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第一四話 毒壺 八 迷宮覇者

「大丈夫なのでしょうか。この振動、下では何が起こっているんですか?」


 アリステルが衝撃の正体をポーラに尋ねる。


「大丈夫かどうかは分かりません。下ではゴーレムが暴れています。その激高ぶりは、今皆さんが感じている通りですよ。そしてそれは、我々にはどうしようもないのです」


 その衝撃と音を陽気な行進曲にでも感じているのか、エルリックは洋々とセーフティーゾーンに向かって引き上げていく。納得のいく説明が得られなくとも、私たちは上機嫌のエルリック背中を追いかけるしかない。




    ◇◇    




 講義の後、私はポーラに状況を尋ねてみた。


「ゴーレムが暴れている、と言っていましたね。それは、ゴーレムとクイーンヴェスパが戦っている、という意味ですか?」

「違いますよ。クイーンヴェスパはもう倒しました」


 数カ月に渡る地道な処理の末の討伐だというのに、エルリックは何の感慨も込めることなくあっさりと言う。


 相手はダンジョンボスなのに……それを倒すというのは、二か月だろうと一日だろうと常軌を逸した話なのに……どうしてこんなに感動なく言ってのける。


 ううん、問題はそんなことではない。要点に意識を戻そう。


「では、ゴーレムは何と戦っているのでしょう?」


 暴れている、とはいっても、何かと戦っているからこそ生じている衝撃だろう。エルリックのメンバーは全員ここにいる。となると、ゴーレムが戦っている相手は……


「まさか、『倒した』というのは言い回しの問題で、クイーンヴェスパをドミネートしてゴーレムと戦わせているんですか?」


 敗北による傷心から立ち直ったラシードがポーラに尋ねる。此度の傷心はもっと長引くかと思ったのに、食事を取ったら元通りになっていた。あんな派手な落ち込み方をしておきながら、なぜそんなに早く気を取り直せる。


「いいですね、ラシード君、その自由な発想。我々もいつかダンジョンボスをドミネートしてみたいものです。しかしながら、今はまだ無理なようです」


 ダンジョンボスをドミネートする、など、驚天動地のとんでもない話である。そんなことができるのであれば、ミスリルクラス相当のエルリックのメンバー全員ですら、誰かひとりの魔法操者が使役している、という可能性だって出てくる。それだけではない。エルリックがジバクマの敵に回った場合、ライゼンがエルリックに操られる可能性を考えなければいけない、ということだ。凶夢にもほどがある。


 破天荒な意見を出すラシードに、ポーラは柔らかい笑顔で答えている。ちょっとお馬鹿な弟と優しく話す姉のような、家族感のある穏やかな物腰だ。


 エルリックは最近やけにラシードに甘い気がする。ラシードが正解を導き出した暁には、頭のひとつでも撫でだしそうだ。そんなことをすると、サマンダは(たちま)ち不機嫌になる。その人間模様が、アリアリと(まぶた)の裏に浮かぶ。


「クイーンヴェスパを倒した後、沈黙を守るゴーレムの体内をまさぐったところ、どうも逆鱗に触れてしまったようです。それからですね、狂ったように暴れだしたのは。我々のみならず、生命を有するものや意思を持って動くもの全てが敵に見えるようで、あの巨体から豪腕を振りかざし、小さな魔物に襲いかかり続けています」

「そうですか……」


 私はゴーレムをはっきり認識できなかったから、あの巨体、と言われてもどれくらいの大きさなのか見当がつかない。


「これからどうするんですか?」

「今まで通りです。あのゴーレムを倒します。倒さなければならない理由、というのはありませんが、やられっぱなしは癪ですからね」


 毒壺のダンジョンボスの一柱たるクイーンヴェスパをエルリックは倒した。残るもう一柱のゴーレムを倒したら地上に帰る気になってくれるだろうか。


 戻って貰わないと困る。月日はどんどん流れている。毒壺に籠ってから、もうしばらくで一年になってしまう。アリステルがあとどれくらいの期間、元気でいられるか分からない。寿命が延びていたとしても、その延びた時間を国からの新しい任務にも充てられず、家族と過ごす一時にも充てられず、ただ仄暗いダンジョン内で燻ったまま私たちの成長を見守るだけになってしまっては、あまりにも可哀想ではないか。


 それに、軍は私たちの現状をどのように位置付けているのだろう。失踪者ないし死亡者扱いでもしているかもしれない。毒壺で未だに報われぬ戦いに身を投じていることを信じている者は、おそらく多くない。


