるから、お母様がエルザをちゃんと指導してくださるか、明日は私も早起きして見守ってあげる」


 口ではそれっぽく言いつつも、エルザを守るため、というよりは自分自身の好奇心が大半を占めている。


「もしお母さまがあまりにも厳しかったら助けてよね」


 それは正直自信が無い。どう考えても今の私の実力では、猛った母を止めることなどできはしない。代わりに打ち据えられてやるのが精々だろう。ただ、火に油を注ぐことになりそうだから、それはしたくない。


「明日の朝、どれくらいから稽古を始めるかお母様は言ってた?」

「日の出とともに起きなさい、って言ってたよ」


 大分早い時間を指定してきたな。眠りから覚めたばかりの身体を十分に温めたうえで、学校に行くまでに稽古の時間を確保するには、確かにそのくらい早起きする必要があるか。売り言葉に買い言葉で出た、ってだけでなく、母も本気なのかもしれない。


 私も今日は早く眠りに就く必要がありそうだ。実際、リディアとの一戦はわずかな時間だったというのに、身体は普段のカールとの修練と同じかそれ以上に疲れている。


 不満一杯のエルザをしばし宥めて、私は普段より早い時間に床へと向かった。




 翌日、日の出より早く目を覚ました。空はまだ暗いが、日の出の近さを感じさせる色合いになっている。うるさくならない範囲で、身体を動かし温めておく。


 隣のエルザの部屋からは物音はしない。おそらくまだ眠っているのだろう。日が出てもまだ起きてこなければ起こしてやろう、と決め、私は一人で家の外へ出た。


 私が出るとき、家の正面玄関は鍵がかかっていたから、母はまだ家の中にいるはずだ。夜明け前の底冷えのする空気に身を晒しながら、感覚を研ぎ澄ます。


 鈍い青色が広がる時間帯。この世界の見え方は嫌いではない。宵の口も視界の広がりが似ている。人影がまばらになり、身を隠さずとも視線が減る。視線の少なさに居心地の良さを感じるのだろう。やはり私の前世は、人目を忍ぶ日陰者だったのかもしれない。


 そんなことを考えつつ、低い気温の中でも活動できる虫を探す。葉の裏に身を潜める虫たちを探し、ちょうど良い目になりそうなものにドミネートをかけていく。万が一にもドミネートの様子を母に見つからないように、細心の注意を払いながら。見られたところで、まさか羽虫にドミネートをかけているとは見破られないと思うが、用心に越したことは無い。


 手ごろな虫を何匹か確保したところで、ちょうど日が出てきた。そこからあまり間を置かずして、母が動き始めたと思しき気配を、前もって家の中に置いておいたハエが察知した。母はかなり正確な体内時計を持っているらしい。普段からこんな時間に目を覚ましていたのだろうか。気づかなかったな。


 どれ、エルザが目を覚ましたか見に行くか。少し冷えてきた身体をこすりながら、私は家の中へ戻った。




「エルザ、日が出たよ。もう起きてる?」


 エルザの部屋の扉の前から声をかける。返事は無い。何度かノックをしてみるものの、応える気配が一向にない。どうしたものか、と思案しているところへ母がやってきた。


「おはようございます、お母様」


 取り敢えず朝の挨拶を向けておいたが、母は返事もおざなりに、真っすぐにエルザの部屋の扉へと向かい、迷うことなく鍵を開けて扉を開いた。エルザが自分から起きてこないことは予想していたようだ。


 母の様子がいつにもまして緊張感のあるものだったことから、先の展開は想像に難くなく、私はその場から身を遠ざけた。おそらく、すぐに稽古は始まらない。


 私は、母と妹が繰り広げる騒音に少しだけ耳を傾けながら、小腹を満たすものを階下に探しに行った。簡単なものをつまんで庭へと向かったところで、丁度母とエルザも姿を現した。


 エルザがまだ明らかに眠気の抜け切らない表情をしている一方、母の表情は普段にまして引き締まっている。腑抜けた様子のエルザをいきなり打ち据えたりしないかハラハラしたが、普通に準備運動から始まった。


 母が用意した二柄の打棍を、母とエルザが一柄ずつ持つ。エルザに持たされたのは、母が持っているものよりも二回りか三回りくらい小さいものだ。昨日の今日でいきなり準備できるとも思えない、縮尺のあった代物だ。年季も入っているようだし、母が幼い頃に使っていたものかもしれない。