 普通の食事も食べたい。ポーラの料理は美味しいけれど、使う食材が限られている関係上、街の食事に比べるとどうしても変化に乏しくなる。それに食事は強制的に口に詰め込まれるようなものではないはずだ。えずきながら食べたり、目を瞑っているところに押しこまれたりするものではなく、自らの意志で肯定的に、ときに幸福感とともに取るものである。端的に言って、自由でなくてはならないのだ。自分の好きな料理を、好きな量だけ食べる。戦時下であっても、一日くらいはそうしたい。


 新しい服と装備も欲しい。ラシードほどではなくても、私とサマンダも身体が大きくなり、服がパツパツだ。贅沢は言わない。お洒落でなくたっていい。体のサイズにあった鎧下着を身に着けたい。


「どれくらいでゴーレムを倒せますか? まさかヴェスパのときのように、また二か月以上かかるのでしょうか」


 討伐に見込まれる所要日数を尋ねる。思った以上に早口になり、身体まで前に乗り出してしまった。表層意識で理解する以上に私の深層心理は人間世界への帰還を求めている。


 ポーラは私の気迫に少し驚き、瞬きを繰り返す。


「我々の攻撃はゴーレムに損傷を全くといっていいほど与えられませんでした。はたしてあの堅物に攻撃を通す方法があるのか、そこから始めなければなりません。所要日数は全く見積もれません」


 弱点探しからの開始だ。弱点が見つからなければ、防御力を打ち破れる強力な攻撃手段を構築することになる。その有効な攻撃方法とやらを編み出すのに、どれだけかかる。もしも諦めるとすれば、何日で?


 働きバチを二か月以上かけてコツコツと減らしたエルリックだ。日とか週の単位では物事を考えていない。きっとまた何か月もかかるのだ。アンデッドは時間の感覚が私たちと違いすぎる。


「そうですか……」


 まだまだ時間はかかりそうだ。何も希望が見えないときにはそうでもないのに、希望が見えると(すが)ってしまう。地上に帰れる日を待ち遠しく思ってしまう。折角見えた希望はあっという間に見えなくなってしまい、すごすごと引き下がることになった。


「ラムサスさんはホームシックのようですね。肉は抑うつ的な気分を上向かせると言いますから――」

「幸福な感情で一杯です。ご心配なく!!」


 気遣いは全力で拒否しておく。食餌療法と称して要らぬ手心を加えられるのは御免だ。変な匂いの薬味を食事に入れられた日には、本当に吐いてしまうかもしれない。


「そうですか。最近、いい香草が栽培できるようになったので、ラムサスさんに最初にご賞味してもらおうと思ったのですけれど、それはまたの機会ですね」


 いい香草とは具体的に何がどういいのか。「味がいい」とか、「香りがいい」のであれば問題ないが、「身体にいい」のかもしれない。正体が判明するまでは接触を回避するに尽きる。「筋肉にいいかもしれない」とでも理由を付けて、ラシードあたりに毒味させるのが無難な選択である。




 翌日、ラシードが新しい香草をふんだんに用いた食事を取らされたこと以外は、いつもと何も変わらずに一日を送った。香草は、新しいフレーバーとして悪くなく、味と香り付けのバリュエーションが増えることになった。


 その他、変わったことを挙げると、エルリックが最下層に潜るときは、ヴェスパがいた頃と違って、決まって激しく下層まで揺れが届くようになった。エルリックが毎日最下層に籠る時間の長さは、ヴェスパの相手をしていたときと同程度である。


 エルリックは毎日、毎日最下層に挑戦した。セーフティーゾーンでのポーラは気落ちしていたり、やる気に満ちていたり、と日によって表情を変える。純粋な人間である私たちよりもずっと表情豊かに、概して楽しそうに最下層通いの日々を満喫している。




    ◇◇    




 毒壺に潜ってから十か月が近付いてきた。ラシードはもうアリステルより強くなっている。アリステルと直接手合わせはしていないのだが、私の見たところでは、最後にアリステルが闘衣を纏って戦っていた頃と同等以上の動きができているように思う。私とサマンダも随分と強くなっているのに、ラシードの著しい成長の前ではどうしても霞んでしまう。


 サマンダは戦闘力よりも回復魔法の上達が目覚ましい。任務に忙殺されず、勉強と練習にまとまった時間を取れているのがとても良い方向に作用している。医療知識もラシードの一歩上らしく、総合的には軍医としてラシードよりも二歩以上先にいる……らしい。軍医的な能力の深い部分は、正直私にはよく分からない。アリステルが二人にかける言葉の意味を読み解くと、多分そういうことなのだと思う。