 当然ながら私のものは用意されていなかったので、普段カールと戯れている際に使っている短槍を持ち出す。


 そういえばこの短槍、カールが与えてくれたものだった。貸してくれているのか、私に完全にくれたのか、よく分からないが、とにかく出所はカールだ。母でも父でもない。


 少し悲しくなった。


 母は打棍を持ったまま行う準備運動を黙々と続けていた。こんな準備運動があったとは知らなかった。槍でも問題なく転用が効く。覚えておくことにしよう。


 準備運動は、そのまま打棍の型へと入っていった。当たり前だが、槍術とはかなり毛色の異なる動きであった。母の持っている打棍から、棒術に比較的近い動きをするのだろう、とばかり考えていた。その通りだったのは準備運動の間だけで、型が始まると、どう見ても、先端に重心のある棍棒を扱う際の動きなのである。母が今持っている打棍はあくまで訓練用で、実戦で扱うものとは全く違うのかもしれない。


 私はともかく、エルザの息が大分切れてきたところで小休止となった。寝起きに空いた腹を抱えて慣れない運動をさせられているのだから、エルザの疲労も当然だ。座学に偏った弊害とも言える。


「大分お疲れの様子で」

「武術がこんなにキツいなんて。学校では運動得意なほうなのに……」


 学校での運動は持久力よりも瞬発力がモノを言う。それに対して、訓練の類は往々にして持久力頼みなところがある。




「体力なんて、やっていればすぐについてくるよ」

「もっと華やかな稽古を期待してた……」


 あまり迂闊な事を口走ると、母の機嫌を損ねるぞ、と思っていたら、案の定、我々の会話が耳に届いたらしく、母が口をはさんできた。


「つまらないおしゃべりをできる位は体力が回復したようですね。本来ならば基本技を教えていくところですが、それでは貴方もつまらないでしょう。次に懸りをやって、今日の稽古は終わりにしましょう」

「懸りって何ですか? お母様」

「お互いに技を掛け合う稽古です。懸りにも色々と種類があります。初日ですから、それもまだ覚えずともいいでしょう。取り敢えず私に自由に打ち込んできなさい。私からは打っていきません」

「え、好きに打っていいの?」


 エルザが気色ばむ。確かに初日から、型とか技だけやってもつまらないが、そもそも基本技も習っていないのに、懸りとはどうなんだろうか。(いぶか)しむ私を他所に、エルザは疲れなどどこ吹く風で俄然やる気をだし、打棍を構えて応じる姿勢だ。


 庭の開けた場所の真ん中で、母とエルザが正対する。


 それにしても、エルザは筋がいいように思う。今日初めて打棍を持ったはずなのに、構えはそれなりに見える。対する母は、構えの美しさだけでなく、安定感のようなものが感じられる。見た目だけでなく、魔力も通常時とは異なる。普段よりも一段と高まりを感じる母の魔力に、不意に違和感を覚えたところで、目配せを合図に懸りが始まった。


 エルザが打棍を振り回し、母にかかっていく。美しかったのは最初の構えだけで、身体運びも棍捌きも完全に素人だ。


 そんな滅茶苦茶な振り回しを、まるで予定調和のように、丁寧に母は受けていく。薙ぎ払いを防ぎ、振り下ろしを受け流し、まるで娘から打ち込まれるのを楽しんでいるかのようだ。母の武術はもっと力任せなもの、という先入観を抱いていた。これならちゃんと"術"を指導できそうだ。


 しかし、なぜか違和感が拭えない。母は、専守に努めているし、魔力も極端に高めている訳では無いのだが……何ていうか……


 以前私と戦ったときよりも強いんじゃないか?


 ふと、そんな気がした。私は、生まれてこの方、母と戦ったことなど一度も無いから、これは、前世において母と戦ったことがある、ということなのだろう。一体、どのような状況で母と戦ったのだろうか。


 そんなことを考えていたところで、攻めあぐね、手が止まったエルザへと母が技を繰り出し始めた。


「えっ、お母様が攻めてくるなんて聞いてないよ!?」


 慌てて態勢を崩しながらも、なんとか母からの技をエルザが受け止める。受けられるギリギリを狙いすますように、母は連続して技を繰り出していく。母が攻め始めると、エルザは攻める余裕などあるわけがなく、防戦一方になる。


 不安定な棍捌きでなんとかエルザは受け続けていったが、一瞬母の動きが速くなった、と思った次の瞬間には、打棍を弾き飛ばされていた。


「お母様、強すぎ……」


 今のは、母の技術はもちろんとして、打棍を握るエルザの握力が限界に達していたことを意味している。よく今まで打棍がすっぽ抜けなかったものだ。


「今日の稽古はここまでです。まだ時間は余裕がありますから、疲れたことを理由に学校に遅刻しないように準備しなさい」


 弾き飛ばした打棍を回収しながら、すまし顔で母が引き上げようとする。




「お母様、待ってください」


 私の一言に母が足を止める。


「私とも手合わせをしていただけませんか?」


 振り返って私を見る母の目の奥には、怪しい光が見えた。

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