 二人とも幅広く能力を成長させつつ、長所を劇的に伸ばしているのに対し、私はどれもパッとしない。自分の持ち味を見つけられずに迷走しているような気がする。エルリックに集中的に教えてもらっている風魔法と水魔法は上達しているものの、下層の魔物に対して有効なダメージソースにはなっていない。物理戦闘力においては、闘衣を習得したこともあり、ひとつの壁を越えたことは間違いない。魔法よりもずっと確実な戦闘力を得たことになるが、ではラシードと肩を並べられるか、というとてんでダメ。膂力、腕力、闘衣の練度、どれをとっても話にならない。私よりずっと強いラシードですら、まだひとりでは下層の魔物を倒しきることができないのだ。私は物理戦闘でも魔法攻撃でも下層の魔物相手にマトモに戦えない。


 冷静に考えると私は情報魔法使いあり、伸ばすべきは情報魔法なのだ。その最たるものである小妖精のひとり、ポジェムニバダンは常時召喚している。意味のあるなしに関係なく常に情報をもたらしてくれるが、これをどうやって成長させたらいいのか、なんて分からない。そもそも、今の状態で能力的に完成している可能性がある。伸び代はもう無いかもしれないのだ。もうひとりのソボフトゥルはエルリックに使用を禁止されている。しかも、フルルに斬られてしまった後でもあり、喚び出すことができるかどうかすら分からない。他にもアンデッド感知魔法(ディテクトアンデッド)など、一般的な情報魔法や、情報魔法の礎の分野である変性魔法もそれなりには使えるが、回復魔法や攻撃魔法と違ってどのようにすれば魔法的な成長が得られるのがよく分からない。攻撃魔法の威力向上のように、目に見える形で成長は実感できないのだ。


 そんな私の不満を察したエルリックは、下層の敵を相手にしているから成長を実感しにくいだけですよ、と私を慰めてくれた。アンデッドに慰められると、惨めになるのか何なのか、うっかり涙腺が緩みそうになってしまう。私に必要なのは慰めではない。確たる成長と、それを実感して自信という形で精神に還元する機会だ。その機会を得るためには、やはり毒壺から一日も早く出る必要がある。




 そんなことを考え始めたある日、いつものようにエルリックの籠る最下層から過去最大級の爆音が響いた。ミシリ、ゴキリ、と嫌な音を立てながら鋭く揺れるダンジョンに、このままダンジョンが崩れ落ちてしまうのではないか、という不安を覚える。幸いにも、異常なまでに大きな爆音と衝撃が走ったのは一回だけであり、実際にダンジョンが崩落することはなかった。小さな揺れがしばらく続いた後、下層には静寂が戻ってきた。


 これまたいつものように下層に残って最下層に繋がる穴を見つめていたポーラが顔を上げる。その表情は今までにないほど晴れやかで達成感と自信に満ち溢れていた。ほんの少しだけ混じっている疲労の色は、エルリックが何か大きな仕事を達成したことを感じさせている。ポーラはもったいをつけるように少しだけ間を取った後に口を開いた。


「ゴーレムは倒しました。皆さんも最下層に行ってみますか? それとも早く人の世界に戻りたいですか?」


 やはりそうだ。この大爆音と衝撃はゴーレムを倒す際に生じたものだったのだ。エルリックをダンジョンに縛り付けていたダンジョンボスは倒れた。ならば、私たちの望みは聞かれるまでもなく……


「是非、見に行ってみたいです」


 またラシードが馬鹿なことを言い出した、と思ったが、それを言ったのはアリステルだった。ラシードが筋肉に魅了されてしまったように、アリステルは何度もエルリックと最下層を訪れるうちに、最下層の持つ独特の雰囲気とエルリックの怪しい言葉に親炙(しんしゃ)されてしまったのかもしれない。とはいえ、アリステルがそう言うならば私も見てみたい。




 ポーラたちに続いて私たちアリステル班も梯子を伝い、最下層に繋がる穴を下りていく。


 最下層に辿り着いて梯子の途中から最下層を見下ろすと、そこに広がる光景は少しだけ前と違っていた。穴の場所が前回とは違うため、見下ろしの角度が違うのは当然だが、それだけではない明らかな違いがある。最も分かりやすい点は、植物が生えずに剥き出しとなって抉れている地面がいくつもあることだ。それはエルリックとゴーレムとの間で繰り広げられた激しい戦闘を私たちに否が応でも想像させる。


 そのまま梯子を下り切り、最下層の地面に両脚で立つ。この場所を歩くのはこれが初めてだ。下層の地面と違って足元が柔らかい。森に堆積した落ち葉の上や草原を歩いているかのようだ。見た目に美しい花を咲かせている植物からは良い匂いが香り、それに負けじと虫が涼やかな音を奏でて存在を精一杯主張している。ある種、地上以上の生命の宝庫だ。低い背丈ながらも力強さを感じさせる草花は、上から見下ろした時よりは大粒の、といっても指先程度の大きさの光粒を無数に蓄え、最下層という空間をほんのりと照らしている。私たちが佇んでいる周りだけはその光粒が見当たらないのは不思議な感じだ。


 ポーラが私たちを先導するように地を踏みしめて歩いていく。草花を踏みつけても足音が無いのは恐れ入った。静音行動を教え込まれているサマンダも同様だ。私だって最近は静音行動に注意を払っているが、この足元では難しい。大きな音こそ出にくいものの、気を付けて歩いても小さい音まで消すことはできない。そういう場所だ。自分の足音をここまで大きく聞き取れるのは久しぶりである。


 エルリックが歩く場所では、変化することなく光粒が小さく灯り続けている。だが、私たちがその場所に足を踏み入れると光粒は忽然と消え失せる。


 一体何が違うのだろう。純粋な生命にでも反応しているのだろうか。アンデッドには反応しないが、生命が近付くと消える。そんな特徴を持つ光粒なのかもしれない。




「よくここまで打ち砕けましたね」


 アリステルは、草が薄っすらと生えた古い遺跡のようなものに手を伸ばす。上から見たときは剥き出しの地面の一部にしか見えなかったが、こうやって近くで見てみると、ただの地面ではなく明確な構造を呈している。しかし、本物の遺跡などではなく、倒したばかりのゴーレムの身体なのだろう。


「そのために時間を費やし練習したのです。このゴーレムには良い的になってもらいました。軟らか過ぎず、硬過ぎず、適度に動き回る良い的にね」


 硬過ぎず、か。


 こうやって近くで見ても、ゴーレムの構成材料は大きな石材にしか見えない。もはや動かなくなったこの状態でも、私では砕ける気がしない。剣で叩いた日には、砕くどころか剣をへし曲げてしまうのが目に見えている。


 ポーたんを一巡りさせて危険がないことを確かめてから、サマンダの後についてゴーレムの身体を見て回る。砕けた全ての欠片(ピース)をひとつに組み上げたら、丘ほどの大きさになりそうだ。今では跡形もないクイーンヴェスパとどちらが大きかったのだろう。


 ああ、そういえば、クイーンヴェスパはゴーレムの体内に潜んでいた、という話だった。クイーンヴェスパのほうが小さいに決まっている。私はクイーンヴェスパの動き回るところしか見ていないのだ。生きたダンジョンボスが私に植え付けた恐怖は、日を追うごとに巨大化を続けていて、その存在感はゴーレム以上に大きくなってしまっている。


 クイーンヴェスパなんて、こうやって近くで見て手で触れたわけではなく、攻撃の届かない安全な遠方から眺めていただけなのだ。それなのに、巨大生物に身を食われるかもしれない恐怖は、思い出すだけで今でも背筋を凍り付かせてくれる。


 身体に植物を生やした遺跡のごときゴーレムが鎮座し、その体内にクイーンヴェスパを抱え、さらに万を超すヴェスパが空を埋め尽くす。人間が存在することすら許されないこの空間を、エルリックは半年近い時間を費やして自分のものにした。ここはエルリックの座と言っても過言ではない。だからエルリックの周りは光が消えないのかもしれない。


「精石は見当たりませんね。どこにあるのでしょうか」


 丹念にゴーレムの身体を調べるアリステルが指しているのは、ゴーレムの原動力となっていたはずの精石のことである。ゴーレムのような大物を動かすのは巨大な精石か、超希少アイテムである精霊石と相場は決まっている。


「精石を含め、価値がありそうなものは既に回収を終えています。存分に探してください。皆さんが見つけた物に対して我々は権利を主張しません。ご自由にお持ち帰りください」


 ポーラは期待を持たせることを言う。そこにどれだけ現実味があるだろうか。


「エルリックが見落としていて、なおかつ私たちが見つけられそうな物なんてあると思います?」

「いやー、ちょっと無いでしょー」


 もし、四人の中で値打ち物を見つけられるとすればサマンダかアリステルである。そのサマンダも、あまり期待はしていないようだ。私たちは宝を探すフリをしながら、アリステルが満足するのを待った。




「やはり精石も宝もどこにも無さそうですね。軍人の本分も忘れ、先人の残した強力な武具でも見つけて持って帰りたいと気張ってしまいましたが、何も見つけられませんでした」


 アリステルが頭を掻きながら笑顔で降参を告げる。そこに居たのは、軍医でも軍人でもなく、童心に帰ったひとりの男の子だった。何にも見つけられなかったにもかかわらず、アリステルは宝探しをとても楽しんでいたのだ。アリステルのことだから、財宝を見つけたとしても着服はしなさそうだが、貴重な物が無いか心を躍らせていたのは本当だろう。ラシードも浮かれていたし、男性はこういう宝探しがきっと好きなのだ。


「さて、ではダンジョンを脱出するとしましょう」


 最下層の探索を切り上げ、梯子ではなく本来の通路と思われる道を通って下層へと帰る。その通路は今まで見たことのない下層の一画に繋がっていた。その新規区画からいくつか岐路を進むうちに見慣れた地点に辿り着き、あとはいつものように第二(ディープ)セーフティーゾーンへ戻ることができた。


 最下層から下層、及びディープセーフティーゾーンへ行くのは簡単でも、逆に最下層に到達するのは難しい。中層上部と下部の行き来と同じで、最下層は下層からの侵入を拒むような作りになっている、ということだ。ダンジョンというのは何とも捻くれたものである。




 その日はそのままいつものディープセーフティーゾーンで休むのかと思いきや、時間がまだそこまで遅くないこともあり、第一(サーフェス)セーフティーゾーンを目指すこととなった。


「我々は別に構いませんが、皆さんは早く帰りたいのですよね。後ろを付いて行きますので、どうぞ皆さんが先行してください」


 エルリックは私たちに先を歩むように促す。毒壺内をアリステル班が先行するのは初めてだ。今までエルリックの後を付いて行くだけだった私たちに先頭役が務まるだろうか。道順が分からない。魔物が出る。罠がある。毒の脅威だってある。


 私たちの戸惑いを感じ取ったポーラが背中を押すように言葉を投げかけてくる。


「大丈夫です。今の皆さんならば行けます」


 自信たっぷりのポーラの態度に後押しされ、半信半疑ながらも私たちは毒壺中層下部の道を歩く。気配察知能力や罠探知能力に優れたサマンダと戦闘力随一のラシードを先頭にして、今日の目標はサーフェスセーフティーゾーンだ。


 当たり前だが、道中には魔物が出現する。遭遇頻度や同時出現数といった魔物の密度は、一年弱前に中層下部を訪れた時と同じだ。ブルーモスという中層下部ではありふれた魔物に蹂躙されかけたこの場所を私たちは進む。


 探索を開始してすぐに私たちは自身の力量を理解することになる。アリステルが戦闘員から離脱した状態でありながら、三人だけで中層下部の魔物と渡り合い、倒すことができる。それも、そこまで苦労することなく、だ。


 あの時バッシュを使っても一撃で倒せなかったブルーモスを、ラシードは闘衣を纏った剣の一振りで楽々と屠っていく。サマンダがブルーモスを一撃で倒すためには、まだバッシュを使う必要はあるが、苦戦はしておらず、少なくともパーティーの安定を揺るがす状態には全く陥らない。


 順調なのは戦闘面だけではない。サマンダは、ダンジョンに点在する罠をほぼ全て見抜いている。本当にたまに見落とすことはあるが、ポーたんの能力がある限り、このパーティーがうっかり罠に絡めとられることはない。ダンジョンで発生する問題は、いずれも三人で解決することができる。アリステルもエルリックも後ろを付いてくるだけでいい。何も手出しは要らない。エルリックの言う通りだった。ラシード、サマンダ、私の三人だけで中層下部は危うげなく進めることが分かった。ただし、道が分からないことだけはどうしようもなく、その日は結局ディープセーフティーゾーンまで戻ってきてしまった。


 道順という問題は時間と試行回数が解決してくれた。二日ほど挑戦(アタック)をかけることで中層下部は無事に抜けられた。中層上部まで戻ると、ダンジョンの出口まではあっという間だった。サーフェスセーフティーゾーンではほんの数分休憩しただけで、ほとんど素通りした。


 そういえば、こんな作りだったな、と懐かしさを感じながら毒壺の出入り口を抜けて、光の眩しい地上に久しぶりに、本当に久しぶりに出る。


 ああ、太陽の光はなんて眩しいのだ。ダンジョンの仄暗さに慣れすぎたあまり、日光空間の眩しさに目が甲高い悲鳴を上げている。


「うわー、日光が目に刺さるー。でも気持ちがいいー!」

「俺は生きて帰ったぞー! うおおおぉぉぉーーー!!」


 サマンダとラシードは何度も絶叫を繰り返し、生の喜びを噛み締めている。


 私も感情が、かつてないほど浮ついている。目が涙で滲むのは、太陽が眩しいからなのか、地上に出られた喜びが強すぎるせいなのか、自分でもよく分からない。でも、とにかく嬉しい。今、私は自分が生きているということを分かり易すぎるほど分かりやすく、強く実感している。


 報告が、とか、戦況が、とか、食事が、とか地上に戻りたい理由は様々あった。でも、今だけはそれがどうでもいい。また太陽を見ることができた。地上の空気を吸うことができだ。それだけで、私の心はとても満たされている。


 遠距離恋愛で久しぶりに恋人と会ったときの気持ち、というのは、こんな感じなのかもしれない。『十か月越しの太陽との遠距離恋愛』などと、くだらないことを思いつき、つい苦笑してしまう。


 アリステルはそんな私たちを見て少しだけ笑った後、上官としてしっかりと律する。


「さあさあ、喜んでばかりはいられない。今の僕らは周囲の状況も国の戦況も分からない情報弱者だ。まずは早く軍に合流しよう。最寄りの街はリレンコフだから、軍に先立って憲兵団の所に行くのが一番かな。エルリックの皆様にもご同行願えますか?」

「リレンコフまではご一緒します。我々はそこで持ち帰り品の換金はしますが、その後は我々だけで行動します。リレンコフには寄せ場もあれば手配師もいるようですから、毎朝一度はそこに顔を出します。国として我々に用事がある場合はそこに来てください。報酬も頂かないといけませんからね」


 まばゆい日光に目が眩んでいる点に関しては、ポーラも私たちと同じだったけれど、思考までは共有していなかった。私はてっきりエルリックが一緒に来てくれるものとばかり思っていた。私たちと馴れ合うつもりはないようだ。




 リレンコフへ着くと、エルリックは宣言通り別行動をとった。ほどなく再会するのは必定にせよ、別れはあまりにも素っ気なかった。去っていくローブ集団の背中を見て、今更ながらに色々と考える。エルリックに鍛えてもらえるのは、昨日で最後だった、ということだ。いつ毒壺の中層下部を突破できるか分からなかったため、指導に対する礼のひとつも言いたかったところなのに、タイミングを掴めずに言いそびれてしまった。


 心にはポッカリと穴が空いてしまっている。穴の形は、剛剣を振るうシーワでも、暴力的な魔法を放つ背高でも、剣を教えてくれるフルルでも、奇妙な存在の二脚でもなく、笑顔のポーラの形をしていた。少しだけ喪失感を味わいながら憲兵団の庁舎へと向かう。




 憲兵団につくと、数少ない私たちの顔を知った者は、亡者でも見るような目を私たちに向け、露骨なまでに驚きの感情を表現してくれた。前もって想像していたような、生還を喜び、歓迎してくれる雰囲気など、どこにも存在しなかった。リレンコフ憲兵団司令官に帰還の報告をしに行ったアリステルが戻ってきたときに、その理由が判明する。


 庁舎内部で私たちに佇まいを正させたアリステルがブリーフィングを開始する。


「まずは日時を確認しよう」


 日の射さないダンジョンの中、私たちは日付感覚を失わないように毎日全員で確認を取っていた。だが、現実の経過日数は私たちの数え日数から十日以上もずれていた。地上の現実時間は、私たちよりもずっと早く進んでいたのだ。どうやらダンジョン内は時間の流れが緩やからしい。


 十日超を損した私たちの驚きは、アリステルの次の言葉がもたらす衝撃によって簡単に吹き飛ばされてしまう。


「オルシネーヴァとの戦争が激化している。ゲルドヴァは陥落寸前らしい」


 十か月を超える連続任務に服してなお、私たちの休暇は遠い未来にあるようだ。

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